■ 八つ場ダムは何故中止しなければならないか?     大河原 雅子

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  歴史的な政権交代が現実のものとなり、メディアは連日、鵜の目鷹の目で民主
党マニフェストの実行性を報道している。とりわけ公共事業の見直しは中心的な
政策だが、その象徴たるダム建設の中止がセンセーショナルに、また、少々感情
的に取り上げられているのは残念だ。地元住民と自治体の反発の声と共に、"あ
と一歩で完成だ"と言わんばかりにメディアが決まって映し出すのが、十字架の
葬列のような八ッ場ダム関連事業の一つである県道の橋脚写真だ。

住民の反対運動の激しさから「西の川辺、東の八ッ場」と並び称されてきた両
事業は、今や、走り出したら止まらない無駄な巨大公共事業の代名詞となって
いる。地元住民は苦渋の末に建設を容認し、関連工事に巨額の税金がつぎ込ま
れてきた今、なぜ止めなければならないのか。誰もが"八ッ場"を「や・ん・
ば」と読めるようになった今だからこそ、国民的な議論と合意で公共事業のあ
り方を変えるターニングポイントにしたいと思う。


●そもそも八ッ場ダム計画とは?


  八ッ場ダムは、国土交通省が利根川の支流吾妻川の中流部・群前県長野原町に
建設中の総貯水量1億750万立方メートルの多目的ダムで、利根川の洪水調節と首
都圏の水道用水・工業用水の開発を目的としている。建設構想が生れたのは、戦
後間もない1947年に襲来したカスリーン台風が、利根川流域で死者約1100名、行
方不明者約850名、浸水家屋約38万戸という甚大な被害をもたらしたことに起因
する。カスリーン台風級の台風の再来に備えるために、利根川上流に洪水調節ダ
ム群の建設が計画され、その一つとして1952年に八ッ場ダム構想が生れた。しか
し、吾妻川の水質は5寸釘が10日で針金状になるほどの強酸性であることからコ
ンクリートのダムがもたないとされて計画は一度立ち消えとなるが、1964年上流
に中和工場が建設され、1965年ダム計画は復活した。

 470戸が水没する計画に当然ながら強い反対運動が起こり、一時はダム反対期
成同盟委員長が町長になるほどに反対運動は激化。しかしやがて、国や県の切り
崩し工作と運動の長期化で住民は疲弊し、世代交代も手伝ってか1985年に住民は
ダム反対の旗を降ろすに至る。住民は村が離散することなく、ダムの湖畔に造成
される代替地へ集落ごと移転する"現地再建ずり上がり方式"によって"地元に住
み続けられる"こと、ダムと温泉を活用した新たな観光振興に夢を託して、計画
受け入れの苦渋の決断を行った。

 構想が浮上して約40年、1986年に八ッ場ダム基本計画が策定されたが、補償基
準の調印までにはさらに15年を要し、2001年以降やっと個別の補償交渉が始まっ
た。代替地の造成工事の大幅な遅れや代替地の分譲価格が高額だったため、2009
年3月末時点でも、移転対象470戸のうち357戸が地区外へ転出、代替地への移転
は16戸にとどまっている。住民に大きな犠牲を強いるのみで、"地域社会を壊さ
ない"という国や県の約束は、有名無実と化している。


●すでに建設目的(治水と利水)は破綻している


  57年かかっても未だ完成を見ないダム計画。1都5県が求めてきた治水・利水の
必要性も緊急性もすでに破綻していることは明らかだ。たとえば治水、洪水対策
の目標になった「200年に一度の雨量」とは、利根川中流の群馬県伊勢原市八斗島(
やったじま)地点で毎秒2万2千トンの水が流れることを前提にしている。だが、
この流量は八ッ場ダムが完成しても、さらに上流に10基以上のダムを造らないと
クリアできない数値であり、基本高水流量の設定値自体が過大なのだ。さらに驚
くのは、八ッ場ダムがカスリーン台風の再来に対して治水効果がないことが、国
土交通省自身の計算からも明らかになっていることだ。利根川の治水対策として
今必要なことは、治水の王道たる河川整備であり、脆弱な堤防の強化対策とダム
予算優先から河川改修予算重視に切り替えることだ。

 また、利水面では、トイレや洗濯機など節水型家電が普及し始め、水道管の漏
水対策も進み、首都圏は水余り状態になっている。保有水源量と給水実績の乖離
は大きく、6都県ともすでに需要に見合う水は確保されているといえる。人口減
少とさらなる節水機器の普及で水需要はさらに減少が見込まれる。関係都県の知
事は渇水時に厳しい取水制限がかけられてしまうとしてダム推進の理由としてい
るが、これまでの渇水時でも利根川からの取水に制限を受けても、家庭への給水
制限は水圧を多少下げる程度で断水には至らず、影響はほとんど無かったといえ
る。地盤沈下を起こさない合理的な地下水利用やさらなる節水技術の普及・向上
で渇水対策は可能であると考えられる。      


●中止のほうが安上がり! 今なら間に合う国民益!


  基本計画では2000年に完成するはずだったが2010年へ、また2015年へと2度に
わたって工期が延長され、事業費は当初の2100億円から4600億円へと倍増した。
計画変更の度ごとに、都県がダムへの参加を見直す機会はあったが、独自調査に
は至らず、現地も見ない御用学者を集めておざなりの再評価が行われ、八ッ場ダ
ムは"小さく生んで大きく育てる"公共事業の典型となり、事業費は史上最高額と
なっている。

 さらにダムの建設事業費とは別に、水源地域対策特別措置法による水源地域整
備事業(道路、下水道、簡易水道、学校などの施設整備)として997億円、利根
川荒川水源地域対策基金の事業(ソフト・ハード面の地域振興対策)として当初
案では249億円がついており、合計では5846億円となる。事業費は長期の起債で
行われるから利子を含めた実際の国民の総負担額は9000億円近くになるのだ。

 しかし、それもあくまで予算内に収まった場合の話である。工事は7割がた終
わっているとも言われているが、"建設事業費の7割がすでに使われただけ"で、
工事の進捗率ではないため4600億円で事業費が収まる保障はなく、むしろ事業費
増大の要因は数々ある。ダムの本体工事は県道やJR吾妻線の付け替えを終えて
から取り掛かるため、新駅舎の用地取得も完了していない現状からは工期の再延
長や事業費の再増額は必至だ。代替地は完成しておらず、さらに吾妻川の大半を
取水して発電してきた東京電力に対して発電減少分の補償を行う"減電補償費"や
地すべり対策費などを考慮すれば、ダムを今中止した方が公金支出は確実に減ら
すことができる。

 もちろん一日も早い生活再建を願う地元住民の声は重く受け止めなければなら
ないが、"ここまで事業が進んだのだからダムを完成させなければ無駄になる"と
いう考え方とはすっぱりと決別しなければならない。将来的な長い目でみて、ま
た、国民益という広い視野からも、建設中止は新政権ならではの英断である。
       


●政・官・業の利権構造を断つために!


  莫大な事業費がかかるダム事業には、夥しい関連事業とそれを請け負う測量会
社、設計会社、コンサルタント会社、地元の中小の建設会社、県内や大手のゼネ
コンなどが群がり、談合が繰り返される。町議会から県議会まで、ダム関連事業
を受注する土建会社のオーナーや役員が族議員として暗躍する姿も透けて見え、
国土交通省や県の職員が天下りしている会社も多く、公共事業をめぐる利権構造
がすっかり出来上っているのだ。例えば、八ッ場ダム工事事務所の歴代所長は本
省のキャリア組で、所長の後はダム関係法人、そこからダム関係業者へと天下る。
国土交通省から入手した資料からも八ッ場ダム関連事業受注体のうち公益法人
にも、随意契約を行った民間企業にも国土交通省からの天下りが多く存在してい
ることが確認できた。

 そもそも、総理大臣を4人も輩出した群馬県で、なぜ57年間もダムができなか
ったのだろうか。本当に必要なダムならこんなにも時間をかけずにできたはずで
ある。ダム利権は、政・官・業の癒着構造そのものであり、公共事業を地場産業
化してしまった自民党政治の行動原理そのものである。政権交代で利権の輪を断
ち切り、情報公開と公正入札を確保しない限り、無駄なダムや道路はなくならな
い。


●"コンクリートから人へ" 税金の使い道を変える!  


  政権奪取を目指してきた民主党にとって、公共事業の見直しは1丁目1番地の政
策である。社会資本整備関連計画を一本化し、国会承認事項とするとともに、再
評価・事後評価の仕組みを盛り込んだ「公共事業コントロール法」の制定や無駄
を省き効率的で地域の実情に合った、本当に必要とされる公共事業のみ推進する
ようにしたい。2000年に鳩山代表は「公共事業を国民の手に取り戻す委員会」を
13人の学識経験者を集めて発足させ、新しい河川政策としての"緑のダム構想"は、
近代河川工法による治水論や利水論の崩壊を指摘。当時の社会資本整備担当だ
った前原NC大臣(現・国土交通大臣)は各PTを立ち上げて、吉野川第10堰、
川辺川ダム、徳山ダム、長良川河口堰、八ッ場ダムについての民主党方針を取
りまとめてきた。

 2005年の総選挙マニフェストには八ッ場ダム中止が明記され、課題とされた中
止後の生活再建・地域再生支援法案の制定については、2008年1月から筆者も参
加した公共事業検討小委員会で、「ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関
する特別措置法(仮称)」として第一次案をまとめた。同案では、ダム事業を廃止
した場合の特定地域について公共施設の整備や住民生活の利便性の向上、産業の
振興に寄与する事業など、地域が主体となって必要な再建策を検討し、国がそれ
を支援するスキームをつくることや多くの関係者が参加し議論できる枠組み(地
域協議会)の整備と一括交付金を想定して、地域住民が主役となる再生を目指す
ものとした。前原国土交通大臣は、就任と共に八ッ場ダムと川辺川ダムの建設中
止を宣言、現地入りして地元自治体や地元住民の方々にお詫びするとともに、一
日も早くダムに拠らない生活再建と地域振興のために政府として全力で取り組む
ことを約束している。

 筆者は93年に都議会議員となり、利根川下流域の受益者の立場から、また東京
の地下水を守る立場からも、八ツ場ダムの建設中止を求めてきた。例えば、東京
都は多摩地区で中型ダム一基分の地下水(=約38万トン)を毎日水道用に使いな
がらも、正式な水源とは認めず、過大な水需要予測はそのままにして水余りの現
状に目をつぶっている。

 少子化と超高齢化のなかで、財政を健全化し、貴重な自然環境を将来世代に引
き継いでいくために公共事業の抜本改革は必要不可欠であり、"コンクリートか
ら人へ"を合言葉に、前原大臣は現在事業中の143ダムの見直しを宣言した。さら
に、河川行政における分権を実現することやダム建設の誘導に使われてきた暫定
水利権などの水利権行政の見直しは必須であり、農業用水の転用や水系全体の水
総合管理の考え方にシフトする必要がある。

 下流域の都市住民のために故郷を奪われ、人生進路の変更を余儀なくされた水
没予定地の人々の辛苦を再び繰り返すことのないよう、公共のために犠牲になれ
というより、犠牲をださない公共事業を目指して、新たな公共事業の考え方を打
ち立てるべきだ。八ッ場ダム事業の見直しはその試金石である。だからこそ、八
ッ場ダムは"いらない"そして"作ってはいけない"ダムなのだ、と確信している。

(筆者は民主党参議院議員・党公共事業検討小委員会事務局次長) 

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