【オルタの視点】
2017年6月12日 大田昌秀元沖縄県知事の訃報に接して
<寄稿>
拝啓 沖縄県知事 翁長雄志殿
信州沖縄塾塾長 伊波敏男
私は、現在、長野県上田市で暮らしている74歳の在日ウチナーンチュです。
晩春の誘いの甘い香りを漂わせていたニセアカシアの花も散り、
水が張られた田の苗は行儀良く並び陽春をいっぱい浴び、
信州は今、一番静かな時を迎えています。
しかし、この情景とは逆に、ふる里から届く、
「辺野古・高江・普天間・嘉手納・与那国島・宮古・石垣島」
の日々のできごとに、私の肝心(ちむぐくる)は、立ち騒ぐばかりです。
◆◆ 信州沖縄塾
私は長野県で沖縄の現状を学び、知り、それぞれが自らの立ち位置で
足を踏み出す個人加盟の学習市民組織「信州沖縄塾」を主催し、
200人近くの塾生と共に学び合っています。
「信州沖縄塾」は2003年8月に開塾しました。
きっかけは、2002年5月、教師に引率された沖縄県立与勝高等学校の
女子生徒3人が、わが家にホームステイしたことにさかのぼります。
それは朝食の食卓でのできごとでした。
隣席のKさんがつぶやくように言葉を口にしました。
「ねー……、みんな気づいたー。
長野の風にはねー、音があるよー。
木々をわたる葉ずれの音も耳に届いたよー」
この年頃特有のセンチメンタルな表現だと私は気にもせず聞き流しましたが、
Kさんがその言葉を再び口にしたので、
「Kさん、それ、どういう意味なの?」と、問い掛けました。
「だってねー……
私たち目覚めると、一番先に耳にするのは、
ヘリかジェット機の爆音だもの……」
一瞬、私は返す言葉を見つけることができず息を呑みました。
私は在日ウチナーンチュの一人として、常日頃から沖縄の状況には、
誰よりも心を寄せていると自負していました。
しかしながら、米軍基地もない、自然豊かな長野県で暮らしている私の生活は、
いつの間にか、この娘たちの日常生活状況とは、
こんなにもかけ離れてしまっていたのです。
顔をあげることができず恥ずかしさが込みあげてきました。
私でもそうだ!!
ならば、他の長野県民が思い描いている沖縄は、蒼い海と青い空、癒しの南の島。
決して、米軍基地に押しつぶされ、常に米軍属の犯罪におびえる、
「戦争」が見える島の「オキナワ」ではないのです。
自責の念に追い立てられるように、この地で沖縄の現状を知らせなければ
との想いから、2004年8月、個人参加の学ぶ市民組織「信州沖縄塾」を開塾させました。
開塾から13年がたち、その間、沖縄から55人のゲストをお招きし、
講演会や古典芸能の文化行事、料理教室、自主映画会、沖縄映像祭、
自主講座18回、塾報の定期発行などで、沖縄情報を伝えつづけてきました。
2004年、「海上ヘリ基地反対・平和と名護市民主化を求める協議会」
からカヌーの緊急要請があり、ただちに一艇を届けましたが、
何と、そのカヌーが、いたるところ傷だらけになりながらも、
今年の3月、その雄姿を辺野古の海で見ることができました。
◆◆ 長野の中学生の取り組みから意見広告へ
2010年6月13日、
私は長野県松川村立松川中学校3年C組の教室に招かれていました。
同校は新聞を教育の場で活用する「NIE(Newspaper in Education 教育に新聞を)」
の実践指定校となり、中央紙4紙と地元紙を教室に揃え、
毎日、生徒たちにその日読んだ記事の感想を書かせていました。
その中で普天間基地移設をめぐる鳩山前首相(6月4日退陣)の言動について、
「公約違反だ」「発言したことは守ってほしい」と、
退陣した首相への批判も出されていました。
担任が、それでは沖縄の地元紙はそのことをどのように記事にしているかと、
取り寄せてみたところ、中央4紙の記載内容と記事量の余りの違いに、
生徒達は目を見張ったそうです。
それで沖縄出身者の私に話が聞きたいと声がかかったのです。
それから、同校の生徒たちは新聞記者以上の行動力を発揮しました。
沖縄問題の取材や関係者のインタビューに走り回り、カラータブロイド版12頁の
「沖縄新聞 特別版 2010年12月8日(水)」を発行しました。
信濃毎日新聞社の故中馬清福主筆は、この新聞を、全国の新聞関係者会合にいつも持ち歩き、
「これ長野の中学生達が作った新聞です。長野県の誇りです」
と、紹介されていたといいます。
この中学生たちの問題提起に、長野県の文化人たちが動かされました。
「沖縄に新基地をつくらせない長野県民の会」が組織され、
世界反戦デーの10月21日、地元紙信濃毎日新聞の紙面に
意見広告掲載の取り組みを始めたのです。
大人一人1,000円、高齢者と子どもは100円の呼びかけで、
わずか45日間で、匿名希望者も含め4,303人が賛同し、
2010年10月10日、朝刊の12・13面は、
長野県民の名前で埋め尽くされました。
◆◆ 騒擾の海と化していく沖縄の海
あれから7年。
今、辺野古の海では埋め立てがはじまり、
ゲート前で反対する市民は機動隊から暴力的に排除されています。
FBで配信される動画や写真を見ているだけで、胸が痛みます。
2011年1月、稲嶺進名護市長の誕生、
2014年11月、沖縄政治史の転換点とも評される保守革新の対立を超えた
オール沖縄の枠組みによって、辺野古移設に反対する翁長雄志知事を誕生させ、
12月の衆議院選挙では、沖縄地方全選挙区で
オール沖縄候補者全員が当選しました。
このできごとで、遠い長野の地の在日ウチナーンチュである私は、
ふるさとの皆様をどれだけ誇りに思ったことか。
驚いたことには2016年3月4日、「辺野古代執行訴訟」の
国と県による和解が成立しました。
三権分立が絵空事になって久しい中、2015年以降、
新基地を巡り4つの裁判が行われていますが、福岡高裁那覇支部長に
異例ともいえる人事異動によって多治見寿郎裁判長が着任しました。
これだけ見ても裁判結果は見えていました。
政府の「和解ポーズ」の目くらましで、辺野古の工事を中断する一方、
逆に、本土から500人の機動隊を動員して東村高江に、
6カ所の新たなヘリパッドが造られてしまいました。
信州沖縄塾の塾生たちも、幾度も普天間・辺野古・高江に通い続けましたが、
市民に襲いかかる暴力的排除に直接遭遇し、わが国の民主主義がいかに
まやかしであるかを思い知ったといいます。
そして、2016年4月、痛ましい米軍属による女子暴行殺人事件が起きました。
県民の怒りは頂点に達し、抗議集会には8万5千人が駆けつけ、
翁長知事はその集会で、「ウチナーンチュウシェーティナイビランドー」
(沖縄の人々を馬鹿にするな)と、ウチナーグチ(沖縄言葉)で挨拶を結びました。
司法の場の争いでは、同年9月の福岡高裁那覇支部で知事の承認取り消しが退けられ、
12月20日、最高裁第二法廷(鬼丸かおる裁判長)も、県側敗訴を申し渡しました。
最高裁判決に先立つ13日夜、名護市安部海岸にオスプレイが墜落しました。
最高裁はその墜落事故に目をくれることもなく、辺野古新基地建設を容認し、
沖縄県の控訴却下判決文を書いたことになります。
やはり、沖縄は日本国憲法から一番遠い地です。
県民が何度も米軍基地移設反対の意思表示をしても、
ヤマト政府には届かない。
逆に、尖閣列島問題や北朝鮮のミサイル発射問題に絡めて、
与那国島、石垣島、宮古島には、国境防衛に必要であるとして
自衛隊常駐基地を新設する口実に利用しています。
沖縄を取り巻く海は、ますます騒擾の海と化していくでしょう。
多くの国民は、茶の間のテレビに見入りながら、「沖縄には負担かけるけど、
仕方がないわねー」と、他人事のように「沖縄問題」をうわの空で
やり過ごしています。
沖縄が抱えさせられている問題を国民的課題まで引き上げるのは
容易なことではないですが、「組織犯罪処罰法」が成立し、
次は本丸の「日本国憲法」が骨抜きにされ、ヤマト全土が沖縄化します。
「それ見たことか」とゴウグチを浴びせてみたいですが、いやいや、
ウチナーンチュがあきらめると、この国は戦争ができる国にまっしぐらとなります。
◆◆ 埋め立て承認の撤回と、辺野古で座り込む覚悟を
「イデオロギーよりアイデンティテイー」を掲げ、
「オール沖縄会議」が立ち上がりました。
何とわかりやすいスローガンだろうか。
これには多くの日本国民が、沖縄県民の怒りの本気度を知ることになったでしょう。
「あらゆる手段を駆使して辺野古の新基地は造らせない」。
国を相手にする裁判、国連機関での熱気あふれるスピーチ、そして、訪米行脚と、
東奔西走してがんばっておられる知事の行動力に喝采を送りますが、
翁長知事は7月にも、「漁業権が設定された水域で海底の岩石などを壊す作業には
知事の岩礁破砕許可が必要」として、埋め立て工事の中止を求め、
訴訟を起こすと発表し、再度の訪米団を予定しているとも伝えられています。
知事、それが最良の選択肢でしょうか。
今、その時でしょうか?
果実は熟れた時に収穫しなければ、落下して土中に埋もれてしまいます。
たわわに実った果実の収穫地は、今、辺野古にあるのです。
辺野古新基地工事は着々と強行され、ゲート前の市民は機動隊の
暴力的な排除を受けつづけているのに、どうして裁判や訪米に
こだわっておられるか、私には合点がいきません。
あなたは、今、あなたしか切り得ないカードをお持ちです。
それは埋め立て承認後に起きた事業者の重大な違反や問題が起きた事業を理由に
承認を無効にすることです。
私は、あなたの働き方を全批判しているのではありません。
あなたこそ、基地のない平和の島沖縄を取り戻すのに、
ふさわしい最良の知事だとの確信があります。
だからこそ、あなたの行動に疑義が生じた時、
正面から批判することに躊躇してはならない。
それこそが、選び、支持した者の責任だと思うからです。
「オール沖縄会議」の精神軸は揺らいではいないでしょうね。
この組織が機能不全に陥らない限り、わがふるさとの沖縄県民のエネルギーは、
「平和の島」を取り戻す歩みを止めることはないでしょう。
翁長知事殿、今、まさにあなたの正念場です。
アクセルを踏み込む絶好の時なのではないでしょうか。
それは、まず、埋め立て承認の撤回を行い、そして翁長沖縄県知事自身が
辺野古ゲート前で座り込む覚悟のほどを見せ、そこで基地建設反対に
駆けつけている市民に、機動隊員がどのような暴力的排除をしているか、
ご自身の目で確かめることです。
この姿こそが、アメリカ政府や日本政府、沖縄県民、ヤマトの良心的な市民、
そして、沖縄の苦悩に無関心なままのヤマトゥンチュに、
あなたの覚悟のほどを示すことになるのです。
その日が決まり、長野にも知らせが届いたら、私はあらゆる予定を
キャンセルして、辺野古に駆けつけ、あなたと共に座り込みます。
在日ウチナーンチュの私は、遠い信州から、あなたの決断を心待ちにしています。
(『月刊琉球』2017年7・8月合併号掲載)
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