【コラム】『論語』のわき道(42)

孔子が見た北極星

竹本 泰則

 国立天文台を訪ねました。ここには「4D2Uドームシアター」と銘打ったプラネタリウムがあります。特殊な眼鏡を通して見るのですが、直径10メートルのドーム型のスクリーンに映し出される星空の立体映像を楽しむことができます。
 とてつもなく数が多いことをたとえて「星の数ほど」といいますが、太陽系が属している銀河系だけに限っても、2千億個くらいの星があるだろうと想像されているそうです。
 星は地球から見る明るさによってランク付けされ、一番明るいのが1等星、肉眼で見えるぎりぎりの明るさをもつものが6等星だそうです。1等星の数は現在21個、1等星から6等星まで合計すると約8600個になるといいます。理屈の上からは、条件さえよければ半数の4300個もの星を見ることができるということになります(地平線から下に隠れる星は見ることができませんから、見ることができる数は半分)。しかし、東京のような大都会では実際に見えるのは2等星くらいまで、数でいえば100個程度にとどまるそうです。地方都市でも4等星くらいまでしか見えないといいます。現代の生活は星の数まで減らしているということでしょう。

 大昔、ひとの活動は太陽の光がある間に限られ、夜は休息の時間であったはずです。今からおよそ二千五百年前の人、孔子の生活もそうだったでしょう。かの時代にはまだろうそく(蝋燭)すらなく、照明といえば油を燃やして光を得るのが精々だったようです。そのかわり晴れた夜空にはあふれるばかりに星たちが輝いていたはずです。人為の光はありません。黄砂などの季節は別として大気中の埃も少なく、しかも人々は現代人に比べて視力がよかったと想像されます。孔子は4千個を超える星が満天にきらめく景色を眺めていたかもしれません。孔子が住んでいた「北中国の空は、湿気の多い日本とちがって、よるの星空は、すぐそこに、美しいカーテンをひろげたようにひろがっている。かつそれは星の位置によって、いまはいかなる季節であるかを知るという実用のための存在でもあった。(中略)天文学は、古代の中国において、もっとも早く発達した自然科学であった」のだそうです(引用は吉川幸次郎:『論語』)。
 意外なことに、『論語』には「星」の字がただの一回しか出てきません。いかに美しくとも、ほとんど毎晩のように見ていては特別の感激はないのかもしれません。
 唯一「星」が現れる章句は次のようなものです。

 政を為(な)すに徳を以てすれば、譬(たと)えば北辰(ほくしん)の其の所に居て、
 衆星(しゅうせい)の之に共(きょう)するが如し

 政は、ひとによって「せい」と読んだり「まつりごと」と読んだりしていますが、何れにしても現代語でいえば政治でしょう。北辰は一般に北極星であるとされています。衆星はたくさんの星。「共する」は決定的な読み方がかたまっていないようです。もろもろの星たちが共同する、共を拱(昔の中国の人がやっていた、両手を胸の前に重ね合わせてする挨拶)に通じさせておじぎをする、「むかう」(顔を向ける)などの解釈があります。岩波文庫の『論語』や吉川幸次郎などはおじぎを採っています。敬意を表す、従うといったニュアンスのように思われます。
 意味を追ってみますと、道徳による政治とは、たとえて言えば、北極星という不動の中心があって、それに多くの星たちが「共している」ように、道徳を体現する為政者を中心として、その徳を慕う人々が整然とその為政に従うといったあり方だ……そんな風に読めます。道徳が揺らぐことなく中心にある、つまり指導者が道徳に基づいて政治をつかさどるならば、人々はそれに対して敬意を払い、秩序は乱れることもなく万事が順調に進行していくとした何ともおおらかな思想であろうと解しています。

 この章を読むとき思い浮かぶ画像があります。雲の無い夜、カメラを天の北極に向けてシャッターを開放したままの状態でとった写真です。中心点の周りをいくつかの星の動いた跡が同心円を描いています。一番真ん中近くにあるのが北極星でしょう。こぐま座という星座を作る星の一つでポラリスという名前だそうです。
 むかし、北極星は北の方位をしる目安であった。さらに言えば、北極星を含めて星(恒星)は天空の決まった位置から動くことはない、だから太古の昔の人々がいくつかの星をつないで動物やら物の形になぞらえた星座が現在でも変わらずにあるのだ……そのように思い込んでいました。
 この誤解をただしてくれたのが『孔子の見た星空』という本(1997年出版)です。著者は福島久雄という人。この人は明治43年(1910年)の生まれで、現在の北海道大学の物理学の先生であったようです。
 この本によると、地球は1日に1回転(自転)していますが、その回転軸(北極点と南極点を結ぶ線)は意外な動きをするそうです。コマを回すと、軸はコマと一体で回りますが、このとき軸はじっと直立しているのではなく、ゆっくりと別の回転運動をします。地球の軸もこれと同じような動きをするらしいのです(この地軸の動きを専門的には「歳差運動」というようです)。一回りする周期はおよそ25,800年という気の遠くなるような長さです。その結果、不動の星も地球から見た位置は長い年月が経つと移動したように見えるというのです。
 福島久雄氏は孔子の時代の北天の様子をコンピュータで再現して解説しています。そして「北極点に星はないばかりか、その周辺を見てもおよそ顕著な星はない。今の北極星は(中略)遥か彼方である。孔子の見た北天には『北極星』と呼ぶような星はなかった」と指摘したうえで、孔子の言う北辰とは北極星ではなく、天の北極と解すべきであると主張しています。
 このことをいつ頃発表したのか、この人以外にもこうしたことを言う人がいたのかなどは寡聞のためにわかりません。ただ、現在のインターネット上には福島説に異を唱える論述が見られます。
 天文に疎いため正確に理解できているか自信はありませんが、それらの論旨を追ってみます。
 まず、福島氏の使用した図は5等星以上の明るさの星を表示したものである。この図に依ったのは、北極星は明るく輝く星であるという認識があってのことであろう。しかし、それは単なる思い込みであり、北極星を特定する条件ではない。孔子の時代の北天の中心部には6.0等の明るさをもつ星が存在する(専門的には、星に番号のようなものをつけて特定するようですが、それに従えば「HR4927」という星)。この時代には屋外照明などないから、この星は苦もなく見られたはずである……このようにまとめられそうです。

 夜空の星は「歳差」の運動によってわずかづつ移動しており、孔子が見ていた北天の星座と現代のそれとは違っていること。そして、孔子の時代の天の北極近くには明るく輝く星はなかったが、現在「HR4927」と呼ぶ6.0等の星が、今の北極星よりもっと中心近くにまたたいていたこと……こうしたことは新鮮な驚きでありました。

 くだんの『論語』の章句について「道徳による政治が、いかに優れているかを、比喩によって説いた」ものだと解説する吉川幸次郎は、福島久雄より6歳ほど年かさで同時代の人です。福島説を知っていたかどうかはわかりませんが、こんなことを言っています(1950年代半ば)。
 「北辰というのは、北極星ではなく、北極星にごく近い一点、つまり現在の天文学でいう北極であり(中略)そこには、星があるわけではない部分だ、という説は、こまか過ぎて、比喩の美しさを破壊するであろう」
 この章句に「美しさ」を感じることを含めて、この主張にはいたく同感であります。天文学の論文ではありません。北極星が天の北極に寸分の狂いもなく重なるかどうかなど、どうでもいいのです。夜空をずっと見上げていると、年中同じところにあって動かないように見える星、それが北極星でしょう。孔子の言う北辰は北極星であり、孔子は北極星を見ていたのです。その星を今の天文学の世界で何と呼ぶかは別として。

(2022.11.20)
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