【オルタのこだま】
■唐詩の勉強してみました 佐藤 美和子
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先月号の王鉄橋さんの記事に、唐詩が二つ紹介されていましたね。
ワタクシ長年中国に住んでおりますが、唐詩漢詩のたぐいは恥ずかしながら中
学国語レベルのまま。王さんの記事の唐詩の意味も理解できなかったため、西村
徹先生のご指導のもと(卒業してから十数年、未だにご指導頂いております。卒
業大学のアフターサービスですか?笑)、ネット検索にて少し調べてみました。
結果、中国語のサイトですが、この唐詩作者である劉禹?さんの背景を紹介し
ているものを見つけましたので、
(http://www.literature.idv.tw/bbs/Print.asp?TOPIC_ID=1457&FORUM_ID=
67&CAT_ID=13)
サトー式解釈でまとめつつ、サトー語訳、してみます。
この劉禹?さんという人、子供の頃から成績優秀、科挙にアッサリ合格して
監察御史になったり、または同い年の有名人・白居易と交流があったりと、順風
満帆なエリート青年でした。
ところが33歳のときに政変に巻き込まれてしまい、朗州(現在の湖南省常德)
という田舎へ、何の権力もないアシスタント的なお仕事である司馬として飛ばさ
れてしまいます。
10年後になんとか長安の都に呼び戻され、あとは朝廷からの新たな任命を待つ
ばかりという時、玄都観という道教寺でちょうど桃が真っ盛りだと聞き、一緒に
左遷されていた“左遷友達”と連れ立って遊びに行きました。
玄都観では、桃がまるで雲か霞かのごとく一斉に咲いているのを見ているうち
に万感胸に迫り、昔のことをあれこれ思い出してしまいます。当時の敵対勢力だ
った宦官たちが今はこの真っ盛りの桃の花のごとく“この世の春”を謳歌してい
ること、それなのに自分は長い左遷生活・・・・・と恨みを込めた詩を、そこの
漆喰壁に書いてしまいました。
「紫陌紅塵払面來、無人不道看花回。
玄都観里桃千樹、尽是劉郎去後栽。」
何となく軽薄にも感じられるほど、紅一色に咲き誇っちゃっている桃の花を飛
ぶ取り落とす勢いの成り上がり者に、ひっきりなしにやってくる大勢の花見客を
権門勢力に取り入る小者たちに例えているそうです。現在の権勢なんて、みんな
自分が左遷で追い出された後にのし上がって来た奴らに過ぎないじゃないか、フ
ン!って言っているんですね。
人の大勢集まるところで壁に書いちゃったのですから、この詩はすぐに長安
中に広まり、権門を怒らせ、「朝廷を誹謗した」という罪名でふたたび都を追い
出されてしまいます。
今度は連州(今の広東省連県)で刺史となります。
そのあとも四川省だの安徽省だの、辺境の地ばかりを歴任し、あっという間に
13年が経ちました。
それから今度は洛陽に召還されたのですが、洛陽へ赴く道中お友達の白居易と
落ち合います。一緒に洛陽に戻ってからは、酒を酌み交わしつつ詩作にふけり、
常に2人で仲良くつるんでおりました。
しばらくして次は長安の主客郎中に任ぜられて戻ったときに、またもや玄都観
に遊びに行きました。しかしあれから既に14年、あの時あんなに咲き誇ってい
た桃の木はいつの間にやらなくなっており、大勢の花見客どころか訪れる人すら
まばら・・・・・・とそんな有様を見て、懲りずにまた七言絶句を作っちゃった
んですね~。
「百畝庭中半是苔,桃花淨盡菜花開。
種桃道士歸何處, 前度劉郎今又來」
あのときの桃の花は赤く色づくあまりに紫っぽくも見えたほどだのに、勢い付
いていられたのはホンの一時、今はもうこれっぽっちも残っておらず、全くどこ
へ行っちゃったのやら。昔の虎の威を借りていた狐どもよとあざ笑い、上が失脚
したら下っ端まであおりを食ってもろとも散ってしまっているじゃぁないか、へ
ーんだ!という感じの、やっぱり辛らつな詩なんですね。
末の句の「前度劉郎今又來」は、現権力者への挑戦状みたいなもんで、この人の
堅忍不抜の性格と頑固な闘争精神がありありと表現されているそうです。
(おっと、この堅忍不抜って言葉、若乃花が横綱になったときのご挨拶で使った
言葉でしたっけね~、懐かしい)
私は最初、
「広い庭も半ば苔むし、今は桃の花はすっかり消えて代わりにアブラナの花が咲
いている。むかし桃を植えた道教僧らはどこへ行ってしまったのだろうか、私は
またここへ戻ってきたというのに」
などとごくストレートに解釈していたのですが、へ~え、そんな辛らつな意味だ
ったんだ!とビックリです。
これにより、また彼は権勢批判をしたということで、次は蘇州やらあちこちの
刺史歴任生活に逆戻り。でも64歳のときにやっと名誉が回復され、それから皇
太子の賓客になったりもして、晩年にまた返り咲いているみたいです。
唐詩って、作者の背景も知らないと本当の意味まで見えてこないんですね~、
奥深いです。それにしても、一回目の左遷でなぜ懲りなかったんだろう、この
人・・・・・唐詩以上に、作者自身も奥深い人のようです。
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