【自由へのひろば】

仏教と医療

スマナ・バルア


◆◆ バブさんの紹介  色平 哲郎

 スマナ・バルア博士(六〇歳)は過去三十数年にわたり、故郷バングラデシュの農村で、また医学生として過ごしたフィリピン・レイテ島他の各地で、人々の健康と女性の出産、そして感染症に関する地道な研究と実践活動に、継続的にとりくんできた医師です。
 特にレイテ島に於ては、フィリピン国立大学医学部レイテ分校に在籍しながら助産士として働き、村々を廻って二百十五人の子どもたちの出産を介助する診療に従事しました。外国人として初めて、大学所在地パロ市の名誉市民として表彰されています。

 一九九三年、東京大学医学部大学院国際保健計画学教室に在籍してからの数年間は、論文執筆の傍ら日本各地(埼玉県、長野県、神奈川県等)で外国人労働者女性への「医職住」の生活支援活動に、ボランティアとしてとりくみました。
 彼が副代表を勤めるNGOアイザックは、一九九五年タイ政府外務省から表彰を受けています。研究者としては、国連機関WHOのコンサルタントとしてアジア各地(インドネシア、ミャンマー、ヴェトナム、ネパール、もちろんバングラデシュ)の現地を歩き、農山村で働く保健師や助産師への指導を通じて、村のヘルスワーカーの育成にあたっています。この点でプライマリー・ヘルス・ケアの実践者として、「母子保健」分野と感染症対策の現場で確かな足跡を残した、との評価を研究者仲間から得ています。
 一九九九年、東京大学医学部より取得した博士号の論文テーマは「ミャンマーに於けるハンセン氏病への対処プログラム」です。

 現在日本各地の医科大学や看護学校他で学生や研究者向けに日本語と英語で教育講演し、アジア各国の保健の現状と展望についての理解を一般に広げることに努めています。
 二〇一二年、若月賞受賞。
 二〇一五年六月、WHO医務官を退任されました。
(講演原稿:英語、翻訳:佐久総合病院医師 色平 哲郎)

◆◆ バブさんの講演~仏教と医療

 長年にわたり、世界の数多くの宗教について詳細に観察する機会を得て、私は次のことに気付かされ学ぶことがございました。それは、それら全ての宗教にわたって、傷つき悩める衆生への、同朋としての奉仕の心が重要である旨、教えの中でくりかえしくりかえし強調されている、という事実であります。

 私はバングラデシュで二十四代続いた、歴史ある仏教徒の家に生まれました。子どもの頃から、叔父にあたる世代の高僧につき従うかたちで、地域的また世界各国での国際的な多宗教間の会議に出席する機会をもちました。このような会議は若い私にとって、仏教以外の諸宗教についても、直接に学ぶ機会となったわけです。しかし本日は、世界の多様な諸宗教についてというより、日本仏教と「ケア」との関係について、論点をしぼっておはなしいたしたく考えております。と申しますのは、本日の聴衆の方々が日本の方々であるからです。

 一九三六年のこと、世界的に有名な仏教哲学者、鈴木大拙師が京都で講演した際、師は日本人の生活や習慣に仏教伝来が与えた影響について、こう語っています。
 「もし仏教思想とその伝来とが日本文化に与えた歴史的意味づけを知りたければ、試みに宝物殿と御文庫を含めて国内のすべての仏教寺院を焼くなりして消し去ってみればよい。こうした時日本の歴史に一体何が残るであろうか。先ず絵画と彫刻、また伝統的音楽と演劇は消えてしまう。次に芸術の発露たる派生的な諸芸―造園、借景、茶道、華道等、日本的なるもの、は消失する。医療活動や湯治、薬草園とその運営の知恵を含む今日社会サービスとしてとらえられるであろう諸活動の全てが、その起源を七世紀の初期仏教徒らの活動におくのであろうと考えると、呆然とする思いである」

 今を去る八十年前、大拙師により指摘されたこのような事実―近代化して変貌著しい日本社会の根底に流れる宗教的価値の位置づけ、について私はこの場で特に訴えたいと感じています。医師や看護師、他の保健医療スタッフの人間集団―なかでも特に若い世代の方々に再認識していただきたい。何故なら、医師や看護師の役割というものは、単に患者に注射をしたり薬を与えたり、というものではないからです。技術的に解決し得るものを乗り越えた「期待と要請」が常に伴っている、ということに考えを致してほしいのです。

 一人の人間としての医療者が、他者としての病者の人間存在に対置し、面と向って受けとめて「ケア」の責にあたる場面を考えてみます。これは本当の意味での患者ケアが「全人的アプローチ」を通じてはじめて到達し得るものであろうことに、気付かされる契機となりましょう。一方で仏教には、四つの昇華された原理に分類される「本当の智恵」(ブラフマ・ヴィハーラ)への到達を目指す、という教えがあります。四つの原理とは人間存在の道徳的精神的な基本条件をつくりあげる教えです。同時に、平安な気持と幸福な生活の根源としてとらえられている諸原理です。四つの原理とは、漢語の「慈」「悲」「喜」「捨」にそれぞれ訳出されているものです。

(1)「慈」慈しむ心(メッター)
 単に他人を助けたいという(欲求に伴う)善意、といわれるものよりもずっと深く広いものです。同朋の福利のために自己犠牲をもいとわない友情であり、仏典メッター・スートラには「母の如く、自らの生命をもかえりみず子を愛し、守り育てる態度。この普遍的な愛の態度は人をして全宇宙への愛と理解へと導く」と紹介してあります。この原理は、単にお喋りをするための情感としてではなく、私たちが日々実践すべき目標として、医療者の眼前にそびえています。

(2)「悲」共感する心(カルナー)
 これは他者に奉仕の手をさしのべる際、その苦悩苦難に接して湧きおこる内的な共感の心です。ケアの受け手(患者)の本当の苦悩を、正確にケアの送り手(医療者)がとらまえ認識し得た時にのみ、この原理が実践可能でありましょう。

(3)「喜」他者の幸せを、よろこびとしてとらえる心(ムディター)
 苦悩への対応としてなされた奉仕の実践活動、その所産への満ち足りた心をさします。

(4)「捨」平静な心の落ちつき(ウペッカー)
 全ての人間が本質的に公平に平等である、との達観に導かれる心です。各人の行為とその結末(カルマ)迄を、冷静に見つめつづける実践が含まれています。

 以上掲げました四つのブラフマ・ヴィハーラの目標は、自分の中で深く考えて、「光」をみつけ、将来へのすばらしい道を見出すことにあります。四原理はまた、それぞれ医師―患者関係の諸相にあてはめて説明することが可能です。

 医療者はその初期の教育課程にあって先ず、無私なる慈しみの姿勢(メッター)をはぐくむことが必要です。何故なら彼や彼女は一生涯を通じて、何らの差別の心なく、病者悩める者をケアする任にあたることになるからです。この「慈しむ心」の実践にあたっては、他者の苦悩への洞察力(カルナー)が欠かせないことでありましょう。そして一旦この認識に達したなら、正確な診断と簡潔な処方、適切な手技をなす為に医療者が職業人として最善をつくす際に大きな力づけとなるにちがいありません。これは「共感する心」の実践であります。患者が快方に向うとき、医療者はその途上によろこびを共有することができます(ムディター)。もし不幸にして快方に向わない経過をたどる時も、内省的に心をつくすことができるでしょう(ウペッカー)。平静な落ちつきこそが、医療者の最高の心のもちようである、といわれるゆえんです。

 私の叔父は自身で運営する孤児院で千数百人の孤児の世話をしていました。或る日、中学生であった私は叔父のところへ行って、「何の技術も持っていない若い自分ではありますが、何か人のためにお役に立ちたい」と言ったのです。彼は私に三人の子どもを示しました。彼らの全身は疥癬におおわれていて、大変臭く、誰も彼らに触れたがらない状況でした。「身体を洗ってあげなさい。自分の身体を洗うのと同じように丁寧に洗ってあげなさい」これは私にとってチャレンジングな経験でした。子ども時代のこの体験は、後に私が医療者となるについての心の原点となっております。

 智恵の光(パンニャ)は仏陀の教えの、別の側面を示しています。これは世界をあるがままに、その実相に従って理解することを意味しています。
 Bodhisattva(菩提薩埵)があらゆる方法を使ってこの世の知識すべてを整理収集しようととりくんだ際、彼は自らの知識をひけらかすところがありませんでした。自分が知らない分野がある、ということに恥じることなく、自分の知り得たものは「皆が自由に好きなように使ってよろしい」と言って、率直にその知識や技術を人々に開示し授けたものです。この教えに従うなら医師は自らの知識や経験技術を他人に伝えまた施すにあたって、人間の本質を深く見きわめてとりくむことが必要となりましょう。どの人もどの患者もそれぞれに異なるのであって、まさに「人を見て、法を説け」という教えの実践となります。

 ここで私は一九九四年四月、名古屋で開催された日本医学会総会に於けるいくつかの発言について想い起こしました。会頭の飯島宗一教授は、「医学は永遠に未完成である」「医療行為は、人格と人格の出会いの場でのできごとである」「現代医学の人間観とは何か!」と発言しています。大江健三郎氏はその講演を次のように締めくくっていました。「医師の方々が一堂に会している折角の機会であり、是非考えていただきたいことがある。我々の社会で、本当に人間らしい正義とはどういうことかということを、医師の立場から皆さんが発言することを強く願っている」

 以上、現代医療に関する諸家の提言をふまえた上で再び鈴木大拙師の講演に戻りたく存じます。京都での講演の締めくくりに際し師は「供養」(プージャー)について語っています。
 もともとこの言葉は「畏敬の念、敬意、敬慕」を意味していました。現在の仏教でも、精神的な先師への畏敬の念を、師へのささげもので表現しています。通常これは物質的に何かを奉げるかたちをとります。「供養」とはまた、死せる者に対して食物や香、花、ろうそく等を奉げることを意味します。読経他の宗教的行事に伴って、この世を去った者に宗教的な慰めを与える儀式を意味するものとして一般にはとらえられています。日本で、虫や筆や花に対してさえ供養(プージャー)がなされる習慣があることを知ると、この行為が仏教的文脈で、敬うべき対象に対するささげものとして行われていることが分かります。そして日本人の心の奥深くに根づいている仏教的感性に気付かされるのです。

 例えば、画家の絵筆について。
 絵筆が人の手によって作られた、生命のない道具にすぎないことに疑問の余地はありません。魂のない物体にすぎません。しかし私たちは知っています。或る場面で画家の絵筆には、画家の腕の延長としての生命が与えられています。日本的文脈で考えるとき、画家はこの入魂の絵筆を使って自らの作品に魂をこめることができるのです。大拙師の言説に基づいて考えると、現代の医療者は自らの「聴心器」やメス等の機器についてこう考えることができましょう。救いを求めて医療者の就を訪れる悩み苦しむ同朋のために取り組む際、この手の中の機器が、心をこめてさしのべる救いの手、その手の延長たりうると。
 御静聴ありがとうございました。

<出典>
(1)Suzuki, D.; Buddhist Philosophy and its efforts on the life and thought of theJapanese people; 1936; Kokusai Bunka Shinkokai, Kyoto, Japan.
(2)Gard, R. A.; Buddhism; Prentice-Hall International; 1961, London.
(3)Thera Piyadassi; The Buddha’s Ancient Path; 1964; Rider and company, London
(4)Thittila, Ashin: Essential Themes of Buddhist Lectures; 1992; Department of Religious Affairs, Yangon, Myanmar(Burma).

<著者>
スマナ・バルア(Dr. Sumana Barua)医師。バングラデシュ・チッタゴン生まれ。一九七六年に来日。
一九七九年フィリピン国立大学に入学し、医師資格を取得。元WHO医務官。マニラ在住。六〇歳。

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