【侃々諤々】

戦後70年、日中間の戦争遺留問題の解決を

                   
苫米地 真理


2015年は「戦後70年」である。しかし、人の一生に相当する70年の歳月がたっても、「戦争遺留問題」が解決されていないため、中国や韓国と日本の関係は良好とはいえない状況に陥っている。本稿では、民主党議員による日中間における「戦争遺留問題」等に関する取り組みと展望について述べ、戦後70年の節目の年に、部分的であっても問題が解決され、日中関係を新たな段階に発展させるきっかけを切り開きたい。

戦後補償裁判
第二次世界大戦時に、日本政府および日本軍が、強制的・半強制的に戦争行為に巻きこむことによって死亡した人の遺族、また著しい損害を被った人々やその遺族から損害や不払い賃金等の補償を求める動きが1990年代に入ってから高まってきた。

これらの人々は、日本軍に徴用されて戦犯とされた人、強制連行されて労働に従事した韓国・朝鮮人や中国人、インドネシア人、在日韓国・朝鮮人等の傷痍軍人・軍属、朝鮮半島等から連行されて広島で原爆の被害を受けた被爆者、同じくサハリンに残留を余儀なくされた韓国・朝鮮人や「慰安婦」(2009年ILO条約適用勧告専門家委員会個別所見などでは「第二次大戦中の性奴隷制-いわゆる「慰安婦」問題-」と表記されている)である。

これらのそれぞれケースの異なる被害者たちは、個人で、あるいは集団で、補償や未払い賃金の支払いを要求して、日本政府や労働者を雇用した企業に対して訴訟を起こした。

これらの戦後補償裁判は、人権問題に取り組む日本の弁護士の協力のもと、日本国内で提訴され、国家無答責の法理や時効・除斥などの高い壁を乗り越え、絶対的不可能を可能に変えようとする取り組みが継続されている。

2007年4月27日、最高裁第二小法廷は、中国人戦争被害者の個人請求権問題について初めての判断を示し、日中共同声明によって個人請求権は「裁判上訴求する権能は失われた」とする判決を下した。しかし、「本件被害者らの蒙った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、上告人(西松建設)は前述したような勤務条件で中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受け、更に前記の補償金を取得している(西松建設等の加害企業が賃金を支払った形跡はなく、政府から総額5672万円の戦時補償金を受け取った。

この金額を現在の貨幣価値に換算すると1000億円にもなる)などの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待されるところである」と付言した。

最高裁が強制連行・強制労働の事実と加害企業の不当行為を認定し、加害企業ならびに国に対して被害者の救済を促す付言を呈したことは、これまでの全国各地の裁判での闘いが勝ち取った重要な成果であり、中国人戦争被害者問題の全面解決に向けての新たな一歩として重要な意義を持つものである。この付言をふまえ、2009年10月、西松建設は、①強制連行・労働事件の事実を認め、謝罪をなし、②後世の歴史教育のため記念碑を建立すること、③受難者に対する補償、慰霊、記念碑設立等のために和解金として2億5000万円を支払うとする内容の和解が成立した。

戦争遺留問題
中国政府は「強制連行・強制労働」「慰安婦」「遺棄毒ガス(化学)兵器」を三つの戦争遺留問題としている。これは、かつては、在京中国大使館のホームページなどにも掲載されていたが、現在はその記述はない。しかし、筆者が本年2月12日に在京中国大使館の政治部長に質問したところ、中国政府は見解を変更しておらず、上記の三つの問題については、今でも解決が必要な戦争遺留問題と認識していることを確認した。

1972年9月の日中国交正常化の際に発出された日中共同声明で、日本に請求できる「戦争賠償」を中国政府は放棄している。子々孫々に至る日中友好を築くために、日本国民に対し負担を強いないよう戦争賠償を放棄するという中国政府の寛容な精神を示したとされる。しかし、1990年代に入ってから、戦勝国が敗戦国に対し請求する「戦争賠償」と、民衆がこうむった被害を侵略国に請求する「民間賠償」は異なるとし、日中共同声明で中国政府が放棄したのは前者の「戦争賠償」であり、後者の「民間賠償」は放棄していないことを論証する論文が中国国内で発表された。その影響で、中国政府は民間賠償を調査し、日本政府に対し支払いを要求すべきだという決議案「万言書」が全国人民代表大会(全人代)に提出された。

1995年3月7日、中国の銭其琛外相は、全国人民代表大会(全人代)の非公開グループ会議で「中日共同声明で中国は国家賠償は放棄したが、これに個人の賠償は含まれない」と指摘し、「中国政府は、個人の賠償請求権を阻止しない」と述べた。

現在、民間賠償問題に対する中国政府の態度は必ずしも明確ではない。しかし、西松事件最高裁判決で示されたように、仮に日中共同声明で中国国民の民間戦争賠償請求権が放棄されたとしても、先に例示した「強制連行・強制労働」「慰安婦」「遺棄毒ガス兵器」の三つは、国際人道法に対する特に重大な侵犯であるため、戦後補償としての民間賠償問題の範囲外にあるとして、解決が必要な三つの「戦争遺留問題」として中国政府は認識していると思われる。

特に「慰安婦」問題についていえば、アジア女性基金の償い事業の対象がフィリピン・韓国・台湾・オランダ・インドネシアとされていたため、中国の「慰安婦」とされた方々は、同基金の償い金も首相によるお詫びの手紙も受け取っていないことは、あまり知られていない。

2009年9月に民主党政権が誕生した際、中国外交部の対日関係者たちは、戦争遺留問題で何らかの進展があることを期待したそうである。それは、民主党には、「強制連行・強制労働」「慰安婦」「遺棄毒ガス兵器」以外にも、戦後補償問題全般に熱心に取り組んできた議員が多かったからである。

たとえば、旧日本軍が中国へ持ち込み、敗戦後に遺棄した毒ガスが入ったドラム缶と汚染された土により、44名が健康被害を受け、うち一人が死亡したチチハル遺棄毒ガス事件の被害者が来日した際、被害者と面会し、誠実に謝罪の言葉を述べた鳩山由紀夫が首相となり、「強制連行・強制労働」事件に取り組んでいた細川律夫衆議院議員は厚生労働副大臣、同大臣に就任した。また、野党時代に多くの被害者や遺族と面会して、中国語で直接交流した近藤昭一衆議院議員が日中友好議連の幹事長となり、環境副大臣も歴任した。大臣や副大臣として政府には入らなくても、ライフワークとして戦後補償問題に取り組む議員が自民党に比べれば相当多くいたこともあり、中国側も問題の解決に期待を抱いたと思われる。
しかし、結果的には、東アジア共同体を提唱した鳩山政権は1年も持たずに退陣し、2010年の菅政権による尖閣諸島漁船衝突事件や2012年の野田政権による尖閣「国有化」により、日中関係は国交正常化以来の最も厳しい局面を迎え、戦争遺留問題が解決することはなかった。
戦争遺留問題の解決へのヒント
民主党政権は、戦争遺留問題を進展させることはできなかったが、あまり知られていない今後につながる展望もあったので、紹介したい。
まず、1932年9月に中国遼寧省の平頂山集落で3000人ともいわれる村人が日本軍によって虐殺された平頂山事件について、2009年5月に相原久美子参議院議員が現地を訪れ、88歳になる幸存者(被害者の意の中国語)と面会し、民主党の衆参24名の議員による謝罪の意を表する手紙を手渡した。平頂山事件の幸存者たちは、長年この運動に取り組んできた日本の弁護士や市民との信頼関係に基づき、要求項目として、①日本政府の誠意ある謝罪、②犠牲者を悼む陵苑の建設、③記憶の継承の3点をあげ、個人賠償は要求していない。このような個人賠償を要求せず、日本政府の公式謝罪とその証としての陵苑や記念碑を建設し、事件を継承するという解決方式は、平頂山事件以外に多くある個別事案の解決のヒントとなるものだと考える。満州事変以降の日中戦争にかかる中国で発生した個別事案に関して、日本政府は公開の場での公式謝罪をしていない。しかし、2008年に駐米大使が、民主党政権時代には岡田克也外相が、「バターン死の行進」の生存者に対して日本政府を代表して謝罪している。

中国以外の個別事案に対しては、政府が公式謝罪をしているのだから、被害者自らが個人賠償を要求していない平頂山事件について、政府を代表する外務大臣や副大臣、または現地大使館か総領事館のしかるべき外交官が政府を代表して被害者と面会し、村山談話にそった謝罪をし、それが中国国内で報道されれば、日中関係の改善に寄与すると考える。2012年5月、与党の国会議員として、相原参議院議員と近藤昭一前環境副大臣は、瀋陽総領事館の加藤首席領事と共に撫順平頂山惨案記念館を訪れ、幸存者および遺族と面会し、謝罪の意を伝えた。90歳を越える幸存者は「謝罪を受け入れる」と述べた。

一方、チチハル事件等の日本軍が遺棄したと思われる「遺棄毒ガス兵器」による被害者たちの切実な要求は、完治が困難な症状にかかる高額な治療費や検査費用である。

2011年6月、環境省は、茨城県神栖(かみす)市における有機ヒ素化合物による環境汚染及び健康被害に係る緊急措置事業の継続と拡充を決定した。この健康被害は、旧日本軍の毒ガス兵器の製造に使われたと思われる有機ヒ素化合物が何者かによって遺棄されたことが原因で発生した環境汚染によるものである。近藤昭一衆議院議員は、2011年には環境副大臣として、特に子どもに対する救済拡充を指示し、精神発達調査費用として月額50,000円を支給することが決定された。化学兵器禁止条約の実施にともなう中国国内における遺棄化学兵器処理事業にかかる予算は年間200億円を越えている。このうちの1%を被害者の救済に充当すれば、神栖の子どもの健康被害と同額の精神発達調査費用として月額50,000円の支給が可能になる。

中国政府が「戦争遺留問題」と位置づける「遺棄毒ガス兵器」被害の解決のヒントとなりうる「緊急措置事業」の拡充が民主党政権で行われていたのである。
同じく、中国政府が「戦争遺留問題」としている「強制連行・強制労働」の解決についても、野田政権時の斎藤勁官房副長官が解決策を関係者と協議していた。斎藤副長官は、慰安婦問題でも、2012年秋、被害者へのお詫びや人道支援などで最終的に解決させることで韓国・李明博政権と合意しかけていたものの、衆院解散で頓挫していたと新聞紙上で明かしている。同趣旨の内容は、李明博の回顧録にも書かれていると報じられている。

もし、慰安婦問題で韓国との一定の決着が図られていれば、中国の慰安婦問題についても、何らかの進展の可能性が生まれていたかもしれない。

戦後70年の今年、安倍晋三首相の「談話」の内容が注目されている。戦後50年の村山談話および戦後60年の小泉談話でも使われた「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」というキーワードを使わないのではないかと危惧されている。

しかし、談話の中身も大事だが、もっとも重要なことは、実際の行動によって近隣諸国の信頼を得ることである。その具体的な一歩として、日中戦争にかかる個別事案への政府の公式謝罪や、部分的であっても「戦争遺留問題」の解決が図られるべきだと最後に強く訴えたい。
(筆者は法政大学大学院政策科学研究所 特任研究員・
日本地方政治学会・日本地域政治学会理事)


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