≪小特集;教育基本法≫

■安倍教育改革の欺瞞                岡田 一郎

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○ある新聞記事

 自民党総裁選直前の2006年9月6日、『産経新聞』に「教育を考える 安倍政権でこうなる」と題された記事が掲載された。これは同年8月29日に開催されたシンポジウム「新政権に何を期待するか?」において、安倍晋三官房長官(当時)側近の代議士が語った言葉を拾ったものであるという。この記事に登場する
のは、下村博文・山谷えり子・稲田朋美の3代議士である。安倍氏本人の発言は
この記事に登場しないが、下村氏は安倍内閣で官房副長官・山谷氏は首相補佐官
(教育再生担当)として重用されていることを考えると、安倍氏自身もこれら側
近議員の考えに近いことが類推される。(稲田氏は自民党総裁選で麻生太郎外相の
推薦人に名を連ねている)
 安倍氏は自民党総裁選において最も強調していたのは教育改革であった。その
後、いじめ自殺問題や高等学校での必修科目未履修の問題などが発覚し、安倍氏
が唱える教育改革に対する世論の関心が高まっていくことになるが、この記事は
そのような機運が生まれる以前に発表されたものであり、安倍氏およびその側近
議員たちが日本の教育の何に問題意識を持ち、教育改革を唱えるようになったの
かを示唆するもので興味深いものである。
 それでは、3代議士は教育問題についてどのようなことを述べているのだろう
か。その主な部分を抜粋してみたい。

※下村氏
・(子どもたちに助け合いの精神などを学ばせるために)高校卒業は3月だが、
大学入学は9月にする。半年のブランクのうち3カ月間は、介護施設などで奉仕
活動をしてもらい、その経験がなければ大学に入学させない。
・ジェンダーフリー教育は即刻やめさせる。自虐史観に基づいた歴史教科書
も官邸のチェックで改めさせる。
・文科省にも共産党支持とみられる役人がいる。官邸機能の強化には、省
庁の局長以上の人事については官僚ではなく政治が任用することが必要だ。

※山谷氏
・安倍官房長官は「今の日本の教育がいいと思っている国民は1人もいない
んじゃないか」というほど激しい怒りを持っている。
・下村さんが文科政務官だったときに、文科省は過激な性教育や韓国からの
教科書採択妨害文書について全国の実態調査をした。どこに問題があるか分
かった。文科省に任せたのではまた緩んでくる。だから官邸に推進会議を作
らなければならない。
・ゆとり教育は「ゆるみ教育」になっている。中学の英語の必修単語を507
から100に減らした。学力が落ちるに決まっている。

※稲田氏
・若者に農業に就かせる「徴農」を実施すれば、ニート問題は解決する。そ
ういった思い切った施策を盛り込むべきだ。

○3代議士の問題意識
 3代議士の問題意識をまとめてみよう。3代議士によれば、日本の教育の問題
点と解決策は次のようになるであろう。
・ジェンダーフリー教育や自虐史観に基づく教育が日本の教育をダメにしている。
・文部科学省には共産党支持者などがおり、教育をダメにしている。
・奉仕活動や農作業を強制にすることで、子どもたちに助け合いの精神や勤労
意識を持たせる。
 この3代議士の問題意識が安倍首相の取り組んでいる教育改革の出発点だと考
えられる。であるならば、この3代議士の問題意識を検証することで、安倍教育
改革が妥当なものであるか否かを検証することが出来るのではないかと考える。
もしかしたら、「これらの考えはあくまでも3代議士の考えであって、安倍氏本
人がこのように考えているとは限らない」という反論があるかもしれない。
 しかし、前にも書いたように、安倍氏は3人のうち2人を安倍内閣で要職に重
用しており、1人を教育再生担当の職につけている。ということは、安倍氏は3
人のうち少なくとも2人の意見に近い考えであることが推測される。また、ジェ
ンダーフリー教育やいわゆる「自虐史観」に対するあからさまな敵意は安倍氏が
常日頃から公言していることでもある。

○ジェンダーフリー教育と「自虐史観」
 安倍氏はかつて男女の性別役割分業を否定するジェンダーフリー教育が過激な
性教育を蔓延させ、風紀の頽廃につながると主張してきた。そして、「過激な性教
育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト」の座長をつとめ、全国からジ
ェンダーフリー教育に対する苦情などを集め、ネット上で公開するなどの活動を
おこなってきた。また、安倍氏は、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」
の事務局長をつとめ、日本の戦争責任などを強調する、いわゆる「自虐史観」は、
子どもたちに日本に対する誇りを失わせるとして強く反対してきた。3代議士も
安倍氏と価値観を共有し、この2つに対して激しい怒りを感じているようである。
 
 それでは、果たしてジェンダーフリー教育と「自虐史観」が日本の教育をダメ
にしたのだろうか?まず、ジェンダーフリー教育についてだが、この教育が推し
進められるきっかけとなった男女共同参画社会基本法は2000年に施行されてい
る。しかし、風紀の頽廃はそれ以前から問題になっていた。女子高生などによる
下着や制服の販売(いわゆるブルセラショップの隆盛)や援助交際などの問題は
1990年代に社会問題化していた。フェミニズムが注目されるようになった1995
年の第5回世界女性会議以降、ジェンダーフリー教育が盛んになったと仮定して
みても、その時点で既に女子高生をめぐる上記の問題は発生しており、ジェンダ
ーフリー教育と風紀の頽廃はあまり関係がないのではと思われる。現在より、男
女差別が厳しかったと思われる1970年代や80年代にも女子大生売春など風紀の
頽廃が問題になっていたことをどう考えるのだろうか。
 
 「自虐史観」問題についても、それが教育とどう結びつくのかまったく不明で
ある。仮に、「自虐史観」に基づく教育がおこなわれていて、子どもたちが洗脳さ
れていたとしよう。「自虐史観」に基づく教育をおこなうのは、革新政党系の教師
であると考えられるから、安倍氏や3代議士が言うように、「自虐史観」に基づ
く教育が成功をおさめているとしたら、今頃、革新政党の支持率が伸びていなけ
ればおかしい。しかし、革新政党が衰退し、ネット右翼と呼ばれる右翼的な青少
年が増加しているのはどういうわけだろうか。
 
「自虐史観」に反対する人々、(いわゆる)「自由主義史観」の人々は、「自虐史
観」が横行している根拠として、「自由主義史観」に基づく「新しい歴史教科書を
つくる会」が作成した教科書がほんとんどの地域で採択されなかったことを挙げ
る。山谷氏は韓国が妨害したかのごとく言っているが、「新しい歴史教科書をつく
る会」が作成した教科書が採択されなかった理由は、今日の歴史学の水準から見
てあまりにも誤りが多く、レベルが低すぎたからである。教科書検定においても、
他の教科書会社と比べても修正点が群を抜いて多く、検定後もなお、間違いが多
く指摘されている。(1)むしろ、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が採択
した地域の方で、教科書選定の過程で教師が排除されるなど、首長による強引な
手法がとられたのである。それでも、「新しい歴史教科書をつくる会」の中学校社
会科の歴史教科書の2005年の採択率は0.7%程度に過ぎなかった。(2)
 また、下村氏は官邸のチェックで「自虐史観」を改めさせるというが、これは
日本国憲法が禁止する検閲ではないか。

○文部科学省が問題か

 山谷氏は安倍氏が「『今の日本の教育がいいと思っている国民は1人もいない
んじゃないか』というほど激しい怒りを持っている」と言うが、1955年の自民党
結成以降、ごく一時期を除いて、自分たち自民党が政権を担い、文部大臣(文部
科学大臣)を輩出してきたという事実をどう捉えているのだろうか。自分たちが
教育行政を担っておきながら、まるで他人事のように、「今の教育が悪い」などと
嘆いてみせるのは無責任の極みではないか。下村氏は教育荒廃の責任を、文部科
学省内にいる「共産党支持者」の責任にしたいようだが、もしも省内の「共産党
支持者」が共産主義に基づく教育政策を推進したというのなら、そのような官僚
の暴走を制止できなかった自民党出身の文部科学大臣の監督責任をどうとらえる
のだろうか。
 
 また、安倍氏や安倍氏側近やことあるごとに「ゆとり教育」を攻撃し、暗に「ゆ
とり教育」を推進した元文部官僚・寺脇研氏の責任を追及し、今日の教育荒廃の
問題を文部科学省の責任である根拠とすることが多いが、一官僚に過ぎなかった
寺脇氏が単独で「ゆとり教育」を推進できたわけではなく、必ず文部科学大臣の
お墨付きが必要であったはずである。寺脇氏の責任を追及するのならば、「ゆとり
教育」を推進した当時の文部科学大臣の名もあげられなくてはならない。
 
「ゆとり教育」が槍玉にあげられることが多いので、「ゆとり教育」について少
し触れるが、個人的には「ゆとり教育」はかつてのカリキュラムについていけな
い生徒たちのみを対象にしたならば、効果のある政策であったと思っている。し
かし、到達度の高い子も低い子も画一的に「ゆとり教育」を強要し、なおかつ「ゆ
とり教育」に合わせた学校制度改革・入試改革がおこなわれなかったため、「ゆと
り教育」は破綻したと思われる。
 
 例えば、中学校社会科地理を例にあげるならば、私の中学校時代(1986年4
月~1989年3月)、世界と日本の全地域を授業で習っていた。ところが、その後、
世界地理に関しては、学校が選んだ3地域のみを教えればよいことになり、さら
に日本地理についても3県のみを教えればよいこととなった。(また世界地理も3
カ国のみ教えればよいこととなった)しかし、学校や教科書によって、教える県
や国が異なり、高校入試の問題作成に不便が生じるため、教科書の最後に世界全
体や日本の有名な山脈・平野・河川を集中的に取り上げる章を設け、主にここか
ら問題が出題されることとなった。そのため、学校ではあまり時間が割かれるこ
とのない章から入試問題が出題されるようになったため、子どもたちは学校の授
業を軽視し、塾通いに精を出すことになった。地理以外の科目についても同じよ
うな問題が発生したと思われる。

○強制されるボランティア

 下村氏や稲田氏は子どもたちに共同作業を義務づけることによって、助け合い
の精神や勤労意欲を涵養しようとしている。しかし、問題はそんな単純なものだ
ろうか。下村氏は奉仕活動を大学入学の条件にしようとしているが、大学に入学
するために子どもたちがいやいやおこなう奉仕活動によってどのような弊害が起
こるか予測できないのであろうか。本来、奉仕活動とは、「誰かの役に立ちたい」
と心から思って初めておこなうものである。もしも、奉仕活動が強制されれば、
いやいやながら奉仕活動に従事させられた子どもたちは、奉仕先でお年寄りや身
体障害者たちに日頃のうっぷんやストレスをぶつけ、各地で若者による弱者に対
する暴力行為が多発するであろう。奉仕される人々にとっても、大学入学のため
のパスが目的の子どもたちにいやいや奉仕されたとしても、何のありがたみもな
いであろう。稲田氏の徴農論も、農業の現実やニート問題を理解していない暴論
である。そもそも、稲田氏は農作業を体験したことがあるのだろうか。農作業は
都会育ちの素人には耐えることが困難な重労働である。体力が年々低下している
と言われる若者には耐えられないであろう。そもそも、都市から派遣された若者
たちを農村でどのように受け入れるのか。それに、ニートと呼ばれる人々は働く
のが嫌でニートをしている者ばかりではない。働く意志があるにもかかわらず、
働く場所のない者も大勢いる。そうした人々に農作業を課して、何が解決すると
いうのだろうか。
 
 安倍氏にしても安倍氏側近にしても、保守主義者を自ら名乗り、反共的な姿勢
を露にしながら、発想が「共産主義的」なのはどういうことだろうか。下村氏の
奉仕活動義務化はかつて(あるいは北朝鮮などでは今日でも)、社会主義国で学生
が勤労奉仕に駆り出されたことを連想させるし、稲田氏の徴農に至っては中国の
文革期の下放やカンボジアのポル・ポトを連想させる。私は「自由主義者」とし
て個人の意思に反する奉仕活動や農作業の強制に反対である。

○観念的な教育改革論議

 私が今回、批判的に取り上げた『産経新聞』の記事を初めて読んだとき、私は
産経新聞社内の安倍氏を快く思わない記者が「ほめ殺し」のためにわざと掲載し
たのではないかと考えた。案の定、この記事が掲載されるや、ネット上でこの記
事は大変な評判となり、多くの掲示板やブログでは安倍氏に対する怒りの声が書
き込まれ、安倍氏がネット上の人気を急落させる一因となった。
(3)
 3代議士や産経新聞社はおそらく、自分たちが主張することが国民の多大な支
持を得ると確信して、公然と自らの教育改革論をぶちあげたのであろう。しかし、
彼らが教育の問題と考える点は、それが現在、国民が感じている教育の問題点と
はまったく異なるものであり、現在の教育荒廃に対する処方箋になっていないこ
とは明らかである。そのことを端的に示したのが、教育基本法改正案を審議する
過程において、野党から寄せられた「教育基本法を改正することが今日の具体的
な教育問題を解決することとどのようにつながるのか」という質問に対して、安
倍首相が何も答えることが出来なかったという事実である。そもそも安倍氏やそ
の側近たちは教育問題に関心があるというのならば、いじめ問題をどう捉えてい
るのだろうか。いじめとその被害者の自殺という問題は20年以上前から何度も
社会問題となっている、それに対して政府はなんら有効な対処をおこなっていな
い。教育問題の専門家を気取るならば、何か一家言あるはずだと思うのだが、い
じめ問題に対する具体的な解決策を一向に安倍首相も側近議員も示さないのはど
ういうわけか。それとも、そういった問題もすべてジェンダーフリー教育や「自
虐史観」の責任だとでも言うのだろうか。
 
 子どもたちに自分たちのイデオロギーを注入しようなどと考える前にまずしな
ければいけないことは、子どもたちを取り巻く教育環境を改善し、子どもたちや
教師のストレスを解消することではないか。例えば、地球温暖化で夏季は気温が
30度を超える日が多くなったにもかかわらず、なぜ公立学校の教室には冷房がい
まだについていないのか。なぜ、1クラスは40人とあいも変わらず多いのか。
 冷房の完備をはじめとする学校施設の充実化などで子どもたちが学校で気持ち
よく勉強できる環境を整え、1クラス定員を20人に半減し、教師の目がとどきや
すくすることで、教師がクラスの実態をより把握できるようにするだけでも、い
じめをはじめとする問題はかなり改善されるのではないだろうか。
 
 また、教師の免許更新制の導入の是非が話題となっているが、講習の受講で免
許の更新を認めるのではなく、担当教科の知識を問うテスト(中学校教師ならば
公立高校の入試問題、高校教師ならばセンター試験レベルの問題)を数年ごとに
課し、授業能力に欠けた教師を一掃することも検討に入れたほうが良いのではな
いか。(担当教科に関しても知識の不足した教師が多すぎる)また、教員志願者に
は、数年の社会経験を義務付けるのはどうであろうか。教師の世界は閉鎖され案
外狭いものである。学校を卒業し、即教員になると、視野が狭くなりかねない。
そうならないためにも、学校以外の社会を経験してから教師となったほうが、教
師の視野も広がり、クラス運営などもうまくいくのではないかと思われる。
 
現在の教育荒廃に対処するためには、具体的に問題点をあげ、それを解決する
ためにはどのようなことが必要か具体策をだしていくことである。安倍氏および
その側近議員たちの教育改革案は、自らのイデオロギーを子どもたちに強制する
ことに主眼が置かれ、なんら現在の教育が抱える問題点に対処したものではない。
そのことを、本稿では安倍氏側近議員の言動を分析することで明らかにした。
(1) 歴史学研究会編『歴史学研究の現在と教科書問題-「つくる会」教科書を問う』
歴史学研究会、2005年参照。
(2)http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=81234&servcode=400&sectcode=
400
(3)それ以前から安倍氏のネット上での人気はあまり芳しくなかった。麻生氏が場に
応じて臨機応変 に演説の内容を変えるなど巧みな話術を披露し、得意のサブカル
チャーに関する知識で若者の心をとらえたのに対して、安倍氏は同じ内容の話を単
調にしか話すことが出来ず、麻生氏に話題をさらわれたからである。

(小山高専・日本大学・東京成徳大学 非常勤講師)

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