【コラム】
風と土のカルテ(58)

国が掲げる「健康・予防」スローガンへの不安

色平 哲郎

 最近、中国では「大健康」という言葉が盛んに使われているらしい。正確な概念はつかみきれていないが、健康の社会的決定要因も考慮しつつ、プライマリー・ヘルス・ケアの意識付けをしようとする意味合いが含まれていると聞く。

 2000年代初頭、世界保健機関(WHO)の国際調査で中国の医療は「最低レベル」と評価された。厳しい評価が中国の医療、保健関係者に与えた衝撃は大きく、そこから約20年かけて地道に改革を積み重ねてきた。

 習近平国家主席は、一昨年の中国共産党第19回全国代表大会で、「国民健康政策を整備し、国民に年間を通して網羅的な健康サービスを提供しなければならない」「今後、健康中国戦略を引き続き実施し、中国の特色ある基本医療衛生制度、医療保障制度、高クオリティーで効果的な医療衛生サービス体系を全面的に構築する」と強調したという。

 人民網日本語版(2017年10月20日)は、次のように誇らしげに伝える。

 「2016年末の時点で、全国基本医療保険加入者の数は13億人を超え、国民カバー率は95%以上となっている。制度を利用すれば病気になっても心配することなく病院に行くことができる。16年から、都市・農村統一基本医療保険制度を構築する改革が始まり、都市部と農村部の住民の基本医療保険と新型農村協力医療の2制度が全面的に統合された。同改革により、都市部と農村部の住民に、より公平に医療サービスが提供されるようになった」

 人民網日本語版の記事によれば、かつて厳しい評価を下したWHOも、「中国の医療改革は的を射ており、中国の衛生体系が正しい方向へ向かって進むよう牽引するだろう」と見方を変えた。こうした医療改革の積み重ねから「大健康」というキーワードが生まれたようだ。中国が経済的に発展し、人びとの生活が豊かになった証で、自然な流れだろう。

●「予防医療で医療費削減」への疑問

 ただ、大健康という標語が持つ、人を鼓舞するようなニュアンスにやや不安も覚える。「大健康」の考え方に疾病予防の推進が含まれるのは疑いない。予防となると対象領域は著しく拡大し、健康産業と密接に結びつく。行政や健康産業が、さぁ予防だ、予防をしよう、と人々の尻を叩いたら……。お金儲けと公平・公正な保健、医療の相性は悪い。

 例えば、日本の医療改革の方向性を考えてみてほしい。予防医療を強調し、社会保障の産業化を目指しているのだが、かえって医療が混乱するとの見方もある。

 安倍晋三首相は、昨年の自民党総裁選挙中のNHKインタビューで、「医療保険においても、しっかりと予防にインセンティブを置いていく、健康にインセンティブを置いていくことによって、結局、医療費が削減されていくという方向もあります」(2018年9月20日)と言った。総裁3選後の経済財政諮問会議でも「今後、3年間で社会保障改革を成し遂げる考え。まずは、健康寿命。高齢者等が安心して生活できる環境を整備していく」と述べた。

 経済産業省主導の政策立案者たちも、「全世代型社会保障改革」をキーワードに、「予防・健康管理への重点化」でヘルスケア産業を育成すれば医療費は抑えられると言う。

 しかし、これは眉唾だ。医療経済の専門家たちの中には、予防医療の医療費削減効果には限界があると指摘する人が少なくない。「それどころか、大半の予防医療は、長期的にはむしろ医療費や介護費を増大させる可能性があります。そのことは医療経済学の専門家の間ではほぼ共通の認識です」と康永秀生東京大学大学院医学系研究科教授は指摘している(日本経済新聞2017年1月4日)。財務省も同じ考えのようだ。

 中国も日本も健康、予防に関する大きなスローガンを打ち出してきたわけだが、そもそも健康に「大」も「小」もない。予防に力点を置く日本の健康政策も、医療費への影響を含め、その内容や効果を注視していく必要がありそうだ。

 (長野県佐久総合病院医師・オルタ編集委員)

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2019年2月28日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集部にあります。
 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201902/559992.html

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