■【北から南から】

深センから  -『写真にまつわる話 その三』- 佐藤 美和子

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  前の二回は続けて"素朴なちょっといいハナシ"路線でしたが、これからは感動
度がぐっと減少することを、予めお断りしておきます(笑)。

 ガンランバの後は、雲南省大理市に移動しました。先のガンランバを含むシー
サンパンナ・タイ族自治州はいかにも南国といった感じでしたが、大理はしっと
りと落ち着いた風光明媚な古都、同じ雲南省でも全く雰囲気の違うところでした

 大理は、白族(日本では"ペー族"と紹介されている)という少数民族の居住地
です。白族女性の多くは民族衣装を日常着にしており、これがいっそう景色に鮮
やかな色を加えていました(我々旅人にとっては残念なことに、昨年16年ぶりに
大理を訪れたときには民族衣装姿はがたんと減っていました。土地開発によって
膨張した大理市自体もやはり漢族化が進んでいるようで、どこにでもある中国の
町、といった風景に変貌しつつあります)。

 ある日、蒼山という万年雪を頂く山に登り、その中腹にある中和寺を拝観しま
した。塀が崩れかけた小さなお寺の周辺を散策していると、奥まったところに白
族のおばあさんたちが集う広場を見つけました。

 若い白族女性の衣装は、真っ白な上下に赤やピンクのベストという目にも鮮や
かな配色で、民族刺繍をたくさん施したかわいらしい衣装です。逆に中年以上の
女性のものは、紺を基調とした衣装で刺繍や華やかさはぐっと抑えられ、実用的
な雰囲気のものでした。

 広場に集まっているおばあさんたちはみな紺色の民族衣装姿なのですが、占い
商売している人がいたり、座り込んで刺繍や糸巻きに励んでいたり、または何に
使うのか葉っぱや木の実の細工をしながらお喋りしていて、地味な衣装とは打っ
て変わってとても賑やかな様子です。

 何をしているのか見せてもらおうと早速のぞきに行って、何人かのおばあさん
に話しかけてみたのですが、私の北京語がさっぱり通じません。街中の白族はみ
な普通に北京語を話していたのでうっかりしていたのですが、白族には独自の言
語があり、年配者は白族の言葉しか話せないようでした。うーん、残念!

 お喋りに混ぜてもらうのは諦めてそろそろ下山しようかと考えていると、背後
から、3人のおばあさんが私のシャツの袖をつんつん、と引っ張ってきました。
先頭の一人がたどたどしい北京語で、何か話しかけてきます。小柄なおばあさん
たちに合わせて腰をかがめて話を聞くと、またもや「写真を撮って」というお願
いでした。

 あなた、外国人?後ろのふたりは恥ずかしがりやで外国人と話すなんて出来な
いから、私が代表なの。ところであなた、そのカメラで私たちの写真を撮ってち
ょうだいな。もう長いこと写真を撮ってなくてね、お葬式用の写真を用意してお
きたいの。

 お互い不自由な北京語でやり取りを交わし、なんとか私が理解したのはそんな
内容でした。
  こりゃまた、ずいぶん予想外な展開です。お葬式用の写真って、スナップ写真
でいいものなんだっけ?遺影を予め準備するって、縁起悪いとかはないのかしら
ん?などと思いつつも、そういう頼み方をされちゃ、どうあっても撮らねばなり
ません。3人一緒のスナップ写真、それから一人ずつのポートレートを撮ったあ
と、またこの間と同じように、送り先住所を書いてとメモ帳を差し出しました。

 ところがおばあさんたち、3人顔を見合わせるばかりで、誰もメモ帳を受け取
りません。なんとなんと、みんな字が書けないというのですよ!ううむ、私の中
国語力では未知の住所の聞き取りは厳しいなぁ、でも試しに住所を言ってみて?
というと、今度は自分ちの住所が分からない、というのです。恐らく山の方など
郊外に自分で建てた家に住んでいて、住所の割り当てがされていない、というこ
となのでしょうが・・・・・しかし困りました(笑)。

 住所がわからないなら、ガンランバの人たちと同じく郵便局留めにと考えたの
ですが、郵便局がどこにあるのか知らない、郵便局の住所もとうぜん知らないと
言います。それじゃぁ私、北京に戻っても写真を送れないよと困っていると、お
ばあさんたち、だったら大理で写真を現像してちょうだい、なーんて暢気な事を
言い出します。

 92年当時は首都北京ですら、その辺の写真店では技術の問題か設備がまずいの
か、解像度の低い写真になってしまっていました。オマケに当時はローカル写真
店に現像を頼むと、なぜだかフィルムが写真一枚分ずつ、バラバラに切られて返
ってくるのです。日本に帰国した後、ばらばらフィルムが焼き増し不可では困る
ので、私はいつも高級ホテルにある、外国人御用達のお店で現像していたほどな
のです。大理で写真現像できるお店を探すのも大変そうだし、第一もし失敗され
たら、この間のガンランバの写真までアウトになってしまう・・・・・なんとか
別の方法を考えねば!

 最終的に考え付いたのは、大理の繁華街にある、私の泊まっていたホテル宛て
に送るという方法でした。私が泊まっていたのは中でも一番安いドミトリー部屋
でしたが、大理では一番有名なホテルです。おばあさん達は自分の名前も書けな
いというので、ホテルのフロント宛てに写真を送り、「この写真を、写っている
おばあさんたちが受け取りに来る手筈になっています。おばあさんが現れたら、
写真を渡してあげてください」と手紙をつける事にしたのです。

 当時の中国郵便事情は少々怪しげで、日本に書き送った手紙もちょくちょく紛
失していました。北京から送った写真入り封筒が大理まで無事に届くかどうかが
まず問題だし、さらにその先は、ホテルの人の善意に頼ることになります。内心
、おばあさんたちが受け取れる可能性は半々くらいかなぁと思いつつも、おばあ
さんたちには私の北京の住所を書いたメモを渡し、1ヵ月経ったら○○ホテルの
フロントに、この住所から写真が届いていませんかってときどき尋ねていってみ
てね、と私が考え付いた方法を繰り返し説明したのでした。

 こちらもガンランバの方と同様、おばあさんたちが無事受け取れたのかは分か
らずじまいです。字の書けないおばあさんたちなので、当然返信も無理なわけで
すしね。遺影用のはともかく(笑)、代表交渉人のおばあさんを真ん中に、恥ずか
しがりやのおばあさんと3人が、女学生みたいに仲良く肩をくっつけて写ってい
る写真だけは届いているといいなぁ、と思うのでした。

                    (筆者は在深セン・日本語教師)

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