【オルタの視点】

戦争について考える

三上 治


 戦争をめぐる世界の枠組みは大きく変わり始めている。それは戦争についての戦後世界を主導してきた戦勝国の力が衰えたということが根本にある。戦後50年ころからだから、かれこれ20年の間に顕著になってきたことである。

 第一次世界大戦を帝国主義の戦争と批判し、平和問題を含めたそれを具体的に提案したのは、レーニンの帝国主義戦争批判であり平和についての提案、アメリカのウイルソン大統領の帝国戦争批判と平和の提案だった。これは民族自決論であるが侵略戦争の禁止論になった。これに対して復興したドイツ帝国(第三帝国)と公式の帝国主義(古典的帝国主義)の残滓を持っていた日本帝国主義が、第一次世界大戦とは別の「持てる帝国主義」と「持たざる帝国主義」になり演じたのが第二次世界大戦だった。(帝国主義とは周辺国の政治的・経済的支配をやることであり、直接・間接の支配形態がある。)紆余屈折はあるが、大きな枠組みではこれが第二次世界大戦だった。

 第二次世界大戦の戦勝国は、理念的には第一次世界大戦後の帝国主義戦争批判を受け継ぎ、敗戦国(ドイツや日本)にこの枠組みで戦後改革を促した。ところが、この戦勝国(大きくは米ソ)が今度は彼らが帝国主義化し、帝国主義戦争を行い、その理念を裏切る所業を行い、戦後の世界秩序の主導力でありながら、力を失いつつあるというのが現状である。

 日本では戦前の帝国主義政治(国家的全体主義や国家主権の恢復)が、保守の政治家や知識人によって企てられてきた(歴史修正主義)が、これは戦後の戦勝国に警戒され(アメリカや中国からの圧力)、世界秩序からの孤立となった。ただ、アメリカや中国がその所業において戦後の理念を裏切ってきたから、その警戒力は力を弱めている。(例えば、アメリカがある時期まで憲法改正の動きを警戒し中国が侵略戦争の肯定として靖国神社参拝に批判をしてきたこと。)これは日本の国内で対応する部分があった。保守の親米派の動きや日本帝国主義のアジア侵略批判である。戦後50周年(1995年)に村山内閣時に提起された不戦決議はその象徴であった。現在も安倍の歴史修正主義に対する世界の警戒はあり、それが安倍の国家主義的な復古の動きの批判になっていることはある。ただ、安倍の歴史修正主義や国家主義に対する批判をこの動きに依存するのは限界がある。

 僕は日本の戦後の歴史修正主義や国家主義的復古に対する批判を戦後の戦勝国の戦争観(左右の帝国主義戦争批判)に依拠してやることには批判的だし、限界があるとみなしてきた。アメリカやソ連(ロシア、中国)の動きが戦争観自身を裏切るし、説得力を失うとみていたからだ。第二次世界大戦での戦勝国の戦争観(左右の帝国主義戦争批判)は戦後のある時期までの絶対性を持っていたがそれは失われ相対化している。日本の歴史修正主義や国家主義的の復古主義(国家主権恢復論)に対する可能な批判はどこにあるか。

 これは帝国主義戦争批判という歴史的枠組みを超えてあらゆる戦争に批判という立場から、帝国主義戦争批判という歴史的な戦争批判(特定の戦争批判)から、戦争自体を批判する立場になって戦争批判をやればいいと思う。この批判は帝国主義的な戦争観(古典的、復古的戦争観)だけでなく、それを批判してきた左右の帝国主義戦争批判をも包摂し、乗り越えていくものになる。平たく言えば、日本の国家主義者が復古を目ざしているものから、アメリカ、ロシア、中国、そしてイスラム国の戦争まで批判するものであり、そこに可能性があるのではないのか。憲法9条はそうした内容を持つのである。

 僕の考えでは戦後の日本人があの戦争で贖い得たものは特定の戦争批判ではなく、戦争自体の批判であり、それこそが国民的基盤をなしてきたものであり、こういう言葉がいいかどうか検討の余地はあるが、戦後の日本のナショナルなものだったのではないのか、と思っている。戦中派が消えて行くたびに僕が国民的財産の失われるように思ってきたのは、このナショナルな基盤を意識してきたからである。

 だだ、あらゆる戦争に対する批判、戦争自体の批判は戦後の世界秩序からは孤立を強いられる。でもこの孤立は憲法9条の先進性と同じく、未来を内包しているのであり、世界性を有している。また、戦争自体の批判を持つ戦争観は、マルクスにもルソーにも、レーニンやウイルソンにも、毛沢東にもなかったものである。宗教的な戦争批判には存在した。これは現在的には社会的、政治的な考えとしては系譜(起源)の見いだせないものだ。僕らが、その起源にならなければならないものというべきか。あらゆる戦争を、戦争自体を批判する考えから安倍の国家主義や復古、「戦争のできる国へ」を批判し、対決しなければならない。

 (筆者は政治評論家)

※この原稿は「テント日誌」1月20日号から著者の承諾を得て転載したものです。
 文責は編集部にあります。


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