【フランス便り】(その36)

久しぶりの日本:安全と治安 、昼食の値段、円安と物価水準

鈴木 宏昌

 久しぶりに日本に戻り、日本の秋と食を楽しんだ。和食、回転寿司、天せいろ、サンマの塩焼きと大根おろしと、パリで食べられないものが美味しかった。12年前に大学を退職し、パリ近郊でのんびりした年金生活をしているが、新型コロナとウクライナ戦争のために、パリと東京の距離が遠くなったように感じている。
 以前には、パリを飛び立てば、12時間で羽田に着いていたし、航空料金も安かった。ところが、今では、パリ-東京を結ぶルートを運行する航空会社が少なくなり、本数も昔の半分以下になっていて、航空運賃は、新型コロナの前に比べて5割高となっている。多分、円安の影響で、東京でパリ行きの航空券を買えば、料金は昔の2,3倍近くに跳ね上がったのではなかろうか? もう気軽に日本へは行けなくなった。
 そこで、今回の5週間の旅行で気が付いた日本の生活とフランスの違いを綴ってみたい。まず第1は安全と治安の問題で、夜遅く電車で郊外に帰っても安全な日本と、多くの人種が混ざり合い、乞食やスリも多く、絶えず緊張を強いられるパリとは大きな違いがある。しかも、今のフランスは、イスラエルとハマスの衝突の余波で、いつ散発的なテロが起きても不思議でない。なぜフランスは安全や治安に問題があるのかを考えてみたい。
 2つ目は、昼食の値段である。フランスからみると、日本の昼食の安さに驚く。パリで昼食を取れば、最低でも20ユーロ、すなわち、3千円を超える。日本の消費者にとって、昼食が安いのはうれしいことだが、同時に多くの人が低い賃金で働いていることでもある。
 3番目は、円安の問題を取り上げてみたい。日本の国内で生活していれば、円安はほとんど響かない。ただし、円安が続くことは一種の麻薬ではないかと私は思っている。

1)安全と治安

 日本は世界の中でももっとも安全な国であるという定評がある。それに対し、フランス、とくに世界中の観光客が集まるパリの中心部はスリなどが多く、決して安全とは言えない。私も何回かパリの地下鉄で危ない目にあっているので、パリの街中へ行くときは、財布やカードを入れるところには注意している。混んだメトロの中で背中に背負うリュックサックは危ないので、手に持つことにしている。
 この点、治安のよい日本では、電車のなかでもレストランでも緊張感を強いられることはなく、安心していられる。多分、日本に戻り、何かほっとするのは、この治安の良さによるのだろう、また、電車がいつも時間通り運行され、宅配便が指定の時間帯に届く。それに対し、パリの郊外電車(RER)は、時々、当てにした電車が予告なしに運休となり、アポの時間に遅れそうになったことも何回か経験した。

 フランスでは、単にパリや観光地で観光客が狙われるということ以上に深刻な安全と治安の問題を抱えている。今年の7月に、交通違反をしたアラブ系の少年が警官の停止の命令に逆らい、逃げようとして、警官に射殺された。このニュースがソーシャルメディアで広がり、その結果、若者を中心として大規模な暴動に発展し、多くの都市で市役所、学校、商店などが燃やされ、鎮圧するのに4日を要した。
 今回の暴動の特色は、これまでのようにパリやリヨン、マルセイユのような大都市に限らず、人口1万人に達しない地方都市でも起きたことにある。これまで、大きな都市の一部には、夜歩くことが危険な地域があることは昔から知られていたが、今回の暴動は、非行にはしる若年層が、いつもは静かな地方都市にもいることを明らかにした。もっとも、暴動に参加したのはほんの少数で、地方都市(例えば、モンタルジ市、パリの南100キロほど)での暴動に参加したのは、数十人から百人程度とみられている。

 しかし、フランス全土で、危険地区と指定を受けた(1996年の法律)場所は実に750ヶ所に及び、パリ市内でも10ケ所に上る(そのほとんどがパリの北および東の地区)。危険地区とは、主に低所得者向けの古い住宅が集中する区域で、そこでは、貧困、非行にはしる若者、イミグレの集中、麻薬とその組織などの問題が重なり、夜となると、警察も簡単には入れない無法地域となる。
 このような危険地区が大都市の周辺にできてしまうと、普通の人はより安全な地域に移り住む。そのため、その危険地域の不動産価格は下落し、そこに外国人、不法入国者が集中するという構図となる。その結果、その地域の学校の多くはレベルが低く、特別手当が用意されていても、教師の確保が難しい。この問題は半世紀以上も前からあり、その解決のために、膨大なお金や人が投入されているが、少しも改善されていない。一つの再生プログラムが成功し、その地域に住む子供たちが教育を受け、就職すれば、彼らは別の地域に移ってしまう。そこに新しく貧しい移民が住むので、まったくいたちごっこである。

 この危険地区とは別に、フランスにはもう一つ不安材料がある。イスラム系の狂信者とユダヤ人の対立である。イスラム系の狂信者によるテロ行為は2015年から断続的に起きている。ここにきて、ハマスとイスラエルの悲惨な戦闘が行われているので、ヨーロッパで最大のイスラム系の人口とユダヤ系人口を同時に抱えるフランスにもその余波が及ぶことは確実である。
 フランスにいるイスラム系の人口は、定かではないが、マグレブ(北西アフリカ諸国)出身者やレバノンやシリヤなどからで、500-600万人ぐらいと推定されている。これに対し、ユダヤ系の人口は50万人と見積もられる。しかし、この数字以上にフランス社会におけるユダヤ人の存在感は大きく、経済界、政治家、研究者、医療関係、マスコミ、映画・演劇、音楽、文学などで広く活躍している。政治家では、古くはレオン・ブルームやマンデス・フランスがいて、ボルヌ現首相もユダヤ系である。銀行では、ロスチャイルド銀行、ラザール銀行があり、映画とかマスコミはとくにユダヤ系が多い。
 このユダヤ系の人たちの影響力を考えれば、マクロン政権やマスコミの大半がイスラエル寄りの報道をしているのも合点する。また、今回のイスラエルのガザ攻撃のニュースでびっくりしたのは、イスラエルにはフランス人が8万人いるという事実だった。その大部分は両親の一方がフランス国籍を持っていたことによる二重国籍保持者である。

 考えてみれば、貧しいアラブ人や中東の人にとって、イスラエルは西欧が造った橋頭堡と考えるのも無理はない。第1次大戦でオスマン・トルコが解体され、現在のイスラエルの地域はイギリスの保護領となる。そこへ、19世紀の後半から発達する、ユダヤの聖地への帰還を目指すシオニスムが結びつき、ユダヤ人の中東への入植がはじまる。それを受け入れない周辺のアラブ人と衝突し、戦いながら入植地を守る。1948年にイスラエルが独立して以降、数回にわたり周辺国と戦争となるが、絶えず勝利し、その領土を拡大してきた。四方を敵に囲まれているイスラエルが、軍事的優勢のみがイスラエルの安全を保障すると考えるのも不思議ではない。
 周辺国とイスラエルでは大きな所得格差が存在する。今問題となっているガザ地区の一人当たりのGDP(2022年)は1300ドル程度と見積もられているのに、イスラエルは4万ドルを超え、とてつもない格差となっている。中東という第3世界の中に、一つだけ豊かで、ヨーロッパ人が入植したイスラエルがあるので、貧しい周辺のアラブ人とうまく共存することは難しいだろう。
 その昔、私が1970年代初めにジュネーブのILO本部で働き始めたころ、ILO総会で大きな問題となっていたのは、パレスティナ問題だった。当時のILO首脳部が、それはILOの場の問題ではないと第3世界の代表を説得するのに10年近くかかったことが思い出される。今回の危機も先が見えず、長く続きそうである。

 ところで、フランス国内でイスラム系のコミュニティとユダヤ人が反目する危険性はあまりないだろう。イスラム系の人の多くはフランス社会に溶け込み、冷静に中東の情勢をみていると思われる。しかし、孤立したイスラム系の狂信者は相当いるので油断はならない。また、反ユダヤの色彩の強い極右の一部がこの機会に乗じて、ユダヤ教の教会や墓地を壊したりする危険は増している。現在のフランスは、10人に1人は外国出身者なので、アメリカと同様に、メルティング・ポット=るつぼ、になっている。
 このように、緊張の続くフランスから見ると、日本は治安が良く、平和な国である。欧米で広がる麻薬も日本では深刻な社会問題になっていない。また、外国人も、最近増えたと言っても、人口の2%にも達せず、世界でも珍しい同質の社会を形成している。もっとも、その代償は、ぬるま湯的な日本社会に慣れてしまい、新しい発想や国際競争に乗り遅れることだろう。

2)昼食の値段と賃金

 日本の 昼食は非常に安い。ラーメン一杯あるいは昼の定食は1000円ぐらいで足りる。パリで昼食を取れば、比較的安い定食でも18-20ユーロはする。それにほとんどの人はコーヒを注文するので、大体20-22ユーロが相場であろう。これを、今のレートで換算すると3200円となる。日本とフランスで一般的な生活水準はそれほどの違いはないのに、どうしてパリでは昼食代が3倍になるのだろうか? 多くの人は、単に為替のレートの問題、すなわち円安の影響と答えるだろうが、私はどうもそれ以外にも昼食の価格差の原因があるように思っている。円安が進んだのはここ1,2年だが、それ以前のレートは大体1ユーロ130円前後だったので、せいぜい2割ほどユーロ高になったに過ぎない。為替レートのみでは、とてもこの3倍という違いを説明することはできず、より構造的な問題がこれに絡むように思われる。

 まず、第1に日本のサービス業における低賃金の問題がある。レストランや居酒屋はパート労働者やアルバイトの学生などを多く使い、原価を安くしている。フランス(大部分のEU諸国も同様)の場合、全国一律の最低賃金があり、レストランなどで多く使われている外国人労働者や技能水準の低い労働者を保護している。フランスの現在の最低賃金は時間当たり11.52ユーロなので、日本円に換算すると1700円を超える額となっている。それに対し、地域最賃で最も高い東京ですら今年の改定後でも1113円でしかない。
 フランスの最低賃金は、毎年、前年の経済成長と平均賃金の上昇率考慮し引き上げられる。その上、安全条項として、2%の物価上昇があれば、自動的に最低賃金は改定される。このため、最低賃金の水準は先進国でももっとも高く、約17%の労働者が最低賃金で働いている。賃金の分散をみると、低賃金層のところに労働者が集中しており、フランスは最低賃金が賃金全体(とくに低賃金)を引き上げるので、ホテル・レストランなどのサービス業の賃金が、日本と比較して、高くなっていると思われる。

 また、日本にない制度として、産業別の労働協約があり、ホテル・レストラン・カフェで働く労働者の労働条件を保護している。例えば、その協約賃金表をみると、一番下の等級(不熟練労働者)は月当たり1679ユーロとあり、月当たりの最低賃金1383ユーロよりも2割ほど高くなっている。この協約賃金は労働省令で拡張適用されているので、組合員であるないにかかわらず、当該の産業で働くすべての労働者に適用される。もしも小さなレストランのオーナーが、この協約を守らないときは、違法行為として労働基準官から摘発され、厳しい罰金が科せられる。
 日本の消費者にとって、昼食の値段などサービスの料金が低く抑えられていることはよいことだろうが、労働者の立場から見れば、やはり考えさせられる。ここ40年間、名目賃金は上がらないどころか相当に下がっている。この間に、他の先進国では、賃金は名目および実質的にも大きく上昇している。日本はデフレの状態から抜け出せないというのが一般的な説明だが、それだけではないようだ。日本企業、とくに大企業はグローバル競争に生き残るためとして、海外に工場を移し、利益を確保している。長く続く自民党政権は、経済成長を目指すという名目で、財政赤字を覚悟で巨大な財政支出を行い、企業を助けている。その一方、企業組合の悲しさで、黒字企業であっても大きな賃上げを要求しなくなっている。このような日本の低賃金の構造があるので、昼食代が低いというのは少し飛躍だろうか?

3)円安と物価水準

 今回の一時帰国で、一番印象に残ったのは円安だった。大学を退職してからも、新型コロナの3年間を除くと、毎年一時帰国していたが、為替レートのことはあまり考えなかった。大体1ユーロ130円のことが多かったが、今回、ユーロは160円(実際には、これに銀行の手数料加わる)と、2割ほどの円安だった。日本の年金で生活している私にとっては、年金が2割削られたに等しく、実の大きな痛手である。逆に、欧米の観光客にとっては、日本での買い物はなんでも安く感じたのではなかろうか?

 それにしても、日本の物価は比較的安定している。フランスでは、昨年暮れに消費者物価が6%ほど上がり、とくに台所に直結する食品が12%ほど上昇し、大きな社会問題となった(この夏以降、インフレ率は低下傾向にあり、直近の11月には3.4%まで下がっている)。このようなフランスの最近の高いインフレに比べると、日本の物価は落ち着いている。例えば、電車の運賃は10年前とそう変わっていない。パリの地下鉄や国鉄の料金が律儀に毎年2,3%値上がりしたり、毎日の生活に必要なバゲットが最近1本90サンティムから1.20ユーロになったのと対照的である。
 ただ、この物価の安定は喜んでばかりもいられない。前節でみたように、物価安定の裏側には、長年の賃金の停滞があり、経済が活力を失い、伸びる商品が生まれてこないことでもある。そこへ、高いインフレを抑えようとするアメリカのFRBやEU中央銀行が金利を大きく上げているのに、ゼロ金利政策に固執する日本銀行と政府なので、日本円の下落が起こる。

 ところで、円安は一種の麻薬である。円安は、日本で暮らす分にはその影響は限られている。わずかに、エネルギー価格や輸入品の価格が上昇するくらいだろう。それに対し、日本の輸出企業は、企業努力をしなくても、ドルでの価格が下がり、輸出競争力が上昇する。ただし、その輸出競争力は一時的なものでしかなく、それに安住すれば、いずれ衰退の道を歩くことになる。

 フランスは、共通通貨ユーロ以前には、同じような経験を長いこと続けていた。フランスの場合、緊縮財政で支出を抑え、輸出競争力を保つことが政治的に困難だった。というのは、緊縮政策は、公務員数の削減や社会保障関係の支出抑制を意味していたので、労働組合やいろいろなアソシエーションからの抵抗が強く、政治的に不可能だった。そこで、国が輸出競争力を回復するためにとったのは通貨フランの切り下げだった。
 通貨の切り下げは、国内的には社会的影響が軽微で、企業競争力を回復させる。ドイツがそのマルクの安定性を重視し、個別企業の経営努力とたえざる投資で、高い競争力を確保していたのとは対照的であった。この通貨の切り下げという手段は、共通通貨のユーロの誕生で失われるが、同時にEUという膨大な市場とドイツの強い競争力をバックにしたユーロの信用で守られている。ただ、新型コロナ以降フランスやイタリアは放漫な財政を行っているので、今後EUの財政規律が復帰するときには大きな困難に直面すると思われる。

 ところで、10年以上続く金利ゼロ政策やアベノミクスの効果に関する本格的な検証は一体あったのだろうか? アベノミクスといういい加減な政策は、人為的に金利をゼロに抑え、政府の財政赤字(国際)を日銀にすべて買い取らせ、経済の活性化を狙ったものだろう。多分、当初は短期間のつもりが、結局今日までずるずると行われている。金利ゼロ政策は、借りる企業にとっては実に都合がよいだろうが、借りた企業は本当に経営努力を行い、将来への投資をしているのだろうか? すでにグローバル化した企業は、低い金利の円を利用して、海外投資を行っているのではなかろうか? 多くの疑問点が浮かんでくる。
 昔から、日本の中では、長いものにはまかれろということわざのように、なんでもまあまあと続ける習性がある。どうも、アベノミクスという怪しげな政策はその典型のように思われてならない。円安は、日本の相対的な購買力が減ることを意味し、決して見逃せる問題ではない。外国からの輸入品が値上がりし、国産品で代替されることは経済のパイが縮小することでもある。EUが市場の拡大で、経済規模の拡大を実現するとき、日本は国境を閉める方向に向かっている。外国人労働者を受け入れない論理は分からないでもないが、外国の商品の輸入を円安で抑えるとなると、日本経済は縮小の道をたどるだろう。どうも、昔からある、何かあれば鎖国を考える習性が戻ってきているのではなかろうか?

2023年12月10日、パリ郊外にて  (早稲田大学名誉教授)

(2023.12.20)
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