【投稿】

制約された人生を生きる――澤井繁男のトンマーゾ・カンパネッラ研究

神谷 光信

◆ コロナ・パンデミックによる緊急事態宣言

 東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故を受けて政府が発令した原子力緊急事態宣言は、9年が経過した現在も解除されていない。そして現在、新型コロナウイルス感染症の世界的大流行を受けた緊急事態宣言が発令中である。特定業種への休業要請や、在宅勤務の推奨、学校の臨時休校措置など、大規模な措置が実施されている。食料品購入のための外出まで制限されてはいないが、気の向くままに出かけることはできない。制約された窮屈な生活に、我々はなかなか慣れることができない。

 自らが渦中にあるこの状況を、世界史的文脈で客観視したいからだろう、英国人作家ダニエル・デフォー(1660-1731)の『ペストの記憶』や、フランス人作家アルベール・カミュ(1913-60)の『ペスト』など、感染症を扱った書物がふたたび脚光を浴びている。筆者は、少し視点を変えて、イタリアの思想家カンパネッラ(1568-1639)と、彼を研究してきた澤井繁男(1954-)を紹介したい。ふたりの人生には、制約された状況に置かれた人々を鼓舞するものがあると思うからである。

◆ イタリアルネサンス研究の新しい地平

 先月、トンマーゾ・カンパネッラの『哲学詩集』が、「イタリアルネサンス文学・哲学コレクション」の第3巻として水声社から刊行された。530頁を越える大冊である。全6巻のこの叢書は、ダンテやボッカッチョ、マキャベッリなどの巨星の陰に隠れて未紹介だった著作を、政治、詩作、哲学、演劇、自然科学、魔術の6分野から選んで訳出するものである。ガリレイのような有名人物もいるが、ボテロ、タッソ、アレティーノ、フィチーノ、そしてカンパネッラは、多くの日本人にとってなじみの深い名前とはいえないだろう。

 同叢書の責任編集者は澤井繁男で、『哲学詩集』も彼の訳業である。澤井は関西大学で教鞭を執るイタリア文学者だ。筆者の専門は日本近代文学なので、イタリア文学は専門外である。しかし、澤井は16冊の作品集を持つ小説家でもあるので、文芸の世界では古くからの知己であり、カンパネッラ研究に澤井が打ち込んできた姿をかたわらで見てきたのである。

◆ カンパネッラという思想家

 カンパネッラと聞くと、宮澤賢治(1896-1933)の『銀河鉄道の夜』に登場するカムパネルラを想起する人が多いのではなかろうか。賢治は大西祝(1864-1900)の『西洋哲學史』(1905)を所持しており、そこでの表記がカムパネルラなので、主人公ジョバンニの友の名はそこに由来するともいわれる。だが、童話の人物名ではなく、実在した思想家カンパネッラについて知る人は少ないだろう。

 トンマーゾ・カンパネッラは、カトリック教徒でドミニコ会に所属する聖職者である。しかし、彼の思想は、当時のカトリック神学を支えるアリストテレス哲学やスコラ学に対立する傾向を持っていたことから、異端の嫌疑をかけられた。死刑は免れたものの、71年の生涯のうち、30年近い幽閉生活を余儀なくされた人物なのである。

 コペルニクスの地動説を支持して火刑に処せられたジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600)は、カンパネッラより20歳年上で、同時期に同じ獄舎に収監されたこともある。4歳年上のガリレオ・ガリレイ(1564-1642)とは書簡も交わしている。スペインと腐敗した教会の支配からイタリア南部を解放するため叛乱計画を企てるなど、血気盛んな活動家としての顔も持っていた。思想史的には、異教的な魔術と近代科学の端境にいた「自然魔術師」と位置づけられている。

 理想国家を対話形式で描いたユートピア文学『太陽の都』(1602)は、叛乱が頓挫して繋がれた獄中で書かれた著作で、3種類の邦訳がある。1950年の岩波文庫版『太陽の都』、1967年の古典文庫版『太陽の都・詩篇』、そして1992年の岩波文庫版『太陽の都』である。岩波文庫の訳者は政治学者大岩誠(1900-57)、古典文庫はイタリア文学者坂本鉄男(1931-)、岩波文庫の新訳はイタリア文学者近藤恒一(1930-)である。他の著作としては、ガリレオを擁護した『ガリレオの弁明』(1616)が、澤井の手で1991年に刊行されている。そしてこのたびの『哲学詩集』である。

 ちなみに、古典文庫は現代思潮社の叢書で、マルキ・ド・サド研究で名高いフランス文学者澁澤龍彦(1928-87)の参画があったと伝えられる。発刊の辞には「そもそも古典の領域に、正統性(オーソドクシー)という概念が成立しうるであろうか。私たちはこれを疑うものである。いな、むしろ私たちは、この古典文庫において、従来の正統性とはいささか内容を異にした、新しき正統性なるものを提示せんとするものである」と記された。要するに、西洋文化を理解するための重要文献でありながら、権威筋からは無視され「異端の座に追いやられている」著作ばかりが収録されており、ほぼ全てが本邦初訳という注目すべき叢書だった。ジョルダーノ・ブルーノの『無限、宇宙と諸世界について』も『太陽の都』と同年に刊行されている。訳者は清水純一(1924-88)で、改訳版が1982年に岩波文庫に収録された。デフォー『ペストの記憶』も『疫病流行記』(泉谷治訳)のタイトルで収録されている。

◆ 澤井繁男とカンパネッラ

 澤井繁男は札幌で生まれた人である。東京外国語大学イタリア語科を経て、京都大学大学院で清水純一の指導を受けた。清水はジョルダーノ・ブルーノの研究者だったので、自然哲学者ジェロラモ・カルダーノ(1501-76)で修士論文を書き、カルダーノの自伝も翻訳した澤井がカンパネッラ研究者になったことは、イタリアにおける異端的思想家研究を継承したひとりと見ていいだろう。

 清水の教え子の近藤恒一(1930-)には、綿密な訳注を施した『太陽の都』の邦訳があるが、専門はペトラルカ(1304-74)である。また、東信堂から刊行中の『ジョルダーノ・ブルーノ著作集』は上智大学の加藤守通(1954-)による単独訳だが、加藤は京都大学ではなくイエール大学で修学した人である。『太陽の都市』の訳者坂本鉄男は、澤井と同じ東京外国語大学で修学した人だが、カンパネッラ研究者にはならなかった。

 ことほどさように人文学者と研究対象との結び付きは一筋縄ではいかないのだ。強い結び付きが、無意識の次元にまで根ざす場合は、本人が理由を言語化できないことすらある。400年の歳月を隔てて、日本人研究者澤井繁男の手で西洋の思想家カンパネッラがよみがえる不思議は、人文学の真骨頂かもしれない。

 澤井の歩みは『ユートピアの憂鬱:カンパネッラ「太陽の都市』の成立』(1985)から始まった。今回の『哲学詩集』(2020)刊行までに、実に25年の歳月が流れている。澤井には『評伝カンパネッラ』(2015)があるが、これら以外に日本語で読むことができる単行本はない。カンパネッラ研究の第一人者となった澤井が、研究者としての人生をカンパネッラに捧げたモチーフは、どこにあったのだろうか。

◆ 幽閉と障害――空間移動の不自由という共通点

 澤井は身体障害者1級の認定を受けている。大学院時代に腎臓を患い、週に3回の人工透析を受ける身になった。その後、腎臓移植、腹膜透析を経て、現在はふたたび人工透析を受けている。人工透析とは、専門病院で4時間程度の時間をかけて、全身の血液を人工腎臓で濾過するのである。何らかの理由で透析が行えないと生命の危機に瀕する。こうした境遇に置かれた人が、つつがなく社会生活を営むことは、容易ではない。

 障害者として生きる人生を、澤井は『いのちの水際を生きる:透析・腎移植を経て』(1992)、『臓器移植体験者の立場から』(2000)、『腎臓放浪記:臓器移植者からみた「いのち」のかたち』(2005)の3冊で公表した。これらは、医療関係者ではなく当事者の立場から著された貴重な証言である。

 人工透析を必要とする障害者は、遠隔地への移動が難しい。澤井が置かれたこの状況は、カンパネッラが思想上の理由で牢獄に入れられた状況と似ていた。カンパネッラの場合、時期によっては、読書や執筆、学問上の知己の訪問などが許されており、軟禁状態だったので、身体障害のために行動の自由が制限された澤井とよく似た人生だったのである。

◆ 鋼鉄の意志と不断の努力

 不利な条件を抱えながら、澤井はこれまでに50冊を超える著訳書を出版した。年に5冊か6冊を刊行した計算になるが、人工透析を受けつつ大学の教壇に立ち、これだけの書物を世に問うことが、鋼鉄の意志と途轍もない努力の結果であることは想像に難くない。調査のためのイタリア滞在も4回行っているが、異国での人工透析はリスクを伴うものであったはずだ。

 『ユートピアの憂鬱』と『評伝カンパネッラ』を改めて紐解き、澤井が描き出すカンパネッラの肖像に触れると、この思想家に対する澤井の共感が、行間からありありと伝わってくる。坂本鉄男の訳書に付された略伝は、漢語と文語的措辞を駆使した格調のある文体であった。近藤恒一の新訳に付された解説は、抑制された重厚な文体で記されている。軽やかで溌剌とした澤井の文体は、そのいずれとも異なっている。

 カンパネッラに魅了された澤井が、自分を研究対象と同一化していると言いたいわけではない。研究対象と一定の距離を保つ学術的姿勢は崩さない。しかし、澤井にとって、カンパネッラが単なる研究対象ではないことが、行間から伝わってくるのである。おそらくこの思想家は、この世に生まれた者として、「この人生」と「この世界」について考えるために、澤井の前に運命的に現れた人物だったのだろう。

◆ ルネサンス人への共感

 知識欲旺盛な若きカンパネッラは、フランシス・ベーコン(1561-1626)から「最初の近代人」と呼ばれることになるベルナルディーノ・テレージオ(1508-88)の反アリストテレス的思想に影響される。その後は、魔術師デッラ・ポルタ(1535-1615)との交流などを通して、キリスト教修道士でありながら、宇宙と人間の照応を見てとる占星術に傾倒していく。その揚げ句に異端審問所の査問を受け、監禁されてしまう。

 真理を追い求めるがゆえに、キリスト教神学の枠組から逸脱して行かざるを得ないのだ。本物の思想家がここにいるといってよかろう。拷問を伴う査問を彼は堪え忍ぶ。擬装転向も辞さず、狂気を装うために寝台の藁に火を付けるという命がけの大芝居まで演じてみせる。そして、ここが大事なところだが、本人は自分があくまでキリスト教の神を信ずるカトリック教徒と考えているのである。

 対抗宗教改革に伴うカトリック教会の異端弾圧により、自由なルネッサンス精神が抑圧されたことから、自然研究はコペルニクスやガリレイの近代科学的方向に進む。だが、それに満足できない人々は、アリストテレスの自然学批判に向かった。近代科学に課せられた合理的解明という制約を超えて、現象の背後にある自然の本性をも解明しようとする人々の系譜上に、カンパネッラもいる。それを科学と呼ぶことはできない。観念論的なオカルトの世界である。

 「しかし私は、こうした考え方に強烈に惹かれていく自分を見出さざるを得ない」と澤井はいう。「自然は人間を含むもので人間と対立するものではないという、西洋の思潮の中では正統的な位置を与えられにくいこの発想は、日本人である私には、ひじょうにしっくりと受けとめることができる。また合理的〈人間の理性〉を超えた感覚的直感力も、現代の近代科学の窒息的情況では、ユートピア的な夢を与えてくれはしまいか」(『ユートピアの憂鬱』68頁)。

 カンパネッラの思想への澤井の共鳴がよくわかる一節である。学術的記述なので「日本人である私」と書いてはいるが、これは澤井自身の心の底からの実感なのだ。心身に関する思索を、身体障害者の澤井は自前で行う必要があり、それは当事者ならではの感覚的直感と、訓練された論理的思考を動員するものだった。世界全体が有機的に連関しているという、アニミズム的、汎神論的な世界感覚が、澤井の実人生とカンパネッラ研究を地続きのものにしている。学術研究から除外せざるを得ない内面は、創作で表現された。本稿では彼の創作には触れないが、澤井にとって、研究と創作は表裏一体である。

 「卑しい地上の死すべき者の目には狂人と映るが、天頂の神なる思慮にしたがう賢者である」。カンパネッラは自らを詩の中でそう語る。明晰な頭脳、堅固な意志。しかし彼には人間的な弱さや、海千山千の山師のような一面もある。そうした彼を、近藤恒一は敬意を込めて「偉大な凡人」と評している。要するに、人間味のある魅力的な人物なのだ。澤井が生き生きと描くカンパネッラのその肖像が、筆者には澤井繁男その人の自画像に見えてくることがある。大学で教鞭を執り、小説を発表し、医療や教育問題でも発言する。それは、いくつもの分野で業績を残したルネッサンス人のようではないか。

◆ 大転換期を生きる

 「コロナ以前」の世界には、もはや戻れないだろうという声がある。「社会的隔離」は、一時的なものではなく、さまざまな形で一般化するかもしれない。危機は現在進行形なので、未来を占うことは時期尚早だが、これまでの生活がそっくり元通りになると考える人は少ないだろう。

 新型コロナウイルスは、感染しても軽症で無自覚な場合もある一方、急激に重症化して死に至るケースもあるようだ、感染を恐れつつ、自由な行動を制約されて生きることが、どれほど辛いことなのか、我々は日々実感している。政治が果たすべき役割は当然あるが、我々は一個人として、この災厄を何とかくぐり抜けなければならない。

 コロナ・パンデミックは、福島の原子力発電所過酷事故とともに、世界史に記録される大災厄であることは確かだ。もしかすると、今世紀前半はルネッサンスのような精神史的大転換期であり、新しい歴史的現実に我々は直面しているのかもしれない。そのように考えながら、澤井繁男の書物を開くとき、どの頁の、どの行間からも、緊急事態宣言下の重苦しい気分を吹き飛ばす、カンパネッラの哄笑が聞こえてくる。彼の生涯は、何ものも怖れずにおのれの運命を生きよと語っているようで、凡夫たる筆者もまた明日に立ち向かう勇気が湧いてくるのである。

 (関東学院大学客員研究員)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧