北朝鮮問題――2つの記憶        久保 孝雄

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 北朝鮮の問題を考えるとき、いつも脳裡に浮かぶことが2つある。
 1つは遥か昔、軍国主義盛んな1940年ごろ、茨城県の田舎町の小学校で同学
年だった藤本君のことだ。登校するたび皆に「チョーセン、チョーセン」といび
られ、小突かれていつも泣いていた。そしていつの間にか学校に来なくなった。
暫くして廃品回収業(当時はクズ屋と呼ばれていた)の父親が引くリヤカーの後
ろについて家々を回るようになった。あるときクズ物が出たので町外れの家に届
けに行った。古びた物置小屋のような家で、電気も畳も障子もなかった。薄暗い
土間から赤ん坊を背負って出てきた藤本君は顔も手も真っ黒だった。クズ物を渡
して帰ってきたが、なぜか涙がこみあげてきた。

 もう1つは、90年前後に神奈川県と韓国京畿道(ソウル特別市を除く首都圏
域)との姉妹提携の仕事のため何度か訪韓したが、あるとき見送りに来てくれた
ユン副知事と空港待合室で懇談した際、ユンさんが話したことだ。「昨夜の夕食
会で神奈川の代表の一人が北を口汚く罵っていたが、大変不快でした。私たちは
同胞だからいくらでも批判しますが、日本人から罵られると不快になる。南北分
断の悲劇の遠因は日本の植民地支配にあったのですから、少しは痛みを感じて欲
しい」、「神奈川県には私たちの同胞がたくさん住んでいます。同胞には南も北も
ありません。皆つらい歴史を背負って懸命に生きています。どうか同胞たちを分
け隔てなく遇して下さい。宜しくお願いします」と言って、両手で私の手を固く
握りしめた。

 電気もなく、板の間にムシロを敷いて暮らしていた藤本君の家と、日本の小さ
な県ほどの経済規模しかない今の北朝鮮の経済がダブッて見えてくる。藤本君を
集団でいじめていた学童たちの姿と、北を激しくバッシングする今の日本の世論
が重なってくる。そこへ日本人の浅薄な歴史認識に異を唱えるユンさんの、祈り
に似た静かな声が響いてくる。北への制裁で韓国が日本の強硬策に同調すること
はあり得ないことが分かる。

 核廃絶、とくに北東アジアの非核化を悲願とする私たちにとって北の核保有は
到底容認できるものではない。一刻も早い核放棄を強く求めるが、そのためには
拳を振り上げて制裁一辺倒でつっ走るのではなく、北の求める米朝直接対話、北
への敵視政策の変更など、核放棄への条件を整えていくため、日本は己の生存を
かけて必死で対米説得に努力すべきである。また、これを機に空洞化しつつある
核不拡散体制の再構築、後退する核軍縮への新たな取り組みに向けて、唯一の被
爆国としての威信と責務をかけて、真摯な外交努力を展開すべきである。核武装
論議など言語道断である。北をここまで追い詰めたのは、クリントン時代の対話
路線をひっくり返したブッシュの北朝鮮敵視外交の失敗であり、ブッシュの強硬
路線に追随し、拉致問題をすべてに優先させて大局観を失い、袋小路に陥った小
泉・安倍外交の失敗である。

 今回の中朝米による6者協議再開への合意の経過をみると、拉致、制裁一本槍
の単純、浅薄な日本外交に米中とも距離をとり始めた(今までも底流にはあった
のだが)と見ることができる。アジア政策とくに北朝鮮問題について、アメリカ
は中国重視、日本軽視の姿勢をより明確にした。誤った、または浅薄な歴史認識
や時代認識に基づく外交政策が、国際社会には通用しないことが、国連安保理常
任理事国入りの失敗に次いでまたしても露呈されてしまった。北から「アメリカ
の一州に過ぎない」と侮られるほどブッシュに忠勤を励んできた小泉・安倍外交
だが、今やブッシュは同盟国のイギリス国民からさえ「金正日より危険な人物」
と見られている。

11月7日の中間選挙で、アメリカ国民もブッシュのイラク戦争に「ノー」の審判
を下した。ブッシュ世界戦略の根幹が否定されたことになる。
アメリカ一極支配の崩壊が始まり、EU、中、露の存在感が増すなど、世界は大
きな転機を迎えている。ブッシュ戦略に一蓮托生の道を歩んできた小泉・安倍路
線も土台が崩れたことになる。日本でも小泉・安倍路線に審判をくだすべき時が
きている。日本の対外戦略とりわけアジア戦略の抜本的転換が緊急の課題になっ
てきた。
                      (筆者は元神奈川県副知事)
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