■ 小鳩政権を変えられない不幸          羽原 清雅

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  鳩山政権発足から半年。2月はじめの各紙の世論調査は、不支持率が支持率を
上まわって、折角の新政権のはずが、つまずきつつある。ただ、「カネ」「小沢
支配」など腐敗的なことへの批判と、政策や予算案などへの期待とが二分して、
前者には厳しい数字ながら、後者にはまだ踏みとどまる支持があるところが救い
といえそうだ。

 それにしても、ぬかるみは続く。政治にぬかるみは付きもの、であるにしても、
その状態から脱出する気配が出てこない現状は不幸だ。とくに、<価値観が多
様化しているのに、無理やり導入した二大政党化・政権交代のための小選挙区制
によって>、やっとマンネリ化した長期政権の交代が具体化したにもかかわらず、
なお「カネ的腐敗」「武力的権力支配」が続き、しかも新たな交代勢力たる自
民党に体質改善の努力がまるで見えてこない現実は、不幸、というしかない。


◇◇(1)まといつく「カネ」◇◇


  政治にカネと時間は必要だ。そのために、国民ひとり250円の政治資金を提
供している。少ないかもしれないが、政党の現状では「増やしてくれ」とはいえ
ない。だから、不足分を不透明なカネで補う。あるいは、選挙戦の勝利を目指し
て普通ではできない以上のことをやろうとして、カネの捻出を図る。
  それが鳩山首相の「自前」ではない、親掛かりの巨額な金である。また、小沢
幹事長のいかがわしさただよう、出所不透明のカネである。
  新時代を目指しつつ立ち上げた新政党だが、それを支えたいばかりに、自民党
時代の資金繰りの手法を持ち込んでしまったのだ。

 選挙で頭を下げるのもいいが、下げすぎるからカネが余計に必要になる。共産
党は政党交付金を受け取らず、機関紙収入や党費などでしのいでいる。政党は本
来、国民が基盤なのだから、資金源を国民とするための手法を考案すべきなのだ。
その基本姿勢がなく、一部の「金持ち」に依存するから、戦前の財閥のような言
いなりの政治や、戦後長く続いた自民党的な大企業依存型の政治になる。そこに、
政策のゆがみも出てくる。
  そんなことはわかっているのだが、できない。社会党はかつて、成田・石橋時
代に「労組に依存するだけでなく、党自前の組織の拡大をはかりつつ、機関紙な
どの収益で政治活動を」と試みたことがあったが、その先頭部隊の若者たちが血
気にはやり、強引なあまりに先輩たちの反発にあって、党をつぶす一因にもなっ
た。このように、政治とカネの関係はむずかしい。

 ところで、鳩山首相のカネは、納税の点などスッキリしないことが多いが、自
己資金であることはわかった。しかし、小沢ルートのカネは事情がわからない。
公判を待つことにならざるを得ない。その間、疑惑は残り、発酵していく。政権
の不始末は、国民生活の不幸だが、逃げ切りを図ろうとして、また政治は信頼を
失い、政治家をバカにする風潮を高めるのだ。政権が代わっても、その流れは変
わらない。

 ここでひとつ、あえていいたいのは検察の対応である。これは、小沢擁護など
小さな立場からではなく、本質的な問題として考えておくべきなのだ。
  検察が、小沢資金の流れに疑問を持ったのは正しいし、追及も当然だろう。し
かし、問題は、その手法と姿勢である。なぜ、石川秘書議員をあわてて逮捕した
のか。不逮捕特権の発生前、つまり国会開会前に拘束したい、という理屈や、国
会が終ると参院選前になって選挙に影響するのはよくない、といった判断なのだ
ろう。

 だが、捜査の準備が生煮えのまま、急ぎすぎたのではないか。なぜ石川逮捕の
あとに、証拠集めのための複数ゼネコンのガサ入れをしたのか。少なくとも、国
会議員であり、政局に大きな影響を及ぼす幹事長疑惑を追及する以上、がっちり
とした証拠を固めたうえで、しかも小沢幹事長の事情聴取などひそかに進めたう
えで、表面化させるべきではなかったか。
  というのは、こうした疑惑は絶対に許されるべきではなく、巨悪には厳しくあ
るべきだからこそ、慎重に、かつ深く潜航して立件を図るべきなのだ。事件一般
と同じではない。国会審議を左右し、その結果が国民生活に及び、しかも政治が
信頼されなくなる事態を想定しない捜査の手法には、どうしても疑問が残る。

 政治の不法を厳しく探ってきたのは、検察であったし、これからもその機関し
か出来ないだろう。かつて田中角栄、金丸信たちを政界から葬る結果をもたらし
た検察は、もっと慎重であったし、徹底的な準備に自信があった。いま、特捜経
験のある検事OBたちが、あれこれ批判するのは、やはり捜査のありかた自体に疑
問が感じられるからだ、と思われる。メディアが発達したいま、論拠のないこと
や、とっぴな判断まで飛び出すテレビ番組などに負けない、力量ある検察でなけ
ればならない。

 ただ、ロッキードの田中は首相退陣後かなり時間の経った時点での逮捕であり、
金丸追及も金塊発見などを経た第二段階での逮捕だった。今日までの小沢問題は、
ゼネコンマネーの流れが突き止めきれないことで嫌疑不十分になったが、隠し財
産の出所、政治資金による土地購入の可否、自由党解党時などの政治資金の行方
など、まだまだ疑問は残る。今回の強制捜査によって、第二段階に向けての資料
は抑え切れなかったか、もうしばらく見守らなければなるまい。


◇◇(2)「友愛」そして「いのち」の政治◇◇


 鳩山首相は1月の施政方針演説で、「いのち」をキーワードに自説を展開した。
「具体性を欠き、意味がわからない」といった批判が、自民党あたりから出てい
た。そうした一面はあるが、「友愛」とか「いのち」とか、政治の理念として掲
げることは悪くない。というよりも、これまでの日本の政治家はこのような言葉、
発想がなさ過ぎたのだ。戦後の清治は、政治にロマンがない状態が続き、いつも
現実主義に溺れていた。いわば、手の届きにくいところへの努力が足りない政治
が続いた。それが、昨今の自民党政治への国民的批判であり、民主党政権への期
待になっていたのではないか。
  とすれば、リーダーたる鳩山首相の演説は、あれでいいのではないだろうか。

 問題は、その理念に向けて、どのように手を打っていくか、だろう。そのギャ
ップが大きすぎるところを、自民党も衝いてきている。
  確かに、予算案を見ても、矛盾や、見通しの悪さが目につく。たとえば、景気
刺激策、つまり税収増に結びつく政策は不十分ではないか。法的に義務教育では
ない高校生への授業料支援は、「金メタル級の国債依存財政」のなかで、今やる
べきことなのか。特別会計の分野への事業仕分け・見直しはどうするのか。一時
金でしのいだ予算編成の部分について来年度以降の財源の手当てはどうするのか。
ダムや道路など建設中断に伴う補償のあり方はどうなるのか。気になることは多い。

 政権半年、ドタバタのなかでの予算編成であり、批判ばかりするよりも、もう
少し見守る時間が必要だが、ロマンと現実の関係にきちんとした説明はしなけれ
ばならない。眼くらましの「友愛」「いのち」演説では、政権は持たない。
  鳩山首相にリーダーシップがない、という批判はまだ早すぎる。それなりに言
うべきことは言っているように思えるが、ただ具体性を欠くところに もろさを
感じさせているのではないだろうか。これが許されるのも、政権半年あたりまで
のことだ。

 ところで、隠然たる「小沢支配」の問題がある。
  鳩山・小沢両者には違いが感じられるところもあって、首相の本音はまだ全支
配下にあるとは思えない。ひとことでいうなら、行政の長たる首相はいかに決然
とした姿勢で臨むか、実績として小沢離れを見せればいい。枝野幸男行政刷新相
の起用もその手始めだろう。
 
  小沢的政治手法は、ひとことで言えば「カネと数はチカラ」ということだ。カ
ネを集め、新顔の選挙に没頭するのは、当選後の「支配権」確保のため、といっ
ていい。おそらく、小沢自身が総理大臣になれない状況と見て、ウラ支配への努
力を一層強め、続けているのだろう。政権をとれないなら実質的に思いを遂げる
ぞ、という小沢自身にとっての決意は、舞台の主役をつとめるうえで小沢のチカ
ラは必要、という鳩山の判断と一致しているのだから、そこに持ちつ持たれつの
関係がある。

 カネと数による国会内外での「小沢支配」は、田中的手法と似ており、かつて
田中角栄のもとで学んだことを実行に移しているのだろうが、違うのは田中の「
陽」に対して、小沢の手法は「陰」であることだ。「陽」の田中は見えやすいの
で捕まえやすく、「陰」の小沢は隠し立てもうまく、捕らえにくい。小沢には、
もの言えば唇寒し、の付きまとう陰湿な報復がある。それが、「非」を「非」と
いわせない空気を醸しだすのだ。若手議員たちの「検察非難」の会合がもたれた
が、小沢に認められたいというチルドレンのあがきでもあって、「非」といえな
い裏返しの行動だ、と思えばいい。

 では、小沢自身の質的変化がないとすれば、「小沢支配」をどう覆すか。
  ひとつは「自滅」を待つこと。ただし、田中逮捕後も隠然とした「支配」が続
いたように、小沢が仮に幹事長の座を降りても、同じように臨んでくる可能性は
ある。
  もうひとつは、表立った造反だ。ただ、これはこれまでもできなかっただけで
はなく、小沢自身が批判を浴び、落ち目になりかけた今、かえってやりにくいだ
ろう。それに、それだけの捨て身になれる人物は見当たらない。

 残るのは、多くの議員が無言の抵抗をすることだ。選挙区で批判の言を弄する
のではなく、国会や党活動でさりげない自己流の動きをするのである。統率が取
れていない状況を、比較的多くの議員がそれぞれのところでやればいい。名目が
立てば、やれることだ。「支配」から党名どおりの「民主」を取り戻すには、い
まのこの党にはこれくらいしか期待できまい。      
 


◇◇(3)自民党の衰退◇◇


  それにしても、自民党が見えてこない。
  権力の座から滑り落ちた長期政権は、虚脱状態に陥ったことはわかる。また、
政権を去ったことで、メディアに登場出来なくなって、状況が国民一般に伝わら
ないこともある。
  だが、それにしても、谷垣総裁、大島幹事長の演説内容は惨めというしかない。
長期にわたって、日本の政治を仕切ってきた誇りといったものがまったく感じ
取れない。谷垣の人柄の良さと一生懸命ぶりは見えるにしても、リーダー的な政
治家としては内容がさびしい。つい、加藤(紘一)の乱を涙で止め、結果的に加
藤つぶしとなった、非政治家的な光景が思い浮かんでしまう。

 というのは、彼の口を衝いて出てくるのは、民主党批判、それもカネにまつわ
る鳩山、小沢批判ばかり。かつての大政党の幹部としては、もう少し大きなスタ
ンスは取れないのだろうか。野党第一党になったのだから、政権党批判は当然で
ある。しかし、それは若手や役職者以外に任せておき、幹部は触れるにしてもホ
ドホドがいい。むしろ、野党たる自民党は今後、どんな政権づくりを目指すのか、
その点をもっともっと語るべきなのだ。

 それができない理由は、わかっている。
  なぜ自民党政権が国民離れを起こしたのか、という反省や分析の作業がないか
らだ。
  小泉政権の登場は、自民党的な従来の手法と異なる手口で人気を集めた。たと
えばワンフレーズ・ポリティックス、テレビ活用のパフォーマンス政治、シング
ル・イシューと刺客による総選挙、象徴的な強気の郵政改革、格差など先行きの
波紋を十分配慮しない改革政策などだ。

 是も非もあるが、自民党はこうした小泉的ビックリ変化(へんげ)で立ち直れ
ると思いすぎたのだ。そのため、議員の数確保策として、選挙を「カオ」を替え
ることだけで戦おうとした。安倍、福田、麻生といずれも失敗に終わり、短時日
でカオを替えざるを得なかった。こんな短期的な手法で、国民をつなぎとめよう
とする認識が間違っている。

 もとはといえば、本質的なところで国民の求めるものを見失っていて、制度、
政策、さらには政治姿勢など、長期政権に甘えた部分の手直しや改革に手をつけ
られず、そのまま時間を浪費してしまった。少なくとも、大企業寄りの姿勢、生
活困窮者への対策、格差の是正など、国民の叫びをわかって当然なのに、改めよ
うとしない鈍感さが支配していた。そうした基本的で、長期的な点についての論
議が今も、見えてこないのだ。まだ、批判のみで、小泉ジュニア的イケメンへの
依存の世界に遊弋してしまっている。

 民主党政治への批判がしにくいのは、その批判がかつての自民党の所産であり
、欠陥をみずから暴くことになるからだ。下手な攻撃は天に唾することになりか
ねない。
  しかし、攻撃や批判の前に、改めようというプロセスを見せない限り、自民党
は再起できないだろう。すでに解体論が党内から出てきているのも、反省の作業
機運が生れてこないからだろう。

 「二大政党の政権交代」ができない状況に陥りかけた今、できるだけはやく「
小選挙区制度」の改革に手をつけたほうがいい。政権を握った民主党はこれに反
対するだろうが、民主党政権にしても、いずれは国民が離れていく事態も覚悟し
て、取り組むべき課題なのだ。自民党の誤りを助長したのは、国民の意識が多様
化したなかで、1区1人という小選挙区で二者択一を迫る選挙制度であることに
早く気付くべきである。

 国会論議をとってみても、かつて社会党の石橋政嗣書記長は、石原産業の不正
な公害隠しをデータをもってあばき、公害立法を生み出した。自民党でも、保利
茂幹事長は野党への説得を重ね、非核三原則の国会決議に結びつけた。そのよう
な生産的な場にもなるのが、国会である。ただ、報道の上っ面ばかりなぜていれ
ばいいのではない。前向きな何かを生み出す説得力と契機は、与野党ともにでき
ないわけではなく、その努力に欠けるから出来ないのだ。
  政権党の手の内を知る自民党は、もっとなにかできるはずで、民主党政権の鼻
を明かすくらいの工夫をぜひしてもらいたい。


◇◇(4)米同盟の行方◇◇


  日米安保条約締結50年の今年、「同盟関係の深化」がいわれている。その一
方で、沖縄・普天間基地の移転問題が浮上している。5月までに、円満な解決が
出来るのか。この点は、容易ではなく、沖縄以外の市町村が受け入れる可能性は
乏しいし、あらためて名護市辺土名への移転を蒸し返すことは出来にくいし、鳩
山政権がどう考えているのか、きわめてつかみにくい。
 
  それはそれとして、同盟関係の深化は日程としてわかっていたのだから、鳩山
首相はもっと早く、日米関係がどのように必要か、そして今後のあるべき姿を表
明しておくべきだった。アジアとの距離と、アメリカとの関係についての考え方
、見直すべきは見直す、といった姿勢を米側に伝え、日本の政権交代に伴って、
両国の基本的なあり方について確認するとの態度を表明しておけば、オバマ政権
もそれなりの対応を考えただろう。
 
  たしかに、日米関係が基軸とはいえ、そのありようは不変ではなく、地位協定
の問題など見直すなら見直す方向で取り組むべきなのだ。半世紀という歳月の中
で、マンネリ化したまま継続するのではなく、あらためて国民の間に日米関係を
考える機会をつくれば、かえって両国にとってプラスにリセットできるにちがい
ない。安保闘争の時代の対米感情が大きく変わった一方で、改めたほうがいい点
もあるだろう。
 
  そうした日米関係更新のなかで、沖縄の基地問題、とくに普天間の扱いを取り
上げればいい。アメリカには基地が必要であり、沖縄を捨てがたいにせよ、一方
で日本なり沖縄の立場を考えることの必要は理解されよう。日本国内でも、やむ
を得ないのか、移転可能なのはどこか、あるいはグァムなど島外はどうか、など
根本から調整して、そのうえであきらめるなり、納得させうる場所に移すなりの
対応をすべきではなかったか。
  要は、日米関係の考え方を示して、その一環としての普天間問題の扱いとすべ
きではなかったか。それが逆になったり、バラバラであったりしてきたことは残
念に思える。

 オバマ政権も時間とともに、むずかしさを増しているが、両国対等の立場での
関係、防衛協力の負うべき責務を確認しておくことこそ、緊密な関係をつくれる
のだ。これまでのような、秘密裡の約束、言いなりと思えるような依存関係を改
めて、我慢するにしても納得できるオープンな関係を築いた方がいい。
  もう少し時間がある。そう簡単だとは思っていないが、そんな努力はできない
ものだろうか。 (敬称略)        
                     <2010.2.10記>

(著者は元朝日新聞政治部長・平成帝京大学教授)            

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