【コラム】
『論語』のわき道(2)

忠と信そして敬

竹本 泰則


 何をするにも他人とのかかわりはついて回る。わずらわしいといえばわずらわしい。しかし、人には生来他者とのむすびつきを求める心情がある。
 人類が地球上でこれほどに繁栄しているのは、人と人とが互いにむすびついたことが根源ではないだろうか。それこそ何十万年前のことかしらないが、ヒトは群れを作り共働することで生存の機会を拡大した。その後、言葉などのコミュニケーション能力を発達させながら社会を形成して悠久の時間を生き延びてきた。その時間の積み重ねの中で互いにむすびつきを求めあう、言い換えれば、一人では生きていけないようなプログラムが体内に出来上がったのかもしれない。
 人とのむすびつきにかかわる断片を、二千数百年さかのぼる『論語』の世界に探してみた。

 ◆ 忠・信

   われ 日に三たびわが身を省(かえりみ)る。
   人のために謀(はか)りて忠ならざるか、
   朋友と交わりて信ならざるか、
   習わざるを伝うるか。

 『論語』の中でもよく知られた章句の一つで、孔子の弟子の一人、曾參(そうしん。曽子とも)という人の言葉である。ここから「三省」という熟語が生まれ、書店の名前などに使われたりもする。
 それほど難しい語句はないが、ちょっとややこしいところがある。その一つは「三たび」という特に変哲もない一言。原文では「三」というただの一字。この字はみっつ、三度といった意味だけではなく、再三とか、何度もといった数などが多いことをいうのにも使われる。そのどちらをとるかがまず問題となる。

 前者をとった場合でも、日に「三度」反省するというのか、あるいは反省する事柄が「三つ」あるというのかがはっきりしない。ここは有名な学者先生の説も分かれる。貝塚茂樹は「三度」、吉川幸次郎は「三つの事柄」と読んでいる。さらにもう一つ。反省する内容はいつも同じでこの三つだけなのか、それとも、日々いろいろなことを反省しているが、その一々を言い連ねてもしようがないので、一例を挙げただけのものか。「三」の一字でこれほどに解釈が分かれていく。

 厄介なことは脇において、曽子が反省するという中身を追ってみると、その第一は人から持ちかけられた話や相談ごとなどについて、自分は誠実さをもって応対しただろうかということ、言い換えれば「どうせ他人事(ひとごと)だから」といい加減にすませたりしなかったかということ。第二は友人に対して信義にもとるようなことはなかっただろうかということ。第三は人に何か伝授するとき、自分が十分にのみ込んでいないようなことまでを教えたりしてはいないかということ。おおよそこんなことだろう。

 ここに忠や信という道徳が出てくる。この二字は、ときに「忠信」という熟語にもなって、『論語』のなかにたびたび現れる。その頻度の髙さから、孔子がこれらの徳目を重視していたことがうかがえる。曽子は孔子より四十六歳も年下であるが、その指導をじかに受けている。この言葉もそうした薫陶の上にあるものだろう。
 孔子は忠、信のほかにも例えば仁、義、礼などといった道徳を説いているが、これらの漢字を我々は日常生活の中で使っている。しかし、どれも中国語の発音を映した音(おん)読みが基本であり、「常用漢字表」には訓が示されていない。ということは、これらの文字の意味を表す的確な和語が決まっていないということになる。

 漢字が伝わってきたとき、日本人はその一つ一つについて自分たちが喋っている言葉のなかのどれに当てはまるのかを探したことだろう。例えばサンという音(おん)をもつ「山」という字の説明を聞いて、自分たちが「やま」といっているものだと理解する。カと発音される「花」という字は「はな」だと知る。意味がわかると、もともとの音(おん)とは別に「やま」、「はな」という読みをつけ加えた。これが訓であり、こうした工夫によって我々の祖先は日本語を表記するための文字として漢字をとりこんだ。ところが「やま」や「はな」などはいいとしても、当時の日本に当てはまる言葉がないこともあった。その場合はこうした訓読みが成立しなくなる。

 その端的な例は実物が日本にないという場合。たとえば「菊」。これをキクと読むのは実は音読み。日本文化論の古典ともいわれる『菊と刀』では日本人の心性を象徴するものとして取り上げられ、国が発行する旅券の表紙のデザインにも採用されている花、それが菊である。その名前がヤマトコトバではないというのもちょっと意外である。
 菊はもともと日本には自生していなかったか、あるいは野生種があったにしても、顧(かえり)みる人とていない名もなき雑草だったのかもしれない。そんな日本人にとって中国で作り出された園芸種の美しい菊は初めて見る種類の花であったろう。そのため中国で呼ばれている名前(音)をそのまま借りてキクとなったようだ。

 ついでながら、『万葉集』には百五十七種の植物が登場するそうだが、キクは出てこないという。ほぼ同じころ完成したといわれるわが国最初の漢詩集『懐風藻』には菊の字は見られるらしい。菊は、広く普及するまでの間は大陸の先進文化の象徴として一部の階級の人達だけが観賞する「高嶺の花」だったのかもしれない。時代が下って『古今和歌集』、『源氏物語』などになるとキクが登場する頻度は俄然上がるようだ。平安貴族は菊の魅力に取りつかれたらしい。貴族ばかりか平安末期から鎌倉初期にかけての後鳥羽天皇(後鳥羽院)は自らの印(しるし)として菊花を愛用している。これがきっかけとなって現在の天皇家の紋章にまでつながっているのだそうだ。

 訓読みがない例としては他に抽象的な概念の類がある。子どもの言葉の発達でもそうだが、形がないもの、直接知覚できないものごとを認識して、それを言葉として表現するためには、精神がそれなりに成熟していることが必要となる。漢字が伝わった時期の日本人はこうした面でいうと未発達の段階にあったらしい。そのため理念とか形而上の概念を示す漢字の一部に対応する和語がないということがあった。数を表す漢字でいうと、一はひと(つ)、十はと(お)。ち(千)、よろず(万)と、ここまでは和語があるが、億から上の位は音読みしかないといった事実もこうした表れであろう。

 また漢字は「外国語」の文字である。日本人と中国人では感覚や論理がちがう。このため特定の漢字と日本語との間では、部分的に意味が一致するところがあっても全体としてぴたりと当てはまらない、あるいは複数の日本語と意味が重なって一対一の対応関係を決められないといったこともあったろう。徳目などを表す漢字に定まった訓読みがないのはこうした背景もあると考えられる。
 忠や信に固定的な訓がないということは、その意味を皆が同じように理解することを難しくする。このことが「三省」の文をややこしくする第二の問題といえるだろう。

 辞書を引くと「忠」はまごころ、誠意があるさま、あるいは正直なさまといったような意味が出てくる。「信」はまこと、言葉が真実である、いつわりがないさまなどといった説明である。
 「まごころ、誠意」と「まこと」、「正直なさま」と「いつわりがないさま」、こうした微妙な表現の違いだけでは両者にどのような違いがあるのか判然としない。
 岩波文庫版『論語』には、「忠は内的良心、信はその発露としての噓をつかない徳」との注書きがある。これも今ひとつ分かりにくい。

 さらに忠については、「忠臣蔵」や「忠犬ハチ公」のように主君、主人のためにひたすらに仕える、場合によっては我が身を犠牲にしてまで、といったイメージができあがっている。ところが、貝塚茂樹によると、「忠の原義は、君臣間の忠ではなくすべて人間としての義務を、まごころをもって果たすことを指して」おり、主君に対する臣下の義務だけをいうようになるのは、『論語』の時代よりももう少し後世になってからなのだそうである。

 漢字の意味が訓によって定まっていないとき、それを推測することは素人にとって楽しみであったりする。
 忠、信の文字が含まれている『論語』の章句をすべて抜き書きして眺めてみた。それら全体を矛盾なく読めるような字義、あるいはそれぞれの文字が持つニュアンスといったものをつかもうと企てた。

 人は是非善悪をほとんど瞬間的に弁別する感覚をもっているように思う。これを良心といってもいいし、まごころといってもいい。この感覚は生まれてすぐの赤子などにはない。生来あるものといえば「自己保存本能」などと呼ばれているものだろう。生まれてからしばらくの間、人はもっぱら自己保存欲に従って行動するようにみえる。そのうちに、何をしてもいいというものではない、したいことのすべてが許されるわけではないということを親や周囲(まわり)の人たちから教えられる。少し知恵がついてくると自分から試して、大人(おとな)から叱られればそれは悪いこととして記憶するといった行動も見られる。

 われわれの世代では、一人で外に出られるようになると、地域の子供たちから成る遊びの集団に加わるのが普通だった。同じ年ごろの子だけではなく、年上の「お兄ちゃん」もいるし、そのうち年下の子も加わってくる。ここでは遊びを通して子供の世界に根を張った「規律」を学んだ(反面、知らなくていいようなことまで教わったりもしたが)。
 家庭を中心とした幼児期の教育・しつけなどが芯となり、学校生活、社会生活などを通じての学習や経験が上積みされて「人としての正しさの規範」ができてゆく。それが件(くだん)の感覚の素だろう。

 この感覚が一人前にあるからといって、人は常に正義に適う行動をするとはかぎらない。行動を決定する場面では欲、悪心、怠惰、恐怖など諸々の因子が頭をもたげる。そんななかで判断をあやまらずに正義を実現してゆくには、自分自身を厳しく抑え切らなくてはならない。このような自己に対するコントロールを含めて、自分が信じる正しさを貫く姿勢や態度が忠の意味であろう。言い換えれば、「忠である」とは意思や行為を自身の正しさの規範に一致させることではないか。
 独善の域を出ないだろうがこうした理解に辿りつく。

 忠は、自らに内在する規範と現実の自分との一致だから自分限りの内面的なものである。これに対して、信は現実の自分と外との整合をいうようだ。
 人は外界に向けて自分の主張、考え、趣味、嗜好などさまざまのことを表出する。また約束や契約などによって、自分の将来の行動を他者にあらかじめ請け負うこともある。これらは言葉によることが多いが、言葉以外、例えば日常の態度やふるまいなどによる場合もある。
 それに対して、周囲の者は表出されているものが真実であると判断したり、約束されたことは実現されると期待したりするのが普通である。外に表示している姿と実際の自分とを一致させる生き方、別の言い方をすれば、周囲の見方・期待などを裏切らない姿勢、これが信だろう。
 具体的には、口に出したことは必ず実行する、(暗黙の了解の類を含めて)約束事は必ず守る、噓・いつわりをいわない、自分を飾らないといった類のことが浮かぶ。

 こんなふうに考えてくると、忠・信は重みのある言葉だと改めて思う。それは社会生活あるいは人と人とのむすびつきを支える上で大変に重要な要素である。いや、不可欠な要素といってもいいほどだ。それにしても曽子の「三省」の言は、謹厳さが鼻につく生硬さがある。忠、信の大事さは承知していても、四角四面に構えるばかりでは疲れる。すべての角(かど)が直角でなくてもいい、全体がある程度整った矩形を保っておれば合格ではないか、そう思ってしまうのである。
 こんな生来の不忠(いいかげんさ)を放っておくと人とのつながりを失うことになってしまうだろうか。

 ◆ 敬

 もう半世紀くらい昔のことになってしまったが、ひと組のカップルが出現した。男性の方は売れっ子の映画俳優、小林旭。女性は「歌謡界の女王」とも称された美空ひばり。大物同士の結婚から離婚にいたる騒動は二年近く続き、時々に国民的な話題となった。破局後の記者会見の席で小林旭が口にした「理解離婚」という言葉もしばらくの間もてはやされた。ある新聞のコラムには「人は誤解によってむすばれ、理解によって別れる」とあった。これは今でも気に入っているフレーズだ。

 人とのむすびつきのとば口である出会いは、多くの場合、自然発生的なものである。当事者の意思を超えた偶然の所産であるため、時に運命的と感じられたりする。その偶然から始まった関係が時とともに深まっていく過程では、「誤解」と呼べるような展開も大いにあるだろう。かといって、すべてをそうと決めつけるわけにもいかないような気がする。しかし別れという段になれば、通常は意思に基づく選択がある。「理解によって別れる」はその意味で当たっている。
 人とのむすびつきは、何でも彼でも続ければいいというものではなく、「理解」によって切れることも当然にありうる。しかし善い交わりであれば数も多いに越したことがないし、できればいつまでも続いてほしいものである。

 定年で仕事を終えた後、かつての勤め先の業績や人事などの情報にやたらと関心をもち続けるタイプの人がいる。そんな一人からよく電話をもらっていた。
 「おまえさん、今でも事務所に顔を出したりしているのかい」
 多分そうだろうと思いながら尋ねてみた。
 「最近は行かない。行ってもあいつらにリスペクトが感じられないんだよ」

 あえて英語の単語を使ってきたことに元の部下たちに対する彼の心の鬱屈が感じとれた。しかしここは彼に無理がある。現役時代に彼が感じていたであろうリスペクトは、いわば会社社会におけるしきたり、習慣といっていいようなもの。そんなものはポストを去れば消えてしまう。「先輩に対する礼」などを一方的に期待してもしようがない。そう思ったが口にすることは憚った。

 件(くだん)のリスペクトに通じるような表現が『論語』に出てくる。孔子が晏平仲(あんぺいちゅう)という人物の交際ぶりについて評した文章に現れる「敬」という言葉だ。
 晏平仲は孔子が住んでいた国の隣国である「斉(せい)」の宰相を長くつとめ、孔子が二十歳くらいのときに亡くなっている。政治的な手腕もあったようだが、賢人としても諸国に知られていた人らしい。没後には『晏子春秋(あんししゅんじゅう)』と題する言行録がまとめられている。

 孔子の曰く

   晏平仲、善く人と交わる、久しくしてこれを敬す。

   晏平仲という人は善い交際、つまり本物のつき合いができる人だった。
   それというのも、つき合いの期間が長くなっても相手を敬する気持ちを
   失わなかったからだ。

 「敬」の常用漢字表における訓読みは「うやまう」となっている。ここはそのまま置き換えて「相手をうやまう気持ちを失わなかった」でよく通じる。それでも少し掘り下げてみたい。
 ここでの敬は、人に対してぞんざいにならない、狭い了見で相手を見くびったり、侮(あなど)ったりしないといった語感がある。もう少し理屈っぽい言い方をしてみると、「人は誰でも何らかの価値をもっている、あるいは、自分が持っていない長所をもっているという点で少なくとも自分より優れたところがある」といった理念を含む感じだ。
 そのような人間一般に対する恭敬に加えて、現実の交際の場にあって、相手がそういう人間存在の一人であることを常に意識する敬虔さ、この二つが合わさったものがここにいう敬であろう。そう考えると、孔子が人とのむすびつきを保つ要件として敬をもち出した了見もうなづけるし、一つの見識だと思う。

 『論語』には原本といったものが残っておらず、その内容はいくつかの注釈本によって後世に伝えられた。ところが本によっては文字に部分的な異同がある。この章句の場合、後半が「久しくして人これを敬す」と、「人」という字が加わる本がある。これだと、交際期間が長くなっても、人々は晏平仲を敬したという意味合いに変わる。つき合いが長くなれば互いになれなれしくなってしまいがちだが、晏平仲という人の場合、周りの人々はいつまでも彼をうやまい続けた、それだけの中身がある人だったということになる。
 こちらの方を採る学者も少なくない。中には人の字が入らないと面白くもなんともないという人までいる。

 人から敬されるような人物を目指すか、人を敬する努力を大切なものとするか。どちらにせよ、それぞれ立派な生き方につながるだろう。
 『論語』を読み始めたころは断然「久しくして人これを敬す」派であった。しかし、今は自分が敬する生き方にくみしたい。敬されるほどの人物など自分にはおこがましいという気もある。それよりも、自分一人では生きられないという現実そのものが敬することを最も基礎的な前提としていることに気づいたからである。
 いい年になってようやくというのがお粗末だが。

 (「随想を書く会」メンバー)

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