【コラム】1960年に青春だった!(25)

地球は大丈夫か、落語は大丈夫か

鈴木 康之

 近年主にホール落語や独演会で「本寸法」というふれこみの公演がしばしば目に留まるようになっています。

 はなから脱線しますが、本八幡と書いて「もと八幡」「ほん八幡」ふたとおりの読みの町名・駅名があります。本稿の本寸法の読み方は「ほん寸法」。
 Yahoo! JAPAN に「ほん」と「もと」の両方の読みで入力すると、「ほん寸法」のほうだけしか受け付けません。

 手もとの『広辞苑』には第七版から本寸法は「本来の正しい基準にかなっていること。落語などの芸をくずしていないこと」と載っています。『広辞林』の第六版のほうには載っていません。
 寸法をひくと、①長さ、大きさ、尺度、②手順、計画、思惑、③有様、形勢、とあります。落語や講談などには「そこでみんな打ち揃って繰り出そうてぇ寸法さ」などという言い回しがありますが、これは②か③の意味でしょう。

 三代目桂三木助が幽霊について話している中に「手が七三のところへいって、う、ら、め、し、い、とやるのが、こりゃアまぁ幽霊の本寸法とでも申しましょうかな」と話しています。本寸法を「本来の姿」とした例です。

 さて、落語専門の寄席では、昼席・夜席おのおのに20席前後の演者が組まれます。一席をたっぷり演じるのはトリか大トリだけ。それもせいぜい30~40分でしょう。席亭の側はできるだけたくさんの看板を並べたい。協会のほうは一人でも多くの芸人に場数を踏ませたい。結果、一席あたりが短くならざるを得なくなります。本寸法の出し物はホール落語か劇場使っての独演会に限られます。

 二代目桂枝雀が東京・歌舞伎座で三遊亭圓朝の大作『地獄八景亡者戯』に挑戦した会へ行ったことがあります。ふつうは鬼の船頭に三途の川を渡らせてもらう段で、中入りの休憩となるのがこの演目の寸法なのですが、大劇場満席に燃えた師匠は1時間半の大ネタを本寸法で一気に演じきりました。
 客席は息をのんで師匠の熱演についていきました。そして肩のつまりをほぐすかのように鳴り止まぬ拍手、語り継がれるカーテンコールとなりました。

 本寸法で演じるとは、ただ噺の筋をおしまいまでぶっ通しで話すということではありません。その演目の本来の、もともとの、由緒通りの筋立てで、すべてのプロットを演じた場合の、その建て付けの具合、その表現の演出、そしてその結果としての時間の長さのことを言います。
 こだわるようですが「もと寸法」のほうが合っているように思います。

 圓朝作『怪談真景累ヶ淵』も長い。15日間興行で語られたものだとか。
 故・桂歌丸(初代)は大喜利番組のためか軽く、平俗なイメージが残りましたが、じつは古典の名人で、晩年、通しで6時間を超えるこの大作の7話『宗悦殺し』『深見新五郎』『豊志賀の死』『勘蔵の死』『お累の自害』『湯灌場から聖天山』『お熊の懺悔』をたっぷり本寸法で、7枚のCDに遺しました。

 よく演じられる『三人旅』は『伊勢参り』『東の旅』『西の旅』の3部構成でできていて、『東の旅』はこれはこれで『尼買い』『運付酒』『軽業』『七度狐』などの噺からできていて、昔は毎晩1席で1ヶ月もかけられたそうです。

 有名な『子別れ』も本来は長尺もの。通すと2時間。ふだんは『強飯の女郎買い』『その続編』『子は鎹』の3話にして話されます。
 ストーリーに綾があり、人の言葉に味がある『文七元結』『芝浜』などの人情ものも、ぜひとも本寸法で演じてもらわないと胸に滲み入りません。

 三代目桂三木助はラジオの時代の人で、その『味噌蔵』に本寸法という言葉が日常語として使われていることが本に記されています。味噌屋の大店に男の子が生まれ、しわい(吝嗇)屋の主人・吝(けち)兵衛が妻の実家へいくことになり、その晩、番頭たちは仕出しの料理をとっていいことになる…。
 筆頭が一人ずつ注文をとる。「刺身を願います」と言う者がいる。「お隣は?」「そこに添えて酢の物を」「お前は本寸法だね、お次は?」「塩焼をどうぞ」「定石どおりだねえ」となり、甘煮、照焼、玉子焼、天麩羅、鰻の丼…。
 ちくま文庫の『古典落語正蔵・三木助集』の編者・故・飯島友治(落語評論家の祖)によれば、「本寸法」と「定石通り」は同意語で、「正式、おきまりの通り」の意味だとされています。

 冒頭で書いたように本寸法の企画がしばしば目にとまる傾向、古くからの落語ファンとしては嬉しい差し潮ではありますが、しかしそう思うこと自体、今日が落語芸術にとって大きな退き潮にあるからでしょう。
 ボクにはいま精力的に取材して回る脚力がありませんが、早くから本寸法の企画を続けてきた三田落語会やビクター落語会(ディスコグラフィー)の方々はこの引き潮にどう抗ってお考えか伺いたいところです。

 東西の遊郭の灯が消えたのは昭和33年、1958年です。八十路半ばにいるボクでさえ、柳を見返った翌朝も、大門をくぐった宵も経験しておりませんのです。
 いまどき廓話で「…なのでございます」などと語られたひには、見てきたような嘘をつき、となります。「…だったそうでございますな、こんちくしょう」といって、羨望、無念、入り混ぜた絶妙の話芸でまんまと騙されてみたいです。

 花街、長屋、井戸端、へっつい、下帯、籠、付け焼き刃、小股のキレ上がった、薮から棒、金坊、一八っあん、大家さん。景色が消えました。ものがなくなりました。言葉を聞かなくなりました。人物がいなくなりました。
 ということは落語家にとって三重苦四重苦なのではないでしょうか。

 いまどき本寸法を演じるには説明や注釈が不可欠。それすらをも噺にしてしまうほどの至芸が欲しい。懐かしいのが名人・林家彦六(八代目正蔵)です。
 江戸訛り、震える声で句一つ一つに念を押すような、育ちで身についた声技、余人をもって替えがたいたい貴重な人品がありました。
 たとえば『紫檀楼古木』。キセルの煙管のすげ替えをする稼業・ラオ屋の説明が絶品でした。「このシろい江戸にヨツタリしかいません」。
 内儀さんから声をかけられ、旦那さんご愛用のキセルを渡される。

  ──へい、かしこまりました。どっこいしょと荷を下ろし、この、細長い箱
  の中からいちばん先に取り出すのが、ちぃさな腰掛けで、これに蒲団がくく
  シつけてあります。これをお尻にあてがうと、どっかりとあぐらをかくよう
  な、姿になって、こんどはこの箱ん中から、ちいぃさな今戸焼きのシ鉢を出
  す。これがございませんと、ラオ屋さん、仕事ができない、この中に炭団が
  イカってまして、灰は手を突っ込みゃ焼けどぉするように熱くなっている。

 より具体的に、より詳細に、本寸法で話そうとすると、知らない言葉や見たことのない風景のために、聞き手はせっかくの名調子についていけなくなります。話し手は立て板に水でどんどん先へ進む。
 聞き手は置いてけぼりになる。噺がヌケる、と言いました。
 気づかぬ間に落語文化の土砂が時々刻々と流されている。
 地球は大丈夫か、落語は大丈夫か。

 (元コピーライター)

(2021.11.20)
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