<書評>
戦争の萌芽をほじくり出す記者の視線
『日本の戦争を報道はどう伝えたか 戦争が仕組まれ惨劇を残すまで』
羽原 清雅/著 書肆侃侃房/刊
◆ 文書の重み
本書の冒頭に、敗戦わずか3ヶ月後に国の情報局企畫資料部がまとめた機密文書の内容を紹介する意図は、著者が語り継ごうとする「戦争というもの」の全体像の序章になっている。さらに機密文書「蘇聯軍占領下に於ける邦人の状況」の全文57ページを資料として掲載したことに、著者の並々ならぬ意気込みが感じられる。
敗戦直後、ソ連軍に追われる満州、北朝鮮、樺太、千島など外地の邦人たちの受難、生々しい脱出行の証言を実名(1人だけ匿名)で取り上げている、この極秘文書。必読を薦めたいノンフィクションのルポの連続だ。まとめた役人も偉いが、それを命じ且つ文書にして残した上司もたいしたものだ、と思えるほど、70余年後の公的文書の改ざん・破棄など情報公開のお粗末さを痛感するのはわたしばかりでないだろう。
◆ わたしの読み方
どの章から読み始めても、表題のテーマがきちんと貫かれ、完結しているので、支障は感じないと思う。
本書は大作なので、僭越ながら私なりに大まかに腑分けして読み進んだ。先に挙げた序章(本書の章立てで 1、2章+資料)を受け、第1部が日清戦争から日露戦争、日中戦争を経て太平洋戦争・原爆・東京裁判まで(同 3、4、5、6、10章)、第2部は長年政治記者としての体験を通し感じてきた新聞とメディアとの関係、原爆報道(同 9、10章)、第3部は、戦争に巻き込まれた不幸な人々の物語(同 7、8、11章)、終章は、平和を願い戦争を語り継ぐ者としての締めくくり(12章)である。
(敗戦を決定づける第10章の「世界を動かせなかったヒロシマ・ナガサキの悲劇」は第1部、第2部とも係るので、私は便宜上双方に組み入れた。)
感心したのは統計のデータ、随所に項目に合わせた年表、解説、メモなどが豊富で、本文を読み進めるのに大いに役立つ。特に戦争犠牲者に特化した第2章はその数の多さに圧倒される。ひとたび戦争が起きてしまったら…あまりにも小さな自分を想像してしまう。
◆ 共通する社会的背景
さて、わが国の戦争の歴史を俯瞰した第1部。
「戦争は仕組まれる」と題した第4章前文で、著者はこう指摘している。
為政者は「社会的低迷、景気の不調、産業界の期待と挑発、世論の不満、敵対関係の設定と嫌悪的イメージ増殖、国際的な緊張関係、権力者の驕りと狭隘な思考、為政者の軍事費増強の姿勢、迎合右翼勢力や一部知識階層の内部的混迷、さらには和平努力の軽視と対決姿勢の先行など」を背景に、「戦争への大義名分」を考える。戦争に突入し、勝てば驕り、ポピュリズムが高まる。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、そして第二次世界大戦がその繰り返しだった、という。ひょっとして現代に通じる社会構造ではないか。
ここから、日清戦争から第二次世界大戦まで記述が始まる。著者本人は「単なる教科書的な簡単な整理で恐縮」と謙遜するが、政党や軍部抗争、政治事件などには、長年携わってきた政治記者として視点が私には読み取れた。
◆ 新聞記者の贖罪
著者が苦渋の念を持ちながら書き残さなければならないと思いから書いたのが第9章「戦争遂行、メディアの責任」であろう。
「筆者は戦争報道に関わらなかった世代だが、戦後の新聞社内部で感じたことを含めて書いておきたい。」(222ページ)
「念のためだが、あまりにも巨大な『外圧』に抵抗しがたく、内圧がもろくも戦争支持に傾斜した、やむを得なかったのだ、と言うつもりはない。ほかに打つ手はなかった、とも言いたくない。
結果的に、そのようになったことは、明らかに批判されるだろう。ただ、不十分ながらも戦時の状況を見つめ、先人の言動をトレースし、新聞人として責任を感じつつ、この経験が将来にどうすれば生かせるか、という視点から考えるしかない。」(232ページ)
この姿勢で著者は戦前、戦中、敗戦直後の、主として朝日新聞の社説、雑報記事を、戦争に拍車をかける新聞社のイベントなどを点検、検証していく。その中の小見出しだけを列挙してみるだけで、贖罪を負った記者の覚悟のほどが知れよう。
「路線を転換した新聞のあがき」、「社説と雑報記事・イベント等との落差」、
「権力への迎合と記者の立場」、「どのように反省したか」、
「身もだえる新聞の現実」、「今に残されたもの」
小見出し「身もだえる新聞の現実」の中に、朝日新聞社在社40年の著者が後輩のこれからの資料になることを願ってか、次のような柱を立てて論考し、奮起を促している。
・報道の反省と各界への批判 ・ぬるめの軍部批判 ・揺れる国民責任論
・立ち直ったか新たな社論 ・報道体質の改革 ・朝日社内の葛藤
・幹部の反省に想う ・GHQの検閲と朝日新聞 ・他社の対応
◆ 戦争被害者列伝
戦争に巻き込まれた人々の物語を、かつてばらばらには読んだ記憶がある人もいるが、こうしてまとまって読むのは始めてある。著者が当事者の遺族を訪ね取材を重ねており、私は本書ならではの取材の守備範囲の広さとして注目している。戦争の本紀に対して、その列伝として読むことも出来る。
まずは激戦地の硫黄島で生き残った山蔭光福、松戸利喜夫の二人の話。極限の逃避生活の中でアメリカ兵が置いて行った缶詰、ミルクの缶、チョコレートなどを見つける。やがて投降し日本にたどり着き、生活が落ち着いたかに思えたが、再度硫黄島を訪れた山蔭は崖から飛び降り姿を消す。(第7章)
戦中、徴兵(兵役)を拒否する人がいるなんて信じられなかった。「国賊」「裏切り者」のレッテルを貼られる社会だった。キリスト教徒であったイシガ・オサム(石賀修)は兵役を拒否、留置後に裁判で罰金刑を受ける。のち「転向」する。思い悩む彼の思想の彷徨を日記・手記からたどる。
検挙・投獄された明石順三、真人親子、村本一生のいわゆる「灯台社事件」の人々、キリスト教徒として兵役を批判した斉藤宗次郎、矢部喜好、須田清基ら。さらに一時「良心的兵役拒否」という用語がよく使われたが、その時代背景や解説にもページを割いている。(第8章)
◆ 孤児のまなざし
終戦後の旧満州、シベリアなどの外地からの引揚者は660万人といわれている。進まない遺骨収集、シベリア抑留死者の公表、中国残留孤児のその後のことなどについては「70余年後に尾を引く『戦争』の残滓」として1章を設けている(第11章)。
残留孤児の訪日調査団が実現したのは'81年3月で、'99年まで30回を数える。私事ながら'86年~'87年、新聞記者として残留孤児の取材に携わり、訪日の度に孤児たちが記者会見する東京・国立代々木体育館に通った。
忘れられない光景がある。どの孤児も、親が子を預けるときに託した品々を掲げる時のまなざしだ。親が亡くなっているならせめて親族だけにも、の必死さが切なかった。あれから30余年。どうしておられるか。
本書は一読すれば、ひとたび戦争になったら誰しもが痛みを伴う人生を送らなければならないことがよく判っていただける、と思う。それを避けるために、戦争の元を萌芽のうちにほじくり出そうとする記者の視線を全編に感じさせる。若い人たちのために願いを込めて書いた、著者集大成の書である。
(元朝日新聞記者)
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