【コラム】八十路の影法師

出る・入る

竹本 泰則

 2023年末から新年にかけて、政界が騒がしくなりました。自民党の一部議員の事務所では、議員の所属する政治団体(いわゆる「派閥」)が主催したパーティーによる入場券収入の一部について割り戻しを受けたものの、それを政治資金収支報告書に記載しなかった、つまりは「裏金化」したという事件によるものでした。
 これによって生じた混乱を収拾すべく岸田内閣総理大臣・自民党総裁は「派閥解消」を掲げました。この方の思考構造はかねてわかりにくいものがあるように感じていましたが、この件もその口です。

 やましい金銭(政治資金)を入れてはいけない、社会正義に外れるような相手、目的に金銭を出してはならないという原則に則り、政治団体の収支は国民に公開すべしと定めた政治資金規正法の趣旨に違反する事例です。であるならば、収入・支出の内容をつまびらかに公開したうえで、同種事犯の再発防止に必要な対策を講じるというのが常識的な対応でしょう。
 つまびらかにすることができないから「派閥解消」という大義を掲げ、問題をすり替えようとしているのでしょうか。あるいは、これを梃に派閥の力を封じてゆくことで秋に控える党総裁の選挙を勝ち抜ける、なんていう計算が成り立つとでもいうのでしょうかね。

 政治におけるお金の出し入れについてはよく存じませんが、どうであれ、法に悖ることがあってはならぬということが法治国家を掲げるこの国の最もプリミティブな政治倫理ではないでしょうか。いかがです、岸田さん!
 『論語』の中には「見得思義」(得るを見ては義を思う)という言葉があります。自分のものにする前に、それが義にかなっているかをよく考えなさいと二千数百年も昔のえらい人も言っておりますよ。

 政治とお金といった生臭い問題はおきまして、漢字の「出」、「入」も思いのほか厄介なところがあって、それを追ってみました。
 この二つの漢字は小学校一年生が学習する八十字の中に入っており、書くことはやさしい部類です(もっとも、「入」と書いたつもりでも字形が「人」と似てしまうなどということは習い初めのうちはありそうですが……)。
 ところが読み(訓)は一筋縄ではいきません。

 まず「入」です。常用漢字表は三つの訓を挙げています。一つ目が「いる」、使い方の例として「寝入る」、「大入り」、「気に入る」を挙げています。二番目は「いれる」、用例は「入れる」、「入れ物」とあります。三つめが「はいる」で、用例は「入る」だけです。
 厄介なのは「いる」と「はいる」とは漢字を使って書けば同じになりますから、その読み分けです。「気に入る」は「きにはいる」とは言いませんが、「大学に入る」は「はいる」と読みます。「日の入り」は「ひのいり」であって「ひのはいり」とは読まんでしょう。
 「入」の字は『論語』に17回出てくるのですが、これらを読み下すときはすべて「い」ると読み、「はい」ると読むことはありません。

 古語に「はひる」というような語はあるのだろうかと当たってみましたが、辞書にありませんでした。ただ岩波古語辞典には「はひいる」(這入る)の語が収められています(この辞書は動詞を連体形で立項するため、「はひいり」で出てきます)。さらに日本国語大辞典の「はいる」の項では「入・這入」の漢字を当てて「『はひいる(這入)』の変化した語」と注しています。
 確とはわかりませんが、「入」という漢字に当たるこの国の言葉としては「いる」と「はひいる」との二つがあった。「はひいる」は発音が「はいる」と変化し、さらに意味が重なる「いる」と結びついた。そういうことではないかと思います。

 だとしても、厄介な問題が解決できたわけではありません。「出入り」は「でいり」とも「ではいり」とも読めます。また、「郷に入っては郷に従え」という慣用句がありますが、この「入っては」は「いっては」です。しかし、「はいっては」と読まれそうですし、場合によっては「行っては」と書く人もいるかもしれんと、そんな心配までしてしまいます。

 「出る」、「出す」の方は漢字が同じでも送り仮名が違うので、読みに混乱が起こることはあまりなさそうです。しかし、よく問題となるものに「見出す」があります。この表記ですと二様の読みができます。「テレビを見出す」など見はじめるという意味の「みだす」と、「新たな事実を見出す」など見つけるといった意味の「みいだす」との二つです。
 ならば後者は「見い出す」と書き分ければいいか……。
 いえいえ、これはまちがいとされています。

 「出」の訓読みのもとも二つの言葉だそうです。「でる」という語の古語は「いづ」。「三笠の山に 出(い)でし月かも」や「日出(い)づるところの天子」などが思い当たります。一方「だす」の方は「いだす」という語だそうです。舞台で手品師が「とりいだしましたこのハンケチ、タネも仕掛けも……」などといいますが、あれですかね。
 この「いだす」は、いつのころか語頭の「い」が省略されるようになったということです。
 語頭の音が消えてしまうということには少し驚きますが、ほかにも「いだく(抱く)」は「だく」になったり、「いまだ」が「まだ」になったりという例もあります。
 「見い出す」という表記についてはNHK放送文化研究所がインターネット上で以下のように解説しています。
 「みいだす」の「い」は動詞「いだす(出す・出だす)」の語幹です。そのため、漢字で書く場合は「見い出す」ではなく「見出す」「見出だす」となります。

 今更、こんな漢字の勉強をしたところで詮無いことはわかっておりますが、興にまかせてつい迷い込んだりしております。

 ついでと言っては何ですが、『論語』の一章を引きます。孔子が弟子たちに訓じた言葉のようです。

  入(い)りては則(すなわ)ち孝(こう)、出(い)でては則(すなわ)ち弟(てい)、
  謹(つつし)んで信(しん)、汎(ひろ)く衆(しゅう)を愛(あい)して仁(じん)に
  親(ちか)づき、行(おこな)いて余力(よりょく)あれば、則(すなわ)ち以(も)って
  文(ぶん)を学(まな)べ。

 ざっくりと大意をとるならばこんなところでしょうか。
 「君たちは、うちにあっては親・先祖を敬い、外に出たならば目上の人を重んじなさい。日頃の言動は慎重にして、決してうそをついてはなりません。多くの人との交際を心掛け、特に人格的に優れた人とは親しくしなさい。こうしたことを実践して、なお余力があれば本で学びなさい。」
 孔子先生の教えは、出ても入っても気が抜けません。

(2024.2.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧