日本における安全保障論議

―― その特徴と問題点 ――        蝋山 道雄

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●I.はじめに


 安全保障の問題は、われわれ日本人の日常生活のなかでは、ひしひしと感じら
れ、皆が大きな関心を寄せる主題ではない。それは「国際的な問題」、つまり、わ
れわれのように、海に囲まれて、比較的安全な社会環境に恵まれた島国に住む日
本人にとっては、身近でない、どうしても観念的になってしまいがちな問題なの
だろう。したがって、第二次大戦での敗戦後、連合国占領下に置かれ、民主主義
国家として蘇ろうとしていた日本では、確かに「全面講和」か「片面講和」とい
う政治的対立 ―― 東側社会主義諸国を含む、全ての旧敵国と講和すべきだと主
張する全面講和派と、外交的に可能な、欧米諸国を中心とした国家群との講和条
約を結ぶべきだと主張する片面講和派の対立 ―― にはじまり、憲法9条を巡る
「護憲」か「改憲」か、という政治的・思想的対立が今日までズッと続いてきた。

しかし不思議なことに、これまで行われた総選挙や参院選挙において、「安全
保障問題」が争点となったことは一度もなかった。今回の参院選挙でも、実は
その直前まで、いわゆる「集団安全保障」と憲法九条の解釈の問題が論じられ
ていたにも拘わらず、選挙では争点から落ちてしまった。それは一体何故だろ
うか?それは、上に述べたとおり、安保問題はわれわれの日常生活のなかでひ
しひしと迫るような問題ではないため、それは選挙の争点とはならず、どうし
ても観念的なままで終わってしまうのであると思われる。

 しかし、それにしても、それは一体何故「観念的」なまま放置されるのだろう
か?「安全保障」という問題は、そのような状態のままで置いておいてよいもの
なのだろうか?「安全保障問題」は筆者の専門研究分野の中核をなす問題群 ――
理論的問題、政策的問題、個々の具体的問題とそれらへの対応策の問題などなど
―― であり、例えば「オルタ35号(2006.11.20)」に書かせて頂いた「日本核武装
論批判の立場から」は、その重要な一部を構成する問題に関わるものではあるが、
全てではない。しかも、それらのなかに時間が経過しても変化しない部分もある
が、時代や国際的政治・経済・社会・文化的環境の変化によって大きな影響を受
けてしまう部分もある。つまり安全保障問題に対しては、常に世界の現状を注視
していて、その少しの変化にも対応するために、自らの認識、理解、立場を変化
させてゆかなければならないのであり、そのような思想的立場が「現実主義」で
あると、筆者は理解している。


●II. 安全保障問題を巡る問題点 ―― 日本人の思考と行動様式


 そもそも「安全保障」(security)とは、「安全にする」、「確実にする」という意味

であり、国内的には個人や法人を災害や犯罪から守る警察などの仕事を指すが、
「国家安全保障」(national security)という場合は、主権国家の領土的一体性、政
治的独立、および国民の生命・財産の安全の維持・確保を意味する。つまり、端的
に云えば、外国の武力侵略から国家を防衛することであり、その役割は伝統的に
「国防(national defense)」と呼ばれてきた。米国では現在も「国防省」がその任
務を担当していることは周知のとおりである。しかし時代の推移とともに、国家
に求められる安全保障の対象も多様化し、複雑になった。たとえば、前国連難民
高等弁務官、緒方貞子氏が、昨年書かれた一文を読むと、そのことが良く理解で
きる。

  グローバリゼーションの浸透とともに、ヒト、モノ、カネ、情報が活発に

 国境を越え、感染症、環境汚染、国際犯罪やテロなど、新たな脅威が拡散する。
 他方国境内の紛争も増加し、国家は人々が必要とする保護と安全を十分提供す
 ることができない。旧来の国家をベースとした安全保障はもはや複雑な現在の
 諸脅威に対応できなくなっている。...今や「人間の安全保障」に焦点をあ
 てたグローバル化時代の平和と安全の理論構築が急がれている。

        「日本政治学会Newsletter(No.109 September 2006)巻頭言」

 ところが、日本における最近の安全保障論議には、このような時代の変化に対
応する傾向があまり見られないだけでなく、ある際だった特徴が現れている。

 第一に、安全保障問題を専ら軍事手段による国家防衛の問題として捉える傾向
である。しかし、歴史を振り返ると、種々な出来事があった。その中で、国際的
環境変化への対応という問題分野で重要な意味を持っていたと考えられる出来事
の一つは、1973年の第4次中東戦争の際に、イスラエルに対抗するアラブ産
油国が、イスラエルの後押しをしている米国や西側先進諸国に圧力を掛けるため
にとった、石油禁輸政策であった。当時、石油の海外依存率99.7%で、しかも
その70%近くが中東産油国からの輸入だった日本は、それまでの親イスラエル
政策(対米依存政策の反映)を、アラブ寄りに変えざるを得なかったのである。
そして、この時、日本では「経済安全保障」という概念が使われるようになった
のである。
 
このような海外依存の状況は現在も少しも変わっていないだけではなく、食料
その他重要資源・物資の輸入依存率はさらに増大しているのであるが、安倍内閣
の安全保障観は北朝鮮の核実験に触発された核武装論などが大写しになり、過去
の歴史の教訓も、現在の世界の政治・経済・社会状況の認識も、反映していないよ
うに見受けられる。
 しかも、問題なのは、安全保障政策の内容の当否についての論議ではなく、そ
れを憲法9条に照らして「合憲」か「違憲か」というような法的議論にしてしま
うのが、過去半世紀に亘って続いてきた基本的傾向である。しかし、法律という
ものは、社会秩序を保つために作られた規範であり、極めて論理的整合性が高い
ものである。また、法解釈学的傾向が強い日本では、極端にいうならば、現実は
法律に合わせて解釈され、法律に規定されてない現象は対象外となる、という傾
向がある。それに対して、政治は、法律に規定されてない問題、あるいは既存の
法律では対応できない問題を解決するための役割を担っており、立法府である国
会は、法を改正したり、新しい法律をつくるが、問題の政治的解決のためには妥
協も必要となる。
 
国家安全保障問題というのは、国家間に発生する利害の対立(領土や資源の取
り合いなどがその典型)は、まず国際法に則って法的に解決されるべきものであ
るが、現実には、国際法の適用には多くの障害があり、法的効果は期待できない。
しかも、不法行為を取り締まる警察のような常設組織が、国際社会には存在しな
いのである。従って、紛争は武力行使へと展開する傾向が強いだけでなく。何時
武力紛争に移行するか、どのような形態をとるかを予想することは大変難しい。
従って、安全保障の伝統的対象であった、「戦争」という現象は、法的に対応し、
処理することが最も難しい ―― 言い換えれば、「戦争」は法律に最も馴染みにく
い ―― 性質をもった政治現象である、と言えるだろう。ところが、日本では、
安全保障問題は、終始、憲法問題として扱われて来たのである 。

 第二の特徴は、戦争を、単純な思いこみ=「二分法」によって捉えることである。
つまり「戦争は悪であり、それに対して平和は善」である、と考える傾向である。
さらに、「軍隊の維持は戦争につながる」と考える傾向もある。確かに、軍隊の存
在と戦争の発生は密接に結びついている。しかし、歴史上常設軍を持たない国家
は中米の小国、コスタリカ共和国(1948年以降)だけであるから、この問題を実証
することは極めて難しい。また、「戦争があるから、軍隊を以て危機に備える」と
いう理屈もあり、堂々巡りになってしまう。
 
つまり、安全保障の問題は、本質的にジレンマに満ちたもの、つまり、二律背
反の要因を多く含んでいるため、単純な二分法では対応できないのである。しか
も、日本人の戦争観は1930年代以降の、いわゆる「15年戦争」への反省と、
特に原爆被爆経験から生まれたものであるため、日本の侵略に対して戦った中国
の国民党軍や共産党の八路軍の戦い、あるいは、ナチスの侵略に対して抵抗し、
遂に撃退したソ連軍の戦い、の示すような「防衛戦争」の意味を評価出来ない。
つまり、見方を変えて、戦争には「良い戦争」と「悪い戦争」があるとしたら、ど
う考えるべきか、というような議論はないのである。
 

第三の特徴は、「戦争」=「戦闘」として捉える事である。 確かに、普通「戦争」

といった場合、人々が脳裏に浮かべるのは、弾丸が飛び交い、血が流れる凄惨な
「戦場」の風景である。しかし、安全保障問題の関わる「戦争」にとって、「戦場」
はもちろん重要な構成要素ではあるが、それだけではなく、もっと広範な問題領
域を含んでいる。
 
最初に問題となるのは、そもそも武力行使が行われる原因となった紛争の内容
と性質、であるが、さらに、その紛争を平和的手段 ―― 一般的に「外交」とい
う話し合いの手段、また、場合によっては「経済制裁」のような、非軍事的な圧
力も含まれる ―― による解決への努力が試みられ、それが不成功に終わった場
合に、最終的手段としての「武力行使」
が行われるのである。さらに、その武力行使の現れとしての「戦争」がどちらか
の勝利によって終了した場合、丁度、大東亜戦争が日本による「ポツダム宣言」
の受諾し、さらに「降伏文書」への署名によって終了した事例が示すとおり、最
終的には再び「外交」的手続きをとおして、始めて正式に「戦争」が終結するの
である。つまり、戦争とは、“外交手段の行使→軍事手段の行使→外交手段の行使”
という一連の過程を含むものなのである。紛争が実際に発生する前に、その発生
を未然に回避しようとする政治的・外交的努力も、この一連の過程に含めるなら
ば、それはさらに複雑となるだろう。
 
ただ、「戦争」という現象が、このような複雑な課程を含むものであること、
従って「安全保障問題」とは大変複雑な構造もっていることを、一般の人々が
理解するのは難しく、ごく自然な認識として「戦争」=「戦闘」となることを
咎めることはできない。その理解の責任は、専門研究者、知識人、マスコミ
(特に高級新聞・雑誌)、政治家 ―― 特に為政者 ―― に委ねられるべきであ
るが、日本ではこれらの人々の多くは、その認識に欠ける傾向が見受けられる
のが問題なのである。

 第四の特徴は、第二次大戦後これまで60数年間に亘って、日本が享受してき
た「平和と安全」についての考え方も、非常に単純かつ主観的であること であ
る。もっとも、一般的に自分の国のことを考える場合、どの国の人も“主観的”
になるものなのではあるが
…。いずれにせよ、日本がアジアの隣国に対する侵略戦争を推し進めた1930
年代の行動には大きな問題があるが、その経験だけから引き出された「日本が戦
争という手段を放棄すれば平和になる」というのは、極めて限られた歴史体験に
基づく主観的判断である。日本の仕掛けた戦争が悪であることは確かだとしても、
先ほど例に挙げた中国やソ連の防衛戦争は「悪」であったのだろうか?日本では、
そのような問題について議論された事例を知らないし、そのような事柄を論じた
論文に出会ったこともない。
 
 ただ、これまで「日本の平和」が維持されて来た本当の原因は何であったか
は残念ながら良く分からない、つまり、実証不可能であるため、それぞれの立
場を主張する人々の信念は変わらない、ということになるが、幾つかの原因を
想定することはできる。
 a)日本が憲法9条の理念を守ってきたこと。
 b)日米安保条約があったこと。さらに、
 c)日本を侵略する意図などをもった国などなかったかも知れないこと。

 そこで、日本人の「平和主義」(あるいは「平和観」)がどこから生まれてきたか、
について少し突っ込んで考えて見たい。ただ、下記2点については、すでに「オ
ルタ第33号」掲載の「靖国問題によせて―首相の靖国参拝と戦争責任の問題を
中心に―」の中で述べてあるので、ごく簡単な記述に留める。まず第一は、

(1) 第二次大戦(太平洋戦争) ―― 日本人は「大東亜戦争」と呼んでいたが ―

― に敗れて、連合国に無条件降伏したこと: このことに関しては、筆者が長年
にわたって疑問に感じていることがある。8月15日を「終戦記念日」と呼ぶこ
とである。なぜ素直に「敗戦の日」といわないのだろうか?もっとも、「敗戦」を「言
祝ぐ」とは云えないから「敗戦記念日」は不適当だろうが…。

(2) ただ、それが敗戦であったにせよ、「戦争が終わった」ことで安堵した国

民の気持を表しているとするならば、「終戦」という表現は理解できなくはないが、
敗戦後の政府が国民の気持ちを慮って「終戦記念日」と名付けた、とは考え難い。
もしも、「終戦」が使われるのは「敗戦」の事実を恥じ、それをはっきり認めたく
ないからだとしたら、歴史認識として問題であり、残念ながら、日本人の、物事
を曖昧にして誤魔化す、悪癖の象徴である。

 (2) 原爆被爆体験: この影響は非常に大きいように思われるが、そこにも二つ
の問題点が含まれている。第一に、広島・長崎の被爆と、ソ連の対日宣戦布告(8
月8日、日本が知ったのは9日)のどちらが日本の最終決断に決定的影響を持っ
たのかについては、一般には議論されず、専門家の間では解釈が分かれているこ
とである。多くの人は原爆被爆が原因だと信じ、又、米国は、その結果、もし本
土上陸作戦が行われていたら、失われたであろう多くの米兵や日本人の命が救わ
れた、として原爆投下を正当化している。しかし本当の問題は、日本に無条件降
伏を要求した「ポツダム宣言(7月26日)」 から、昭和天皇による、同宣言の受諾
決意(8月14日、「終戦の詔勅」の放送は翌15日)までの19日間、日本の最高意
志決定機関である、「御前会議」は一体何をしていたのであろうか?もし、受諾決
定が米国に対して7月5日以前に伝えられていたならば、広島・長崎に対する原
爆投下も、ソ連による対日宣戦布告も行われなかったはずである。原爆投下は人道
上の大問題ではあるとしても、それを回避する方法が無かったわけではないので
あり、天皇、ならびに最高意志決定者たちの、国民に対する責任は極めて大きい
と云わざるをえない。
 
第二の問題は、もし日本が被爆体験によって平和主義者になった、とするなら
ば、世界が平和になるためには、世界中の国が原爆被爆体験をすればよい、とい
う逆説が生まれる、ということである。従って筆者は、原爆の恐ろしさを世界の
人々に理解してもらうために、「体験」を強調するやり方に、もう一工夫必要では
ないか、と考えている。さらに、日本人が体験した原爆の恐ろしさこそは、核兵
器の持つ、「抑止力」を機能させる重要な要素である。このことは、純粋に反核の
立場に立つ人々にとっては意味のないことであるが、安全保障問題について多少
の関心は持つ、多くの日本人には、これが「安全保障のジレンマ」を生み出して
いることを理解してほしい。最後に、
 
 第五番目の特徴は、歴代日本政府が推し進めてきた安全保障政策には、明確な
政策理念と具体的な目的が描かれていないこと である。この理念性と具体性に
乏しい政策の傾向は、安全保障政策だけでなく、外交政策一般にもみられる。
 それは、歴史を遡って、幕末・明治維新初期の1860年代に、始めて日本が、
非欧米諸国の国家として西欧型価値観や制度を受け容れ ―― いわゆる「脱亜入
欧」 ―― 欧米諸国が作り上げて来た国際政治体系の一構成員となって以来、ず
っと続いて特徴でもある。それは「適応型」と呼ぶべき行動様式で、常に周辺を
見回し、「世界の大勢を見極めたうえで、それに順応して行く」姿勢である。日本
はこの対外政策姿勢によって大きな成果をあげ、20世紀の初頭には極東アジアに
勢力を拡大してきたロシア帝国と戦って勝利し、世界の大国にランク入りしたの
である。

 しかし、そのことが、日本を自己過信に陥らせ、その後の日本の対外政
策行動をゆがませる結果となった。 つまり、「適応型」の行動パターンは、外部
の優勢な価値観を受け容れ、それに従って行動するわけであるから、いわば自覚
した優等生としての行動であったが、日露戦争の勝利に慢心した日本は、1930年
代に入ると、「適応型」行動様式を捨て、自らの価値観に従って行動し、さらには
その価値観を人に押しつけ、広めようとしたのである。それが「八紘一宇」のス
ローガンのもとに「大東亜共栄圏」の確立を目指した大東亜戦争だったわけであ
るが、それは当時、日本の手本であった欧米先進諸国が、それまでの帝国主義的
行動パターンから抜け出そうとする「時代の流れ」に逆行する、いわば「時代遅
れの」行動となった。つまり、日本は、同様な行動をとった後発帝国主義国、ド
イツおよびイタリアとともに、第二次世界大戦の口火を切った、いわば落第生に
なったのである。
 
この愚行の結果が1945年8月15日の、「ポツダム宣言」受諾による無条
件降伏となり、日本は6年間に及ぶ連合国による占領下に置かれた。そして日
本の対外政策の行動様式は、再び「適応型」にもどったわけであるが、それ以
来日本が自ら進んで受け容れ、それに従って来た価値観は、アメリカ型価値観
である。

 アメリカは日本が師と仰ぐ、普遍的価値観の具現者となったのである。
 “良好な日米関係を維持すること”、これが第二次大戦後の歴代日本政府にとっ
ての至上命令であった。実際のところ、経済の分野では、貿易等を巡って利害対
立が何度か発生したが、政治や安全保障の分野では、常に米国の意志を尊重し、
その意向に従うことで問題を回避する姿勢を取り続けてきている。ベトナム戦争
において、米国が1965年2月、北ベトナムにたいする爆撃(いわゆる北爆)
を開始した際に、佐藤栄作首相がいち早くこの米国の行動を支持する声明を出し
たのは、その典型的な事例であろう。また1995年に沖縄で、米兵による女子
高校生レイプ事件が起こった時、米国政府は日本からの強い抗議を覚悟していた、
といわれるが、日本政府は何ら強い抗議措置も採らなかった。米国政府は胸をな
で下ろし、それ以降、“米国が何をしようと日本は付いてくる”と考えるようにな
った、と思われる。しかし、日本は、何故それほどまでに米国追従型姿勢を取り
続けるのであろうか? そこに、日本にとっての最も重要な、安全保障問題のジ
レンマが隠されている、と考えられるのである。


●III.安全保障のジレンマとしての日米安保条約の機能


 この問題を理解する手がかりになる事例は沢山あるが、多分一番重要だと思わ
れる「核抑止力」の問題を通して考えてみるのが最も理解し易いであろう。(しか
し、「核抑止」問題については「オルタ35号(2006.11.20)」に掲載された小論「日
本核武装論批判の立場から」のなかで可なり詳しく説明したので、ここでは、簡
単な記述に留める。)

 先ほど、日本人の平和主義、それを支える平和観を生み出した、多分最も大き

な要因として考えられる「原爆被爆体験」について触れた際に、「原爆の恐ろしさ
は、「核抑止力」を機能させる重要な要素であり、安全保障のジレンマの一つであ
る、」ということを述べた。それは、一般に「核の傘」と呼ばれているものと関連
がある。つまり、「核の傘」とは、何時降り注ぐかもしれない、敵性国家による核
攻撃から、日本の国土と日本人を、守るために、米国が日本の頭上に拡げている
核兵器の「傘」ことである。
 
 しかし、ここには大きな問題がある。日本人の純粋な主観的平和観によれ
ば、「戦争は悪」であるから、日本は武力を放棄し、その使用を禁じている憲
法九条を守っていれば平和が生まれる、ということなる。だが、大多数の日本
人はそれほどはっきりした信念をもっているわけではないが、他方、明らかに
憲法九条の考えは支持してきた。しかし同時に、多分、自衛隊も、日米安保条
約も肯定して来た。最近行われた多くの世論調査によれば、このような立場に
立つ人々の数は徐々に増えてきているように見える。しかし、同時に、日本が
「普通の国」になって武力行使を行ったり、核兵器を持つことには反対してい
るようであり、そこには可なりの論理的矛盾がある。
 
日本が核兵器をもつことは悪い。しかし、北朝鮮が核武装することはとんでも
ないことであって、断じて許してはならない。従って、一方でアメリカの核の傘
が有効であることを時々確かめながら、6ヵ国協議で、北朝鮮に圧力を掛け、核
を放棄させるようにする、というのが筋書きなのであるが、この考え方によれば、
核武装して良い国と悪い国、あるいは、核武装する資格のある国と資格のない国、
の2種類があることになる。
 
しかも、ここにはもう一つ日本固有の問題がからんでいる。いわゆる「拉致問
題」である。特に安倍総理としては、小泉内閣の官房長官時代から、この拉致家
族支援に力を入れて多くの支持を集めたわけであるから、首相としてこの問題を
ないがしろにすることはできないだろう。しかし、最近の6か国協議で米・中・
韓・露の関心が核問題に集中しているなかで、日本だけが拉致問題という過去の
特殊な問題にこだわっているために、多くの近隣諸国にとって危険な、解決すべ
き核問題の進展を邪魔する結果となり、仲間はずれにされる傾向が強まっている。
日本にとって、核問題と拉致問題とでは、どちらが対外政策上重用なのだろうか。

 話しを元に戻して、「抑止力」の問題について要点を述べよう。

(1) 抑止力について: 「抑止」とは「何らかの手段によって相手に恐怖心を抱か
せ、積極行動を取ることを思い止まらせる」という“心理作用”を意味する。そ
れは弓矢や槍を防ぐ「盾」が持っている“物理的作用”とは性質が違う機能であ
るから、その意味では、“押さえ付けて止める”ことを意味する「抑止」という日
本語訳は適当ではない。抑止機能について誤解を生み易いからである。
 もう一つ、「抑止」に関して重要なことは、その機能が大量破壊をもたらす攻撃
力から生まれるものであることと、必要なときは先制攻撃も辞さない意志の力に
よって支えられる、という構成要件である。軍事力が単に存在するだけで「抑止
機能」が働くわけではない。
 
冷戦時代には、米国とソ連がそれぞれ大量の核爆弾や核ミサイルを配備して睨
み合ったが、幸いにして地球を核戦争に巻き込む悲劇は起こらなかった。米ソ両
国の軍事衝突の発生を抑えたのは、それぞれが核兵器を所有することによってお
互いの軍事行動を抑止する、「相互核抑止」と呼ばれる機能であった、と考えられ
ている。最初は、お互いに核戦争の惨劇への恐怖心を相手に抱かせることからこ
の「相互核抑止」が始まったのであろうが、最終的には、核戦争の惨禍を認識す
ることにより、お互いに、“理性的に”自己の行動を抑制する、「相互自己抑止」
と呼ぶべき状態へと変化しながら、最終的に冷戦の終焉へと進んだものと思われ
る。
 
さらに、もう一つ、ある重要な技術的要因が、「相互核抑止」の信頼性を高め
る機能に関わっていたことを認識する必要がある。それは「核報復能力(ある
いは第二撃能力)の非脆弱化」と呼ばれる問題である。核報復能力とは、敵が
核兵器による先制攻撃(第一撃)を仕掛けてきた場合に、敵に対して核による
第二撃を行って報復する戦略であるが、それを可能とするためには、例えば核
弾頭を搭載
した大陸間弾道ミサイルを、敵の第一撃にも耐えられるよう堅固に作られた地下
格納庫(サイロ)に収納したり、敵に察知されないように、核ミサイルを搭載し
た原子力潜水艦を海中に配備しておく必要があるが、それを「核報復能力の非脆
弱化」と呼ぶのである。もしも報復用の核兵器が、敵の攻撃によって破壊される
可能性が大きい状態、つまり「脆弱」な状態に置かれているならば、攻撃を受け
る前に使用してしまおう、という誘惑に駆られる可能性があり、それは相互核抑
止を不安定な状態にするので、これを避けるために「非脆弱化」が必要条件とな
るのである。

 

このように、敵対する核保有国がそれぞれ非脆弱な核報復能力を整備した相互
核抑止の状態を「相互確証破壊」と呼ぶが、止まることのない軍事的科学技術の
発達によって、この相互確証破壊の状態が不安定化する要因を作り出されてしま
った。それは飛来する戦略的弾道ミサイルを撃ち落とすために、地上から、ある
いは海上から発射するミサイル、つまり「迎撃ミサイル」(ABM)である。現在、
このABMは、どのような状態でも飛来する弾道ミサイルを確実に打ち落とすこ
とが出来るほどの、技術的完成の域には達していないが、それが完成した場合に
は、敵対国の核攻撃を怖れることなく、先制核攻撃を行える状態が出現すること
になり、相互確証破壊の基本条件が失われてしまう。これは実に大きなジレンマ
なのである(6。従って、日本は、自国の平和主義と、具体的な安全保障手段と
しての日米安保条約依存、なかんずく核の傘に頼る姿勢に内在する矛盾に加えて、
核抑止に論理的に内在するジレンマ、という二重苦の下にあることを認識しなけ
ればならない。

(2) 日本の核武装論に対する批判: 昨年10月、北朝鮮が行った核爆発実験によ
って、日本では、中川自民党幹事長や、麻生外相らによる核武装容認論、あるい
は核武装に関する論議が必要であるとの発言が飛び出し、騒ぎとなった。それで
は日本は、核武装問題についてどのように考え、どのような政策態度をとればよ
いのだろうか?この複雑な問題に答えるためには、かなりの紙面を必要とするの
で、ここでは、ごく核心部分の要点だけしか触れることができないが、私は19
60年代の初めに核問題の勉強をはじめてから、一貫して核武装には反対してき
た。私は平和主義者ではないが、日本は核武装することによって得るものは殆ど
無いのに対して、失うものが大きすぎるから反対するのである。 

 1) 技術的に製造は可能であるが、科学者や技術者には核兵器反対論者も大勢い
る。従って、極秘裏に計画を進めることは困難で、情報は当然漏れるだろう。
 2)可能であっても、瞬間的に完成させ、実験し、実戦配備することは不可能
である。短期間に「非脆弱」な核兵器体系を完成させることはできない、という
ことである。しかも、もし日本を攻撃しようと狙っている国があるとしたら、核
武装に乗り出したけれども、脆弱な状態に留まっている日本は、攻撃の好機とな
るだろう(あくまで理屈に過ぎないが)。また、日本はその「核抑止力」を有効に
機能させるためには、世界の国々に対して実験の成功を印象づけなければならな
い、という問題にも直面する。 

 

3)しかも、大地震国日本には安全に地下実験、あるいは海中実験を行える場
所はない。
 4)日本が核武装に踏み切ったことが世界に知れたとき、日本を取り巻く国際
情勢は一変するだろう。特に米国には、やがて日本が核武装するであろうと予期
している政治家や専門家は大勢いるから、“やはり日本は核武装したか”と警戒心
を強め、その結果、日米関係の様相は一変するだろう。また、中国、韓国、北朝
鮮、ロシアにとって、日本は再び軍事的脅威になるのであって、日本は世界中を
敵にまわすことになる。つまり核武装は、日本にとって「百害あって一利なき」
選択肢なのである。

 以上が、日本の核武装論に対する筆者の批判であるが、最後に二,三点付け加
えておきたいことがある。

まず、第一に、「核抑止」の理論は、あくまでも“仮説”であって、その理論を実

証することは出来ない、ということである。『オルタ35号』の小論に書いたとお
り、唯一実証する機会があるとしたら、それは、核兵器が使用された時であり、
その場合は、「核抑止」が機能しなかったことが証明されたことになる、のである。
 ただ、第二に、一つの重要な事実について考えておく必要がある。それは、1
945年8月9日の長崎への原爆投下以降62年間、無数の核実験が行われ、核
保有国も、7ヵ国以上となったが、核兵器は一度も使われたことはない、という
事実である。もちろん、その間、1962年のキューバ危機を含め、あわやと云
う場面が何回かあった。しかし、一度も実際に使われはしなかった。インドとパ
キスタンはそれぞれ核兵器の保有国となったが、その動機は、カシミール地方
の領有権に関わる対立であった。これまで両国は3回も戦火を交えたほど、戦
争の大きな要因としての領土問題を抱えているにも拘わらず、核兵器は使用し
ていない。これは一体、何を意味するのだろうか?
核保有国相互間の抑止が効いているためなのか?残念ながらそれを実証すること
は出来ない。
 
ただ、筆者は次のように考えている。つまり、核保有国の指導者は、核兵器を
手にした瞬間から、その本当の威力、つまり“恐ろしい破壊力”をひしひしと認
識し、心理的「自己抑止」が働き始め、核兵器の使用に関して、いやが上にも慎
重にならざるを得ない、のだ、と。

 北朝鮮の金正一総書記の場合はどうであろうか?少し楽観的に過ぎると批判を

受けるかもしれないが、彼は決して愚かな、浅薄な頭脳をもった指導者ではない、
と筆者は考えている。彼は「弱者の恐喝」の名手であり、現在米国からも引き出
せるだけの譲歩を引き出すべくあらゆる手を尽くしているが、核実験はその最も
重要な手段なのであり、ある段階でそれを放棄する可能性はある、と思われる。
 
従って、日本が核武装をもって対抗するという事は、最も愚かな選択であろ
う。
ただ、北朝鮮、さらには中国についても、僅かではあるが、一つの心配がある。
それは、金正一総書記や胡錦濤国家主席が、どれほど確実に、軍部の将軍達の行
動を指揮下に納めているか、という問題である。将軍達は、戦争を戦うために訓
練され現在の職にある。彼らは必然的に好戦的であるとは云わないが、国家指導
者ほど広い国際的視野と、自己抑止の慎重さをもたないであろうと推測されるか
らである。
 第三に、以上の「核抑止」や「自己抑止」に関する考察は、ある程度の、基本
的価値観を共有する国家、及び国家指導者たちの行動予測にのみ妥当するのであ
って、それを共有
しない行動主体、例えば自爆をものともしないテロリスト集団やその構成員には
当てはまらない ということである。その理由は説明を必要としないであろう。
北朝鮮の核問題について、米国が最も怖れているのは、北朝鮮による核使用では
なく、小型化された核爆弾が、テロリストの手に渡ることである、と考えられて
いる。 
  


●IV.グローバル化時代の日本の安全保障


 核武装によって日本の安全を守ろう、という考え方は、別の観点からすれば、

既に時代遅れになった物の見方、考え方を引きずっている結果である。
 第二次大戦での敗戦から立ち直り、新しい先進的な産業国家として立ち直った
日本は、武力によって領土を拡大し、資源を確保しながら産業化を進める、とい
う過去の方式を捨て、市場に対する自由なアクセスを最大限に利用しながら経済
発展を成功させてきた。その62年間の過去を振り返ると、国際政治の様相は何
度か様変わりしてきた。
 
(1) 国際政治秩序の崩壊がもたらした不安定化要因: 第二次大戦終了直後の

年間は歴史にまれに見る平和の期間であり、丁度その期間に日本の平和憲法が成
立したのは偶然ではなかった。しかし、その裏で、ヨーロッパでは、ドイツの占領
を巡って、米・英・仏・露の対立が始まっており、それはやがて冷戦と呼ばれた
東西両陣営(自由主義・民主主義国家群と共産主義国家群)の対立へと発展した。
それはやがてアジアにも広まってきたが、冷戦の現れ方はヨーロッパとアジアと
では大きく違っていた。ヨーロッパでは、冷戦は冷戦のまま終わったのに対して、
アジアでは、朝鮮戦争、インド・パキスタン戦争、ベトナム戦争、アフガニスタ
ン戦争、といったように、砲弾が飛び交う熱戦となったのである。
 
ヨーロッパでの冷戦が熱戦へと進まなかったのは、ソ連のフルシチョフ第一書
記が進めた「平和共存」政策に現れているように、米ソ両国が「相互核抑止戦略」
によって意識的に衝突を避けようとしたためである。また、米ソ両国の間には、
戦争の誘因となる、領土紛争が存在しなかったことも良い条件であったかもしれ
ない。しかし、アジアでは条件が違っていた。確かにアジアで起こった熱戦の大
部分は、冷戦の東西対立の影響下に置かれていたが、その本質は、近代国家形成
過程の権力奪取を巡る政治勢力間の武力闘争、つまり内戦であった。
 
いずれにせよ、冷戦という、米ソ両国をそれぞれの旗頭とする東西対立は、発
生から約40年を経て終結したが、冷戦時代には、その後の国際政治状況と比較
すると、皮肉なことに、ある著名な冷戦研究者が「長い平和」と呼んだほどの、安
定した国際政治秩序が存在した。つまり、冷戦の終焉は、40年間続いた安定した
秩序維持の仕組みの崩壊を意味したのであり、その結果、冷戦後の国際政治秩序
は不安定化することとなったのである。その最初の現象として捉えられるのは:

 

 a)湾岸戦争と米国の一極支配体制の成立 である。冷戦の終結の直接原因
は、
ソ連邦の崩壊であったが、それは中東地域におけるソ連の国際政治秩序維持能力
の減退を意味した。その隙を突いたのがサダム・フセインのクウェート侵攻(1990
年8月)によって始まった「湾岸戦争」だった。冷戦中には起こりえなかったこ
の種の侵略的軍事行動は、地球上唯一、最強の国家となった米国の国際秩序維持
の役割認識を高めることとなり、その後の積極行動パターンを生む結果となった。
当時の大統領、父ブッシュが高らかに謳った「世界新秩序」構築という目標は、
現ブッシュ大統領にも受け継がれたが、アフガニスタンやイラクの現状が示すと
おり、一極体制下の米国主導は、むしろ新しい世界秩序の構築を妨げ、米国の影
響力を低下させることになってしまった。現ブッシュ政権の対外政策、特に、対
象地域の政治的、社会的、文化的特性を無視して、アメリカ流政治理念を普遍的
理念として強引に押しつけるやり方は、反って反感を生んでいる。また、「グロー
バリゼーション」=「アメリカナイゼーション」という誤った解釈を生む手助け
をしているのかもしれない。この問題に続いて、次の現象は:
 
b)民族主義の台頭 である。ソ連の共産主義独裁体制の崩壊は、連邦内およ
び東欧の旧ソ連圏の国々の脱社会主義化と民主化を促す結果となったが、それら
の政治過程の背後には、それまで押さえつけられていた民族主義の再台頭があっ
た。この現象は、やがて中東、アフリカ、その他の地域にも拡がり、民族的な分
離独立運動を促すことになっている。中国の、少数民族が多く住む地域にも、そ
の影響は及んでいるほどである。もちろん、それぞれの民族は、それぞれ固有の
歴史と文化をもち、置かれていた政治状況も違っているから、民族主義台頭の時
期と動機は一律ではない。にもかかわらず、次々と民族主義運動が広まって行く
のは、人の移動と情報伝達の増大・発達と無関係ではないであろう。さらに問題
なのは、アフリカなどでは、この政治心理的集団行動の影響が「民族」の一段階
下層を構成する「部族」にも及び、内戦の発生に拍車を掛けていることである。
そして、最後の現象は:
 
c)国際政治における宗教的要因の増大 である。それは、かつてサミュエル

ハンティントンが「文明の衝突」と呼んだ問題であるが、イスラム諸国が石油資
源などに依拠して国力を増し、国際的な発言力を増大させてきたこともあって、
中世の十字軍遠征によるキリスト教とイスラム教の軍事衝突以降ほとんど問題に
ならなかったイスラム教の価値観の重要度が高まった結果もたらされた。
 17世紀の半ばにヨーロッパで確立された、対等の地位を持つ複数の主権国家
によって構成され、通常「ウェストファリア体制」と呼ばれる国際政治秩序は、
キリスト教文化圏のなかで発達してきた諸価値観に支えられ、西欧諸国の力によ
って世界に拡がったものである。前にもに述べたとおり、幕末の日本はこの国際
政治秩序を支える諸価値を受けいれて近代国家の倶楽部に入ったわけでるが、こ
の350年近く続いた国際政治秩序に大きな衝撃を与え、世界の政治状況と安全
保障戦略体制を一変させてしまった「文明の衝突」的現象が、2001年9月11日
に米国で起きたアルカーイダによる同時多発テロ事件であった。
 
テロ行為はイスラム教徒の中の、自爆行為を「聖戦」として讃える一部過激派
によるものであるが、テロの衝撃があまりにも大きかったために、人々は「文明
の衝突」として捉えてしまった。さらにこの出来事は、国家以外の行動主体であ
るテロリスト(個人の集団)が、国家を相手にして武力を行使する、つまり戦争をす
る、という意味で、これまで、国家対国家の戦争を前提に発達してきた軍事戦略
を無効化させ、米国の対イラク戦略の失敗を招く一因となったのである。アフガ
ニスタンにもこの問題は当てはまる。
 
いずれにせよ、冷戦の終焉によって、東西両陣営を隔てていた壁が崩れた結
果、
冷戦中はそれぞれの陣営内に止まっていた「経済的相互依存」関係が、旧東西両
陣営を跨いで機能する条件が生まれた。それが現在広く認められているグローバ
リゼーションの現象なのであるが、問題なのは21世紀の地球環境の中で、過去
の歴史を再現する形、つまり「30年戦争」 ―― 1618年から1648年ま
での30年間、ヨーロッパ全土を覆った、カソリック教徒とプロテスタント教徒
の間の戦い ―― を終結させた「ウェストファリア平和会議」によって、前述の
「ウェストファリア体制」、つまり、複数の、対等な絶対的主権によって支えられ
た領土国家によって構成される近代国際政治体制が成立したように、「新しいウェ
ストファリア体制」が再現されるのか、それとも全く異なった世界政治体制が生
まれるのかである。その問題を考えるためには、国際政治秩序の崩壊がもたらし
た不安定化要因とは異なった性質を持ち、グローバル化を推進する機能をもつ経
済的要因の働き検討しなければならない。その分析は国際経済の専門家に任せる
として、ただ一つ指摘しておきたいことは、その機能は全てプラスの方向に働く
のではなく、それに対する抵抗要因も生み出す、という点である。それは、
 
(2) 冷戦の終焉がもたらした“プラス+マイナス”複合要因を含む経済的相互
依存現象 である。
 これまで説明してきたa)、b)、c) 三つの政治的要因が、冷戦下の、いわば強要さ
れた「平和共存」的国際秩序から個々の国家を解放し、自己主張を強めさせる働
きをしたため、国際体制を分化させ、秩序の形成・維持を困難にする働きを持っ
ているのに対して、経済的相互依存現象は、それとは反対の働きをする、と考え
られる。少なくとも経済的には、増大を続ける相互依存状況下にある諸国家は、
政治的・軍事的対立が起きた場合でも、現実的、実利的な立場に立ち、できるだ
け事を荒立てずに、妥協し、解決策を見出す努力を迫られる状況を作り出してい
る。軍事的手段によって国益を守り、あるいは増進するにはコストがかかりすぎ
るから、非軍事的な手段、特に政治経済的政策を通じて、相互依存関係から互恵
的な利益を引き出す方が良い、という判断が生まれるのである。例えば、最近国
際政治的影響力をめざましく増大させている中国は、それを支える経済成長の結
果、食料やエネルギー資源の自給が困難となり、それらの輸入量は増大を続けて
いるだけでなく、経済発展を続けて行くためには、外国からの投資を確保し、さ
らに増やすような努力が必要となっている。つまり、経済的相互依存の深化・増
大はプラス要因として働いていると同時に、中国にとっての、新しい拘束条件と
なっているのである。
 
以上の、経済的相互依存のプラス要因の認識は、グローバリゼーション肯定論
を支える要素となるが、それを普遍的理念と考えることには問題がある。なぜな
らば、その認識は、長年にわたって帝国主義的拡張政策を実践し、その結果大国
としての地位を確立した既成先進大国の経験から生まれたものであって、まだ、
全ての国々によって受け容れられるほどの普遍性はもっていないからである。そ
れにも拘わらず、諸経済大国が自国に利益をもたらすグローバリゼーションをさ
らに推し進めようとすれば、必ず政治的反動を呼び起こしてしまうことが危惧さ
れる。


●V. 終わりに ――

  グローバリゼーションに内在する矛盾としての安全保障問題にどう対処するか

 多くの先進的国家にとっては、経済的意味だけでなく、国民心理から見ても、
軍事力の行使はコスト(犠牲)が高くなりすぎたため、その役割と有用性は大幅に
減少してしまった。
つまり、既存国家、特に先進諸国がお互いに戦火を交える蓋然性は極度に低下し
てしまった、と考えられる。しかしながら、他方、テロ行為の頻発によって、国
家の安全保障が脅かされているにも拘わらず、これに対処する方策は、理論的に
も経験的にも発見されていない。この矛盾をどうすれば解決できるかは、政策的
にも、学問研究にとっても極めて大きな課題であるが、まだ、有効な答えは見付
かっていない。多分、試行錯誤を続ける以外に方法はないであろう。
 
しかしながら、日本の安全保障政策は如何にあるべきかという観点から最近の
安倍政権の動向を見るならば、その主要閣僚たちの行動や、発言から察せられる
ように、21世紀の世界が、極めて複雑な構造をもった複合的相互依存状況に置
かれていることを、ほとんど理解していないように見受けられる。しかも、安部
総理自身、「参院選は政権交代を問う選挙ではない」として自民大敗を理由にした
辞任を否定しているが、安倍首相は小泉前首相の辞任に伴って行われた自民党の
総裁選に勝ったことで、いわば自動的に首相の座についただけであって、国民の
信任を反映してはいない。国会解散、総選挙の手続きを経ない限り、安全保障政
策のような重要課題を任させられるものではないのである。
 
さらに、最近訪米した小池百合子防衛相は、日本で小沢民主党代表が米国大使
との会談で「テロ対策特別得措置法」の延長反対を明言したことを批判して、「小
沢氏は湾岸戦争に日本がどうやって関与するか苦労していたが、カレンダーはそ
こで止まってしまっているような気がする」と記者団に語った(『読売新聞(夕)
2007/8/10』)と報じられているが、小池女史自身、アメリカべったりで、世界政治
経済状況の大きな変化の意味を全く理解していないのではなかろうか。
 
いずれにせよ、日本が取りうる道は、置かれている状況を見極めながら、21
世紀的価値観に立って、理性的、合理的に、政策的方向を見定め、足りないとこ
ろを補い、間違っている部分を是正して行くことしかないだろう。特に今年の1
1月に「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が「集団自衛権」の行使
に関する憲法解釈の変更を内容とした提言を提出することが予定されているが、
これには大きな問題が含まれている。この有識者懇談会は、多くの新聞報道によ
れば、「始めに改正ありき」の構成であったことから押して、提言の内容は、筆者
がこれまで論じてきた観点や立場は殆ど考慮されていない時代遅れのものとなる
ことが予測される。

 「集団自衛権」とは何か、それは現代国際政治のもつ複雑な構造と問題点に照
らして、さらに、日本人が、日本という国家に課された国際的役割や貢献の在り
方に照らして、どう考えるか、が重要である。喧々囂々たる議論の中から、理性
的、合理的な結論を導き出してほしい、と願うのみである。

[追記] 今回は「安全保障問題」を多くの人に理解して貰った上で、議論の土台に
して貰うために、出来るだけ具体的に論じたいと考えたのであったが、その意図
とは裏腹に、主題が大きすぎ、また全体像を描こうとしたために、実際には些か
抽象的な論議のレベルに留まってしまった。将来、又機会があれば、今度こそ、
個々の問題点を具体的に論治手みたい、と思っている ―― 蝋山道雄。
                  (筆者は上智大学名誉教授)

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