≪連載≫日中間の不理解に挑む(2)

思考力を奪う方法

                  李 やんやん

 人間から思考力を奪う最も良い方法は何だろう、と考えてみる。日本語には「貧すれば鈍する」という言葉がある。確かに食べ物もままならぬようでは、物事を考える余裕をなくすかもしれない。しかし、最近は「逆もしかり」なのではないかと思うようになった。「消費欲が満たされれば鈍する」とも言えるのではないか。

 消費の論理は、根本的には他力本願の論理。ニーズを探ってもらい、それに応えられる物を作ってもらい、提供してもらう。一から百まで「してもらう」で構成される行為である。従って、消費という行為に埋もれた人間は、「してもらう」ことが当然だと感じ、面倒なことを一切排除しようとする。「思考すること」は間違いなく面倒な作業である。何かを創り出す行為よりも、消費する行為が圧倒的に大きな割合を人生において占めてしまう場合、その人は「思考しない」人間になってしまうだろう。

 日本社会を見てみよう。中学生も高校生も集まるとアニメやゲーム、芸能人、友人関係以外に話題を持たない。大学生になるとそれにバイトと少しだけ恋愛の話が加わる。おばさんになるとアニメとゲームが消え、代わりにグルメが入る。サラリーマンのおじさんたちはもはや愚痴以外に会話のネタがない。

 時事ネタで話が盛り上がりがちな中国人から見れば、不思議でしょうがない。というよりも、「日本人の会話はつまらない」と感じる人も多いかもしれない。私の周りに、思考力のある素敵な日本人がたくさんいることを、中国の友人たちに伝えたい。しかし同時に、私の周りの「思考する日本人」が、この社会でどんどん少数派に追いやられていくのを見るのが、残念でならない。

 (筆者は駒澤大学教授・CSネット代表)

(この記事はCSネット35号から許可を得て転載したものです)
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