【オルタの視点】<フランス便り(21)>
揺れるEU: テロ対策に悩むフランス
普段ならば、フランスは7月になるとヴァカンス・モードになり、多くの人が海や山で長期休暇を楽しみ、政治や経済は空白となる。ところが、今年は6月の末から7月に掛けて、想定外の大事件が続いている。
まず、イギリスの国民投票でEU離脱の票が過半数を占め、キャメロン首相が退任する事態となった。隣国の話とはいえ、顔の見えないEUを嫌い、不満の原因をすべてブラツセル官僚のせいにする人が多いフランスなので、イギリスのEU離脱は他人事ではない。世論調査によると、この不満層の受け皿になっている極右のFNと共産党に近いメランション氏は、反EUで支持者層を大きく伸ばし、とくにFNのマリーヌ・ルペン氏は、2017年4月の第一次大統領選挙ではトップを占めそうな勢いである。もしフランスでEU離脱をめぐる国民投票が行なわれると離脱派が多数を占める可能性は否定できない。
フランスは、イギリス以上にEUを必要としている。従って、英国の動向は、対岸の火事ではなく、フランスにとって大きな問題である(参照:オルタ誌2016年7月号のリヒテルズさんの論文)。ところが、この Brexit がフランス国内で議論され始めた7月14日(フランス革命記念日)に、ニースで、イスラム過激派に共鳴したチュニジア人が運転した大型トラックが花火客が集まったところに突入するという無差別テロが発生した:死者85人、重傷者多数、その多くは子供たち。その事件の余韻が残っている7月26日には、ルーアン市郊外の教会で、イスラム過激派に洗脳された19歳の2人が、85歳の神父を殺害し、もう1人の信者にも重症を負わせる事件が起きた。神聖なカソリック教会で、しかも祭式を行なっていた神父を刃物で殺害した事件には、普段は無宗教を表明する人が多いフランスでも、深く傷ついた人が多い。
2017年に大統領選挙を控えて、保守の共和党(昨年、UMPから名前を変えた)の予備選挙は実質的に始まっているので、立候補が噂されている多くの候補は、オランド・ヴァルス政権の治安対策の不備を指摘し、実に様々な発言を繰り返している。内務大臣の辞任要求、イスラム過激派の予防的な長期収監などやかましい。間違いなく、テロ対策あるいは治安対策は、次の大統領選挙の大きな論争点となると思われる。ただ、国の治安対策は、個人の自由を制限する可能性が強い。一般的に容疑者は罪が確定するまでは無実のはずながら、テロの場合は、多くの証拠を集める余裕はなく、予防的拘束も必要となる。ましてや今回の個人的な自爆テロになると、どうしても諜報機関の網からもれやすい。フランスは伝統的に法治国家であり、司法の独立性も守られてきた。どのように、個人の自由や人権を尊重しつつも国民の安全を守るのかは実に難しい問題である。
◆◆ 連続して起こっているイスラム過激派によるテロ事件
ここで、最近、フランスやベルギーで起きたイスラム過激派によるテロ事件の経過を見てみよう。発端は、2015年1月初めの Charlie Hebdo という風刺雑誌の編集会議を襲い、その場にいた新聞記者や漫画家など10数人を殺害、それに呼応するように、別の犯人によるユダヤ人スーパーでの人質事件などが起こる。死者の数は全体で17名。テロの犯人は3人、モロッコおよびアフリカからのイミグレだった。このうちの首謀者は、麻薬などで再三の逮捕歴があったが、どうも刑務所内でイスラム過激派になったらしい。犠牲者の中には、著名なマンガ家も含まれていた。
2015年11月13日には、パリの中心部で、大規模な銃撃事件があり、音楽会場だったバタクランを初めとして、レストランで食事中のものなど、実に130人の死亡者と400人を超える負傷者をだした。犯行は計画的で、首謀者はベルギー国籍のイミグレで、シリアに何回も行った経験を持つ。2016年3月22日には、ブラッセルの空港と市の中心部で、3人による自爆テロが発生、36人の死者と360人の負傷者をだす。この犯人たちは、もともとはパリを狙っていたが、捜査の目が厳しくなったので、地元のブラッセルを狙った模様。ベルギー人およびシリア国籍と見られる男が犯人だった。
7月14日のニースでのトラックによるテロ事件:死者85人、負傷者287人(8月5日現在の数字)。犯人はチュニジア国籍で、フランスの諜報機関はイスラム過激派とは考えていなかった人物。そして、7月26日の教会での神父殺害事件。犯人の2人は、いずれも19歳、1人は早くから過激派と見られていたが、もう1人はごく最近過激派に共鳴した模様。テロの実行犯のほとんどは自爆または特別警察部隊により射殺されている。それにしてもすさまじい数の犠牲者である。
テロの犯人たちの過去やシリアのISとの関係は一様でないが、ほぼすべてのテロの実行犯は、イミグレといわれるアラブ・アフリカからの移民の1世、あるいは2世で、パリ、ブラッセルなどの郊外で育っている。過激派になった契機にはいくつかのルートがあるようだ。まず、イスラム教の指導者(imam)の中には、イスラムの伝統的な戒律への復帰、西欧文化の否定、他宗教排斥や聖戦を説き、イスラム過激派のセクトを広めた人がかなりいた模様である。これらの指導者に感化された若者が、シリアに行き、さらに洗脳される。
もう一つの指摘されているルートは、刑務所内でカリスマ性のあるイスラム過激派が影響力を持ち、服役者をイスラム原理主義に洗脳してゆく。フランスの刑務所は予算不足のため、服役者の多くに監視の目が届かない。しかも刑務所内のイミグレ人口は多いので、そこでイスラム過激派となるケースが知られている。
三つ目のルートは、友人関係やインターネット上のISサイトに影響を受けた者がテロ事件を引き起こすケース。この経路は、10代の犯人に見られる。なお、フランスの諜報機関は、テロ実行犯の多くを過激派として把握していたが、もっとも危険なレベルの人物とはみなしていなかった。何しろ、この危険な者のリストには、1万人以上の名前があるといわれ、とてもすべての人物を常時監視するのは不可能という。
◆◆ フランスの中のイスラム系人口とイスラム過激派
フランスでは、宗教による差別を禁止しているため、宗教ごとの人口統計は存在しない。そこで、移民やそのイミグレ子孫を出生地により推計した数字がイスラム系の人口推計で使われる。出生地がマグレブの場合、自動的にイスラム系人口として計算される荒い推計である。推計値はいくつもあるが、大体、400−600万近くがイスラム系の人口と考えられている(フランス全体の人口の6−9%)。また、別の推計によれば、イスラム教徒として礼拝などを定期的にしている信者は約200万人とされる。一般的にフランス人は、最近、宗教離れが激しいので、その意味では、200万人というのは重い数字である。
フランスのイスラム系人口の多くは、旧植民地であったマグレブ諸国からの移民である。1960年代に安価な労働力として受け入れられ、自動車、鉱山などに大量に導入された移民の2世、3世がイスラム系人口の大半を占める。これに、イランや中東からの移民と、最近増加している西アフリカ諸国からの移民が加わる。出身地ごとにイスラム教の宗派が異なり、フランスのイスラム社会は、モザイク状になっているいるといわれる。2003年にサルコジ前大統領が、まだ内務大臣だったときに、イスラム教徒との対話のために、イスラム教の全国評議会を設けるが、その代表性を認めない宗派が多い。
さて、このように、様々なイスラム宗派が共存するなか、その一つに、イスラム原理主義あるいは Salafisme がある。サウジアラビアやカタールなどで主流の宗派で、イスラムの戒律への復帰を唱える。フランスでも、この流れが近年強くなり、全身を覆うスカーフの着用や学校での給食の問題などで地域社会とトラブルを引き起こしている。モスクの指導者(imam)の一部は外国で教育を受けているので、その経路で Salafisme がフランスに伝播したといわれる。この一部が、シリアのISを支持し、イスラム過激派の温床になっている。Charlie 事件以降、過激派の外国人イマームの国外追放が行なわれているし、モスクの礼拝は監視されているが、手遅れの感じは否めない。
◆◆ テロ対策
イスラム過激派の連続テロ以前から、フランスでは、様々なグループによるテロが頻発していた。1970年代には、極右あるいは極左グループによる政治家や財界人を狙ったテロ、あるいは中東の緊張に呼応して、パレスチナ人がユダヤ人を襲う事件などが世間を騒がせていた。そこで、1986年にテロ事件を扱う特別法廷がパリに設けられ、テロ関連の裁判は、そこで一括して扱われることになる。
1990年代になると、刑法が何回も改正され、テログループによる犯罪の勾留期間の延長や特別に重い刑期が課せられたりした。また現在では、諜報機関はテロ容疑者の電話の傍受や情報収集などを判事の事前許可なく出来るようになっている。また、2014年以降は、シリアやイラクのような危険地域に行くだけで、ジハード(聖戦)志願者とみなされ、犯罪行為を形成することになった。
Charlie 事件後、オランド・ヴァルス政権は非常事態宣言を行い、警備に軍隊を導入し、駅や教会、シナゴーグなどの警備を強化している。テロの疑いがある場合、判事の許可なく家宅捜索を警察は行なえる建前となっている。とはいえ、想定外のテロ事件が続いているので、治安対策が後手に回っている印象はぬぐえない。人気低迷中の現政権は治安の面でも国民の信頼を失っている。しかし現行の制度の中で、現政権が行なえるテロ対策には、限りがある。
その一例として、最近の神父殺人テロの経緯を見てみよう:アブデル・ケルミッシュ(19歳)は、ルーアン近郊の労働者街で育つ。2014年から2015年にかけて、IS支配地域のにシリアへ潜入しようとしているところを外国の機関に見つかり、フランスへ強制送還となる。2015年3月に起訴され、テロの危険性ありとされて、長期拘置の決定がなされる。その後、担当の判事は、少年の拘置所内の態度が良く、本人との面接でもシリア行きを深くが反省したとみなし、定期的に当局に出頭すること、本人の家族が保護責任を負うという条件で釈放を決定する。これに対し、検察は、釈放は危険として、上告する。控訴審では、3人の判事の合議で、控訴を棄却する。その結果、ケルミッシュは3月から条件付きの自由の身になっていた。神父殺害の事件が起きた後、司法判断の誤りを指摘する声は強い。
では、オランド政権は本当に出来る限りのテロ対策を行なってきたのだろうか? 個人的な意見ながら、いくつかの間違った選択を行なったように思われる。
まず、Charlie の事件後、イスラム過激派のテロを戦争行為と断定したことがある。IS支配地域に爆撃を行なっている中で、IS指導の下で、テロが起きたというシナリオである。しかし、すべてのテロをISの指令あるいは宣伝の結果と考えることには無理が多い。テロの実行犯は、そのほとんどが、外国人移民の子孫で、大都市の郊外で育ったフランス人、ベルギー人である。いわば、フランスの社会から落ちこぼれた人たちで、犯罪歴を重ねた人も多い。この郊外の疎外とイミグレの社会的統合の失敗が、西欧文化に背をむけ、イスラム原理主義にひかれる若者たちを生み出している。
フランスの過去50年の負の遺産が現在のフランスの中のイスラム過激派を生み出している。このような構造的な問題にメスを入れるのをオランド大統領は意識的に避け、ISとの戦争とごまかしているのではなかろうか?
次に、オランド氏は警察や諜報機関が暴走し、メディアに叩かれることを極端に嫌う。長く続いた労働法改革反対の政治ストや環境団体のナント飛行場建設反対でも、警察を動員していても、力づくの介入を強く自制させている。パリのレプブリック広場が、若者に夜、占拠され続けても、警察の介入には踏み切っていない。人権擁護派が集まる社会党内の左翼に配慮した結果かも知れないが、どうしても非常事態の最高責任者とは思えない。このオランド氏の態度が、一方でISとの戦争を理由に非常事態を勇ましく宣言しながら、実際には動かない治安担当者と国民に映るのだろう。
◆◆ 個人の自由と治安維持
テロ対策あるいはより広く治安維持は、究極的には、個人の自由をどこまで尊重するかとの釣り合いでもある。諜報活動の強化は個人情報への介入であり、確たる証拠なしの捜索は個人の自由を守るという民主国家の基本原則を侵すことになる。1789年のフランス革命時の人権宣言は、現在でも、憲法で保障されるべき原則として生きている。個人の自由が伝統的に重視されているので、警察官は明確な理由なしには身分証明書の提出を求めることはできない。不法滞在の外国人がフランスに多い原因でもある。
効果的なテロ対策を行なおうとすれば、市民の安全確保という名目で、間違いなく、個人の自由の原則を制限することになる。現政権を含めて、フランスの左翼は、個人の自由と政教分離を聖域としてきた。オランド・ヴァルス政権がテロ対策で思い切った手が打てないのも、左翼政党の思想的な柱である個人の自由の原則を極力守ろうとするためでもある。
では、来年予想されている政権交代が行なわれるたとき、治安維持の政策は大きく変るだろうか? 次の選挙で、共和党のサルコジ元大統領あるいはジュぺ元首相が当選し、政権を担当すると思われるが、実際には、次の大統領ができることは意外と少ない。多分、デモや騒動の取り締まりには、警察の介入を認めるスタンスをとるとしても、現在以上に個人の自由の領域への介入をすることはないだろう。
フランスのリーダーたちは、民主主義の基本が個人の自由の原則にあり、法治主義であることを知っている。憲法上の強い縛りもあるので、強権的な治安対策は選択肢にならない。フランスは、長く苦しい第一次世界大戦中も議会制民主主義を守り続けた。個人の自由の尊重と法定遵守が民主主義の基本であることを保守の政治家も共有している。アメリカの「グアンタナモ」のような治外法権を認めることはないだろう。
ところで、日本が今、フランスのように、連続テロの標的になったと仮定したとき、民主主義や法定主義は大丈夫だろうか? 情緒的なマスコミの報道があった場合、個人の自由の原則と治安維持の釣り合いをとりながら、冷静にテロ対策を考えることができるだろうか? とかく感情やそのときのムードに流されやすいマスコミや政治家が多いので心配である。 2016年8月6日 パリ郊外にて
(フランス・パリ在住・早稲田大学名誉教授)