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折鶴に包まれる歴史――陣野俊史「鶴鳴」とオバマ大統領の広島訪問


神谷 光信

◆ 文学作品が浮き彫りにする「真実」

 文学作品――とりわけ小説は、われわれが生きた時代の体験を、具体的な描写を通して生き生きと描き出す。そればかりか、作家の想像力は時代を超え、未来を予見することさえある。第二次世界大戦後、大岡昇平がフィリピンの戦場で捕虜となった体験を書いていたころ、フランスでは、ペストに襲われた港湾都市の物語をアルベール・カミュが書き、英国では、国民監視が徹底した全体主義国家をジョージ・オーウェルが書いていた。小説とは「虚構」、要するに作り話であり、ジャーナリストによる事実の正確な報告でも、学者による歴史の学術的復元でもない。だが、われわれは小説を通して、人間の真実に触れるのである。

 小説を書くのは作家とは限らない。中村光夫や加藤周一のように、文芸評論家が創作に手を染めることがある。そもそも、小林秀雄以後の文芸評論は小説の付属物ではなく、それ自体が文学作品として自立している。評論家も広い意味では作家なのだ。「和歌でいえることは和歌でいうに若かず。和歌でいえないことは、自由詩の形式により、自由詩の形式をはみだす内容は、散文による。散文に空想をまじえて小説を作るか、事実に即して伝記を草し、思想を分析して論文を書くかも、時と場合に従うのである」(『加藤周一著作集13 詩歌・小説』あとがき)。

 文芸評論家の陣野俊史は、フランス文学者でもある。彼が初めて創作を発表したのは、2年前のことだ。彼の小説「泥海」が文芸ジャーナリズムで注目を集めたのは、世界中を震撼させた、イスラム過激派によるシャルリ・エブド襲撃事件(2015年1月)がモチーフだったからである。フランスの歴史と文化に造詣が深い作者は、地方出身の日本人青年を登場させるとともに、テロ実行犯の内面に潜り込み、パリを舞台とした凄惨な事件を強烈に描き出した。小説家ができないことを評論家がやってみせたことが衝撃を与えたのである(拙稿「シャルリ・エブド事件と文学的想像力:テロリストの内面に迫る陣野俊史『泥海』の世界」『季刊現代の理論』22号参照)。http://gendainoriron.jp/vol.22/rostrum/kamiya.php

オバマ大統領の広島訪問というモチーフ

 昨年、陣野は第2作「鶴鳴(かくめい)」(『文藝』2019年秋号)を発表した。これは、アメリカ合衆国大統領バラク・オバマの広島訪問(2016年5月)をモチーフにしている。前作「泥海」でアルジェリア系フランス人テロリストの内面に迫った作者は、今度は、ホワイトハウスのオーバル・オフィスで働く、アフリカ系アメリカ人大統領の内面を描き出した。陣野とオバマとの共通点は、1961年生まれであること、有色人種の男性であるということだけだ。作者が、自らとかけ離れた背景をもつ人物になりかわって語るという手法は前作と同じである。それはテロリストと大統領という国際的な政治主体、特別な歴史的人格を、生身の一個人に引き戻す試みといってよい。

 オバマが現職大統領として初めて広島を訪問し、平和記念公園で核廃絶を訴えたことは、「ヒバクシェとのハグ」とともに人々の記憶に刻みつけられている。この訪問時に、オバマは自ら折った折鶴を持参して小中学生に手渡している。ヒロシマ・スピーチは公人としてのものであり、ノーベル平和賞受賞の理由となったプラハ演説(2009年)とともに、核兵器廃絶という政治的文脈において特筆すべき重要性を持っている。だが、彼が贈った折鶴は、演説のようにはパブリックな性質を帯びてはおらず、そこからはみ出した周縁の領域にあった。ささやかな行為――せいぜいのところが微笑ましい挿話に過ぎないこのできごとに注目して、陣野は小説を書いた。折鶴が人間オバマにとって重い意味を持っていたと考えたのである。作者が長崎県出身であることも、彼がこの作品を著した動機のひとつではあろう。

アフリカへの旅と、核廃絶の起源としての演説

 「鶴鳴」では、ふたつの物語が交互に進行していく。ひとつはオバマの、もうひとつは、被爆者の曾祖父を持つ日本人青年の物語である。

 物語は、広島訪問の前年から始まる。ホワイトハウスの執務室。オバマの背広の内ポケットには折り紙がある。妻もふたりの娘も知らないシークレットである。折紙は、幼い頃に別れた父親の記憶と結びついている。祖母から聞いた話では、日本人留学生を介して原爆と千羽鶴を知ったオバマの父親は、リビングでひとり鶴を折っていることがあったという。ケニアの貧村に生まれたルオ族の父は、奨学金を得てハワイ大学で学んだ。そこで白人女性と知り合い結婚した。だが、彼は息子が2歳のときに、妻子をハワイに残してハーバード大学大学院に進学し、その後ひとりでケニアに戻ったのだ。

 大統領に就任した7年前、オバマはチェコの首都プラハで核廃絶を世界に訴えた。「米国は、核兵器のない世界の平和と安全を追求する」と語りかけたのだ。大統領任期の終わりが見えてきた現在、原点に回帰して、世界にふたたび核廃絶を訴えるには、ヒロシマとナガサキを訪れるしかないとオバマは考えた。だが、そもそも自分の原点とはどこにあるのか。1982年に父親が亡くなった。その数年後、20代のオバマは初めてケニアを訪れた。父の幻を求めて父の足跡を訪ね、親戚から話を聞いた彼は、若き日の父親が残したたくさんの手紙を見いだした。

 オバマは父の墓標の前に立った。それは「世界のどこかの森にある、宗主国からの独立を目指した蜂起軍のリーダーの墓みたいだった」。オバマは落涙し、「ふいに、人生の輪が完結したのだ、と思った。自分が誰なのかがわかった」。ケニアの地で、彼は自分が「起源」と結びついているという感覚を持った。「痛みも苦悩も、父親とそのまた父親から受け継いだものだという、奇妙だが確信めいた感覚が芽生え」た。とはいえ、それは過去と自分との結びつきである。それに対して、アメリカ合衆国大統領として行ったプラハの演説は、未来を生きる後続世代にとっての「起源」となることを願った言葉なのだった。

起源としての原爆と、アフリカの父

 シュンと呼ばれる日本人青年は、学生時代にフランス文学を専攻した母親と、彼女が留学先のマルセイユで知り合ったアルジェリア人の父親との間に生まれた。1980年代に生まれたという設定なので、現在は30代である。東京で修学した母親と違い、長崎大学教育学部を卒業して、国語教師として長崎市内の中学校で働いている。独身である。パリにいる母親はライターをしている。父親は長崎の暮らしに馴染めず、シュンが中学校2年生のときにアルジェリアに戻ってしまった。チエという祖母がいるが、彼女は疎開先の伊佐早で原爆投下を目撃している。長崎の三菱重工に勤務していた彼女の父親は奇跡的に無事だったが、長生はできなかった。

 「あと数か月、長崎に居つづけたら、チエの命だけではない、一家全員は生きておらず、その間違いようのない予想は、そのまま俺の存在も根こそぎにする感覚があった。誰も生きていない。もちろん、俺もいない」。アルジェリア人の父親――母親が知り合ったとき、彼は法学専攻の学生だった。ジャーナリストの息子だったという。彼は次第に音楽とサッカーに熱中して「フーリガン」に近づいていったが、「俺」が生まれたあとは、妻に説得されて来日し、しばらくは家族で長崎に暮らしたのだった。

 読者として考えてみれば、シュンから見て祖父に当たるジャーナリストは、アルジェリア独立戦争を生きた人物であったはずだ。また、アルジェリアは第二次世界大戦後、ポリネシアと並んでフランスが核実験を行った土地である。小説中では特に言及も暗示もされていないが、長崎の原爆が重要な意味を持つ本作を考える上で、思いをめぐらせておくべき歴史だろう。

 「俺」つまりシュンのアイデンティティは、何処にあるのか。パリにいる母親、アフリカにいる父親よりも、生まれ育ち、現在も暮らしているこの長崎、そして祖母チエとの結びつきにあると彼は感じている。父親がアルジェリアから送ってくる電子メールを、読みはするものの、シュンは消去してしまう。オバマのように、父を求めて彼がアルジェリアを旅するには、時期尚早なのだろう。

ハワイ、ヒロシマ、ナガサキ

 アフリカとの繋がりという共通点があるオバマとシュン。ふたりの人生は、オバマの広島訪問で重なり合う。ハワイで過ごした小学校時代、オバマは、広島で被爆した少女、千羽鶴を折り続けて世を去った少女を描いた、カール・ブルックナー『サダコは生きたい』を夢中になって読んだ。この本は、今もホワイトハウスの執務室の机の引き出しにある。千羽鶴というが、サダコが折ったのは990羽である。あと10羽を折らねばならない。そしてそれをサダコの鶴に紛れ込ませねばならない。この小説のなかで、オバマはそう考える。ヒロシマ・スピーチ、それは、死、物語、子どもを巡るものだった。「裏テーマはサダコだ。すべてはサダコをめぐって紡がれていた。彼は自分の演説を思い起こしながら、それがいかにサダコへの思いに絡めとられていたかを思い出して、ふいに落涙した」。

 シュンは、オバマの折鶴が長崎の原爆資料館に展示されることを知り、足を運ぶことにする。「俺の推測では、オバマ大統領は、完成品として十羽の折鶴をこの世に出現させている」。「オバマは十羽をきっと折ってきた。俺がオバマなら間違いなくそうする」と彼は考える。

 広島訪問後、キャロライン・ケネディ駐日大使がホワイトハウスを訪問したとき、オバマは執務室の机の引き出しから2羽の折鶴を取り出して、彼女に手渡した。「この五月、広島を訪れたときに折った鶴の、残りだ。長崎の人々に届けてはくれないだろうか」。残りの折鶴は4羽だ。「四羽はどこにも飛び立たないほうがいいだろう、と彼は思った。この重厚な机の、引き出しの奥の奥で、静かに眠っているほうが似つかわしいのだ」。

文学的想像力と、小さな折紙の壮大な世界

 この小説の執筆に際して、陣野はオバマの自伝『父からの夢』(邦題『マイ・ドリーム』白倉三紀子・木内裕也訳、ダイヤモンド社、2007)を参照している。これは彼が弁護士時代に出版した書籍である。タイトルからもうかがえるように、生き別れた父親との関係が詳細に記された本だ。しかし、この書物には、オバマと折紙に関する記述はない。「鶴鳴」に描かれる折紙をめぐる記述は、作者の想像によるところが大きいと推測される。

 オバマとシュンの物語の間に、日本の折紙協会関係者の語りが挿入される。「アメリカの関係筋」から、折紙について教示を乞う打診があり、協会は18世紀に書かれた『秘傳千羽鶴折形』を手引きとして紹介した。これが単なる技術的指南書ではなく「一個の文明を内包する壮大な書物」であり、先方、すなわちホワイトハウスからの依頼も、折紙が持つ文化的な深さを知ることだったからである。「折紙の文化は、一言でいえば、折って開いての繰り返しでございます。すでにこの世に存在するものは、どんなものでも折れます。折って、世界を構築するのではなく、世界はすでに折られているのです。そうした思想を背景に、日本で、折紙が、そして折鶴が受け継がれてきたのでございます」。

折紙に包まれる歴史

 展示されたオバマの折鶴を見るため、長崎原爆資料館を訪れたシュンは、建物を出たところで不思議な光景を幻視する。世界が輝いていた。ゴミ箱のなかも輝いていた。覗き見ると、しわくちゃになった折鶴が、鶴から紙へと変容していく途中だった。「まさしくいま、鶴は開いていた。そこに世界は織り込まれていた。鶴が開くことで、内側の世界は外に開かれ、光をともなって目の前にあった」。

 シュンは、解体して紙に戻った鶴をゴミ箱から取り出す。そこには、アフリカの政治的抵抗――1947年3月のマダガスカル蜂起が書き付けられていた。「記憶すること。自分自身の言葉を聞いてもらうこと。この二つが、マダガスカル人や、アフリカ人に課せられている。だが、数字以上に、あの蜂起を理解する、正確な言葉を見つけることは難しい。忘却を讃えることのほうがずっと簡単だ」。

 紙に戻った鶴をポケットに入れると、「複数の折鶴がしばらくポケットの中で騒いでいた」。注釈を加えると、マダガスカル蜂起とは、植民地支配に抵抗した民衆に対するフランス軍の大虐殺事件である。インドシナ戦争やアルジェリア戦争の陰に隠れて日本人に広く知られているとは言いがたいが、自由・平等・友愛を掲げる共和国の歴史にある暗部である。

 手のひらに載る小さな折鶴のなかに、マダガスカル蜂起と大虐殺の記憶が包まれている。広島の原爆投下と焦土の記憶も包まれている。このヴィジョンは鮮烈で、小説を読み終えたあとに、折鶴はそれまでとは全く違った存在として観念されるようになる。サダコは「世界で最も有名な被爆者」ではなく「折鶴を世界的な平和の象徴に変貌させた功労者」なのだと折り紙協会関係者が捉えるように、小説「鶴鳴」は、手のひらに載る小さな折鶴を、「平和の象徴」というステロタイプから、人類史的惨禍を包み込む巨大なイメージに変貌させた作品ということができよう。

政治的演劇に人間の心を見いだす試み

 現実のオバマには、知性的で清潔なイメージがあったが、この小説で描かれる彼は、信念の人というよりは感傷的な人物である。アメリカ合衆国が現代史で果たしてきた役割、とりわけ、紛争地域への度重なる大規模な軍事介入や、反植民地主義より反共産主義を優先させたアフリカ政策などを考えるとき、人間オバマの内面を共感的に描くことは、テロリストの生の軌跡を小説で生き直す以上の危うさをはらんだ試みだったはずだ。合衆国大統領の絶大な権力は、他国に原爆投下を命じるほどであり、国際世界の運命を左右する政治的主体としての役割は、個人の人間性とは切り離して考えるべき事柄だからである。

 それゆえ、前作でテロリストを「悪魔化」から解放した作者は、本作では大統領を英雄化こそしないものの、理想化すなわち「天使化」していると捉える読者がいるかもしれない。だが、政治的演劇に文学の側から光を当てること――政治的行為の中に人間の心を見ようとすることは、それ自体が、不完全な人間存在のなかに天使性を見いだすことなのかもしれない。日米の政治的文脈に組み込まれてしまうにせよ、オバマの決意と両国関係者の真摯な努力がなければ広島訪問が実現しなかったことは、動かしがたい事実なのである。

 最後に、「鶴鳴」という謎めいたタイトルは、どう読み解けばいいのだろうか。ツルは稀にしか鳴かないが、いざ鳴くときには、鋭い、周囲を圧倒する叫びを発するという。また、カクメイという音が「革命」と通じることは、改めて言うまでもない。

 ここで筆者が想起するのは、アルジェリア戦争を描いた仏伊合作映画『アルジェの戦い』(1966年)で、フランス官憲に対して群衆があげる、甲高い、奇妙なあの声である。言葉以前の抵抗の言葉、特定困難な集団的威嚇、一度耳にしたら終生忘れることができない、文字通り不吉な鳥のような声。あれこそは「鶴鳴」ではないだろうか。歴史にこだまするその声は、現在もあちこちにあるはずだが、メディアが撒き散らす支配層の大声でかき消されている。だが、オバマはかつてそれを聞き、陣野も確かにそれを聞いたのである。

 (関東学院大学客員研究員)

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