■ 海外論潮短評(18)

◇ 問題化する水 ― 海に関する特別報告        初岡 昌一郎

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2009年正月に到着した、ロンドンの『エコノミスト』1月3日号は、18
ページにわたる長文の特別報告を掲載し、海が抱えつつある諸問題を取り上げ
ている。この小さな活字で印刷されているこの報告に詰め込まれている、膨大
な情報を適切に要約紹介するのは困難だ。

そこで、生物を発生させた海が、今や人間によって汚染され、死の海と化す危
険に直面している危機的現状に焦点を当て、問題の政治経済的な側面を中心に
取り上げてみる。


◇人間によって殺される海


人間の生活と経済活動は海と切り離せないものであり、海は食糧の貴重な供給
源でもあった。しかし、今や海洋生物を獲り尽くし、海をゴミ捨て場にしてき
たことの報いを受けようとしている。海の生き物を大量に殺し、海自体を破壊
することによる海の死は、地上の全ての生き物と人間自身の将来に暗い影を投
げかける。

90%以上の大型食用魚(マグロ、カジキ、サメなど)が獲り尽され、鯨の8
5%が失われた。セイウチからアホウドリにいたるまで、アザラシから牡蠣に
いたるまで海の生物が大量に消えた。これら全てはここ数十年のできごとであ
る。

過去1世紀にわたって大量の化石燃料を消費したことによる地球温暖化が深刻
な影響を海に与えつつある。地上と海中の氷が解けて、毎年約2ミリ海面が上
昇してきたが、これが近年加速化している。このまま行くと、今世紀中に80
センチ海面が上昇する。海から10キロ以内に人間の半分以上が暮らしている
が、受ける影響は計り知れない。

それだけでなく、放出された炭酸ガスの約3分の1は海に吸収され、海水の炭
酸化が進行している。貝類が先ず影響を受け、死滅に向かう。珊瑚類も既に大
被害を受けて、絶滅の危機に瀕している。

ますます大量のゴミが海洋投棄されている。ゴムタイヤやプラスッチック類が
既に海底に散乱しており、海が究極的なゴミ捨て場になりつつある。そのなか
には、有毒物質や放射性危険物質もある。これらが海の生態系を破壊してい
る。
 
1950年代から広範に使用されるようになった窒素肥料が海に流入して、赤
潮被害が毎年拡大している。特にメキシコ湾では、有毒な藻類が大量に繁茂
し、酸欠状態になった海で魚類が大量死した。一つの種の絶滅が、生態系の連
鎖を狂わせ、絶滅種を増加させ、海洋のバイオ多様性が急速に失われる。

現在67億人の世界人口は、2050年には90億人になると予測されている。
海をこれまでのように人間のゴミ捨て場にすれば、汚染が加速的に深刻化し、
海洋生物の生命をますます脅かし、取り返しのつかない事態を招く。


◇海中資源の争奪合戦


1982年の国連海洋法条約が、大陸棚が延びている範囲で、領海を200マ
イルから300マイルに延長することを可能にした。さらに、2500メート
ル以内の深度に限り、陸地から350マイルまでの海底の資源に対する権利を
主張できることにした。1999年3月13日以前に条約を批准した国は、今
年の3月13日までに要求を国連海底局に提出することになっているので、今
や提出ラッシュだ。約80ヶ国がその主張を裏付けうると考えている。

深海の希少資源、マンガン、ニッケル、コバルトなども狙われている。過去5
年間に中国、フランス、ドイツ、インド、日本、東欧企業連合がライセンスを
取得している。カナダの企業が来年から始めて海底鉱業生産を開始する。北極
圏の氷が解けはじめたので、その海底に眠る石油とガスが注目されだした。こ
れまで、海底資源の開発はコスト高として見送られてきたが、近年の資源高騰
と技術革新が状況を変えた。


◇利用というより乱用


人間はあまりにも長い間海をゴミ箱として利用してきた。1972年のロンド
ン条約が投棄を制約しなければ、もっと酷いことになっていただろうが、依然
として隠れた不法投棄が続いている。アメリカの街路からは、毎年6000万
リットル以上の石油が下水溝と川を通じて海に流されている。汚染物質、医薬
廃棄物、抗生物質とホルモン剤が海鳥と海洋生物のシステムに流入している。
水銀や他の金属がマグロ、アザラシ、北極熊など長生動物に吸収されている。

各国の原子力発電所やロシアのスクラップ場から放射性物質が海に流れ込んで
いる。1958年から92年の間に、ソ連(後身のロシア)によって18基の
破棄された原子炉が北極海に投棄された。

さらに憂慮すべきは、山のようなプラスティックの投棄だ。2006年の国連
環境計画報告は、一平方キロ当たりの海に約18,000個のプラスティック
が漂流していると指摘した。最も酷いのは太平洋の中央部だ。そこでは1億ト
ンの投棄プラスティックが渦巻いており、その総表面積はアメリカの2倍にの
ぼる。約90%の海中プラスティックは地上から風で吹き込まれたものと水で
流されてきたものだろう。

プラスティックを飲み込んで海亀、アザラシ、海鳥などが死んでいるのは太平
洋だけではない。北海沿岸で死んでいるカモメ560羽を調査したオランダの
研究機関は、20件中19件で胃の中にプラスティックを発見した。


◇魚の消える海


ヨーロッパに近い北大西洋では1940年代の大漁から見ると、漁獲高は一握
りになった。北東大西洋の鱈、北海のメルルーサと鰈類、そして外道として海
に放棄されてきた魚類が激減し、それらの漁業は崩壊に瀕している。

アメリカでも事情は同じ。かつて世界で最も豊かな魚場であったニューファア
ウンドランド近海では商業的漁業が成り立たなくなっている。西海岸のトロー
ラー漁業は、1970年代には年間、11,000トンの水揚げがあったが、
2001年には僅か214トンになった。魚資源が回復するには、保護策を
取っても、少なくとも90年はかかると科学者は言う。

世界一の鮭生産国チリでは、昨年のヴィールス禍で何百万匹もの養殖鮭が死ん
だ。これは養魚場での過密養殖が原因と見られる。養殖漁業が各地で盛んに
なったが、寄生虫やヴィールスの被害が相次いでいる。ノルウェーの川の10
%では、ヴィールスのために天然の鮭が絶滅している。養魚場から逃げた鮭が
病気を拡げている。

解決法は、養魚場と養魚数を減らし、投入飼料と殺虫剤の量を削減し、水を綺
麗にすることだと分っているが、実行はされていない。人間が食用とする魚の
大部分は、他の魚をえさとして養殖されている。これは、あまり効率的なビジ
ネスではない。養殖鮭を1キロ育てるのに3キロの魚を餌として与える。それ
らの餌のほとんどは、いわし類である。餌となる魚類の5分の一が魚の養殖
用、残りが豚などの家畜用である。これらの魚類も乱獲され、生態系に被害を
与えている。

最もグロテスクなのは、最高値で取引される黒マグロの養殖だ。狭い養殖場で
はマグロの自死を招くので、海に広範なネットをはる養殖場が設定されるの
で、広範な汚染の原因となっている。貝類の養殖は、砂ごと機械で掬い上げ捕
捉、選別するので、海岸線と砂浜を破壊している。

養殖漁業は今後ますます盛んにならざるを得ないだろうが、植物性の餌で養殖
できる魚類を中心とすべきだ。また、貝類はプランクトンだけで育つ利点を活
用すべきだ。

先進国はその近海での魚類を獲り尽くしたので、近年ではアフリカ沖で多くの
国の漁船が操業している。これが技術的に劣るアフリカ諸国の漁民を窮乏に追
いやっている。
絶滅危険種の動物を捕食したり、小さなボートで危険な海を渡り、ヨーロッパ
に移住することに、アフリカ漁民を駆り立てている。


◇魚類の総獲り - 漁業政策の完全な失敗


様々な漁獲抑制協定が結ばれてきたが、ほとんど履行されなかった。例えば、
1991年に大西洋のカジキマグロ漁を削減する協定が結ばれた。スペインと
アメリカは尊重した。だが、日本の漁獲高は70%増加、ポルトガルは120
%、カナダは200%も増えた。

国連が禁止している大規模な投げ縄漁をフランス、アイルランド、イタリアな
どが続けている。この漁法は、鯨、海亀、イルカ、商業的価値のない小魚類を
捕獲してしまう。太平洋のマグロ漁は、毎年4万頭のイルカを殺している。サ
メも乱獲漁法の犠牲になっており、今や200年前の3%に激減し、絶滅種に
なりそうだ。 毎年7300万頭が殺されてきたが、フカヒレの需要は高い。

政治家がこれまで合意した魚類保護策は全て失敗に帰しているように見える。
政治家による漁業政策の失敗は、彼らが混乱しているのでなければ、その知識
の不完全さによるものだ。また、おおくの国で漁業に十分な関心も払われてお
らず、自由放任に委ねられている。漁業関係者に問題解決を任せるのは、猫に
魚の番を委ねるようなものだ。


◇必要な解決法 ― 調査、管理、政治行動


海を救うのは手遅れだろうか。その問題解決に政治的な勇気が要るのは明白だ。
乱獲抑制はその一例だ。

より正確な調査の必要な問題も多い。それはエコシステムとの連関性だ。工業
化以前の清純な海に復元するという意味での救済はできないだろう。海洋生物
の死を防ぐための救済策が、緊急な課題という認識から対策が始まるべきだ。
ここでも、これまでの措置の多くは明確な問題意識を欠いている。

温暖化が深底海流の循環に変化を与えるか。それが海底の水化成を変え、閉じ
込められている温室ガスを解き放つのか。これらのことはまだ解明されていな
い。楽観論者は、海は巨大で、無眼の飽和力を持つとみて、こうした疑問を一
笑に付している。

だが、ベニスで年々酷くなる水害、2005年のニューオリンズとムンバイに
大被害をもたらした嵐、2007年のバングラデシュ、2008年のミャン
マーを襲った台風は温暖化の結果であり、将来への深刻な警告とみるべきでは
ないか。

これまでの海洋保護に関する国際協定や条約は管理主体が不在のために効果を
欠いていた。国連海洋法条約は重要な管理の枠組みを提供しているので、未批
准のアメリカが早急に批准することが求められている。手をこまねいて行動し
ないリスクは、取り返しのきかないものだ。


◇◆コメント◆◇ 


以上の紹介は危機にやや鋭角的に焦点を当てることになっているが、これは評
者が以前から抱いている問題意識を反映したものだ。長文の本報告を読みなが
ら、慄然とすべき危機感を共有してもらうことに意味があると思った。

報告の中には、改善のためにいくつかの具体的な提案や方向性が触れられてい
るが、ほとんど割愛した。例えば、アイスランドの具体的な漁猟抑制策に一章
を設けて詳細な紹介がされている。 評者にはそれを評価できる知識がない上
に、措置があまりにも技術的で、根本的な解決策につながるものでないと思え
たからである。それにしても、本業といえる漁業で優れた抑制的政策を採って
きたこの国が、副業の金融で逸脱して、壊滅的打撃を蒙ったのはどうしたこと
だろう。

一人当たりの魚消費量が世界でも突出している日本では、漁業従事者が激減し
ている。日本漁船は網を持たずに出港し、海上で中国などの漁船から魚を買い
付け、魚市場に国産として出荷するようになっているそうだ。海運業で働く日
本人は激減しており、日本の外洋船はほとんどフィリピン人、インドネシア人
などの外国人に労働力を依存するようなっている。こうしたことが、海洋国家
としての日本が海に対する真剣な関心を失い、本来率先してとるべき国際的な
イニシアティブを発揮するのを怠ることになっているのかもしれない。

政府自民党や農水省が無策であるだけでなく。政権を担おうとする民主党もほ
とんど問題意識を持っていないようだ。日本としては、海産物や鉱業的資源の
獲得競争に血道あげるよりも、環境保全のために大胆な対策を率先して講ずる
べきだ。特に、公然の秘密となっている産業廃棄物の海中投棄を徹底的に取り
締まらねばならない。

周囲の海域の島と漁場の紛争に過剰なばかりの反応を示すジャーナリズムと政
治家には、より本質的な視点からグローバルな海洋問題を議論してもらいたい
ものだ。安全保障は軍事力ではなく、ソフトパワーでよりよく確立できる。

人間の血液の中における塩分の濃度は、海水中の塩分と同じ割合だという。こ
れは、人間がその発生起源を海に持つ証左である。海水が汚染されるのは人間
の血液が汚染されるようなものだ。海の死は、水生動物だけではなく、人類そ
のものを滅亡させるだろう。海の汚染が取り返しのつかないレベルに進みつつ
あることが、科学者によって警告されているのに、問題があまりにも巨大なた
めに放置されている。

大量生産と大量消費による景気回復を常に提唱し続けるエコノミストと政治家
たちは間違っているだけでなく、歴史的に見ると地球上の全生物と人類の将来
にたいする犯罪行為を行なっているとしか思えない。

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