■横丁茶話

 ~小沢一郎は悪党か?~        西村 徹
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■議員専用エレベーター?


  徘徊老人という雅号を持つ俳人で、数え年80になる人物の「老人はゆく」とい
うブログに出会った。1月31日の書き込みは見逃せない内容なので、一人でも多
くの人に読ませたい。「老人はゆく」で検索すればたちどころに出てくるが、な
にはともあれその一節を紹介しておく。

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  【引用開始】
    今朝、参議院議員会館のエレベーターを待っていると、議員専用がき
   たので乗り込もうとしたところ、先に乗った蓮舫大臣の付き人らしき男
   が、「ここは議員専用だから乗れません」と通せんぼしたが、かまわず
   乗り込んで、「専用エレベーターではなく一般のエレベーターにも議員
   は乗っているではないか」というと「あれは誰でも乗れるもの」と答え
   た。「空いていれば誰が乗ろうといいではないか」というが「いやだめ
   だ」という。蓮舫大臣はその間、例の作り笑いを浮かべて素知らぬ顔で
   ある。

   そのうちに彼らは4階で降りた。徘徊は一緒に降りて「あんたは誰の
   秘書だ。何十年も国会に来ているが、こんなこと言われたのは初めてだ」
   といったが返答しない。後ろ姿にむかって「そんなこといってるから
   民主党はダメになったんだ」と言ってやった。
 
    国会議員特権を、こんなにあからさまにいわれたのは1955年に国会に
   足を踏み入れて以来初めてだが、自民党にはこれと正反対の議員がいる。
   中曽根弘文議員(自民党参議院議員会長)だ。昨年末、院内4階の国
   会図書館分館からエレベーターに乗った。3階で乗ってきた中曽根さん
   に、こちらが頭を下げる前に「お邪魔します」と頭を下られ恐縮した。

   この直後に参議院会館の議員専用エレベーターで地下から乗ってきた
   中曽根さんにまた出会ってしまった。1階で地方のおじさん2人が私の
   あとから、あたふたと乗り込んできた。中曽根さんは間髪を入れず「何
   階ですか」と問い、おじさんが行き先階を告げると、ボタンを押した。
   まことにご親切というか、気の利いたというか、自然体の見上げた謙虚
   なお人柄に心底敬意を表した。以後、中曽根さんに会うと深く頭を下げ
   る。成り上がりの民主党議員にはこれがない。
                         【引用終了】
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 もう一段落あるが割愛する。なるほど怒るはずだ。半世紀を越え60年ちかくも
国会に出入りしている老兵にむかって、ポッと出の人よせシンデレラ大臣の秘書
がよくも言ったものだと呆れる。土井たか子が質問のタネをもらいに駆け込んで
きたこともあり、売れないころの田原総一郎がやはりタネ探しにこの人の研究所
に一日すわりこんでいたこともある。一癖ある顔を一目見て、人が読めなかった
というのも代議士の秘書としてはお粗末にすぎる。これじゃ民主党の惨状がどこ
に起因するのか少し分る気がする。まだこんなに締まらないままでいるのか。崖
っぷちでまだこんなに浮かれているのか。青臭いにも程がある。


■病院のエレベーター、身障トイレ、女性専用車


  病院の病棟のエレベーターは、かならず手術室などへベッドのまま患者を運ぶ
ための優先エレベーターがある。そんな緊急性の高いエレベーターでも空いてい
れば患者搬送目的以外にも利用される。身障者用トイレでも空いていれば身障者
でなくても利用できる。女性専用車でもラッシュでなければ男も乗れる。当地の
スーパーには客用トイレに「従業員も使わせていただくばあいがございます」と
断り書きがある。

 参議院議員会館の議員専用エレベーターには、まれに病院の患者搬送専用エレ
ベーターに相当するような緊急事態があるだろう。しかし病院の患者搬送に較べ
てはるかにまれにしか発生しないであろう。むしろ議員専用以外のエレベーター
は来客用なら、「議員も使わせていただくばあいがございます」と断り書きがあ
ってもいいくらいであろう。客すなわち選挙民からすれば議員すなわち従業員で
あるだろう。

 図式化すればこうなる。これぐらいの心構えでちょうどよいだろうと思う。国
会に限らず地方議会も議員はすくなからず身のほどを勘違いしてのぼせ上がって
いる。名古屋市がいい見本だ。陳情にせよなににせよ、議員会館に来る客は客以
外ではありえない。
 
客に通せんぼするとはもってのほかではないか。まるで三尺の童子の無作法だ。
間違って勝手口から入ろうとする客に、伏して玄関からお入りを願うというの
とはワケがちがう。いつなんどき解散があるかもしれない衆議院はここまで緩く
はなかろうが、参議院は選挙が三年に一回しかないから、つい鈍感になる。しか
し参議院でも中曽根ジュニアのような人もいる。先代からの躾けが行き届いて、
たしなみの芯が通っているのだろう。まったく「そんなこといってるから民主党
はダメになったんだ」と思う。 

 徘徊老人が怒るのもむりはないが、ありていは、見た目ほど驕っているわけで
もなくて、ただただ未熟なのだろう気がする。精一杯忠実な秘書らしく振舞って
いるつもりなのだろう気がする。神輿に乗った蓮舫も、ただ吃驚してしまって、
どうしてよいかわからなかっただけだったろう。というより、テレビで売った顔
を買われていわば今様花柳界からの政界参入だから、花魁道中よろしく付き人は
用心棒風に振舞うだろうし、アイドルはアイドルであり続けるしか芸がなかった
のだろうと思う。ちょうど徘徊老人自身が赤坂の蕎麦屋で偶然触れ合った俳句の
女宗匠から、いささか艶冶な句を送られながら、いかんせん未熟だったばかり
に、間のいい返句ができなかったのと似たようなものだったろう。


■民主の醜態、マスコミの醜態


  野暮は言うまい。看板娘は婉然微笑していればよい。というぐらいは「目の奥
青き」徘徊老もじつは心得ているのだろう。秘書の修養が足りなさすぎたようだ。
未熟、ひたすら未熟。そうでも思わないかぎり、今の民主党総崩れの惨状は理
解できない。しかし、それよりも、なによりも、菅直人が代表になって以後の、
どうしても納得いかないことの一つに小沢叩きがある。菅直人らの小沢叩きとい
うより、むしろ菅直人を踊らせているマスコミの小沢叩きは異常としか言いよう
がない。こうも簡単にマスコミに乗せられてしまう民主党菅直人はこうもチョロ
イ男だったのかというのも驚きだが、こうも組織的に執拗に小沢攻撃を続けるマ
スコミの執念にも驚く。

 小沢一郎について私はほとんど白紙である。剛腕とか強面とか、さまざまな情
緒的風評は十分伝え聞いている。それだけである。好男子とも思わないが醜男と
も思わない。いかつい顔とも思わない。好きでもなく嫌いでもない。テレビで断
片的に一秒ぐらいの映像を見るしかないから人物について、主張について判断の
下しようがない。心酔する人もいるらしいが、嫌われてもいるらしい。仏祖の言
葉とされるダンマパダの227偈には

  人々は黙して坐る者を非難し
   多く語る者を非難し
   適度に語る者をも非難する
   世には非難されぬ者はない

 とある。小沢という人が格別に嫌われたとしても格別に不思議はないことかも
しれない。だからといってこのまま放っておいてすむことではない。やはりなに
が非難されているか、その非難の理由、内容を知らないで雷同するわけにいかな
い。この偈のいわんとするところもまた、みだりに人を非難すべきにあらずとい
うことだろう。

 さて党代表選では演説をじっくり聞き、小沢のいう事が菅よりはるかに筋が通
っていたことを憶えている。また1月27日ニコニコ動画でフリーの記者とのイン
タヴューがあって、じっくり見ることができた。人間がどうのこうのではなくて
言っていることはよく理解できたし納得できた。非難に当たるようなところはな
にもなかった。
 
  既存メディアがなにをいっているか。新聞は「朝日新聞」を購読する以外、間
接にしか知らないが、テレビをふくめて小沢一郎のどこがどう悪いか、具体的な
ことは何も言っていないように私には見える。政治とカネとかクリーンとか漠然
と抽象的なことを言って、これが小沢一郎を非難する言葉のすべてのようになっ
ているが、そもそもカネのかからぬ政治など本当にあるのだろうか。カネを集め
るのは政治家がひとしくやっていることだ。大量に集めたのがいかんというが、
いくらならいいのか。

 玄佑宗久は子供のころ坊主がお布施で生活することに疑問を持ち、たまたま自
宅に逗留した山田無文に問うたという。山田は「入ってくるものは仕方がない」
と言ったという。集まってくるものは仕方がないではないか。小沢に集まるカネ
はクリーンでないが鳩山や麻生の親譲りのカネならクリーンというのはおかしい
のではないか。


■カネのかからぬ革命はあったか?


  革命がタダでできるか。ロシア革命における明石元二郎のケースがある。オバ
マはインターネットで浄財を集めたなどと美談がましくいわれるが、見せかけの
表看板、総額も知れたもの。選挙資金の大方はウォール街や、なにより米民主党
オーナーというべきジョージ・ソロスからのものだ。ソロスのカネはウクライナ
などでも動いた。現在のエジプトの場合にも動いたといわれる。麻生の兵糧攻め
を耐え抜いて政権交代を果たしたについて鳩山のカネ、小沢のカネはモノを言わ
なかったか。平野博文は鳩山から1000万もらったではないか。「ブレア首相を聴
取、労働党への巨額融資疑惑の参考人で」 (2006年12月15日1時31分 読売新聞)
という記事もあった。

 ざんねんながら政治にカネは必要悪だというのが間接民主主義の今のところま
だ逃れられぬ運命のようだ。だからといって諦めるわけにはいかない。まったく
カネのかからぬ政治は絵に描いた餅だとしても、できるだけかからないようにす
るのがいいのはいうまでもない。政治にできるだけカネがかからないようにする
のは誰しもの願いだ。願っているだけではだめだからそのための法規を含めてシ
ステムを整備しなければならない。しかし、それまでは現行法規のなかで対処す
るほかない。現行法規をそのままほったらかしにしておいて、現行法規に触れも
しないことを、風評の煙を立てていぶりだそうとするのは魔女狩りでしかない。

 魔女狩りでないためには、いくら集めたから悪い、でなくて集めたカネは悪い
カネだという具体的な証拠が必要だ。贈収賄が立証されないまま帳簿を書き損じ
たとか書き忘れたとかではしょうがない。ところが新聞も検察も、自分勝手に疑
いたいものを疑いたいだけ疑って、クロだクロだと勝手に騒いで虚構によって疑
わしきは罰せよと言う。小沢は悪い、悪いという。どう悪いのか誰も教えてくれ
ない。小沢だから悪いというだけだ。嫌いなら嫌いとだけいえばよい。嫌いだか
ら悪いとはいえないはずだ。小沢は小沢だから小沢だと言っているだけではない
か。


■笑顔でない顔(まじめな顔)はみな不快そうな顔か?


  小沢一郎のニコニコ動画記者会見(1月27日)を朝日新聞は28日無署名で報じ
た。「朝日」は言う。「小沢氏は笑顔で質問に応じていたが、強制起訴後の身の
振り方を聞かれると不愉快そうな表情に変わり、『国民の要請に従ってやりま
す。変わりありません』と短く答えた」。私が見たかぎり笑顔ではなかったが
「不愉快そうな表情」には見えなかった。笑顔でなく、まじめな顔なら、みな
「不愉快そうな表情」ということにはなるまい。こういう風に、つまり無署名
で、記者の主観を客観的事実報道であるかのように書くのが少なくとも小沢報道
についての朝日新聞の定石になっているかに見える。

 「朝日」はこうも書いている「16日放送のフジテレビの番組では政治資金に
ついて質問した出演者に『今日は政策論議でお招き頂いている。そういうたぐい
はなるべく後の機会にしたい』と、露骨に不快そうな表情を見せた」。放送を見
ていないから判断は保留するほかないが、16日には「露骨に不快そうな表情を見
せた」のだから27日もおなじでなければならないと考えたのだろう。それなら私
の目には27日に「不愉快そうな表情」ではなかったのだから16日も「露骨に不愉
快そうな表情を見せた」というのはウソだろうと思うほかない。朝日は記者クラ
ブで省庁職員が記者の昼寝用枕を準備することなどは報じなかった。富の分配に
ついての小沢発言にも触れなかった。


■小沢の言い分


  富の分配など小沢の言い分をもうすこし念を入れたいと思って『小沢主義』(
2006年・集英社)という本を読んでみた。大枠はほとんど社民的リベラル、心情
的には近ごろ流行のコミュニタリアニズムの気味もあるというところで括れるよ
うな内容だった。小泉改革については「弱者の負担をふやすものばかり。その半
面、累進課税の緩和や金融所得への減税など、富裕層や大企業を優遇する経済政
策だけは着々と進めている」(56ページ)ときびしく批判している。且つまた、
それは、けっきょく「多くの人たちに痛みを与え、その一方で特定の者にだけ利
益をもたらすもので、およそ本来の改革とは似ても似つかぬもの」(85ページ)
と総括し、「ひとたび改革をしようと決意すれば、どこまでも前進あるのみで、
妥協は許されない。

 もし、妥協をするのであれば、最初から改革などしないほうがいい。・・・も
ちろん改革によって既得権を失い、不利益をこうむる人はかならず出る。既得権
者の中には、それまでの仕事を失う人たちだってでてくるかもしれない。しか
し、大多数の人たちに幸せをもたらすためには、それを乗り越えなければならな
い。」(同ページ)と、はっきりしている。
 
  行を変えて「改革がもたらす『現実』に怯えて、改革そのものを中途半端なも
のにしてしまうのなら、最初から改革などやらないほうがいい」(同ページ)と
反復していて、まるで目下菅体制の妥協に妥協を重ねる後退振りを言い当ててい
るかのようで興味深い。

 官僚については菅のように「大バカ」とは言っていない。反対に「日本の官庁
には明治以来集積した膨大なデータと経験がある。それを元にして計画を立てる
のだから、その緻密さにおいては政治家が勝てるわけがない」と言う。(96ペー
ジ)
  そのような官僚を相手に、いかに政治主導を可能にするか、この書物の趣旨を
あえて誤解をおそれずに縮言するならば「政治家が自ら官僚になる」、つまり自
らを官僚の水準にまで練り上げることによるのであるらしい。


■小沢の自己責任論


  読んで違和感をおぼえるところはなく、むしろ共感できることばかりですらあ
ったが、とりわけ興味深かったのはグランド・キャニオンの一件。しばしば小沢
は新自由主義者だとする根拠になっている箇所だ。

 グランド・キャニオンには柵も危険表示もない。毎年何人も落ちて死ぬが景観
を損なうような柵や看板のたぐいはいっさいない。日本だったらどうなるか。肝
心のものが見えなくなるほど邪魔物だらけになるだろう。スピーカーが大音量で
危ない危ないとがなりたてるだろう。こんなことは「自己管理」にゆだねるべき
ことだと小沢は言う。まったくそのとおりだと思う。

 川が流れていれば大抵コンクリートの護岸がなされ30センチほどのコンクリー
トの堤が盛り上げられ、その後堤上に金属フェンスが立ち上がり、高すぎるとい
う苦情が出ては少し低いフェンスに替わる。そのたび公共工事が発生して経済を
活性化させたのではあろうが、今このフェンスが標準化して、どんな河にもつい
ている。ちょうど視野を遮ってはなはだ不都合なものである。こういうものを逐
次撤去して本来の自然状態に戻すことに再度公共事業による雇用を創出すべきと
私は考える。

 その点で私は小沢の自己責任論にまったく賛成である。政治以前に福沢諭吉の
いう一身独立、世にいう「個の確立」がなければならないというのだ。「個の確
立」がないから「弧の確立」が、そして孤独死が結果してしまった。私はこの小
沢の迎合的(ポピュリズム)でないところは高く評価してよいと思う。それが新
自由主義なら新自由主義を評価してよいと思う。私はBI(ベーシック・インカム
)に賛成だ。

 新自由主義のフリードマンが言い出したのならフリードマンに賛成だ。BIさえ
あれば1月8日に起こった大阪府豊中市の資産家姉妹の相続税破産による餓死はな
かった。メイ・サートン『独り居の日記』の中で著者は政治家ド・ゴールの資質
器量についてwholeと修飾していた。政治家は個別の主義によって分類さるべき
ではなくwholeとして見らるべきものであろう。小沢にどれだけの器量がある
か、松本健一は小沢にはビジョンがないという(朝日新聞1月21日)。
そうかもしれないが二代続いた薄志弱行の腰抜けに較べれば確実によいだろう。
三度目の正直という。試してみるに値しよう。

 2月8日朝日新聞書評欄でレベッカ・ソルニット『災害ユートピア』について柄
谷行人が書いていたのを見ただけだが、災害時に虐殺や略奪などのおこるのは軍
や警察の治安維持活動が誘発するケースが多いそうだ。「サンフランシスコ大地
震でも、死者のかなりの部分は、暴動を恐れた軍や警察の介入による火災や取り
締まりによってもたらされた。同じことがハリケーンによるニューオーリンズの
洪水においても起こった。略奪とレイプが起こっているという噂(うわさ)がと
びかい、被災者の黒人が軍、警察、自警団によって閉じこめられて大量に殺され
た」そうだ。

 「阪神・淡路大震災では関東大震災のようなことは起こらなかった。当時、国
家の対応が遅すぎるという非難があったが、むしろそのおかげで、被災者と救援
者の間に、相互扶助的な共同体が自然発生的に生まれた。そのような『ユートピ
ア』は、国家による救援態勢と管理が進行するとともに消えていった」という。
佐々淳行みたいのがいち早く危機管理に乗り出していたなら、逆に浅間山荘事件
みたいのが起こっていたかもしれない。


■マスコミが恐れるのも道理


  一体どこがマスコミに嫌われるのか、ひとつその秘密を見つけることが出来
た。小沢がマスコミに容赦ないのだ。一節を挙げる。

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  【引用開始】日本のマスコミは、先ほどの「どぶ板選挙」批判もそうだが、政
治を矮小化し、あたかも「汚いもの」のごとく扱いたがる。彼らはいつも「選挙
のたびに政治家は有権者に嘘を言い、有権者を煽て挙げ、そして地元に利益誘導
を約束することで当選している」と書く。

 だが、そんなことで選挙に勝てるとするならば、それは日本人の民度が低いと
いうことだ。つまりマスコミは自分たちを高みに置いて、日本国民全体をバカに
しているわけである。(31~32ページ)【引用終了】
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 なるほどマスコミに嫌われるわけだ。「マスコミのリーダー潰し」についても
書いていた。マスコミにおもねらないからマスコミは機嫌が悪いのだ。だから小
沢悪党説はすべて根も葉もない作り話だ。作り話の一例を挙げる。田原総一郎が
枝野に訊いた。「あんたが小沢にいちばん嫌われているのか?」枝野は答えた。
「一番ではない二番目だ。私は弁護士ではあるが東北大だ。仙石さんは弁護士で
あるうえ東大です」と。田原がテレビでそう言ったのを私は聞いた。まさかウラ
をとったわけではあるまい。

 嘘でも本当でもない他愛ない作り話だが、こんな風に虚像はつくられるのであ
るらしい。大体デマはこのようにつくられる。菅直人の年金未納問題では武蔵野
市の落ち度によるにものであったにかかわらず、その事実は一切マスコミによっ
て黙殺された。ぬれ衣のまま菅は頭を丸めて四国遍路に赴いた。

 小沢が大連合を画策したとき独断でことを行おうとした。これは衆議によって
阻まれた。同じことを鳩山内閣の外務、防衛、国交各閣僚がやった。普天間代替
地を総理が国外、県外と大声で言っているとき彼らはまったく違ったことを言っ
ていた。誰にも阻まれずに。独断の大連合を阻まれたとき小沢は辞意を表明した。
独断で消費税に言及して参院選で大敗した菅は辞意を表明しなかった。いずれ
が倫理的に高いか。


■菅よ、いずこに行かんとするか


  熟議といって野党とは妥協を重ねつつ党内民主主義を踏みにじり、不条理と戦
うといって小沢叩きという不条理をやっている菅には、もはやなにを言っても仕
方ないかもしれないが「空にも書かん」の思いで書き加えておく。

 財政再建が必要なことはわかる。そのためには増税しなければならないことも
わかる。増税するならするで、納得できる増税であってほしい。増税は経済成長
を生むという、風が吹けば桶屋がもうかることもないとはかぎるまいが時期が問
題だろう。とにかく消費税だというのが果たして納得できるか。それより前にほ
かに出来ることも、まだあるのでないか。今みたいなデフレのときに消費税を上
げると大企業は価格に転嫁できても中小企業はそれができないという。つまり消
費税上げは中小企業増税になるという。

 そしていまでも税金の滞納がいちばん多いのは消費税だそうだ。事前に片付け
るべきことは滞納を減らすとか、デフレを沈静化するとか、すぐ気付くことだけ
でもいくつかある。たとえば、こんなこともある。法人間配当は無税だそうだ。
過去6年でその額は8兆7700億になるそうだ。2008年度だけで1兆9807億だそうだ。
これを先ず改めてはどうだろう。
  これだけなら僅か2兆ほどで取るに足りないのかもしれない。しかしこういう
のを探していけば、塵も積もれば山になりはしないか。かねがね思うところだが
宗教法人に少しは御願いしてもよくはないか。大きな票田だろうからとても手が
つけられないだろうことは承知のうえで、西本願寺御影堂の大修理などを見ると
そう思う。なにしろ建物の修理で55億7000万を費したという。すさまじい財力だ。
代々世襲の門主が本を出すと末寺の坊主に販売の圧力がかかってくるそうだ。
祇園の上得意は坊主だそうだ。織田信長のようなことはできなくても、多少のこ
とはやってもいいではないかと思う。

 相続税もセチ辛くなるそうだ。ある週刊誌の広告で見ただけだが大企業の部長
ぐらいが集中的に餌食になるそうだ。もっと富裕な層は従来どおりだから痛くも
痒くもない。これじゃ中間層を分厚くするのが社会の安定につながるというのと
矛盾するのでないか。部長ドマリという言葉がある。私の高校の友達を見ても、
社長とか副社長とかになったのもいなくはないが、部長ドマリが平均的だ。する
と大学を出て鳴かず飛ばず、平凡な人生の終着点を表わす言葉が部長ドマリだろ
う。やっとたどり着いてマイホームを持って、どうにか中間層に仲間入りしたと
ころで相続税で持っていかれるのでは、いよいよやる気は失せるだろう。

 第二次菅内閣の打ち出している増税案は富裕層にはほとんど響かない。あるエ
コノミストが言った。鳩山の、鳩山による、鳩山のための増税だと。なぜなら大
金持ちはみな会社のオーナーだ。所得をほとんど個人所得とせず、生活費のほと
んどすべては会社の経費にできる。また所得の大半は株だから配当課税は分離課
税にできる。何億配当があろうと税金は一割しか払わずにすむ。党の資金確保の
ためにはよいかもしれない。(2011.2.10)

            (筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)

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