【コラム】槿と桜(92)

今回の韓国大統領選挙から思うこと

延 恩株

 2022年3月9日に韓国では大統領選挙が行われ、保守系最大野党の「国民の力」(국민의 힘)のユン・ソンニョル(윤석열 尹錫悦)前検事総長が第20代大統領として選ばれました。敗れた「共に民主党」(더불어 민주당)のイ・ジェミョン(이재명 李在明)氏との得票率の差はわずか0.73ポイントという大接戦でした。5月10日に大統領に就任し、パク・クネ(박근혜 朴槿恵)政権以来、5年ぶりに保守系へ政権が交代します。

 私も在外国民として投票しました。これは2009年2月に公職選挙法が改定されて、国外にいる韓国人もようやく投票できるようになったからです(ちなみに日本にも国外に住む人が投票できる「在外選挙制度」があります。日本国籍を持つ18歳以上の有権者で、在外選挙人名簿に登録します)。

 今回の大統領選挙では日本に住む韓国人のうち投票に必要な事前登録をした有権者は約29,000人、世界全体では約22万人だったそうです(韓国中央選挙管理委員会発表)。
 日本では投票所が19か所に設置され、投票期間は2月23日~28日までの6日間でした。日本で生活している韓国人は、日本以外の国外生活者に比べて、両国の関係があまりにもぎくしゃくしている状況を心配している人が多いためだったと思うのですが、今回の大統領選挙には関心が高まっていました。

 当選した尹錫悦氏はすでに日本との関係改善を目指す意向を示しています。ただ、文在寅氏が大統領であったこの5年間、両国の関係が異常なほどの緊張関係に陥り、政治的には相互不信が増幅されてしまっています。それだけに、尹氏が思い描いている日本との関係改善を進ませるためには、何よりも両国がともに信頼回復を図る努力を重ねる必要があるでしょう。お互いに硬直から柔軟な発想へ舵を切り、協力しあって両国を発展させていくという確認を引き出す努力を積み重ねることが何よりも求められているように思います。
 残念ながらこうした信頼関係が現時点では生まれていないことを証明するように、韓国側は大統領就任式に日本の岸田首相の出席を望んでいたようですが、日本側は総理特使として林外務大臣を出席させるにとどめました。

 また尹氏が大統領に就任するや、外交と同様に内政で真っ先にその手腕が問われるのは議会運営でしょう。尹氏が所属する「国民の力」の議席数は110で、野党となる「共に民主党」の議席数は172で62議席も少ない少数与党となるからです。定数300の過半数を大きく越える野党「共に民主党」の協力がないと、すでに首相候補にハン・ドクス(한덕수 韓悳洙)氏や外相にパク・ジン(박진 朴振)氏など閣僚8名を指名していますが、指名した人物がそのまま閣僚ポストに就けるとは限りません。国会で人事聴聞会(인사청문회)を開かなければならず、野党「共に民主党」の協力がないと、任命できない事態にもなる可能性があるからです。
 尹氏が国会の意向を無視して、指名した閣僚人事を強行することはできますが、野党の「共に民主党」との対立が強まってしまいます。そうなると、政府組織を改変するためにも法律の改正が必要ですから、すんなりと法案を通すためには野党への働きかけがどれだけ巧みにできるのか、そして、いかに協力を得られるようにするのか、大いに注目されます。2022年5月10日以降、しばらくは新大統領の動きから目が離せないようです。

 ところで、韓国の大統領は退任後、逮捕されたり検察の捜査を受けたりすることが多く、なぜなのかと日本の方に質問されることがあります。確かにそうした事態は否定できません。日本ではほとんどないことですから(1945年以降では田中角栄元総理大臣がロッキード事件で逮捕されました)、当然でしょう。
 ここには韓国の大統領制そのものに大きな理由があって、これまでも指摘されてきたことですが、私なりに整理してみます。

 韓国の大統領選挙は国民一人ひとりが投票する直接選挙です。これはアメリカの大統領選挙より民意を反映させるという意味では優れています。任期は5年で、アメリカやフランスのように再選はありません。いちばん多く票を獲得した候補者が当選者となり、得票数が過半数を越えていなくても決選投票はありません。またアメリカのように副大統領を置くこともしません。
 それから大統領候補として立候補できる年齢は40歳以上となっていますが、この規程は1948年に初代大統領となったイ・スンマン(이승만 李承晩。1948~1960の3代に渡って大統領。選挙不正によってハワイへ亡命)の時代から変更されていません。

 国民の直接選挙で選ばれた人が国家元首となり、行政府のトップになる韓国大統領は日本の総理大臣に比べますと強大な権力が与えられます。
  国会への予算案提出権
  法案の拒否権
  裁判官、憲法裁判所所長、大法院長(日本の最高裁判所長官に当たる)の任命権
 これだけでも行政と司法に対する権力行使は絶大です。
  条約の締結・批准
  憲法改正提案権
 さらに軍に対しては、
  国軍統帥権
  戒厳令布告
  宣戦布告権限

 というように一人で軍をどのようにでも動かせるほどの権限が与えられています。ここには日本と事情が大きく異なる点があるからです。その事情とは、北朝鮮(朝鮮人民民主主義共和国)とは朝鮮戦争で休戦協定を結びましたが、その状態が現在も続いているからです。北朝鮮が休戦協定を破棄して、軍事行動を起こしたときに、ただちにどう対処するのか決定し、指示を出す必要があるからです。

 それにしても政府、軍、公共組織、公営企業などすべての機関、組織に対して絶大な権限を持ち、それまでその機関、組織が機能していた働きをまったく反対の方向に動かすことさえ可能になっています。
 今述べたように行政府のトップにある韓国大統領は国家予算も人事も決め、さらには国会が可決した法案を拒否できる権限までありますから「帝王的」と言われるのもそのためです。

 尹錫悦氏は大統領府を、これまで置かれていた青瓦台(청와대 チョンワデ)から龍山(용산 ヨンサン)にある国防部庁舎に移転させ、「帝王的」を象徴するような牙城から出て権威性を薄めようとしています。また大統領府の機能を縮小し、人員も削減して内閣や閣僚に権限を移すとしています。大統領に与えられた強大な権限を敢えて弱めようとしているとも言えます。

 果たしてこれまでより大統領の権限を弱めても政治の舵取りが可能なのか、尹錫悦氏が構想している新しい国家体制ができるのか、国民はそれらに理解を示すのか、大統領就任時の支持率が41%しかない尹錫悦氏の船出は厳しい状況に置かれていると言えるでしょう。すでに上述した構想に賛否両論が韓国内では出てきています。
 でも日本に住む私からすれば、何よりも韓日両国の関係が文在寅氏が大統領であったときより好転し、友好的な関係が生まれてくることに大きな期待をかけています。

 (大妻女子大学准教授)

(2022.5.20)
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