【コラム】『論語』のわき道(48)

教育と教養

竹本 泰則

 久しぶりに一冊の本を「一気読み」しました。小難しいものではありません。児童文学作品です。題名は『ルドルフとイッパイアッテナ』 (斉藤洋著、講談社刊)。講談社児童文学新人賞の1986年度の入選作だそうです。その翌年の第1刷を皮切りにして2022年には第81刷が刊行されているというロングセラーです。
 猫の物語で、題名のカタカナはどちらも猫の名前です。もっともイッパイアッテナの方は、ルドルフが勘違いをして、そう思い込んでいるだけなのですが。
 このイッパイアッテナ君は侠気と思いやりをもち合わせた大変いいキャラクターの持ち主で魅力的なのですが、また、そのせりふが面白い。たとえば、「そういうのを『知識にたいするぼうとく』っていうんだ」などとのたまうのです。人間さまでもこのような言葉が口から普通に出るとすれば充分インテリではないでしょうかね。
 そのうえ、彼は教養ということをとても重んじています。ルドルフ君に向かって「おまえも、おれみたいに、教養のあるねこにならなくちゃ、東京に出てきたかいがないからな」とさとします。ルドルフ君がほかの猫に対して知識を自慢し相手をからかったことを知ったときのせりふはこうです。「ちょっとできるようになると、それをつかって、できないやつをばかにするなんて、最低のねこがすること」、「教養のあるねこのやるこっちゃねえ」と諫めるのです。猫に教養という突飛な組み合わせですが、十分楽しませてもらいました。

 近世中国ではeducationの訳語に教養を当てたそうです。それが明治の初めころ日本にも伝わったらしいのですが、わが国の場合はeducationには教養ばかりではなく教育も使われたようです。たしかに、それぞれ教え養う、教え育てるですから、意味としては同じようなものです。
 わが国ではその後educationには教育を当てるのが主流となります。一方の教養はcultureの訳語として大正時代にかけて定着したということです。

 調べてみますと教養も教育もずいぶん古くからある言葉でした。教養は、中国の古い歴史書である『後漢書』にみられるそうです。ということは、千数百年前には使われていたことになります。教育の方はもっと古く、およそ二千三百年も昔の人、孟子(B.C.372~289年)の言葉にみられます。この二つの熟語が大昔から使われていたということから、ヒトにおいては生まれた子の養育に「教え」が不可欠であったことが分かります。ほかの動物とちがって人間は「なり」が大きくなっても独り立ちはできません。社会生活に適合していくための知識のほか、集団の規範を守るしつけなどが備わっていなければなりません。
 同じような意味合いの熟語である教養と教育ですが、現代ではニュアンスに違いが出てきているように感じられます。とはいっても、その違いをすっきりと説明しようとしても簡単ではなさそうですが……。

 教養の現代的な意味合いを辞書で見ると「学問、知識などによって養われた品位。教育、勉学などによって蓄えられた能力、知識。文化に関する広い知識」(精選版 日本国語大辞典)としています。いま一つわかりづらい。形のないものを言葉で端的に言い表すということはなかなか難儀です。
 小宮山宏氏(化学工学の学者、元東京大学総長)は現代の教養に関して、「本質をとらえる知」、「他者を感じる力」、「先頭に立つ勇気」という三つの要素を挙げています。一つ目は正しく考えるあるいは判断する、そのための知識ということでしょう。二つ目は他人の心、たとえば楽しさ・苦しさ、喜び・悲しみなどを、上からでも下からでもなく同じ高さで理解できる力と解釈したいと思います。他人への敬意と共感性と言い換えていいかもしれません。三つ目は、教養人というと、いろいろなことを知っており、なにごとにつけ判断はするのですが、自らは腕などを組んで評論するだけというイメージがあります。そうではなく、やるべきこと、やらねばならないことに対して、率先して行動を起こす気概といった内容かと解釈します。

 確かにこのようなことが教養を形作る要素といえそうです。一方で、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」が思い浮かびます。三つの要素をしっかり持ちながら、それらのバランスを失わない人が「教養のある人」でしょうかね。今更、それを目指すには遅きに失しておりますが……。

 古くからある教養、教育という言葉ですが『論語』には出てきません。あるのは「教」(おしえ)という一字です。全巻で七回出てきます。そのうちの一つは『論語』でももっとも簡潔な章の一つです。

「子曰、有教無類」 
 ― 子いわく、教えありて類なし ―

 この四文字は「ゆうきょうむるい」と読み、成句として用いられたりしたらしいのですが、今ではあまりなじみがありません。
 無類は、無類の大酒呑みといった言い方もあり「たぐいないこと、くらべるもののないこと」の意味で使われるのが普通です。しかし、この章句の「類」は類別、種類の類です。人なら人を、ある基準や視点からグループ分けをする(類別する)ことがありますが、その分けられた種類です。具体的には善人か、悪人か、賢いか、愚かかといった区別を指すと考えられます。
 昭和の大学者である吉川幸次郎(明治三十七年~昭和五十五年)はこの章の文意を「あるのは教育であって、人間の種類というものはない」という文意にとって「つまり人間すべて平等であり、平等に文化への可能性をもっている。だれでも教育を受ければ偉くなれる」と言い足しています。そのうえで「孔子に人間平等の考えのあったことを示す条として、貴重される」と解説しています。
 また、岩波文庫の『論語』を見ると、金谷治(大正九年~平成十八年)の訳は次のようになっています。
 「教育〔による違い〕はあるが、〔生まれつきの〕類別はない。〔だれでも教育によって立派になる〕」。

 こうした現代語訳に対しては子安宣邦氏(昭和八年~)からの指摘があります。この人は日本思想史、倫理学の学者で、『論語』の解釈に関しては、江戸時代の儒学者・伊藤仁斎を高く評価している人です。
 その指摘とは、現代の解釈者たちは、「教え」を「教育」と解しているが、その「教育」とは『論語』でいう「教え」ではない。学校教育に代表される現代の「教育」とは基本的には上からの集団的な訓育(しつけ)であり、そのような概念の上に立って『論語』でいう「教え」を「教育」という語で解釈してしまうことはとんでもない間違いだ、というものです。
 教育といえば無意識のうちに学校教育と結びついてしまう現代にあって、この指摘は的を射たものに思えます。

 わが国は明治の初期に近代化を目指して学制を定めました。
「必ず邑(むら)に不学の戸なく、家に不学の人なからしめんことを期す」という理念のもと、全国に学校が開設されていきました。その一方で「人の父兄たる者」には「その子弟を必ず学に従事」させるよう求めたのです。
 小学校を例にとると、24,303校が新設されています。人口が三倍にも膨れた現在における小学校の数が26,000校ですから、踏み出しの第一歩は大きなものだったといえそうです。ちなみに長野県松本市に校舎が現存する開智学校はこの時代に建てられた小学校です。その建築費用の七割は地元からの寄贈といいます。地域の人々の教育にかけた熱を感じます。

 学校教育が全国的に普及した結果として、教育のほとんどすべてを学校教育が担う状況となります。しかし、制度化によって教育の目的、内容などは国家が決めることになり、教育における自律性が失われ、画一的なものになっていったように思えます。
 学校教育は人における「類」をなくしたのでしょうか。たしかに封建的身分制度による教育機会の壁を取り払いましたし、「だれでも教育を受ければ偉くなれる」時代もあったかもしれません。しかし、経済成長に伴う進学率の向上は、学歴偏重、受験競争、偏差値教育などといわれる現象をも生み出しました。そして今なおそれを引きずっているように思われます。ある意味で、教育がそれまでとは違う新たな「類」を生み出したといえそうです。

 世の中には様々な人がいます。心酔してしまいそうな人もいます。消えてもらいたいような人もいます。そこにある違いはどこから生まれるでしょうか。
 生まれながらの性情がゼロではないにしても、過半に及ぶはずはありますまい。成長とともにはぐくまれた知識、考え方、品性……いわば教養が作り上げたものでしょう。そして、それはもちろん自らの努力の結晶といっていいものでありますが、それを引き出し導いたものは人さまからの「教え」にほかならないと考えます。こうした意味では孔子の「有教無類」は肯ぜられるものに思えるのです。

(2023.5.20)
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