【コラム】
1960年に青春だった!(7)
子どもの珍名、親はどう心得えているのですか。
中学英語の1ページ目は「アイ・アム・トム・ブラウン」でした。昔のことほどよく覚えています。若い英語教師は黒板にチョークで「固有名詞」と書き、トム・ブラウンは固有名詞であると説きました。
固有名詞。おおむね辞書には「特定の事物を指す名称であり、その名の事物一つに限る名詞」と定義してあります。
教師はすぐにその4文字を黒板消しでこすって消しました。彼はJ・J氏[*]を追いかけているインテリでしたから、思うに、いまでいうなら「ヤバイ」と感知したのではないでしょうか。[* 植草甚一]
米国ではトム・ブラウンという固有名詞をもつ男性は都市が一つできるといわれるほどごく平凡な名前。トム・ブラウンも鈴木康之も世の中には掃いて捨てるほどある名前です。
コピーライターの鈴木康之がいます。
スタイリストの鈴木康之さんがいます。
スピーチ研究家の鈴木康之さんがいます。
言語学者の鈴木康之さんがいます。
文章の書き方の本を書いている鈴木康之さんと、べつな鈴木康之とがいます。
本の読み方の本を書いている鈴木康之がいます。
アナウンサーの鈴木康之さんがいます。
ゴルフエチケット研究家の鈴木康之がいます。
眼科医の、消化器外科医の、集中医療科医の、税理士の、信用金庫元理事長の、工学博士でポンプ会社社長の、パワーリフティング選手の、元最高裁判事の、映画俳優で作家の、『「トイレが近い」を解消する本』の、そして大学教授には何人もの鈴木康之さんがいます。
上記中、「さん」なしで呼び付けにしたのはボクのことです。
静岡県には132人もいます。鈴木姓が多い地方であるうえに駿府城城主・徳川家康に因んで「康」を使いたがる親が多いからです。
これらが総じて固有名詞「鈴木康之」の共有クラブです。
人間ドックの朝、鈴木康之が2人いました。看護師やスタッフは笑って、受付順による胸の番号札をつけて呼び分けてくれました。ご丁寧に2番のスズキヤスユキさんと8番のスズキヤスユキさん。でもスズキもヤスユキも無用。
つまり「ツギ2番」「ツヅイテ8番」。なんのことはない、固有名詞などなくてもすむことを教えられたムショ暮らしスタイルの1日でした。
名前を固有度の高い固有名詞にするにはどうしたらいいか。世間を見渡してみると、いま風のものが二つありました。
電子時代の合言葉と、DQNネームです。
電子時代の合言葉とはパスワードです。ちょっとした操作で解読されてしまうので安全度の高い複雑なパスワードが求められます。数字4つの暗証番号などは「危険です」と警告され、変更を薦められます。
記号としての文字を複雑に串だんごにするのが安全な戦術だそうです。たとえば「寿限無寿限無…長久命の長介」の100字や「パブロ・ディエゴ…イ・ピカソ」の106字のように長ったらしくする。ですが、さっと再現できるコピペ能力がボクの頭には備わっていません。
もう一つのDQNネームとは若い子に多いキラキラネームです。ドキュンとは、あまりに凝っていて蔑視される類いのという意味だそうです。
実例に差しさわりがあるといけませんので、ネット上にあるキラキラネームのランキングから書き写してみました。
20実例のうちあなたはいくつ音読みができますか。
男の子の名前実例 女の子の名前実例
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1 男 1 心姫
2 奏夢 2 紅葉
3 愛翔 3 桃花
4 愛羅 4 夢姫
5 一心 5 天音
6 皇帝 6 奈奈
7 翔馬 7 絆琉
8 碧空 8 七音
9 希望 9 純羽
10 心人 10 美音
読みの正解はつぎのとおり、いや、正解とは言い難い珍奇な名前の展覧会。無茶苦茶な当て字と呼んでもいいでしょう。
男の子の名前音読み 女の子の名前音読み
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1 あだむ 1 はあと
2 りずむ 2 めいぷる
3 らぶは 3 ぴんく
4 てぃあら 4 ゆらり
5 ぴゅあ 5 そぷら
6 しいざあ 6 にな
7 ぺがさす 7 ほたる
8 あとむ 8 どれみ
9 きらら 9 てんし
10 はあと 10 めろでぃ
初めて見たとき思わず、ペットの名前じゃあるめーし、と侮蔑感すら込みあげてきました。
DQN=非常識な、反社会的なネームと言われるのも宜なるかな。
有名スポーツ選手の名前にもあります。
結弦(ゆづる・フィギュアスケート)
晶磨(しょうま・フィギュアスケート)
歩夢(あむ・スノーボード)
建英(たけふさ・サッカー)
美宇(みう・卓球)
詩 (うた・柔道)
美誠(みま・卓球)
テレビやラジオなど電波メディアでなければまともには伝わらず、呼んでもらえません。名づけ親が電波メディアの世代だからでしょう。
このあたりを煽っているのが子どもの名づけ本です。ちょっと面白おかしくタイトルをひねればすぐに重版になるそうです。
これらの名づけ本に共通しているのは、いまどきはキラキラネームが新しい時流であると解説し、実例を並べて扇動的なところです。
名づけに使える文字は、常用漢字表と人名用漢字表の合計2,999文字とひらがな、カタカナ、さらに「々」など4つの符号です。
名づけ行政という言葉はありませんが、あるとしてください、日本の名づけ行政はとんでもないザル法になっていて、「読み方はまったく自由」なのです。
「春男」と書いて「なつひこ」と読むことにしてもいい。「大和」と書いて「じゃぱん」とかなふりしても、役所の窓口をパスします。
米国で「BROWN」と書いて「グリーン」と読むことなどありえないでしょう。
この無茶苦茶な名づけ行政がDQNネームを生み出しています。ウミ出しているとダジャレを飛ばしたくなるほど病的、非常識、反社会的、非人間的です。
「読めなくてもいいです」という身勝手な名づけなのですから。
社会の迷惑です。幼稚園や学校の先生方がどれほど神経を使い、苦労を強いられているでしょうか。うっかり呼び間違えでもしようものならモンスターペアレントに噛みつかれる。
役所の迷惑です。通知郵便の宛名書きでキーボード入力しても変換されないのは当たり前です。申請書類などのふりがな欄を確認する職員たちの手間や緊張が全国規模で作業効率をどれほど邪魔しているでしょうか。
経済の迷惑。企業内においても同じような煩雑さが災いしていることは想像するに難くありません。誤読によるディスコミュニケーションや行き違いのトラブルが経済活動にどれほどの支障をきたしているでしょうか。
そしてなによりも大問題は、当の子どもが背負わされる迷惑です。
ことあるごとに「なんて読むの?」「どういう字書くの?」と聞かれて答える煩わしさが子どもの日常生活についてまわります。
当然のこと、本人のソサエティでのイジメの誘発要因になっています。
「いいね」「ステキじゃん」といわれることもあるかもしれませんが、「ふーん」「かわってるね」と呆れられるほうが多いのは明々白々。
こうした先々のことをいい大人の親がどうして想像できないのでしょうか。
文学的素養が豊かとはいえない野暮男でも、自分が父親になると思うとふくらんだ妻の腹に耳をあてたりして、詩人になってしまうのですか。
子は早晩、自分の名前を「嘘だ」と感じはじめます。かといって、親を「嘘つき」呼ばわりすることもできず、屈折した情念は腹の底に溜まります。
やがて改名申請用紙に2,000円ほどの手数料を添えて役所の窓口へ出しに行こうと、それができる15歳の誕生日を心待ちにします。
不憫です、どこかあのグリムの、おぞましい昔話に似ていて。
(元コピーライター)
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