【オルタの視点】
台湾の存在誇示、次期政権へ圧力
—馬総統の南沙訪問の意味を解く—
台湾の馬英九総統は1月28日、米中が対立する南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)で、台湾が実効支配する太平島を訪問(写真1)。南シナ海の台湾領有権を強調するとともに、関係国間の対話と共同開発を主張する「南シナ海平和イニシアチブ」を改めて呼び掛けた。総統任期を4カ月余り残した馬が、この時期に訪問した理由と背景を分析する。
(写真1)碑を挟んだ左列の右端が馬英九総統。総統府HPから
◆◆ 米中台の構図が複雑化
狙いの第1は、南シナ海問題で「メーンプレーヤー」として、台湾の存在と発言力の誇示。第2に、米日協調を重視し南沙問題を際立たせたくない民主進歩党(民進党)次期政権へ向け、領土主権を守らせる圧力—である。南シナ海は、蒋介石の中華民国がポツダム宣言に基づき、「日本の主権(新南群島)放棄と中華民国による主権回復」という認識の下で1946年から実効支配を始めた。中国の領有権も台湾の主張を根拠にしていることから、尖閣諸島(台湾名 釣魚台)と同様、台湾は中国の「兄貴分」に当たるという自負がある。中国と米国の対立ばかりに焦点が当てられるが、台湾抜きの解決はないという姿勢を鮮明にする意味があろう。背景には、フィリピン政府が2013年1月、ハーグの常設仲裁裁判所に仲裁手続きを申し立てた判断が、2016年中にも出る可能性が出てきたことも挙げねばならない。
領有権問題に端を発し、米中の安全保障の主導権争いに発展したこの問題に、台湾が積極関与する姿勢を見せたことで、米中台トライアングルの「協調と対立」の構図は複雑化する。
馬は2015年12月12日に太平島で行われた埠頭と灯台[注1]の完成式典に参加する意向だったが、南沙領有をめぐる「中台連携」を懸念する米国の要請を受け入れ出席を断念。台湾総統による太平島訪問はこれが初めてではない。民進党の陳水扁総統は任期切れ直前の2008年に訪問した。今回は「失望した」と批判した米国は、陳の訪問については批判せず黙認している。両岸首脳会談を実現した馬が、領有権の主張を同じくする中国と連携すれば、米国の立場を弱めかねないとの懸念を抱いているのは明らかだった。
◆◆ 海域を区分して共同開発を—「南シナ海平和イニシアチブ」
馬の現地訪問を振り返る。馬は訪問目的について(1)春節前の駐在職員への慰問(2)南シナ海平和イニシアチブのロードマップ発表(3)島の平和利用の説明(4)法的地位の明確化−を挙げた。馬が太平島で発表した談話[注2]は、南シナ海の各諸島における中華民国の主権を強調するとともに、太平島を「南シナ海平和イニシアチブ」のスタートとし(1)平和と救難の島(2)生態系の島(3)低炭素の島にする—と述べた。
領有権で対立する現状について「必要なのは協力、衝突は不要」、「共有が必要、独占は不要」、「実務が必要、にらみあいは不要」と「三つの必要、三つの不要」を挙げた。さらに、ロードマップの「短期目標」として「争いの棚上げと対話の早期開始」、「軍事的対抗を平和に代える」、「航行と飛行の自由と安全の確保」を挙げた。これにより関係国の相互信頼関係が深まれば、南シナ海での事故対応ルール構築やホットラインの設置など、安全保障メカニズムが築ける、とした。
「中期的目標」では、国際法に則り共同で協力メカニズムを構築するとし(1)生物資源の保護・管理(2)非生物資源の探査・開発、海洋環境保護と科学研究(3)海上での犯罪防止(4)人道支援と災害救助—などが含まれるとしている。最後は「長期的目標」として、地域を分けて開発を実現し、二者間ないし多角的協力を通じて開発海域の区分けを行い、共同監督メカニズムによって、平等互恵の協力による成果を目指す、としている。
「南シナ海平和イニシアチブ」の概要は、馬が2015年5月26日に提起した。6月11日付の米紙「ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)」にその内容について「焦点を領域紛争から資源の共同開発に移すこと。主権は分割できないが、資源は共有できる」と書いた。馬は尖閣諸島をめぐる台日中の領有権争いでも2012年8月「東シナ海平和イニシアチブ」を提唱、日本に紛争棚上げ、国際法遵守、資源の共有と共同開発交渉への参加を呼びかけている。馬は「WSJ」に「日本は提案に前向きに反応し、2013年4月には日台漁業取り決めが調印された」と書いた。今回のイニシアチブで台湾は何を獲得しようとしているのだろうか。
◆◆ 中国は歓迎、米「失望」
馬は上陸から台北に戻った後の記者会見で、常設仲裁裁判所に仲裁手続きを申し立てたフィリピンが、太平島を島でなく「岩礁」だと主張していることは「完全な誤り」と反論。仲裁裁判所が「太平島を島ではなく岩礁と誤って判断したら、極めて厳重な事態を引き起こす」と述べ「自分の領土は自分で守り、自分の国家は自分で救う」と危機感を露わにした。
馬の太平島訪問に対する、関係各国の反応を整理する。
まず台湾が安全保障の後ろ盾とする米国。対台湾窓口機関である米国在台協会(AIT)は1月28日、馬総統の太平島訪問計画は南シナ海の緊張を高めるものであり、平和と紛争解決のための助けにならない」(AIT報道官)と失望を表明。太平島の領有権を主張するベトナムも駐台北事務所を通じて台湾への抗議を表明、フィリピン外務省報道官は「南シナ海の緊張を高めかねない行動を、関係国は自制すべきだ」との声明を発表した。
これに対し中国は歓迎姿勢を鮮明にした。北京は中台連携を実現して、民進党次期政権の「親米親日」路線を牽制したい思惑がにじむ。中国外務省の華春瑩副報道局長は28日の定例記者会見で「南沙諸島は昔から中国の領土だ。両岸(中台)の中国人には中華民族の遺産を守る責任がある」と述べた。これは中国が南沙諸島を台湾に付属する諸島として台湾の主張を全面的に支持する姿勢の表明でもある。日本メディアの中には華発言の意味を「(訪問を)黙認する姿勢を示した」(28日 共同通信北京電)とミスリードする報道もあった。「黙認」ではない。「熱烈歓迎」なのだ。
(写真2)南シナ海 領有権の主張
◆◆ 次期政権の「親日親米」を牽制
それを裏付ける報道を紹介する。1月29日付「環球時報」は、「馬英九の太平島上陸を歓迎、蔡英文は後退するなかれ」という社説を掲載、「祖先の島々の防衛で、大陸は孤独な闘いを続けてきた」として、中台連携は領有権の主張に有利」と台湾に連携を呼び掛けた。米国の懸念は的中したのである。
「蔡英文は後退するなかれ」という見出しの意味は何か。馬英九は今回の訪問に民進党の参加を呼び掛けたが、民進党は拒否した。馬は先の記者会見で「総統選の2日後、呉燮(ご・しょうしょう)民進党秘書長が訪米し、南シナ海の主権問題について台湾が主張する「11段線」を提起したことは、民進党も同様の認識を持っているとの印象を持ったとし「なぜ派遣しないのか」と疑問を呈した。民進党スポークスマンの楊家は28日に出した声明で、蔡英文・次期総統は「民進党の立場は明確であり、南シナ海の主権を堅持するとともに航行的自由を確保すること。関係する争いは国際法と国連海洋法に基づき処理、すべての争いを平和的方法で処理すべき」との立場を明らかにしていると述べている。
中国当局者は最近「両岸の共同責任」との認識を強調している。太平島訪問については、2025年11月の中台首脳会談の際に中台間に暗黙の了解ができたとの見方もある。中国としては、「一つの中国」原則を認める馬の訪問は、南シナ海における中国の主権の主張を強化すると判断している。
◆◆ 中台連携懸念の米国
米国務省は、馬の訪問に失望声明を出したが、太平島を台湾が実効支配する現状を否定しているわけではない。台湾の野党系紙「自由時報」は1月30日「南シナ海で領有権を主張する国に自制を呼びかけた台湾に感謝」とのワシントン特派員電を掲載した。「失望」とかなりトーンが異なる見出しだ。同紙によると、米国務省東アジア局報道官は28日「台湾が領有権主張国に対し自制を求め、緊張を高めるような一方的行動をとらず、国連海洋法が規定する国際法を尊重するよう呼びかけたことに感謝する」と述べたという。馬の「南シナ海平和イニシアチブ」を評価する内容と言える。
南シナ海問題での中台連携を懸念する米政府が、訪問に「失望」を表明したのは中台連携に事前にくさびを打ち込む意味が込められている。米国は馬英九の外交政策の基調が「親美、友日、和陸」(2008年の馬総統就任演説)にあることをよく知っている。同時に、国務省当局者が南シナ海平和イニシアチブを評価したのも、馬を北京に押しやることがないよう配慮した発言であろう。
先に、米紙「WSJ」に馬が「日本は(東シナ海平和イニシアチブ)提案に前向きに反応し、2013年4月には日台漁業取り決めが調印された」と書いたことを紹介した。この時も、尖閣問題で、中台連携を懸念する米国が台湾に圧力を掛けた。2013年1月24日、台湾の保釣団体活動家の抗議船と、これを護衛する台湾海巡署の巡視船4隻が尖閣諸島周辺の接続水域に入り、海上保安庁の巡視船8隻が放水。この現場に中国海洋監視船3隻も近づき、日中台の公船が初めて尖閣周辺で対峙する事態になった。日台関係に詳しいある台湾財界人は筆者に対し、この事態と漁業取り決め合意の経緯を次のように説明したのを記憶している。「日本では馬が抗議船の出航を容認したという警戒が広がり、米国も台湾に止めるよう要求した。それで3月13日の(漁業取り決め交渉の)第2回予備会合で、台湾側も合意に向け積極姿勢に転じた。そうしたら、今度は日本が譲歩に譲歩を重ね4月の合意が実現した」。
馬の太平島訪問は、米中対立の間隙をぬってワシントンも北京も反対できない提案を示して、台湾の国際空間での発言力と存在感を高めようとするしたたかな計算が働いた行動であった。大企業間の競争激化の中、競争の間をかいくぐって利益を得ようとする「スキマ産業」の立場を比喩として出すのは、台湾に失礼だろうか。
[注1]馬英九政権が2014年2月に着工、3千トン級の船舶が停泊可能となった。07年完成の全長約1150メートルの滑走路と合わせ、防衛力を強化
[注2]太平島は長さ1420m幅402mで、面積は約0・51平方キロ。細長い形状で、南沙諸島最大かつ、淡水に恵まれた唯一の天然島嶼。中国は西漢時期(紀元前1世紀)に発見し命名・使用した。清朝の康熙年間(1721年以前)から、中国は南シナ海を海上防衛システムの中に入れ巡視と管理をしている。中華民国成立後は、1935年および36年に南シナ海島嶼地図を出版、中国の南シナ海に対する主権を重ねて表明。第二次大戦後、中華民国政府は1946年12月太平島に上陸し接收を開始。1950年6月補給が困難になったため撤収したが、56年6月再駐し今日まで60年を経過。島には台湾の「海岸巡防署」職員と海軍気象職員が常駐。空港に、埠頭、灯台がある。
1907年 日本漁船が付近で操業。
1929年4月 日本人が硫黄採掘事業を開始したが。世界恐慌のため採掘中止。
1933年4月10日 フランス軍が占拠、日本人退去。
1935年4月 フランスが30人のベトナム人を太平島に移住。
1936年12月 日本海軍省と台湾総督府が設立した「開洋興業」が硫黄採掘調査。
1938年8月9日 日本海軍が日本人の開発を顕彰する石碑建立。
同年10月20日 日本海軍が守備隊と台湾人労働者を太平島に派遣。
1939年4月 日本軍が太平島占拠、海軍陸戦隊、気象情報部隊、通信偵察部隊が駐屯。
1944年 日本海軍が潜水艦基地建設。
1945年12月12日 中華民国政府が「南沙管理処」を広東省政府に設置。発電施設及び気象観測施設を修理
1946年10月5日 フランス軍が太平島上陸。中華民国の抗議で、両国協議を行う予定だったが、インドシナ戦争の影響でフランスは会談放棄。
同年11月4日 中華民国が南沙諸島に「中業号」「永興号」「太平号」「中建号」を派遣。
1952年 日華平和条約で日本が南沙諸島の放棄を確認。
1956年6月5日 中華民国海軍陸戦隊が駐屯を開始。
(筆者は共同通信客員論説委員・オルタ編集委員)
※この記事は「海峡両岸論」63号から著者の了解を得て転載したものです。