【投稿】

仲井富さんとの出会いと永遠の付き合い

宮崎 省吾

 仲井富さんと初めて会ったのは1970年の7月22日で、彼の主宰していた「公害問題研究会」の講師として「住民運動は何をめざすのか」という講演をさせられた場であった。 
 彼の意図は、「住民運動は革命を目指さない」ということを言わせることにあり、確か衆議院議員会館にのこのこ出掛けて行ったことを鮮明に覚えている。
 なぜ「鮮明」だったかというと、一つはいうまでもなく仲井さんとの半世紀を超える尽きることのないお付き合いの最初のステップであったことである。もう一つは、この講演会に大分県臼杵市で大阪セメント進出反対運動を進めていた小手川道雄さん(当時小手川酒造社長)がおられたことであった。
 
 当時私は、横浜市のマッチ箱のような建売住宅に住んでいたが、1966年夏に突如国鉄(現JR)が貨物専用鉄道を至近距離に建設するということで、周辺の地域は上を下への大騒ぎとなった。これは何も足を棒にして移住先を求めた新住民に限った話ではない。急速な宅地開発に儲けを期待していた地主たちも極めて敏感に反応した。
 かくして「横浜新貨物線反対運動」はあっという間に全線に拡大し、翌67年には「貨物線反対」だけを結集軸とする8700世帯を組織する「横浜新貨物線反対同盟連合協議会」が結成された。この運動が朝日ジャーナルなどを通じて全国的に知られるようになり、前述の会合に私が呼ばれるようになったというのが経緯である。
 
 時の横浜市長は日本社会党籍のまま市長になった飛鳥田一雄氏であった。70年代は日本列島改造時代であり、保守対革新の政治構造が有効性を持つかのように観られていた最後の時期でもある。60年安保闘争敗北から、革新陣営が構造改革論に転じ、地方から中央へと路線変換し、革新自治体が雨後の筍のように叢生した時期である。
 飛鳥田革新市長はこの中でもエース中のエースであった。「誰でも住みたくなる横浜」をスローガンに2期目の当選を果たしたところだった。
 「静かな住宅地を破壊する新貨物線反対」に呼応してくれる筈である。途中経過はすべて省くが、飛鳥田市長は、面会を求める住民を機動隊を使って排除し、直接の権利者が拒否した「土地物件調書」に「代理署名」し、文字通り住民を国鉄に売り渡した。革新もまた住民の上に君臨する「権力・お上」であることを証明しつくした。
 
 通常、「公共性」を旗印にする「公共事業」に対して、自らの生活や環境を守る反対運動は「地域エゴイズム」(みんなのためを考えない、自分たちだけよければ良い)として排斥されてきた。しかしどう考えてみても自分たちの生活を破壊するものに「反対」し「闘う」ことがなぜ「公共性」と対立するのか、その構造自体を問わねばならない。
 またそれは「われらの公共性」をどう創るかを含む問題になる。そんな煩悶に出くわしたのが、フランツ・ファノン(アルジェリア独立運動の闘士)であった。彼は「地に呪われたるもの」(みすず書房)の中で、「ひとつの橋の建設がもしそこに働く人びとの意識を豊かにしないならば、橋は建設されぬがよい。」「権威・権力によって押しつけられるものであってはならない。(意訳-宮崎)」「そうではなく市民の筋肉と頭脳とから生まれるべきものだ。」と述べている。
 訳者の一人鈴木道彦氏はこれを「橋をわがものにする思想」と解説し、民衆の一人一人が橋を獲得していく思想であるとしている。
 私は前述講演会の直前にこの一文を知り、感動した。そして「地域エゴイズム」攻撃に反論する根拠を得たと喜んだことを初めて世に紹介した。
 
 出席していた小手川道雄氏が、講演後私に出典について事細かにメモされ、臼杵に帰って大々的にぶったらしい。臼杵の運動は仲井さんを通じて多数の人間を呼んだが、その中に宇井純氏がいて、氏がそのレポートを朝日ジャーナルに書き、小手川氏の発言を紹介する形でファノンを紹介し、これがきっかけで「橋をわがものとする思想」は日本の全住民運動の中に定着していった。
 私自身のその後の住民運動論の形成に決定的な影響力を与えたファノンとの出会いを不動なものとしたこの講演会は、決して忘れることのできない永遠の瞬間であり続けてきた。
 
 従ってこの小文は仲井富さんに対する思い出や追想では、あるいは追悼にはなり得ない。
 私が今日に至る自らの社会運動思想史を日々顧み、社会を変える方策を考えるとき、仲井富さんは常に私とともに生きている。私が生きて思索している限り彼が死ぬことはない。
(2024年3月25日) 

 ※追記 この講演の全文は、「環境破壊」1970年9月号に掲載され、拙著『いま、「公共性」を撃つ』(復刻版:2005年創土社)に再録されている。

(2024.4.20)
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