≪連載≫風と土のカルテ(5)
学びほぐすこと
世界を創造していくのは専門家である、と私たちは考えている。
果たしてそうなのか。世界に私は関わっていないのか。
専門家が専門家であるがために抱える偏向は、インバランスな社会をもたらす危険性もはらんでいる。専門を学び、学び捨て、学びほぐし、「上から目線」を「下から」に変えていくために、色平哲郎医師は医者の卵を山村へ招き、アジアへと送り出す。
若い学生たちが出会う現実は、自分はなぜ医者を目指すのか、自分のアイデンティティは何か、といった問いとともに、自分という存在に気付きを与えてくれる。
自ら生みだしている壁を外せるか、「敵」と共存できるか、患者を人として診(み)ることができるか。開かれた社会に必要な「unlearn(アンラーン)」と
「understand(アンダースタンド)」という人間の叡智(えいち)について考える。
◆「患者」ではなく「人」として
医療関係者の新しいチャレンジ『ペコロスの母に会いに行く』というコミックをご存じでしょうか? 認知症を発症後、脳こうそくで倒れ、グループホームで生活している母親に主人公ペコロスが会いに行く、長崎が舞台のお話です。ペコロスの母親には幻聴や幻覚が見られ、亡くなった夫と懐かしそうにニコニコしながら話をしたり、手を撫(な)でてもらったり、励ましてもらったりしています。その様子が息子の慈しみに満ちた視点で描かれていました。
私は長野県の佐久市にある佐久総合病院の地域医療部に勤めているので、認知症の方ともお会いしますし、認知症とは何かということに日々直面せざるを得ません。
厚生労働省のホームページには、「認知症とは、いろいろな原因で脳の細胞が死んでしまったり、働きが悪くなったためにさまざまな障害が起こり、生活するうえで支障が出ている状態(およそ六カ月以上継続)を指します」とあります。
ペコロスの母の幻聴や幻覚もきっと厚労省の言う「障害」や「生活するうえでの支障」ということになるのでしょう。でも、私はそれを一概に否定するわけにはいかないのではないか、切り捨ててはいけないものなのではないかと思います。それは、非認知症者の側からの見方であって、認知症の人は、非認知症者の側からは見えない現実を生きているのかもしれないからです。
「病気にかかっている」という先入観から、医者や看護師は目の前の人を認知症の「人」としてではなく、認知症の「患者」として考えてしまいがちです。「人」として捉(とら)えようとすることは、私たちにとって一つの大きなチャレンジだと思います。
中でも最も大きなチャレンジは重症心身障害児に対してです。重症心身障害児は、重度の肢体不自由や知的障害があるため、横になったまま全く言葉も発せません。寝返りさえ打てない子もいます。そういう重症心身障害児を生んだお母さんたちについての文章があります。今から六十年以上前の言葉なので部分的に表現に問題がありますが、紹介します。
「白痴の子を生んだ母親が深い悲しみの中にありながらもその子を抱きしめて、その命を絶対肯定しているようなそのような母性愛が教育の根底に横たわっている。しかし、この母親は、その白痴の子が成長して生活や行動のうえに表れる一歩一歩の向上を無限の喜びをもって見守るであろう。白痴が白痴として絶対肯定されながら同時に無限の向上を目指して社会的な営みを積み上げられる姿が教育の本質的な構造である。
親と子、教師と子どもがその深い命の共感に基づいてともどもに命を分かち合うまでの気持ちにおいて結ばれる姿である。それを運命共同体と呼ぼう」
これは終戦直後の昭和二十一年に滋賀県で戦災孤児や障害者たちのための施設である近江(おうみ)学園をつくった糸賀一雄(いとがかずお)さんが書いた文です。
昭和二十六年には昭和天皇も訪ねている彼が創った施設からのちに重症心身障害児の施設であるびわこ学園が設立されました。
糸賀さんの有名な言葉に「この子らを(・)世の光に(・)」というものがあります。通常なら「この子らに(・)世の光を(・)」だと思うのですが、彼は違いました。糸賀さんは障害者福祉の「日本の先駆者」と言われ、障害のあるなしに関わらず「人」として接することができるかどうかという難しいチャレンジに取り組んだ方ですが、私たち医者や看護師の場合も長く捉えてきた「患者さん」としてではなく、「人」として接することができるかどうかが試されています。
◆オーバースタンドからアンダースタンドへ
その鍵は「unlearn(アンラーン)」! 「understand(理解する)」という単語の語源は、「under(下に)」「stand(立つ)」という意味になります。「オーバースタンド」の逆です。
オーバースタンドは上から目線、アンダースタンドは下から目線で理解するということだと思います。つまり、相手を理解することは相手の下に立つこと。教師ならば、できない生徒の下に立つ。政治家なら、ホームレスの気持ちを自分のことのように感じること。それ以外を「理解」とは言わない。
医者や教師はついオーバースタンドになりがちです。こちらが相手を決めると思い込んでいる。認知症であるとか、外国人であるとか、相手のある属性だけを取り出して、だから何々だと決めつけてしまいがちです。このオーバースタンドの感覚を乗り越えようとしたのが糸賀一雄さんだったのだろうと思います。
糸賀さんは数奇な運命を送った方で、二十六歳で滋賀県庁に拾われて、翌年には幹部になっています。昭和十五年頃の話ですから、戦争になるかならないかという時期ですが、内務省から派遣された近藤壌太郎(じょうたろう)という官選知事が彼を秘書課長に抜擢して県の中枢に座らせました。糸賀さんがやらざるを得なかった仕事のひとつは滋賀県民に赤紙を送る兵事係でした。実際に彼から赤紙を受け取り、戦地へ行った人もたくさんいます。のちに、近江学園での「愛と共感」の教育が始まるまでの数年間、彼はとんでもないところを潜っていたのです。
戦後、みんなその日生きるだけで必死な時代に、何の生産性もないような障害のある子どもたちにお金をかけることはなかなか認められないことです。それでも「ここにいる子どもたちは素晴らしい」と言い続け、何とか資金を工面していたようです。「素晴らしい」と言った子どもは実際はおむつを替えるときに自分で腰を上げることもできなかったのです。秋田から集団就職で出てきた職員の若い女性たちも二年もするとみんな燃え尽きてやめていったそうです。それでも糸賀さんは信念を曲げなかった。
糸賀さんが亡くなったときには、今のお金の価値で言うと数十億円という借金が残っていたと言います。子どもたちを食べさせるために、本当に力を尽くした方だったのです。障害の有無にかかわらず、「人」として接した糸賀さんのチャレンジから考えると、キーワードは「unlearn(アンラーン)」という言葉ではないでしょうか。
unlearn は不思議な英単語で、学び捨てる、学びほぐすと訳すようです。学んだことをもう一度ふるいにかけるというような感じです。固定観念を捨てる、と言い換えることができるかもしれません。これは、鶴見俊輔(つるみしゅんすけ)さんが若い頃、ニューヨークで会ったヘレン・ケラーから学んだビジョンです。
「戦前、私はニューヨークでヘレン・ケラーに会った。私が大学生であることを知ると、『私は大学でたくさんのことを学んだが、そのあとたくさん学びほぐさなければならなかった』と言った。学び(learm)、後に学びほぐす(unlearn)。Unlearn という言葉は初めて聞いたが、意味は分かった。型どおりにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して自分の体に合わせて編み直すという情景が想像された」そう鶴見さんは語っています。
私は日ごろ医学部の学生など、若い人に接する機会が多いのですが、彼らに必要なのは unlearn だと思います。「患者」ではなく「人」として見られるようになる鍵(かぎ)も unlearn にあるのかもしれません。病気かそうでないかにかかわらず、人にはそれぞれできることとできないこと、得手不得手があります。その前提が分かっていれば「病気」ではあっても「患者」ではなく、「人」として接することができるのではないでしょうか。
そして、そこには「平らな関係」が立ち上がってきます。
私が尊敬する宮澤保夫さんが創設された星槎(せいさ)学園は、今では話題に上ることも珍しくなくなった学習障害や自らをうまく表現できない「不器用な子どもたち」のための学校としていち早く設立されました。この学校はまさに unlearn を実践されているのだと感じます。
星槎という名前の由来は、ある若者が鎖国をしていた祖国を飛び出して、知識と見聞を得るために諸国を回り、のちにその経験を活かして自分の国を救ったという昔話に加えて、中国古来より「海の中から現れたいかだが天空を旅をした」という伝説が結びついた「星槎」(槎=いかだの意味)という言葉から取ったと言います。生徒を個々の木にたとえて、それぞれの木が結びついていかだとなり、いかだが強く結びついて大きな船となって、「星(希望)」を目指して共に進んでいけるようにという願いも込められています。
星槎学園には三つのモットーが掲げられています。「人を認める、人を排除しない、仲間をつくる」。人を認めるのは簡単なことのようで難しい。うまく表現ができない、こんなことを言っては笑われるかもしれない、自分の考えは間違っているかもしれない、そう考えてためらうのは「正解を求め過ぎる」ところに原因があるからですが、必要なのは、ただ君自身のことを淡々と語ってほしいという姿勢を示すことです。星槎学園では人を排除しないというモットーに従って、みんなの意見をいったんは受け止めます。
子どもたちは表現方法がよく分からないだけで、いいものを持っている。だから、自分を信じて気楽に話してごらんという教育なのです。
例えば、表現のトレーニングとして、一カ月間で関心を惹(ひ)いた新聞記事について一人ひとり話し、ディスカッションをするということを行っていく。すると「私の名前は○○で、どこの出身で、、、」と直接自分について話すのでなくとも、新聞記事を通じて自分がどういうことに関心を持っている人間であるかを紹介できるわけです。三、四十分もすれば全員に回ってしまって仲間になれる。聴いていた人から来る反応で、自分とは違う見方があることの理解に繋(つな)がります。すると、この記事について彼や彼女はどんな反応を返してきてくれるだろうか?と、他者の感じ方までを想像し考えるようになります。
インターパーソナル(人と人との間)にこそ学びが存在するのであって、自分だけ知識を貯(た)め込もうとしたり、あるいは自分だけが正解を知っているとか、抜け駆けしてうまく立ち回れば得だとか、そういう考えがなくなってくる。つまり、お互いにお互いを否定しないという約束事があるからこそ unlearn が成り立つのです。
◆バングラデシュの子どもに気付きをもらった大学生
処刑される獄中で囚人たちに日々講義を行っていた吉田松陰(しょういん)などもそうかもしれませんが、虚心坦懐(きょしんたんかい)、先入観を捨てて肚(はら)を割って話せば通じるのではないかという姿勢こそが大事です。肚を割ったときに何もなくては話になりませんから、自分の座標軸は何か? 原点は何か? アイデンティティは何か? ということを常に自分に問わざるを得なくなりましょう。
その肚の中をお互いに出し合う場、それは星槎学園のほかにもあります。北海道浦河町(うらかわちょう)にある精神障害者施設「べてるの家」からは「安心してサボれる会社づくり」「弱さを絆(きずな)に」「利益のないところを大切に」「上る人生から下りる人生へ」「公私混同大歓迎」「差別偏見大歓迎」など、とても興味深い「べてる語録」が次々に生まれていて、表現そのものがすでに unlearn であって、アートです。
苦しみを乗り越えた中にある彼らの自己表現に学ぶところが少なくありません。
私が医学生たちを村のお年寄りのところへ行ってもらって、農作業や機織(はたお)り、炭焼きを実習させていただくようにしているのは、知識を詰め込んだ医学生たちの医師頭(石アタマ)をふるいにかけて、unlearn にしたところで自分の座標軸、アイデンティティを自らに問うていただきたいからです。そして、次にはバングラデシュやフィリピンを訪問していただきます。この十五年間で村に来てくれた約二千人の学生たちのうち、二百人以上は海外に、その半数はバングラデシュへ行っています。
向こうへ行けば、水の大切さや、人口の〇・七パーセントしかいない少数派の仏教徒の孤児院が周りのイスラム教徒に圧迫されていることなどもひしひしと感じます。
子どもたちは飢えているわけではありませんが、食料品に偏りがあるために手足は細く、栄養が行き届いていないという現実を医学生、看護学生たちは目の当たりにします。
点滴や薬や入院のような医療行為以前に、安全や水や栄養といった、私たちにとって生きていくために当たり前の前提がバングラデシュでは決して当たり前ではないことを知ります。そして、平和であること、差別や抑圧、排除がないという条件が整って初めて今の日本のような在り方が成立することに気付くのです。
二、三本しかない鉛筆を大事に使いながら、必死に勉強をしているバングラデシュの子どもたちに出会った医学生や看護学生たちは、帰国するなり口々に言います。
「山の中でみんなものすごく勉強を頑張っていた」「偉いです!」「また子どもたちに会いに行きたいです」と。そして、次回、子どもたちに会ったときのためにもっとちゃんと英会話や日本について勉強しようと自らにハッパがかかります。歯がゆい思いをしたからかもしれません。日本のことを海外の子どもたちに伝えるべく、学生たちにも火が付くというわけです。
日本にいるときはテレビを通じた情報などで、往々にしてオーバースタンドな姿勢になりがちな学生が、海外に行ってみて、現実とのぶつかりの経験を通じてアンダースタンドに転換させてもらえることがあります。友だちになってみると向こうの人のほうがよっぽど人生を楽しんでいることに気付いたりもするわけです。自分はこのままでいいのか? 日本はこのままでいいのか? という疑問も湧(わ)いてきます。そういう気付きを贈ってくれるのが、認知症や重度心身障害や精神障害と呼ばれる人たちだったり、決して豊かではない国々の子どもたちだったりするのです。
◆ファシズムを生むのは
専門性への偏向と教養の軽視そうした気付きや、人間としていかに生きるかということを究極的に示したものの一つが、フランスの哲学者でユダヤ人のエマニュエル・レヴィナス(一九〇六~一九五五)の次の言葉であろうと思います。「世界を創造した神がなすべき仕事を、自らの責務として担うことができるような被造物が存在するという事実以上に、神の素晴らしさと全能性を証明する事実が在り得るだろうか」。これは、神のいないところで自ら努力する人たちがいて初めて神に至る道もあるかもしれないという意味に展開されます。そして、さらに、神を信ずる者だけが神の不在に耐えることができるのだという主体的な精神をもたらします。
私たちは宇宙や地球、世界や歴史など、「神」と呼ばれる者が創ったものに対し、畏(おそ)れを抱き、時に平伏してしまいます。でも、平伏しているだけではいけないのです。宇宙の神秘をつくりあげた「神」とも表現すべき超越的なものが素晴らしいと言うのならば、われわれはそれにつくられたのだから、たとえ素晴らしくない人間でも神と同じようなことに取り組む努力を実演してみせるぐらいの志を立ててみたいものだ。
これが、ユダヤの人々が到達した境地です。
ユダヤ人がこの境地に至るまでには、シオニズム(パレスチナに故郷を再建すること、ユダヤ文化のルネサンスを興すこと)を乗り越え、ドイツ・ナチスから受けた数百万人と言われる大量虐殺・ホロコーストという過酷な歴史を乗り越え、ソロモンの時代から数えて三千年もかかっています。
英訳するならば「No God, but the God」と表せる言い方があります。これは、紀元前十四世紀の古代エジプト時代の太陽神に関する表現で、後に一神教に共通した認識となります。逆説的ですが、「神はいない」から始まるこの言葉が信仰告白として使われています。インド世界、中国世界、そして日本以外のほとんどの世界では、この認識が広まっています。
「神」に対して「人間」という被造物の歴史は、闘争によって生み出された主奴関係に始まるというのがヘーゲル(一七七〇~一八三一)の理解です。主人は主人であることに甘んじて、周りからのサービスを受け取りながらたらたらと生きている。奴隷は不本意でも農作業や家事などの労働をしているので、そのうちに世界が見えるようになると言うのです。
「最初の人間」は闘争で勝ち負けが決まったように見えているけれども、長丁場で見ると奴隷のほうが弁証法的に上になるのだとヘーゲルは考えました。ローマに征服されたギリシャが学芸的には逆征服してしまうという
ローマとギリシャの関係、ヘブライをつぶしたローマが最終的にはキリスト教という形でヘブライズムに乗っ取られていくのもその表れでしょうか。
労働は人を陶冶(とうや)するというヘーゲルに対して「世の中そんなに甘いものではないですよ」と異を唱えたのがマルクス(一八一八~八三)でした。マルクスは、労働は自己疎外をもたらし、自らをばかにするような人間たちを育ててしまうと言いました。
その後、ニーチェが「最後の人間」を提唱します。日本的に言えば「まったりとした人」という感じでしょうか。食べるのに困らないのなら別に働かなくてもいいし、子どもも奥さんもいらないから結婚などしなくてもいいというような、他人との競争を嫌い、まったりした現状に満足し尽くした人をニーチェは「最後の人間」と呼びました。
ところが、人間の歴史はそこで終わりではなかった。オルテガが言ったファシズムです。
オルテガの時代、「義務を知ることなく権利のみを主張し、平準化を根拠に自己の要求を他にも強要し、それを暴力的に押し通そうとする人間類型、つまり今日の支配階級ともいえるテクノクラート、すなわち医者、技術者、財政家、教師、科学者などの専門家」がファシズムをもたらしつつありました。「全体的な視野を持たず、他人の言葉に耳を傾けない専門家の傲慢(ごうまん)さ」、つまり、申し上げましたオーバースタンドの立ち位置からファシズムがもたらされると書いています。
原因として、「専門家を養成する大学での『研究』なるものへの過度の偏向と教養教育の軽視」をオルテガは挙げています。ここで言う教養とは何かと考えると、やはり unlearn、「専門家」になりきらない、ということだと思います。アンダースタンドの立ち位置が取れるか、自分がオーバースタンドになっていないかをチェックできるかどうか、かもしれません。
自分が何かの思い込みに陥っていないかのチェックをするというのは自分一人では無理でしょうから、仲間とお互いがチェックし合えるような関係性を目指すことが大事なのだと思います。
加藤周一の言葉を思い出します。
「私は血液学の専門家から文学の専門家になったのではない。専門の領域を変えたのではなく、専門化を廃したのである。そしてひそかに非専門化の専門家になろうと志していた」。
◆何が勝ち負けなのか問われる規範と認知
そのオルテガは、求められるリーダー像についても言及しています。「敵とともに生きることができるのがリーダー」、必要なのは「反対者とともに統治できる能力」だと言う。
こうも言っています。「敵、それも弱い敵と共存する決意を宣言できる、それが自由主義者だ」。弱い敵でさえ、つぶさずに共存しようとする姿勢は、上から目線の専門家的理解を押し付けるファシストの真逆です。
彼は自由主義について「人間という種族が、これほど美しい、これほど逆説的な、これほど優雅な、これほど軽業に似た、これほど反自然的なことを思い付いたとは信じがたいことだ」と言います。学力的にあまり自信を持っていない人であっても、むしろ学力的に自信を持っていないからこそ、正論を押し付けない、「敵」と共存するあり方を見出(みいだ)すことができるのだ、と言い換えたほうがよいのかもしれません。
ちなみにマルティン・ルーサー・キング・ジュニア(一九二九~六八)は、「歴史にはこう記されるだろう。この変革の時代において、最も悲劇的であったのは、悪人たちの辛辣(しんらつ)な言葉や暴力ではなく、善人たちの恐ろしいまでの沈黙と無関心であった」と言っています。
マハートマ・ガンディーは、もう少しひねって、植民地支配の大英帝国を意識し、「君のすることはほとんど無意味だが、それでもしなければいけない。なぜなら、それは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためだからだ」と言っています。
そして「重要なのは行為そのものであって結果ではない。行為が実を結ぶかどうかは自分の力でどうなるものでもない。生きているうちにも分かるとは限らない。ただ正しいと信ずることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ」と。つまり、事を起こせということ。
さらに「もし、誤りをおかす自由が含まれていないなら、自由に価値はない」とさえ言います。これは〝愚行権〟と名付けられています。失敗しても構わない、やってみなさい、その価値があるのだということ。そして最後に、「明日死ぬと思って生きよ、永遠に生きると思って学べ」と締めくくっています。
ファシストと自由主義者とを比較すると、目の前ではファシストのほうが強いのです。
カール・ポパー(一九〇二~九四)の『開かれた社会とその敵』には、開かれた社会は、その定義に則(のっと)って、忍び寄ってきて自由を圧殺するような敵をも野放しにしてしまうのではないか、と危惧させられる内容があります。自由を圧殺する「自由の敵」に対してさえも、ともにあろうとする寛容な作法を保ち続けるのが自由主義。ですから自由主義者はファシストが意図を隠して忍び寄ってきた場合、目の前では負けてしまう。
しかし、二〇一一年に八十人近くの死亡者を出した悲劇的な連続テロ事件が起こったノルウェーでのような処し方もあります。ドキュメンタリー映画監督でノンフィクション作家でもある森達也さんは、大阪にいる十九歳のノルウェー出身の女性が書いた、母国のウートイヤ島で起きたテロリストによる銃乱射事件についての文をインターネットで公開しています。
彼女はノルウェーに死刑制度がないことを誇りに思っています。死刑を行っている国は「殺人で問題が解決する」ということをその国の国民全てにメッセージとして送っていることになるからだと語っています。そして、もしウートイヤ島の若者たちを攻撃したテロリストが、この価値観を脅かそうとしたら、憎しみで応(こた)えてはならない、自分たちは共に手をとることで応えることを望みます、と。
さらに、被害者の母親の一人は、インタビューで「一人の人間がこれだけ憎しみを見せることができたのです。一人の人間がそれほど愛を見せることもできるはずです」と語っていたと言っています。私たちが unlearn すべきものがここにもあると思います。
最後に、ニクラス・ルーマン(一九二七~九八)というドイツの哲学者による、直近の今後を占う「予期類型」なるものを二つに区分する、という考えをご紹介したいと思います。
ルーマンはそれぞれをコグニティブ(cognitive)、ノーマティブ(normative)と表現しました。コグニティブとは認知ですから、周囲をきちんと観察したうえで今後どうなるかを予測してみようとする認知的予期類型。周囲を精密に客観視し、科学的な観察を重んじた知の体系であるという意味でアリストテレス的とも言えることでしょう。
一方、ノーマティブとは規範ですから、こうあるべきというルールや善悪の基準を重んじ、ものごとを主体的に判定し予測しようとする規範的予期類型。こちらは、「こうあるべきだ」と言い切ってみせたプラトンの哲学思想を想起させる感覚でしょうか。
規範的予期類型に入りそうなのが、ルールそのものである司法の分野やメディアの分野。最初にオーバースタンドの話をしましたが、自らの規範に合致しているか否かによって「良い」とか「悪い」と言って決め付けることになるわけです。認知的予期類型に入りそうなのが、航空機の操縦などを含む安全工学の分野や医療の分野。こちらは、周囲の「他者」を取材し、事物を観察したうえで取り組むため、謙虚たらざるを得ないアンダースタンドの立場を貫くことになります。自分の願いや信念とは独立して、物事が本当のところでどう動いているかを我慢して認め、かつ観察し続けなければならない。
どちらが好きか嫌いかというより、どちらを選び取るとより安全な近未来を正しく予測し得て、今後の運営により安心してあたることができるかということでしょう。二つの予期類型の間でバランスを取りながら、今後の世界の動きを見抜いていけるかどうか、、これは、「患者」ではなく「人」として接する姿勢やあり方へと通じる鍵になると感じています。
(筆者は佐久総合病院医師)
※この原稿は「MOKU」2014年6月号から著書の許諾を得て加筆掲載したものですが文責は編集部にあります。