【社会運動】

個人の尊厳が平和の原点
─ 憲法13条と24条をめぐって ─

岡野 八代

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 戦後、日本国憲法で保障されることになった「個人の尊厳」と「男女平等」。
 母や妻、嫁という「役割」を強いられる女性にとって非常に重要な規定であり、
 もっと憲法を生かす努力をしていこうと岡野八代さんは語りかける。
 自民党を中心とした改憲勢力が、これらの価値を謳う憲法への攻撃を続ける今こそ、
 改めて「個人」「人権」とは何かをしっかりふまえた対抗の思考と運動を紡ぎたい。
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――岡野さんは最近、民主主義、立憲主義、改憲、反暴力などのテーマについて積極的に発言し、市民運動の現場でも活動されています。岡野さんにとって、こうした研究や活動の出発点はどこにあるのでしょう。

 私は1993年頃に、日本軍による「慰安婦」問題に関心を持ち始めました。この問題は私にとって、「国家と国民の関係」、さらには「戦争責任や戦後責任に対して国家は何をしてきたのか」を考えるきっかけになりました。ところが、私の専門とする西洋政治思想史の伝統的な文献には、国家の戦争責任、特に「国家の暴力による被害者個人への責任問題」に触れたものは一つもなかったので、それ以来、「慰安婦」問題、「正義とは何か」について研究してきました。
 特に、同じく93年に国会議員に当選した安倍晋三氏は、これまでずっと「慰安婦」問題を否定しているため、その言動に危機感を持って注目してきました。さらに、第二次安倍政権になって「政治生命をかけて憲法改正に取り組む」と言って、改憲の実現を強く打ち出した時には、最悪の悪夢だと思いました。

 その自民党が発表した「日本国憲法改憲草案」(2012年、以下「自民党草案」)は、一言で表せば、「立憲主義を無視した、およそ憲法に値しないもの」です。その根底にあるのは、「憲法は国家権力を縛るものではない。それどころか逆に、国家のために市民や国民を犠牲にして良い」という思想です。九条の改憲も重要問題ですが、国の基本原理を定める憲法を、根本的に書き換えているのが自民党草案ですから、全体を通して総合的に把握し、批判することが重要です。

◆◆ 「個人の尊厳」とは何か

――そもそも憲法における「個人」とはどういう存在なのでしょうか。
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 日本国憲法
 第一三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民
 の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を
 必要とする。
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 基本的人権を構成する代表的な条文が、憲法の「第一三条」と「第二四条」です。残念ながら女性は、「女のくせに」とか「母親なのに子どもを放って仕事をして」と言われることがよくあります。だからこそ女性にとって大切な条項なのです。
 「個人」とは、長い歴史と哲学の中から生まれ、「発見された」言葉です。具体的には、1789年にフランスで起きた市民革命によって、それまで絶対君主制の下で抑圧されてきた人びとが、抑圧・拘束・搾取からの自由を求めて、自らの権利を主張し始めたことが背景にあります。
 人びとが求めたのは、「身分制度からの自由」「宗教からの自由」「表現の自由・結社の自由・思想信条の自由」でした。そして、貴族、僧侶や職人、農民といった身分によって人間の価値が決められてきた社会制度から解放されたのです。
 個人とは、「生まれながらに平等に自由であって、誰にも侵すことのできない権利を持った存在」である。それが「個人の発見」でした。さらに、「人は誰もが社会の一部ではなく、個人として幸福を追求する権利、つまり『個人の尊厳』を持つ存在である」という考え方が確立していきます。そして、「個人の権利を守るために『国民国家』が存在する」という考え方が生まれ、世界的にも日本国憲法でも最高の価値基準として位置づけられています。

――ところが自民党草案では、「個人」を「人」に置き換えています。

画像の説明

 そもそも改憲派の人たちは、「個人」という考え方に非常に批判的で、「行き過ぎた個人主義が身勝手な人たちを増やした」と考えています。しかし、彼らは「利己主義」と「個人主義」とを混同しているのであり、全く次元の異なる問題であることをまず理解すべきです。
 たとえば、自民党が草案を解説するために作成した冊子「改正草案Q&A」でも、「個人」を「人」に変更した理由を明確にしていません。「たいした意図はない」と言うのならなおさら、「個人」という言葉に込められている歴史的価値に対してあまりにも無頓着だと言えるでしょう。ある政治学者は、「『人』というのは『動物』と対になる言葉だ。単に『動物ではない』というだけで、『人』という言葉を使っても何の意味も価値もない」と批判しています。

 自民党草案一三条ではさらに、「公共の福祉」が「公益及び公共の秩序」に置き換えられています。個人の尊重を基本価値とする人権が制限されるのは、人権と人権の衝突があったときだけであり、その調整が「公共の福祉」ということなのです。しかし自民党草案は、人権の制限は人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明示しました。「公益」の名の下に、権力者が人権を都合良く制限できることになるのです。

――女性から見たとき、「個人の尊厳」はどのように実現されてきたのでしょうか。

 実は、フランス革命の後も、女性は世帯主である男性と国家によって、政治参加から徹底的に排除されてきました。その上、家庭内に縛られ、家族という不平等な社会構造も問題にされることはありませんでした。結局、女性には個人の尊厳や幸福追求権が認められなかったのです。
 その後、19世紀から20世紀にかけて資本主義が発展し、さらには資本主義国による植民地の争奪戦争を契機として、男性中心の個人主義が確立します。すなわち、「財産を持った男性を主権者(市民)」と位置づける一方、女性、子ども、無産階級の労働者は主権者ではなかったのです。その背景には、「父の財産を引き継ぐ子どもを明確にするために、妻を家に閉じ込めておく」、「兵士を生む道具として母(女性)の身体を管理する」という考え方があったのです。これを「第一世代の個人主義」と呼びます。

 第二次大戦後、欧州の国々では、「戦争国家」への反省を背景にして、社会保障と福祉を充実させた「福祉国家」に方向転換していきます。労働者による権利獲得闘争も活発化し、公教育や公衆衛生、社会保険制度などが整えられていきました。また、それまでは貧困者に対する「施し」や「救済」として実施されていた政策は、「個人の社会的権利」として確立され、国家の義務となりました。ところが、こうした福祉国家も、「男性の稼ぎ手が中心になったモデル」を基盤にして社会制度を設計したため、またしても女性は、家庭に押し込められる事態になったのです。「第二世代の個人主義」の時代です。

――日本と欧米諸国と比べると、女性の権利には大きな差があると思います。

 欧米諸国ではフェミニズム運動の努力により、この「男性稼ぎ手モデル」を変えてきました。ところが、日本は未だにこのモデルを忠実になぞっていて、女性たちが家庭での役割を過剰に担い続けているのが現状です。
 例えば日本では、5歳以下の末子がいる家庭の妻の場合、「家事と家族に対するケアの時間」が夫より一日6時間近くも長いのですが、社会的に問題とは認識されていません。こうした状況が長年にわたって解消できないのは、有償労働における性別格差が大きいこと、すなわち女性の賃金が低すぎるためでもあります。また、厚生年金・国民年金の第三号被保険者[注1]がほとんど女性であるという事実は、日本の雇用制度が、女性が有償で働くことを抑制するようなシステムであることを示しています。そのために、「シングルマザーと子ども世帯」の貧困率は先進国の中でも異常に高いという問題も表面化しています[注2]。
 女性の社会参加が狭められたり、貧困に留め置かれていることは、日本社会の構造的な問題なのです。

[注1]国民年金に加入する被保険者は、第1号から第3号に分かれる。第1号被保険者は自営業や無職の人、20歳以上の学生など。第2号は、会社員や公務員など。第3号は、第2号被保険者に扶養されている配偶者。
[注2]厚生労働省が2014年に発表した「ひとり親家庭の支援について」によると、全国の母子世帯数は123万8,000。81%が就業しているが、パート・アルバイトといった非正規雇用が47%を占めており、平均年間就業収入は181万円。働いているのに貧困というワーキング・プアが大半と言われている。

◆◆ 画期的な憲法二四条の価値

――「個人の尊厳」は二四条でも規定されていますが、現実とは大きな乖離があるということですね。
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 日本国憲法
 第二四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基
 本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他
 の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなけれ
 ばならない。
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 そもそも二四条は、日本における「家制度」の下、社会でも家庭内でも低い地位に置かれて権利を制限されてきた日本女性の歴史を踏まえて、「家制度」を廃止するために制定されました。婚姻は「両性の合意のみに基いて成立」するとし、家族関係は「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚し」なければならないと規定したのです。
 2016年2月には「保育園落ちた日本死ね」[注3]という匿名ブログのコメントが、女性たちの大きな共感を呼びました。子どもを保育園に入園させるための手続きからその結果に至るまでの全責任を負わされていながら、「母親だから当然だ」という強いプレッシャーを受けています。それに抗して、「私たち女性は、尊厳が守られている存在なのか」と社会の現状にこそ問題があると気づかせてくれました。
 憲法で「個人の尊厳」を保障された〈わたし〉は、自由に活動できるはずであり、女だから、母だからといって、仕事をはじめとする社会活動をするにあたって制約があってはなりません。当然、「子育ては母の役割」などというような、〈わたし〉の存在価値を社会が決定することはできないのです。ですから、子育てを担う人たちの尊厳を侵害しないためにも、子育てをどのように「社会」の中で分担すべきかをコンセンサスにしていく必要があります。
 こうした状況だからこそ、私たちは二四条を反映させた社会を作らねばならないのです。

[注3]保育園の入園審査の選考にもれた母親がアップしたこのブログをきっかけに、待機児童の問題が大きな社会的議論を呼んだ。

――自民党草案では二四条の改定をめざしています。どんな問題があるのでしょうか。

 「自民党草案」二四条1項には、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は互いに助け合わなければならない」という文章が挿入されています。

画像の説明

 このような家族保護条項は他の国の憲法でも見られるので、一見否定しにくい内容に思えます。「家族は社会の基礎だからこそ国には家族を保護する義務がある」という規定が一般的です。ところが自民党草案では、逆に国民に対して助け合う義務を課しているのです。草案の前文にも、「家族は互いに助け合う」という一文があります。彼らは、家族の面倒は家族で見ることが、「日本の美徳や文化」なのだと言って女性に担わせて、国家が家族を保護する責任から免れる口実にしてきました。家族による助け合いを「賞賛する」一方で、ケア自体が持つ社会的な価値を認めてこなかったのです。
 家族の形態がどうであれ、愛情や、信頼感、安心できる人間同士のつながりはとても大事なものです。しかし家族とは、そもそもケアが必要な人や、一人では生きていけない人たちの小さな集まりなので、家族が自己責任で支え合うことは困難なのです。「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」というのであれば、家族が介護や子育て、リストラなどの問題に直面しても、誰も犠牲者にならないために国家が支援するべきなのです。

――「ケア」の社会的な価値とは何でしょうか。

 乳幼児期や高齢期、病気や怪我をしたときなどを考えれば、誰の手も借りずに一生「自立」して生きていける人はいません。人間の生存に根源的になくてはならないものがケアであると、まず理解しなければいけません。
 ケアは配慮や気遣いから始まります。歩行が困難な人に車椅子が支給されたとしても、どこかへ移動する時には誰かの支援が必要かもしれません。金銭的な保障だけでは解決できない人びとの暮らしを支えるのがケアなのです。

 私たちはケアから次の二つを学ぶことができます。第一に、人は傷つきやすく、放っておかれると生きていけないほどの弱い存在であり、だからこそ他者からの応答が必要だということ。第二に、ケアする・される者の間には力の違いがあるので、強者の立場にある者は弱い立場の者を傷つけやすいからこそ、暴力に基づかない関係性を実践的に学べる場になるということです。このようなケアには、男女問わず誰もが関わるべきですし、そのことを通じてケア労働の社会的な価値を認めることが必要です。

――「家庭内の仕事は女性が担うべき」といった考え方が根強い社会を変革するための具体的な方法には、どのようなものがあるでしょうか。

 日本でも、「男性稼ぎ手モデル」に基づく「第二世代の個人主義」から次の段階に移行しなければなりません。その時、根拠となるのが現行憲法であり、重要なのはその活用です。すなわち、「夫婦が同等の権利を有する」ことを確認するだけでは不十分であり、女性が「権利にアクセスできる」仕組みをつくることが必要なのです。例えば、教育を受ける権利を本当に実現するためには、健常の子どもと障がいをもつ子どもとでは、実現するために必要なサービスが変わりますね。アクセスを重視すると、一人ひとりの異なりに相応しいサービス、とくに他者によるケアが必要となります。
 参考になるのは、EU理事会が定めた「リスボン戦略」[注4]で、上記のような考え方が目標とされました。

画像の説明

 経済学者の大沢真理さん(東京大学教授。社会政策専攻)はこの方針について、「権利や参加へのアクセスを強調しているのは、貧困問題の解決に向けて現金を給付するだけでは、社会的包摂は実現しないと考えられるため」と説明しています。このように、他者からのケア、支えを必要とする人が存在することを認め合うことによって、異なるニーズを抱えた様々な人びとが社会で共存できる仕組みを作っていくという合意のある社会が、「第三世代の個人主義」の社会です。

[注4]2000年3月に、ポルトガルの首都リスボンで開催された欧州連合首脳会議で採択された、長期的な経済・社会改革戦略。人的資源の重要性が確認され、知識社会に向けた教育と訓練、より積極的な雇用政策、社会保障制度改革と社会的排除の解消をめざした。

◆◆ 平和は一人ひとりの尊厳を尊重することから始まる

――自民党などの改憲勢力の目的は、どこにあるのでしょう。

 自民党草案から読み取れるのは、「第一世代の個人主義」(財産を持った男性中心の個人主義)以前に、回帰しようとする強い意志を感じます。すなわち、立憲主義の確立以前です。とすれば、絶対君主制の時代だということになりますが、一条も変えて、天皇を象徴から元首とするのですから、あながち言い過ぎではないでしょう。
 「立憲主義」の一番シンプルな定義は、「国家は個人の権利を守るために存在する」のであって、その逆ではありません。しかし自民党草案は、「国家の一大事においては、国民が犠牲になっても仕方がない」という論理です。国のあり方を根本的に変えてしまうものだと認識しています。
 安倍首相は、「集団的自衛権行使容認に関する会見」(2014年5月15日)で「いかなる事態にあっても、国民の命と平和な暮らしを守り抜いていく。人びとの幸せを願って作られた日本国憲法が、こうした時に『国民の命を守る責任を放棄せよ』といっているとは私にはどうしても思えません」と発言しました。しかし、女性はずっと以前から構造的な貧困という「緊急事態」に置かれてきたのです。女性の命と平和な暮らし、幸せが守られていない現実を無視して、集団的自衛権の行使を強調するという、現行憲法の理念を理解しない発言に憤りを感じます。

 なぜ、「戦争する国づくりをする人びと」は、「家族の助け合い」「家族の絆」「家族の一体感」をここまで強調するのでしょうか。〈誰かを犠牲にする〉国は、国家のために〈誰もが犠牲になる〉国へと容易に変えてしまえるから、というのが私の答えです。
 女性は、社会的、政治的、経済的参加が狭められ、個人の尊厳を追求することの困難さを経験してきました。だからこそ、安保法制よりも、生活保障の充実を強く主張したいのです。平和は一人ひとりの尊厳を尊重することから始まります。
 「ひと」は、「社会の絆」という様々なしがらみの中で生きる、不自由な存在です。だからこそ、社会の一部分として位置づけるのではなく、一個の全体的存在として生きられる「個人」として尊重することが、「個人主義」の本来の意味です。
 「ひと」が人間らしく生きるための価値=尊厳とは、〈わたし〉がこうしたいと幸福を願って生きる価値をすべての人がもっているということです。それを謳った憲法を、私たちは実生活の中で生かす努力をしていかなければなりません。だからこそ憲法一二条も、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と求めているのです。

<参考図書>
『フェミニズムの政治学―ケアの倫理をグローバル社会へ』岡野八代著 みすず書房(2012年)
『戦争に抗する―ケアの倫理と平和の構想』岡野八代著 岩波書店(2015年)
『憲法のポリティカ―哲学者と政治学者の対話』高橋哲哉・岡野八代著 白澤社(2015年)

<プロフィール>
岡野 八代 Yayo OKANO
同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授
専攻はフェミニズム理論、政治思想。「京都96条の会」代表。近著『戦争に抗する―ケアの倫理と平和の思想』(岩波書店、2015)において、自民党結党50周年を機に高まった改憲論を、フェミニズムと立憲主義の立場から厳しく批判している。他に『フェミニズムの政治学―ケアの倫理をグローバル社会へ』(みすず書房、2012)など多数。

※この記事は季刊雑誌『社会運動』424号から著者の許諾を得て転載したもので文責はオルタ編集部にありますが「社会運動」(424号)2016年10月号の目次と、その他の記事の内容の一部も下記のURLからお読みいただけますので他の記事も是非お読みください。  http://cpri.jp/social_movement/201610/


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