【読者のこだま】

単純で浅薄な制裁一本槍の対応策   今井 正敏

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 私は、1985年の10月に日本青年団協議会(日青協)の第4次訪朝団に加わり朝
鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)を訪問した。

 日青協は1979年に朝鮮社会主義労働青年同盟(以下社労青)と日朝両国青年
の親善と相互理解を発展させ日朝両国の友好と平和を増進させるという目的か
ら1年おきに代表団を派遣し合うという協定を結び、それによって交流を行うこ
とになった。1985年の第4次訪朝団は小野寺日青協会長を団長にメンバー7人で
1週間の訪朝であった。このメンバーには加藤宣幸さんとともに「オルタ」の編
集代表を務めておられる富田昌宏さん(当時、財団法人日本青年館常務理事)も
おり、同室で大変お世話になった。
 この訪朝団の日程などは省くが、この年は朝鮮労働党創建40周年にあたり、
10月10日にその記念式典が金日成広場で大群衆が埋めつくすなか盛大に開かれ、
その式典に招かれ観覧台から壮観な模様を観覧し、午後は北朝鮮自慢のマスゲー
ムを見学、夜は花火が彩る広場で大舞踏の夕べを参観したことが強い印象として
焼きついている。

 当時はまだ拉致問題も表面化しておらず、友好ムードが高まっていた頃なので
各地で歓迎をうけ「友好の増進」という面ではそれなりの成果があったように思
う。
 私は日青協と社労青の友好交流という枠組の中ではあったが、念願の訪朝がで
きたので、このあと日朝関係に深い関心を寄せるようになった。
 今回、ミサイル発射・核実験・拉致と対北朝鮮問題は一挙にボルテージが高ま
ったなかで、「オルタ」35号は、好評の連載3本を次号に送り、増ページして《北
朝鮮の核実験と日本の対応を考える》という特集を組んだことは時宜を得た企画
として評価したい。
寄稿された論考はいずれも力のこもったもので大いに読み応えがあった。
 そして、焦点の「日本の対応を考える」というポジションでは「制裁一本槍の
単純、浅薄」の対応政策を推し進めるのではなく「北の求める米朝直接対話、北
への敵視政策の変更など、核放棄への条件を整えていくため、日本は己の生存を
かけて必死で対米説得に努力するべきである。また、これを機に空洞化しつつあ
る核不拡散体制の再構築、後退する核軍縮への新たな取り組みに向けて唯一の被
爆国としての威信と責務をかけて真摯な外交努力を展開すべきである。核武装論
などは論外である」と強調された久保孝雄元神奈川県副知事の所論に、寄稿され
た各先生方の志向は収れんするのではないかと思われた。
 「オルタ」が今後とも北朝鮮を巡る諸問題に積極的に取り組まれることを期待
している。
                     (筆者は元日青協本部役員)
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