【オルタの視点】

今こそ米軍駐留問題で根本的議論を展開せよ!

木村 三浩


◆◆ 日米地位協定は〝世界モデル〟だって!

 大東亜戦争でわが国が敗戦してから、今年で七十二年が経ちました。しかし現在も、首都である東京の空がアメリカ空軍の管制下にあり、その空域を日本の航空機が飛行する際には米軍の許可を得なければなりません。
 ドイツやイタリアも同じく敗戦(イタリアは最終的には戦勝国に含まれていますが)しましたが、ベルリンやローマの上空を、その国が自由に使えない、といったことはありません。このことが、国民に何も不思議に思われていないのはなぜなのか。

 この一都八県に及ぶ「横田空域」は平成四(一九九二)年に約一〇%、二〇〇八年九月に約二〇%が返還されましたが、現在でも高度約七〇〇〇~約二四〇〇メートルの階段状に管制を受け、たとえば羽田空港から発着する航空機はその空域を避けるような飛行を迫られています。
 こうした状況下、現在の日本において、もっとも優遇されているのが在日米軍だといえるのです。陸・海・空軍にしても、海兵隊にしても、日本政府から多大な恩恵を与えられています。しかし、多くの国民に問題意識はありません。ある意味で、おめでたすぎるのが日本人です。結果として、アメリカが各国と地位協定を結んでいるなかで、日米間の地位協定は〝日本モデル〟とすら言われています。

 そのような厚遇をアメリカに与えていることについて、日本にとって戦略上必要だからだ、という説明がなされます。そして、保守派と称する評論家は、中国や北朝鮮の危機を煽り、時に日本国内において差別的妄言を繰り返しています。たしかに私も戦略的な効果を全否定するつもりはありません。しかし、戦略を語るのであれば、まずわが国がどんな方針をもって、安全保障をどう考えるかということを打ち出さなければならないはずです。しかし残念ながら、それはまったく見えません。

◆◆ なぜ首都の空が支配されていることに気が付かない?

 横田基地も、一日でも早く返還してもらえるよう声を上げなければなりません。右であれ左であれ、日本の国益、人々の暮らしのためです。特に、東京オリンピック・パラリンピックまであと三年、諸外国から訪れる人は日に日に増加している時に、このままでいいのか。国民はまるで不感症のようになり、問題提起をする人はほとんどいません。

 なぜこんなことになってしまったのか。アメリカから見れば、その目的は軍需産業の生き残りしかありません。米ソ冷戦が終了したのは平成元年。そこから三十年近くが経とうとしていますが、アメリカはいまだ軍事兵器を減らしていません。それら兵器を生き残らせるために、中国や北朝鮮の危機を煽り、戦略的に必要だというポーズをとり続けています。そして、日本国民は、今も、アメリカが垂れ流す〝有事の想定〟に、安倍政権はトランプ大統領から軍備を買い続けているのです。それも危険だともいわれる兵器を。

 もともと「未亡人製造機」といわれていたオスプレイは、予想通りに国内(沖縄)でも落ちました。また最近では、ヘリの部品が立て続けに落下しています。これも予想通りと言うべきか。しかし、日本側が飛行制限を要望しても、関係ないとつっぱねられています。オスプレイに関しては、沖縄・普天間基地に配備された二四機が、横田基地に配備されるのも時間の問題です。自分たちの国の制空権、すなわち国の主権が堂々と毀損されているのです。こういったことに対して日本政府が、何も力を発揮できないというのはどういうことでしょうか。私たちが現在、享受している平和は〝奴隷の平和〟にほかなりません。この屈辱的な状況に、まず気付かなければならないのです。

 東京だけではありません。在沖縄米軍の問題もしかり、です。基地を辺野古に新設する必要はないし、普天間も閉鎖させなければなりません。どうしても辺野古基地が必要だというのなら、嘉手納基地に統合すればいいのです。アメリカは、空軍が海兵隊と一緒になるのは嫌だと言っている。これはアメリカの理由でしかありません。整理・縮小・統合が決まっているのです。従って、嘉手納に統合すべきです。
 もちろん、私の基本的な考えは、「米軍は日本から全軍撤退、基地は返還すべきだ」ということです。自衛隊について安倍首相は、日本国憲法九条三項加憲によって認めるべきという立場ですが、これにも私は反対で、堂々と一項二項を変えて自衛隊を二分して、一つは国軍とすべきでしょう。また、国際的な理解を得る必要があるならば、国際待機部隊を編成し、自衛隊の任務として国連の指揮のもと国際貢献を担えばいい。加憲によって自衛隊を定義すれば、アメリカの傭兵とされて、都合のいいように使われるだけではないでしょうか。自衛隊をアメリカの下請けにしてはいけません。

 三島由紀夫は四十六年前、日本がアメリカの属国となったことを嘆きました。さらに、自衛隊を、アメリカの要請によって動くだけの魂の抜けた無機質な武器庫にしてはならないと警鐘を乱打したわけです。それが、いっそうひどくなっています。左翼的な論理で批判が行なわれていますが、ナショナリストこそ、真剣にこの問題を捉え、国家主権の立場で批判しなければならないのです。
 昔、「漢意(からごころ)」という言葉で、日本人としての精神の喪失が指摘されたことがあります。しかし今は「米意(めいごころ)」に日本の魂が支配されています。漢意には文句をつけて、大和魂はついえたのかなどと言いながら、「米意」には何の批判もなされません。この現状にこそ言及しなければ、真のナショナリストとしての本分を発揮できないのではないでしょうか。ナショナリストを名乗りながら、それを忘れたのか、しらばっくれてだまっているのか、そういう人が有識者然としているわけです。

◆◆ 戦争のロボット化は単なるゲーム感覚!

 ヘリコプターと飛行機を折衷したオスプレイが、事故を起こすのは当たり前です。軍需産業の肝いりでできたオスプレイが、日本国内に配備され、日本も買わされています。オスプレイについて考える時、注目すべきは「戦争のロボット化」です。ドローン技術の発展に代表されるように、無人偵察機、無人爆撃機が次々と開発されています。結果、戦争そのものがコンピュータゲームのような感覚で行なわれ、人が殺されています。そして最終的に、その地域を制圧する時に人間が投入されます。オスプレイはそのための輸送手段となります。こうして戦争がロボット化されれば、もはや収集がつきません。
 高度に武器が発達し、その兵器を作るために戦争が起こされ、人が動かされるという錯綜した状況において、わが国は何をすべきか。戦争を非合法とし、兵器を削減し、生産を止める方向に、根本的な構造を変えるしかないと思うのです。そのためには、日本が自ら兵器を放棄する覚悟、その覚悟のうえで、世界に向けて非暴力論を展開できるかどうか、ということです。これは現実的な対処であり、今後の思想的な命題といえます。

 そうであるならば、東京のど真ん中に見えざる支配があるという横田空域の問題について、われわれは支配を受けてまで、この現状を追認するのか、と問わなければなりません。世界の危機的状況に立ち向かうため、米軍の日本からの撤退を訴えながら、われわれは徹底的に軍需産業のプロパガンダに乗ってしまうのか、ということではないでしょうか。
 オスプレイは、もはや落ちて当たり前の航空機だということが明らかになりました。近いうちに、東京都内にだって墜落する可能性があるのです。それでも、アメリカが勝手に作った絵空事の安全保障で、オスプレイは必要であり、飛ばさなければならないという、軍産複合体の要請を私たちは受け入れるのでしょうか。自衛隊がオスプレイを導入、つまり買わされてしまえば、日本人がいくら練習したところで、さらに落ちる危険性が高まるでしょう。

 日本の安全保障は、もともとアメリカの戦略の一部でしかなく、アメリカへの追随のもとに自分の立場を作ろうとする安倍政権のやり方というのは、根本的に間違っています。その姿勢はオーストラリアでオスプレイが墜落した際の、小野寺五典防衛相の発言に、如実に表れました。〝申し入れ〟しただけで、アメリカが必要だと言っているから仕方ない。それでいいわけがありません。少なくとも原因が明らかになるまで飛ばさせない、国家主権の威力が必要です。しかし今回、完全に日本の立場は無視されました。「申し入れ」など、まるで子供の使い状態です。

◆◆ 東京都こそ横田基地問題解決の先頭に!

 私たち一水会は、東京の空の支配について喚起すべく、七月二十七日、小池百合子都知事に建白書を提出しました。たとえば東京都は、北朝鮮による拉致被害について、ポスターを作るなど広報を行なっています。拉致被害は人が奪われたという人権の問題であり、とても重要なテーマです。この痛ましい問題を作ってしまった遠因には、戦後のわが国がしっかりした自立国家として形成されてこなかった〝隙間(=対米従属)〟が存在しているのです。したがって東京の航空管制も、国の主権を奪われているという重大な問題なのです。東京都が何もしなければ、それは不作為というべきです。アメリカに文句を言った人間が潰されてきた歴史がありますが、たとえ圧力を受けようと、おかしいことはおかしいと言えるようにしなければならない。そこにナショナリストとしての健全性があると思います。

 在日米軍の問題は、決して沖縄だけに押し付けてはならず、東京も当事者性を持たなければなりません。米軍に提供されていた茨城・百里飛行場が茨城空港として民間共用空港となるなど、私たちにはすでに経験を持っています。
 冷戦の崩壊後、私たちは「反米愛国」のスローガンを降ろし、「対米自立」を提起しました。当時は誰も見向きしなかった「対米自立」を、現在、少なからずの人が主張しているのは、運動の成果といえます。さらに問題に切り込み、真実を隠すベールをはぎとらなければなりません。

 (一水会代表)

※『紙の爆弾』平成29年10月号掲載記事に加筆しました。

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