【コラム】『論語』のわき道(45)

国づくり

竹本 泰則
 
 『論語』の中に孔子が衛(えい)という国を訪ねた時の話があります。馬車の御者をつとめた弟子との会話です。
 
 国都の家並みが見渡せる高台にでも立ったのでしょうか、孔子がこうもらします。
 「庶(おお)き哉(かな)」……    この国の人口は多いなぁ。
 これに対して弟子がたずねます。
 「既に庶し、また何をか加えん」……  既に十分な人口を抱えていて、さらに何かするべきことはあるでしょうか。
 孔子の答えは
 「これを富まさん」……         人々の生活を豊かにしてあげることだね。
 弟子はさらに問いを継ぎます。
 「既に富めり。また何をか加えん」……生活が豊かになったとして、その上に何か加え
 ることはありますか。
 孔子のこたえ。
 「これを教えん」……        人々への教育だね。
 
 国づくりの基盤を経済、福祉におく一方で、教育を重視するというのが孔子らしいかなと考えての私訳です。
 「教えん」は教化(教え導いて善に進ませる…『広辞苑』)とする方が儒教的かも知れません。
 
 一昨年(2021年)は郵便が、昨年は鉄道が創業150年を迎えたということで、それを掲げたキャンペーンを展開していました。改めて思い起こせば、この国は1世紀半ほど前に近代国家の建設に邁進していたわけです。今更歴史のおさらいをしたところでどうなるものではないのですが、用事もない身分なので年表などをめくったりしてみました。

 明治維新とはいつまでをいうのか知りませんが、新政府の国づくりの第一幕は1872年を中心にした2、3年(明治四~六年)のように思われます。
 我が国はこの1872年に、それまで千二百年以上にわたって使ってきた旧暦(太陰太陽暦)を廃し、欧米に合わせて太陽暦を採用しました。旧暦の明治五年十二月二日で明治五年が終わり、翌日は明治六年の元日になりました。このため日本の年号を併記するのがことさらややこしいので以下は西暦で通します。
 取りあえず1872年の出来事を追ってみました。
 3月、 初めての全国戸籍調査が行われています。総人口は3千3百11万人あまりと集計されているそうです。ただし、戸籍の様式が統一されていなかったことや集計上の問題などもあって、必ずしも正確な人口とはされていないようですが。
 4月には郵便事業が東京府内でスタートし、7月には全国に広がっています。その7月には陸奥宗光・松方正義による税制改革の検討が本格化し、翌年に地租改正の太政官布告が公布されています。10月に新橋・横浜間の鉄道事業が始まり、11月には官立の富岡製糸場が操業を開始しています。そして、12月には徴兵令が発布され、年明けの1月に施行されています。
 このように並べると、大まかながら国づくりの歩みは感じ取れます。
 教育はいかがかと見ると、1872年8月に学制が公布されています。これを端緒にわが国の近代的な学校教育が始まったようです。
 このとき発せられた布告は、全国を八つの学区に分けそれぞれに大学校・中学校・小学校を設置するというものです(学区はその後の教育令によって七つになりました)。その布告に併せ「必ず邑(むら)に不学の戸なく、家に不学の人なからしめんことを期す」との精神が宣せられ、「人の父兄たる者」は「その子弟を必ず学に従事」させるよう求めています。
 当初の案は全国に53,760校の小学校を設立するという壮大な計画です。実際には24,303校に終わっていますが、それにしても人口が3倍に余る現在が26,000校ですから、数だけでいえば大きな踏み出しだったといえそうです。ちなみに長野県松本市に校舎が現存する開智学校はこの時代に建てられた小学校です。その建築費用の七割は地元からの寄贈といいます。人々の教育熱心を感じますね。
 教員の養成には、この年に師範学校が東京に開かれ、翌1873年には他の6学区にも開設されています。
 学制はその後改定を重ねながら進展し、学校教育が全国的に普及していきます(明治三十三年には小学校の学費が無償化され、明治三十八年の就学率は95%を超えます)。
 その結果として、教育といえば学校教育がほとんどすべてを担うといった状況を作り出し、さらに、教育の制度化はその目的・内容を国家が主導することにつながって、教育を画一的なものにしてしまったように思えます。
 
 教育に関連する孔子の言葉をもう一つ別の章から引きます。この章句は『論語』の中でも最も短い文章の一つです。
 
 「子曰、有教無類」 (子いわく、教えありて類なし)。
 
 この四文字は「ゆうきょうむるい」と読み、熟語として扱われたりしたらしいのですが、今ではあまりなじみがありません。
 無類は、無類の大酒のみといったといった言い方をして「たぐいないこと。くらべるもののないこと」の意味で使われるのが普通ですが、この章句の「類」は類別、種類の類です。人なら人をある基準や視点などによってグループ分けをする(類別する)ことがありますが、その分けられた種類です。具体的には善人か、悪人か、賢いか、愚かかといった区別を指すと考えられます。
 昭和の大学者・吉川幸次郎(明治三十七年~昭和五十五年)は「あるのは教育であって、人間の種類というものはない」という文意にとって「つまり人間すべて平等であり、平等に文化への可能性をもっている。だれでも教育を受ければ偉くなれる」と言い足しています。そのうえで「孔子に人間平等の考えのあったことを示す条として、貴重される」と解説しています。
 また、岩波文庫の『論語』における金谷治(大正九年~平成十八年)の現代語訳は次のようになっています。
 「教育〔による違い〕はあるが、〔生まれつきの〕類別はない。〔だれでも教育によって立派になる〕」
  こうした訳文に関して子安宣邦氏(昭和八年~)が盲点を突くような指摘をしています。この人は、日本思想史、倫理学の学者で、江戸時代の儒学者・伊藤仁斎の『論語』の解釈を高く評価している人です。
 その指摘とは、現代の解釈者たちは、「教え」を「教育」と解しているが、その「教育」とは『論語』でいう「教え」ではない。学校教育に代表される現代の「教育」とは基本的には上からの集団的な訓育(しつけ)であり、そのような概念の上に立って『論語』でいう「教え」を「教育」という語で解釈してしまうことはとんでもない間違いだ、というものです。
 
 明治以来の学校教育は「有教無類」を実現しているでしょうか。
 たしかに封建的身分社会を打ち破った面は認められますし、「だれでも教育を受ければ偉くなれる」時代もあったかもしれません。しかし、のちの経済成長に伴う進学率の向上は負の副産物も生み出しました。学歴偏重、受験戦争、偏差値教育などといった現象です。
 そうした流れは今でもなお続いているように思われます。最近の出来事を思い返しても、2022年 (令和四年)1月15日、大学入学共通テストの試験会場の一つであった東京大学農学部正門前で、受験生の高校生男女2人などが切りつけられた事件がありました。加害者は医学部への合格率が高い著名な進学校の2年生の少年。その動機は、「医者になるために東大を目指して勉強していたが、成績が一年前からふるわなくなり、自信をなくした」、「人を殺して罪悪感を背負って切腹しようと考えるようになった」などと供述しているそうです。
 このような常軌を外れた者があらわれる原因のすべてが教育制度の所為だとは思いません。しかし、現在の教育のあり方はそれまでとは違う新たな「類」を生み出しているともいえそうです。
 
(2023.2.20)
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