【コラム】
『論語』のわき道(8)

富国強兵

竹本 泰則

 先の大戦の終結以来、わが国では七十年あまりにわたって戦争がない時代が続く。この間、騒がしいこと、心配なこともそれなりにあったが、これだけ長期にわたって、ともかくも戦禍がなく過ぎたということは奇跡といえるような気がする。とはいっても盤石の平和を得ているわけではない。それどころか、国の内にも外にも不安の種は尽きない。
 この先も安寧であってほしいものだがどうなることやら……。
 一人一人をみれば、とんでもなく危ない輩ではなくとも、いつの間にかわけの分からぬ理屈、個を超えた集団の論理にまみれて全体が暴走する。そうした危うさが怖い。

 わが国は明治の時代に、欧米列強が圧倒的な武力をもってアジア諸国を蚕食する現実を目の当たりにし、「富国強兵」策を強力に推し進めた。当初、士族以上の身分に限っていた軍人の資格も、早々に「国民皆兵」へと転換し軍隊の増強を図った。
 この「富国強兵」という言葉があたまに浮かんできたのは、小学唱歌「蛍の光」の原詞を知ったときであった。

 この唱歌についてはインターネット上にさまざまな情報が見られる。それらをまとめると、この歌は「蛍」の題で、日本で最初に発行された小学唱歌初編(明治十四年刊)に収められている。その歌詞は一番から四番まであり、わが国の領土の拡大に合わせて一部が変更されたりしている。そして第二次大戦後、学校では二番までしか教えられなくなったという。
 この曲はパチンコ店やデパートなどにおいては閉店時間を知らせるために店内に流され、歳末の恒例番組であるNHK「紅白歌合戦」のフィナーレに出場者全員が合唱する。だが何といっても卒業式の定番曲というイメージが強い。もっとも今では卒業式にこの歌を使わない学校もあるというが……。

 わたしも二番の歌詞までは卒業式などで歌った覚えがある。しかし言葉の意味などを教わった記憶はない。改めて読んでみると小学生の歌としては少し難しい表現が多い。
 四番までの歌詞を自分なりの解釈によって適当に漢字を当てながら書くと次のようになる。

  一、蛍の光 窓の雪 書(ふみ)読む月日 重ねつつ
    いつしか年も すぎの戸を あけてぞ 今朝は 別れ行く

  二、とまるもゆくも 限りとて 互(かた)みに思う 千万(ちよろず)の
    心の端(はし)を 一言に 幸(さき)くとばかり 歌うなり

  三、筑紫の極(きわ)み 陸(みち)の奥(おく) 海山遠く 隔つとも
    その真心は 隔てなく 一つに尽くせ 国のため

  四、千島の奥も 沖縄も 八州(やしま)の内の 守りなり
    至らんくにに 勲(いさお)しく 努めよ 我が背 つつがなく

 四番の「至らんくに」の意味するところが分かりにくい。至らんは、至らぬ、つまり日本の支配がまだ及ばない国とする解釈があるが、一方、未来推量の「む」として至らむとする説もある。感覚的には後者に共鳴する。「至らんくに」とは任地として赴いていく先といったくらいに読んでいいように思う。

 いずれにしろ、全体を通して読めば、歌われているのは机を並べて学んだ友との別れではなく、国の防衛のために徴用された夫(あるいは兄)との別れであることが知れる。これには意外の感に打たれた。
 明治政府は、小学校の音楽教育までも動員して富国強兵に向かってまっしぐらに突き進んだということか。

 ついでながら、今も歌われる唱歌の中には、ほかにも戦意高揚につながるような歌詞のものがある。たとえば小学六年生の「歌唱共通教材」(どの教科書にも入れられる必須の教材曲)である「われは海の子」の歌詞はもともと七番まであって、その七番目の歌詞は

  いで大船を乘出して 我は拾はん海の富。
  いで軍艦に乘組みて 我は護らん海の國。

となっていたのだそうだ。軍艦が登場し、国防の思想も含むことから、敗戦直後にGHQの指示で教科書から削られてしまい、後に三番までが学校で教えられるようになったという。現在も文部省唱歌となっており、文部科学省の学習指導要綱に「歌詞は第3節まで」と明記されているということだ。

 また「冬の夜」の二番の歌詞の冒頭は「囲炉裏の端に繩なふ父は 過ぎしいくさの手柄を語る」である。ところが、戦後のある期間、後半部分は「過ぎし昔の思い出語る」と改変されてしまった。しかしこれでは後に続く「居並ぶ子供は ねむさを忘れて 耳を傾けこぶしを握る」とのつながりが不自然になる。子どもたちが眠気を忘れ、こぶしを握りながら聞き入るのは、やはりいくさの手柄話の方が合う。そのため今ではオリジナルで歌われているようだ。

 『論語』には軍事を優先する思想は薄いように思える。
 孔子が弟子から政治の要諦は何かを尋ねられた記述がある。孔子はその答として、

  食を足し、兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ

 ―経済を盛り上げること、兵力を増強すること、国民からの信頼感を確立すること―
の三つを挙げる。
 弟子が「三者のうちで一つを諦めるとすれば、それは何ですか」と訊くと、

  兵を去らん

 つまり兵力の増強を一番に捨てると応えている。
 軍事は重要としながらも最優先事項とはなっていない。
 問答はさらに続き、残り二つではどちらを優先するかが問われる。その答は次だ。

  食を去らん。古(いにし)えより皆(みな)死あり、信なくば立たず

 経済をあきらめる。昔から人は誰も死を避けることはできない。つまり生きたい、死にたくないという思いは、いつかは放棄せざるを得ないのだ。しかし人間社会における信頼・信義は何があっても放棄してはならない。これ無くしては、人としての、あるいは国家としての存立はないのだから、といった思想であろうか。

 孔子が何歳のときの言葉なのかは不明だが、これだけの理想論を堂々と言えるとはすごい。すごいと思いながらも、どうにも納得しかねる。今の時代にあって孔子に反論しても始まらないのだが、もし他国が軍事的に攻めてきたとしても「座して死を待つ」ことでよいというのだろうか。
 孔子独特の思想の世界、哲学の領域の話であり、現実の世界では表に出ることなどあり得ないような理想論と決め込んでいた。

 豈(あに)図らんや、日本国憲法の前文にいわく、
  日本国民は、(中略)恒久の平和を念願し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した、と。

 (「随想を書く会」メンバー)
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