【コラム】
風と土のカルテ(55)

外国人労働者受け入れ拡大で蘇る「苦い記憶」

色平 哲郎

 外国人労働者の受け入れ拡大に向けた出入国管理法改正案が国会で審議されている。政府は、今後5年間で最大約34万5,000人の外国人労働者を受け入れるという。2017年末現在、外国人労働者は約128万人。そのうち、低賃金の労働で失踪者が7,000人超(2017年)といわれる技能実習生が約25万8,000人を占めている。
 「人手不足」を理由に、外国人労働者を受け入れる扉が大急ぎで開けられようとしている。しかし、海を越えてやってくるのは働くロボットではなく、「人間」だ。若くて頑強な人ばかりではない。体の弱い人もいる。いや、来日して低賃金で苛酷な労働を強いられ、重篤な病になる人もいる。日本の医療は、彼らを受け入れる準備ができているのだろうか。かつて、重い病気に罹った外国人の患者さんを支援したときの苦い記憶がよみがえる。

 1990年代初頭、法務省入国管理局は「興行ビザ」や「観光ビザ」を気前よく発給し、外国人をどんどん受け入れた。当時、研修医だった私の活動範囲(長野県の佐久・小諸地域)にはタイ出身の労働者が大勢いた。
 支援者と一緒に、タイ人青年が数人で生活していたアパートに行くと、後ろ手に縛られて大小便を垂れ流している男性がいた。統合失調症で、幻覚、妄想が激しく、いわゆる「座敷牢」に入れられた状態だった。仲間は工事現場で働かなくてはならないので、その人をアパートに残して出かけていた。一人にしておくと何をするか分からないので、縛っていた。

 日本の法律では、保健所長に届けて入院の措置を取らねばならなかったが、タイ人患者を受け入れる病院はなく、支援者がお金を出し合って帰国させた。

 HIVに感染した、タイ北部出身の女性たちのお世話もした。患者さんを私の勤務先の病院に連れて行ったことがあるが、病棟の他の患者さんに説明がつかないと、ひんしゅくを買った。修行中の研修医が、医療保険にも入っていない外国人患者を引っ張り込み、「趣味的なこと」で病院に多大な迷惑をかけていると非難された。批判されても仕方ないけれど、非難されたのはつらく、目の前の患者さんの命を救えないのはもっとつらかった。

 外国人の診療で、医療通訳は極めて重要な役割を担う。「医師から本人にHIV感染を告知してくれと頼まれても、患者さんとの人間関係ができていなければ、それは待ったほうがいい」と、仲間の医療通訳から有益なアドバイスを受けたこともあった。だが、医療通訳は不足しており、ある病院では大使館を介してタイ人女性にHIV感染を告知したところ、彼女は受話器を置き、住んでいたマンションから飛び降りて亡くなったという。

 「あと何年生きられますか」と訊かれるのが、支援する側として一番苦しかった。最終的に、「もう医療費のことは心配しなくていい、国に帰ろう。家族の待つ家に帰ろう」と患者さんを説得した。必死にお金を送って支えた、愛する家族のもとへ生きているうちに帰そうとあれこれ手を尽くした。

 現在も、生活が困窮した外国人が数万人単位で国内に居住しているとされる。東京都の公立小学校に勤務する若い友人の話では、無国籍の子ども(不法滞在の女性に日本人男性が生ませたまま責任放棄)が多数いて、病気やケガをして病院にかかると医療費は全額自己負担。当然、払えず、請求が小学校にきて教師が対応するのだという。

 はたして、このまま門戸だけ開いて、どんどん外国人労働者を受け入れて大丈夫だろうか。

 (長野県佐久総合病院医師・オルタ編集委員)

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2018年11月30日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集部にあります。
 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201811/558825.html

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