【オルタ広場の視点】

政治は渋沢栄一の『論語と算盤』から何を学ぶか

栗原 毅


 福沢諭吉に代わって新一万円札の肖像に登場する渋沢栄一は、日本の近代資本主義の父と呼ばれる。渋沢といえば孔子の言行録、論語と切り離せない。ロボットやAI時代にいくら何でも論語ではなかろうと思われる向きもあるかもしれないが、論語をひっさげた渋沢に混迷の現代を切り開くヒントがありそうなのだ。

◆◇ 「世のため人のため」があった

 渋沢は第一国立銀行など500社近い企業を設立。現在、渋沢が関係した企業で活躍するサラリーマンは相当な数に上るだろう。渋沢は多くの社会福祉事業を支援した。
 渋沢の生地、埼玉県深谷市血洗島にある渋沢栄一記念館を訪ねて、まず目につくのが「君子は本を務む。本立ちて道生ずる」という額である。渋沢の従兄で漢学者、尾高淳忠が、渋沢に説いた論語の一句だ。君子とは聞きなれないが、ここでは「一人前の社会人」という意味にとって、その君子を目指すには、まずバックボーンになる根本が大事だというのだ。

 実は昨年、韓国のソウル国立博物館を訪れたら、この一節が書かれた大きな襖が飾られてあるのを見て驚いた。中国、韓国を通じた東アジア文明の大きな流れにあることを実感した。論語が出来たのは2000年も前だから、卑弥呼がいたころよりさらにさかのぼる。渋沢は尾高の刺激を受けて、論語を日常活動に生かそうと努める。 
     
 渋沢は著書の『論語と算盤』の中で、「事柄に対し如何にせば道理にかなうかをまず考え、しかしてその道理にかなったやり方をすれば、国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える。そう考えてみたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にもかない、国家社会をも利益するということなら、余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである」と語っている。

◆◇ 三菱など財閥と一味違った

 渋沢の「利益は社会に還元する」という考えは、三菱の創始者、岩崎弥太郎らと異なった。渋沢の4男、秀雄氏は著書「渋沢栄一」でこのような話を披露する。渋沢はある時、三菱の創始者となる岩崎弥太郎から料亭に招かれた。すでに大きな財力をなしていた岩崎から「君と僕が堅く手を握りあって事業を経営すれば日本の実業界を思い通りに動かすことができる。これから二人で大いにやろう」と、持ち掛けられる。
 渋沢は事業を起こし大勢の人が利益を受けるだけでなく、国を富ますという念願を持っており、「合本法(株式組織)の道義的運営によって富は分配されるべきで、(利益を)独占すべきではない」と主張し、二人の対立は長く続いたという。

◆◇ 社会的弱者に目を向けた

 渋沢は企業経営だけでなく教育、社会福祉事業など幅広く支援した。例えば、労働組合法の制定に前向きだったし、身寄りのない少年や少女、お年寄りの世話をする東京養育院の院長を92歳まで務めている。亡くなる前年には癩予防協会会頭も引き受けるなど、弱い立場の人たちに目を向け続けた。

 ひるがえって現在はどうか。アベノミクスで株価と税収は伸びた。これからも景気浮揚を図って経済成長をすれば税収増が期待でき「老後2000万円」問題など、社会福祉政策に対する将来の不安は減らせるーと安倍首相は強調する。
 世間に広がると高齢者ばかりか現役世代にも反発を広げ、選挙に悪影響が出かねないことが気がかりな様子だ。日本経済は1945年の敗戦の痛手から立ち治り、高度成長時代を迎えたものの、1970年代からは石油危機やグローバル化などの影響を受け、低成長時代を迎える。90年代のバブル崩壊をきっかけに、日本経済は成熟期の峠を下りかけ、かつての国内総生産(GNP)世界第2位の再来は望むべくもない。そして人口減と少子高齢化に歯止めがかからない段階に至っている。

◆◇ 社会的弱者の目を向ける

 米ノースウェスタン大教授で『アメリカ経済 成長の終焉』などの著作があるロバート・ゴードン氏が経済の世界的な「長期停滞論」を唱え、論議を呼んでいる。同教授の現状分析は次のようなものだ。

 1870年から100年間は「特別な世紀」だった。パソコン、インターネット、スマホなどデジタル革命や人工知能、5Gなどイノベーション時代の到来に期待が膨らんでいるが、娯楽や通信の機能を高めることはあっても、生活の質、生産性の飛躍的向上は望めない。日本の問題は子供も移民も少なく、消費者も足りず投資の機会も損なわれ、成長の妨げが少なくない。 
 ざっと要約すると、成長のバネになりそうなイノベーションや生産革命はもう期待できないということ、少子高齢化の進行の行きつく先は、成長のエンジンが再燃しない衰退国家を迎える恐れも十分予想されるのだ。
 このほか安倍首相の選挙中の演説や発言には、野党攻撃、実質の伴いそうにないバラ色政策などが目立つ。有権者に注意を喚起しておかないと、釣り込まれて「野党に比べ安心、安定が望める」という間違ったサインが広がってしまう恐れもなしとしない。

 社会的弱者への支援策、セーフティーネット策、雇用・賃金政策、格差社会の解消問題などに必要な諸施策について、低成長化の財源確保のあり方などを打ち出すことが必要ではないか。『論語と算盤』の中で渋沢が繰り返し強調する「世のため人のため」という志を蘇らせることが、やはり欠かせない。渋沢の時代と今とでは、経済の規模も仕組みもまるで違っているが、渋沢の論語を踏まえた企業家としての取り組みや経済人に対する多くの提言には、時空を超えた説得力があるように思われる。

 (元共同通信編集委員)

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