■海外論潮短評(6) 初岡 昌一郎
安い食糧の時代終わる
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ロンドンの週刊誌『エコノミスト』2007年12月8日号は、論説欄のトップで
「エンド・オブ・チープ・フ-ド」が重大な国際問題になりつつあると指摘して
いる。この雑誌では、先頭の論説を同じ号の特集的解説記事によりフォローする
のが通例で、本号でも主要な記事の一つが「食糧価格」についてブリーフィング
で詳論している。新年早々明るい話題でないのは気がひけるものの、オイル急騰
に続いて食品がすでに急上昇する動きが顕在化しており、今後さらに問題がクロ
ーズアップされると見られるので、それを紹介する。
食糧とオイルの急騰はいずれも一時的特殊的要因に左右されているが、基本的
には構造的要因によるものである。したがって、今後の庶民生活を長期的にわた
って直撃しそうだ。富裕層や中流家庭の家計支出に占める食費の割合は、現在あ
まり高くないので、これまでのところジャーナリズムではそれほど騒がれてこな
かった。しかし、とおからず、食糧高騰が日常品物価全般の引き金となり、低所
得層や年金生活者をまず困窮させるだろう。国際的にみると状況は容易ならざる
ものである。特に、20億人にのぼる貧困層にとって、食糧急騰はオイル価格にも
まして深刻な悲劇的状況と飢餓の深刻化を招く。
「エコノミスト」は、食糧価格の高騰は多くの人にとって脅威となるが、その
反面で巨大な可能性を生かすチャンスを世界的に提供するプラス面もあると見る。
まず、論説の要旨を要約し、その後にブリーフィングのなかから注目点のいくつ
かをピックアップしてみる。
■穀物価格急騰の原因
これまで長期にわたり食糧価格が下がり、農業が低落する時代が続いてきた。
1974年から2005年までの30年間に世界市場での食糧価格は実質25%低下した。
ところが、今春より流れが変わって小麦の価格は二倍となり、大豆、トウモロコシ、
ミルクなど主要食品の値上がりもピークに達した。特に、2005年以降、卸売り食
糧価格は実質で75%も上昇した。
農民はこれを受けて投資を増やし、増産するだろうが、この食糧価格高騰(アグ
フレーシヨン)は続く見通しだ。それは、新興経済諸国における購買力増とそれ
に伴う食生活の変化という、構造的な要因に裏付けられている。1985年に20キロ
の肉を食していた中国人が、今年は50キロを消費する。これが穀物需要を押しあげ
ている。食肉の生産には多量の穀物が投入され、牛肉1キロを生産するのに穀物8
キロを、豚肉は4キロを必要とする。
穀物急騰のもう一つの要因は、アメリカの無謀なエタノール生産にたいする
補助金ばら撒きにある。バイオ燃料の生産に、今年は記録的な出来高を記録したト
ウモロコシ生産の3分の1が使われた。政府の補助金を目当てに、農民は小麦から
トウモロコシへと生産をシフトしている。そのために麦の作付けが減り、品薄予想
から小麦粉の値段が跳ね上がった。この価格急変が巨大なプラスと巨大なマイナス
の可能性をもたらす。
食品高騰は、消費者、特に開発途上国の低所得層の家計を窮乏させる。他方
で、農業と農民はその努力が報われ、新しい機会をつかむことができる。食品の価
格は需要と供給の基本的なパターンに支配されるが、善悪のバランスは政府の政策
によって左右される。
先進国における過去一世紀の農業政策は、一方で膨大なコストのかかる補助
金を出し、他方で関税によって国内生産者を保護することにあった。こうして無駄
な高コスト生産を維持し、食糧価格を低く維持することで安い食品と無駄な消費を
助長してきた。そのうえ、アメリカなどの先進国は余剰農産物を援助に回して、途
上国の農業を破壊してきた。農産物保護にもかかわらず、多数の農民の所得は増え
ず、離農者を増やした。農業は衰退産業とみなされ、その対策として大規模化によ
る効率促進が図られた。アグフレーションによって、こうした政策はパロディ(滑
稽なもの)となっている
過去数十年にわたる政策的食糧低価格が農業を荒廃させた。特に、開発途上
国では1980年以来農業に対する公的支出が半減した。かつて食糧を輸出していた
途上国の多くがいまや輸入国となっている。世界銀行によると、先進国が補助金を
廃止して、農産物を自由化すると、多くの産品の価格が是正され、途上国はこのチ
ャンスを生かすことができる。世銀は、工業よりも農業の生産性をあげることのほ
うが、3倍以上の効果を貧しい農民にもたらすという。世界の貧困層の4分の3が
途上国の農村に住んでいるので、農業の復興は貧困解消の決め手となりうる。
高食糧価格の貧困に与えるインパクトには二面性がある。生産者にはプラス
だが、消費者の側ではマイナスだ。補助金による低価格政策は価格形成をゆがめ、
長期的に大きな弊害をもたらす。そのような政策は緊急避難で、かつ貧困者だけを
対象に限るべきであろう。食品自体への補助金ではなく、低所得者の所得引き上げ
と所得補助を政策の柱とすべきである。
■ブリーフィング―もはや安くならない食糧
普通、食糧高騰は不作による品薄によって引き起こされる。ところが、今年
は旱魃のオーストラリアなど一部の国で凶作であったけれども、穀類は昨年よりも
8,900万トン多い収穫高で、16億6000万トンと記録的な豊作であった。現在のア
グフレーションは、欠乏ではなく、豊富に食糧のある時代に発生しているのが特徴
である。それはアメリカと中国などいくつかの大国の動向によって刺激され、ストッ
クが減少していることから生じている。今年の穀類備蓄量は5300万トン減少し、供
給を需要が上回った。
原因の第一に、アメリカのエタノール奨励補助金によるトウモロコシ買い上
げと、それによる小麦作付けの減少があげられる。今年、エタノールに振り向けられ
たトウモロコシは8500万トンと見積もられている。第二は、中国とインドなど新興
経済諸国の所得増大により、食肉需要が急拡大していることだ。これが飼料用穀物需
要を急増させ、価格の高騰を招いている。グローバルな経済成長が過去5年間と同じ
く年率5%でつづき、その牽引力が引き続きBRICSなどとすれば、この傾向はさ
らに継続的に上昇する。
今後の供給予測は容易ではない。遺伝子組み換え高収穫品種の採用により収
穫増が期待できるとみる向きもあるが、遺伝子組み換え食品には、否定的な声がヨー
ロッパを中心に強い。気象温暖化が土地の乾燥を促進し、アフリカ、ブラジル、中央
アジアの諸国、新規開拓地などで収穫に打撃を与える可能性がある。それにより、穀
物生産が6分の1ほど減少するという予測もある。また、石油価格の高騰が化学肥料
を騰貴させ、これが収穫を減少させると見られている。
各国政府と開発系銀行が出資している国際食糧政策研究所(IFPRI)は、
2015年までに穀類価格が10-20%上昇すると予測している。国連食糧農業機構(F
AO)は、それより高めに見ている。いずれにせよ、過去半世紀間、相対的に下がり
続けてきた食糧価格が上昇に転じたことは間違いない。
国際的に見ると、食糧の輸入依存どの高い日本、メキシコ、サウジアラビアな
どの諸国はより高い対価を払わざるを得ない。経済力のあるこれらの国は、それに耐
えられるだろうが、アジアやアフリカの最貧国の窮迫はひどくなる。今年は開発途上
国全体として500億ドルの穀物を輸入するが、これは昨年より10%増である。バング
ラデシュやナイジェリアなど多くの最貧国では、昨一年間ですでに食糧価格が2倍と
なっている。
勝ち組の筆頭は最大の穀物輸出国アメリカで、今年の農産物収入は870億ドル
と、過去10年平均の50%増となる見込み。中部平原の農民たちはカリブ海クルーズ
を楽しめるだろう。世界では約30億人が農村地帯に住んでおり、その4分の3が途
上国にいる。理論的には、食糧価格上昇はこれらの人の利益になるはずだが、実際
にはそうではない。国によって異なるとしても、得する人より損する人が多い。イン
ドや南アフリカの大規模農民は受益者であるが、他の多数にとっては話が別だ。
こうしたことにより、経済的バランスオブパワーが移動しつつある。
■コメント―農業再生による生きがいのある雇用の創出
日本ではこれまで、石油と異なり、食品値上げはそれほどの危機感をもって
報じられていないし、深刻な問題としてグローバルな視点から論じられていない。
メディアで世論をリードする層にとって、一部食品の値上げが与えるインパクトは
まだ無視できるものである。しかし、年収300万円以下の家庭にとっては大きな打撃
をすでに与えつつある。石油よりも直接的影響が感じられるのは、低所得で、
子どもの多い世帯だ。
経済全体から見れば、日本に与える否定的影響はまだ軽微だが、代替策や節約
の道のある石油と違い、食糧には代替がないし、節約も限られたものだ。日本人の
経済力からして、高騰した穀物でも輸入することをしばらくのところ続けることは
可能だ。しかし、穀物は石油と同じく先物取引によって価格形成が支配される。
凶作などにより深刻な供給不足が予測されれば、想定できない急騰を招きかねない。
温暖化に伴う異常気象が、穀物供給を不安定なものにする兆候はすでに現れている。
世界で飢餓が大規模に発生するようになっても、日本が食糧を今のように十分
安定的に輸入し続けるとは考えられない。それどころか、アメリカ農業への依存が
これまでのようにできるのか、それが好ましいことなのかを真剣に考えるべき時に
きている。国際的軍事介入による安全保障を声高に語る人が、人間の安全保障に
とって軍備よりも不可欠な食糧の国際的安全保障を無視しているのが不思議だ。
紹介した記事から想起したのは、20年以上前に読んで共感した
『農的小日本主義の勧め』という本だ。当時、工業的大日本主義が横行していた
ときだけに、四季があり、多雨の温帯圏に位置する日本が本質的に農業適地
であり、原料供給国と輸出市場から遠くは離れた工業適地は本来的にありえない
という主張は、きわめて新鮮であった。燃料と原料の高騰している今日、
その主張はさらに説得力を持つ。同書は、歴史的視野に立ち、エコロジー、
安全保障、食の安全性など、多角的に農業を論じた刺激的な好著で、今日の状況
から見てその価値を増しこそすれ、損なっておらず、一読をお勧めする。幸い、
家の光協会や創森社から再刊されているので容易に入手できる。
著者の篠原孝は現在民主党衆議院議員だが、当時は農林省の課長補佐、
新進気鋭の論客であった。
雇用の大勢は産業革命によって第一次産業から第2次産業に移行し、
ポスト産業社会では第三次産業が主流となるというのが、現在の経済学の常識
である。これが不変の真理なのかますます疑問になってきた。第三次産業は
生きがいのない、低賃金労働を増加させており、不安定雇用を無限に増やし
ているのが現状だ。この産業で雇用の歴史が終わるとすれば、とんでもない
格差社会になってしまう。第一次産業としての農業はこれまで低技術、低収入の
後進的産業とみなさてきた。しかし、篠原が指摘してきたように農業こそ
総合技術によって栄える持続的産業であることに注目したい。
工業の主要部門の寿命は30-50年に過ぎないと見られている。戦後日本の
工業化の歴史を見ても、主役はめまぐるしく移り代わってきた。自動車と電機
のあとに、大規模な雇用を提供できる産業は想定できないし、これらの産業も
雇用の可能性からみる限り、もはや下り坂だ。持続的産業としての農業が、
将来の日本で魅力ある雇用を提供できる可能性を見直すべきではなかろうか。
食糧とエネルギーの高騰は、最低賃金の大幅引き上げと低所得層に対する
所得保障のための諸政策や、基礎的食料品に対する消費税の免除など、
新たな社会労働政策をさらに緊急に必要なものとしている。
最後に、プラス面を見ることにしよう。石油高が化学肥料の大量投入や
殺虫剤の無差別的散布にブレーキをかけ、有機農業普及の可能性を拡大
させている。政府は、エコロジカルな農業と食糧自給率の向上を推進する
積極的政策を採り、そのために資源と技術を誘導することに注力すべきだ。
地球環境時代における新しいライフスタイルの中に昔からの智恵をもっと
取り入れられよう。“もったいない”の定着もその一つ。
安全で、多種多様な農産物が大量生産方式ではなく、生産者の個人的責任と
トレーサビリティによって栽培され、地産地消される。農業に新しい職業的可能性を
再発見した若者が地方に回帰する。労働時間短縮と社会的なセーフティネットの確立
が実現して、人々は安心、安定した生活を営み、人生における可処分時間を増す。
間違った経済学(ネオリベラル派だけではなく、現在横行している既成の経済学)
から自由になり、GNPと消費拡大信仰から解放される。これが、2008年の初夢。
(筆者はソーシアルアジア研究会代表)
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