【コラム】
あなたの近くの外国人(裏話)(31)

在留資格を助けたい

坪野 和子

 私個人ですが、今、なぜか少しずつ今年は良い年になるのではないかと思っています。年末年始、左手首骨折しました。パソコンが壊れました。隣の家が火事になり、全焼し、一酸化炭素中毒にならないよう避難しておりました。多くの方々にご心配をおかけしました。まだリハビリテーションに通っています。家は隣の割に被害が少なかったし。きっといいことがある!! 今回は2つの在留資格の問題で感じた「ビザが厳しい日本」についてトピックを書かせていただきます。

◆ 1.インド人卒業生の在留資格変更問題

 私の生徒の在留資格変更が認められませんでした。一昨年、大黒柱であるお父様が病気で倒れ、亡くなりました。彼は、そのお父様の家族在留資格でした。お母さまも病気で入退院を繰り返して、現在入院中です。彼はアルバイト(家族在留は週28時間の労働制限があります。正社員にはなれません)とお母さまの介護で忙しくしていました。彼がお母さまを扶養しているのです。そして、定住者の在留資格を申請しましたが「実績がない」という言葉とともに却下されました。

 彼の申請を却下された理由がわかりません。日本にとって有益な人材を書類だけで冷たくされたのは、担当行政書士の能力の問題なのか、日本国の公務のありかたの問題なのか、私にはわかりません。しかも彼の夢のうちのひとつが、将来帰化して公立高校の英語の先生になりたいという…ああ、いかに高校時代に英語科の先生方のご指導と私の日本語指導が彼に影響を与えたんだ!

 現在の在留資格の期限に間に合うよう私や先生方、彼を親友だと思っている友達で嘆願書を書くことを提案しました。期限が切れてしまえば帰国をしなくてはなりません。そして、みんなの嘆願書の校正をしました。それらに書かれていたことから、いかに彼の能力が高いか、いかに公共心・協調性・責任感が強く友達に愛されていたか、いかに彼が授業に積極的で友達に影響を与え授業の質を高めることができたか…という共通点を読むことができました。

 彼は小学校6年のとき、ニューデリーから日本に転校してきました。平成26年、彼は、5人の中国出身生徒とともに「外国人特別選抜」で埼玉県立I高等学校に入学しました。この学年はこの枠での受験が非常に多く、この時期の外国人卒業生は、東京外国語大学、上智、法政など大学合格状況がよく、中国人保護者のコミュニティや日本語ボランティアさんたちに高く評価されていました。しかし、意外に難関なので、受験前に断念した生徒も少なくなかったようです。試験は英語と数学と日本語面接です。彼は、この狭き門を通過したのでした。

 彼に対して埼玉県立I高等学校にて2年間の日本語直接指導を行っておりました。私の彼への第一印象は、無駄なほど一から十まで全部日本語でペラペラ喋る、ある意味ステレオタイプでみた「典型的なインド人」だと感じました。そのペラペラな会話力に比して、読み書きに大きなギャップがありました。会話は問題なくできており、むしろ日本出身生徒よりも語彙が多いくらいでしたので、学習言語指導が主でした。私が教えた2年間で、その大きなギャップをいつの間にか克服していました。かなりの努力です。

 その後、私は他校に異動しましたが、指導や交流は継続しておりました。大学入試の相談を受けたり、志望動機書の作文添削をしたりといった指導もしていました。最近、南アジア圏で役所へ提出する書類で困っている人たちのために翻訳を、英語専門の日本人に依頼したのですが、作業が遅く、出来上がった翻訳は現地事情がわからないため、彼に再依頼しました。文化背景も加味した翻訳は英語能力のみでは解決できません。

 私は多くの良き生徒に恵まれました。彼らは日本の大学・大学院を日本人と同じ条件で受験し、日本の教育で育ったグローバル人材への道を歩んでいます。彼は、その中のひとりであったはずでした。英検準一級、TOEIC895点。日本語能力試験は未受験ですがN2は現在まったく勉強しない・できない環境であっても合格確実、ヒンディ語は普通だと忘れていてもおかしくない環境にありながら、年齢相応の能力に伸びていました。(中国語をのぞくと)英語、ヒンディ語は世界的に話者の多い言語です。
 これだけでトライリンガルなのですが、さらに、私との関係で発覚したのは、彼はパンジャブ語も聴解可能です。パンジャブ語映画、パンジャブ語ラップなどリスニングは問題ありません。本人も気づいていませんでした。パンジャブ語は、調査ではカナダやイギリスで、また隣国パキスタンの話者の実数はかなり高いです(ウルドゥ語より話者人口は高く47パーセント)。ヒンディ語ができるということは、ウルドゥ語話者とも会話が可能です。

 彼との5年になろうとする私との関係。書ききれないほど彼に感心させられたのですが代表的なエピソードをふたつ。
 一般的なインド人は、ダイレクトなアイコンタクトを送りつつ(しっかり目と目を合わせます)コミュニケーションを取ります。ですが、彼は日本人と同じ間合いと目線を身につけています。知り合って初期の頃、むしろ私に「先生、じっと見なくてもいいよ。日本の目線わかっているから」と言われ、「インド人に適度に目をそらせながら話しをするのは難しいです」「先生、ダメだな。日本にいるんだから、その辺、わかってよ」と逆に諭されました。このような細かいコミュニケーションの機微が理解できています。
 また、所謂「ルール」「マナー」を日本に合わせ、時間厳守、ごみ捨て、職員室での先生への態度、日本人生徒よりも完璧でした。日本で生まれ育ったパキスタン人生徒は45分私を待たせますが、彼は15分前に必ず待ち合わせ場所に来ています。むしろ私が待たせるくらいです。ベトナム人並みの時間厳守に驚きました。

 入学説明会では、外国人在校生が私とともにボランティアとして通訳や案内を行っていました。日本慣れしていない保護者が上履きを持参せず、さらに生徒も持参していませんでした。彼は上履きを事務室で借りてきて、親子に日本の学校文化の説明をしました。この時、私は彼が観光宿泊、会議通訳など、異文化に接する外国人のための仕事に就けば、日本の利益になる存在だと確信しました。

 彼は日本や強いてはインド、世界にとって有益な人材です。日本国に在住することで3年以上にわたって日本で受けた教育を活かす機会があり、より彼の能力が発揮することができると信じています。手塩をかけて育てた生徒を日本から出してインドに帰さなくてはならないなんて、また日本の税金を使って育てた人物を入国管理局がみすみす国外に出してしまうなんて、「悲しい」!! 結果はまだですが。どうか理解していただければと。

◆ 2.パキスタン人を助ける日本語塾をはじめよう

 2月上旬、インターナショナルスクールの授業が終わった後、パキスタン出身の男性から電話がかかってきました。ミーティングがしたい、とのこと。亀戸から春日部へ、そして車で、彼が3月開店予定のパキスタン料理店に行きました。インド人もパキスタン人も呼ばれたらその日のうちに会うようにしています。彼らは「明日死ぬかもしれない」…と考えているからです…冗談です、やるべきことを先送りにしないでその場処理する人たちだからです。身体が空いたら大変でも行動する! 春日部駅まで迎えに来ていただき、車内と開店前のステキなパキスタン料理店でミーティング。業者任せでなく、手作り感満載で彼のシェフの創作活動によるものだと理解できました。このお店の話は後日。

 まず、私が始めようとしているオンライン・ビデオの日本語通信教育に興味があること、そして、現実に日本に来てしまって仕事がない・在留資格も怪しい男の子たちが彼に相談して、彼は就職の世話をしているのですが、問題となるのは「日本語」です。少しでも日本語ができれば、単純作業などの仕事を得ることもできます。あるいは配偶者が日本人で家族在留となれば、やはり単純作業の仕事が週28時間可能です。また現地パキスタンで高学歴であればパキスタン人(出身)経営者の会社で使ってもらえることがあります。
 しかし、現在9人ほど、まったく就職できないし、在留資格の変更もできないのだそうです。彼らのためにボランティアの日本語塾を始めたいとのことです。そのための収入として、オンラインの学校を一緒に組んで、現地サテライトを作りたいとのことです。

 たまたまインターナショナルスクールの大人のクラスで日本語を教えた後だったので、パソコンもUSBメモリーも持っていました。計画中の学校の企画書下書きを見ていただき、金額の構想とコースの予定を理解していただきました。日本語能力試験N5(基本レベル)のクラスを150時間、ここまでだと日本語学校。特定技能を目指すなら、N4(日常レベル)さらに150時間(自習含めて200時間)。半年くらい必要ですと説明しました。
 オンラインの学校は週5日3時間。金額に関しては妥当だとのことでした。これがうまくいけば、日本在留の人たちが助かるし、現地にいるこれから日本に来たい人たちが正当なビザで入国できるようになるので頑張りたいと思っています。

 (高校時間講師)

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