【日中・侃々諤々】

同文なれど同種に非ず

—日本は中国とどのように付き合うべきか—

藤野 文晤


 お互いの違いをよく理解し、その違いを受け入れて交際することが、普遍化の時代における友好的な付き合いのありかたであり、これは古今不変の真理である。いろいろな紛争、そして戦争も、お互いの立場を理解せず、自分の意見を押し付けるところに発生する。これは貴重な歴史の教訓である。

 今年は敗戦後70年である。この節目の年に日本は中国とどのように付き合うべきかを考えて見たいと思う。人と人、国と国が付き合うとき、お互いにどこに共通点があり、どこに相違点があるか、要するに相手を知ることが第一である。孫子にも『彼を知り己を知れば、百戦するも危うからず』というではないか。これは戦いの心得のみではない。人と人との付き合い方の要諦でもある。

 「同文同種」という言葉がある。多くの日本人は日中両国は同文同種だからとよく言う。岩波の広辞苑には【文字を同じくし、人種を同じくすること。おもに日本と中国について言う】とある。字通を当たって見たら「同文」はあるが「同種」という言葉はない。中国の古典を調べてみても「同文同種」という言葉は見当たらない。要するに日本の造語らしいのである。
 私は「同文」というのは若干当たっていても「同種」というのはないと思う。日本人が勝手に決め込んでいるだけで、中国人は日本人を同種だと見てはいない。このことは大変大事なことで、中国人と付き合う時よく心得ておかなければならないことである(勿論商売する時でもそうである)。日本人は中国に対する見方をよほどしっかりさせる必要がある。単に顔色が同じだとか文化が同じだとか、感情的に単純に見てはいけない。

 一方、日本は、21世紀における日本の国の形はいかにあるべきか、戦後70年間問われながらも回避してきたとしか言いようのない問題に、いよいよ回答をださねばならなくなったのではないか。経済が順調に行き国が富んでいる間は、国の形などという面倒な問題は放置しておいても何とか恰好がついてきたが、肝心の経済ががたがたとおかしくなり始めたら原点に戻って考えるをえなくなって来たというのが実情ではないか。

 アメリカとの関係、中国との関係、アジア、ロシアなどとの関係という世界的視野における日本の在り方をどうするかである。私は中国論をやっているので、中国とどう付き合うかを論じているのである。以下「同種」でない幾つかの点を検証してみながら、日本と中国の違い、日本の在り方などを散文的に綴って見る。

●日中両国民の歴史観について

 中国人が最も信じているものは何か。それは多分「歴史」というものであろう。歴史を大切にしない中国人は、上等の人格と考えられず軽蔑される。それだけ民族としての生き方に執着と執念を燃やすのである。歴史に名を止めるは男子の本懐なのである。四書五経には、それが綴ってある。中国五千年の歴史を振り返って見るとよくわかる、だから物凄く保守的で形式主義的に見えることもある。しかし、だから天下国家が一つにまとまっているのである。そして忘れることは罪悪である。歴史書は長年かけて編纂するのである。その発想の原点は「中庸」の思想である。

 日本人はかなり不可思議な民族であると思う。異なる物を受け入れる天才的な素質を持っている。東洋の文明も西洋の文明も西洋の医学も東洋の医学も何の躊躇もなく受け入れ、自分のものにしてしまう。そして混合した文化が誕生した。世界より先進的な科学技術を積極的に受け入れ、超一流の製造技術を作り上げた。また『わび』も『さび』も、茶道も華道も、禅も武士道の文化も創造した。それに美しい自然が調和し、独自の文化となった。世界に誇ってよい文化だと思うが、日本人はそれを他国に伝えることを怠たってきたことから、私は日本は文明の終着駅だと思っている。

 誤解を恐れずに言えば、日本人にとって歴史とは過去のものであり、それを踏み台、または教訓にして次に進むというより、それは捨て去り新しいものを求めるという行動様式になりがちなのではないか。日本人にとって歴史を強調すると懐古趣味ととられてしまう惧れもある。これは日中両国民の民族性の明らかな違いの一つである。

●忘れるということ

 「小異を捨てて大同につく」という言葉がある。広辞苑によると意見の少しぐらいの違いはあっても大勢が一致できる意見に従う、とある。中国語では「求同存異」であり、これは異なるところはあるが大同につくということで、異なるところを捨てるとは言わない。むしろ残しておくというのである。勿論いつまでも残る訳ではない。大いなる一致点が大きくなればなるほど異は小さくなり、やがて大同に吸収されるのである。それが中国人の発想である。小さな違いの様であるが、実は大変な違いである。

 日本に「桜の花のように散る」という言葉があり、これは潔さの代表的な表現である。これは日本人の美的感覚であっていつまでも小異を残すのは男らしくないということになる。中国人は自然に溶けるのを待つのであって人為的に捨て去ることはしない。「過去のことは水に流そう」ということで、日本人は忘れることが一種の美徳であるようなひびきもあり、忘れないと執念深いとか悪くとられる。先に述べた歴史観とつながるのではないか。

 かつて日本を公式訪問した江沢民国家主席は、天皇主催の晩餐会で、過去の歴史認識に於いて「前事不忘、後事之師也」(前事を忘れざるは、後事の師なり)(「史記」秦始皇本記)の言葉を残した。歴史を教訓として、後の戒めとするという意味である。ここにも忘れないということと、歴史観が色濃くにじんでいるではないか。

 日本人には、死ねばすべて仏となるという考えが強い。成仏した人をいつまでも叩くことはしない。死んだ段階ですべて終わるという考えがあるようである。「靖国問題」もその辺の考え方に根差している部分もある。どこの国の文化もそうなのであろうか、日本人の死生観は何か世界の中でも特異なものの様な気がしてならない。この辺の違いに気が付かねば友好的な付き合いは難しい。

●中華思想について

 中華思想というのが、中国人を判断する材料としてよく利用されるが、そもそもどのようなものなのだろうか。中華思想とは、狭い国家意識に限定されたものの様に言われているが、私はそうではないと思う。それは中華文明そのものと言ってよい。中華文明は黄河にに発生したが、歴代の王朝は西安、洛陽、北京へと東漸した。その版図があまりに広大であるが故に、東夷、西戎、北狄、南蛮より国を守るために広大な長城を築いてきた。しかし北京に遷都して以来、歴代の王朝は、金、元、明、清で、漢民族は明のみであり、約500年にわたり夷狄が中国を支配していたのである。

 それにもかかわらず中華文明は花開き、夷狄は中華文明の大海に吸収されていったのである。シルクロードの昔よりよく考えてみると、中華文明は非常にコスモポリタンであり、決して排他的ではない。そこに育まれた思想が中華思想であるから、これは一つの宇宙のようなものである。

 日本はどうか。万世一系の天皇制のもとに、大和民族のみの国家を作ってきた。外国文化を受け入れるのが上手なのに、何故か集団的で排他的な民族性を作ってしまったのではないか。一国家の文明なのである。

 歴史的に見ても、現実の姿から云っても中華思想を排他的、覇権主義的であると見るべきではないと思う。柔軟で非常に現実的である。小平の改革開放政策を見ればよくわかる。共産党、社会主義というといかにもイデオロギー中心と考えがちだが、そこを間違ってはいけない。夷狄から国を守るために延々と長城を築いたことを考えても非常に防衛的であり、覇権的ではない。中華思想等と一刀両断してはならない。

●結論

 こうやって書いてくると歴史認識にこだわる中国の姿勢も見えてくるというものではないか。中国江沢民国家主席訪日時に厳しい議論となった歴史認識問題についても、中国人の歴史観について、心の中の襞の一部をのぞき見たように思う。日中間には歴史観について、なお埋められない溝が残っている。今後一つ一つの理解を積み重ね、それを無くしていく努力をすることが肝要である。

 日本人は極東という東の果で、独特の文化を作り上げた。だが、一人よがりになってはいけない。文化に普遍的文化というものはないが、我々の文化をよく理解して貰わねばならない。我々の文化が外国人に決して理解しやすいものではないことを自覚しなくてはならない。同時に他国をどう理解するか猛烈な努力が必要であろう。それを怠れば21世紀の日本の形はみえなくなるのである。

 (筆者は元伊藤忠商事常務)


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