海外論潮短評(66)                  初岡 昌一郎

新しい地平が必要な軍事報道

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 イギリスのマスメディア専門誌『ブリティッシュ・ジャーナリズム・レビュー』
昨年12月号は、軍事報道が退役軍人や軍事研究者らの活動を通じ、軍部による誘
導を受けていることを反省し、ジャーナリスト自身が批判的分析的な目を持って
軍事報道にあたるべきだと主張する論文を掲載している。

 この研究誌は、BBCなどの放送機関や、『ガーディアン』などの有力紙、そ
してグーグルなどのIT企業の後援によって発行されている。筆者のアンドリュ
ー・グレイは、元ロイター通信の報道記者。この論文は、日本のジャーナリズム
や読者にとっても参考になる視点を提起しているので要約紹介する。

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■誘導された記事が国民の知る権利を侵害

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 ジャーナリズムは戦場での敗北を報道するのにセンセーショナルな言辞がふん
だんに用いてきた。「非情な敵」の「容赦ない攻撃」により、戦闘部隊が「全滅
し」、国が「危機に瀕し」ている、という具合に。こうした軍事報道は、政府や
軍部の誘導によって書かれることが多い。

 昨年6月に発表されたイギリス軍削減計画について、軍が「1750年以来、最も
弱体化する」と新聞報道がされている。このような派手な表現は、現在国会議員
になっている軍出身者の言葉をそのまま引用していることが多い。こうした事例
は、軍事問題に関するメディア報道の問題点を浮き彫りにしている。

 ジャーナリストは記事を書くときに専門的知識を持つものに過度に依存してい
るので、国防問題の国民的議論が軍部とその利害関係者に支配されることになっ
ている。これを牽引している先兵が退役将校であり、それを支援するのが軍部や
軍需産業に関係している者たちだ。

 教育や社会福祉問題を議論する際、医師、看護師、教師など専門家の意見を聞
くが、彼らが既得権益を持っていることを認識して、他の広範囲な人たちの見解
にも当たるのが普通である。しかし、軍事問題に関しては、元軍人や専門家たち
をあたかも公平な専門家のように信じ、彼らのみを意見を述べる有資格者として
扱うジャーナリストや編集者が少なくない。

 しかし、軍事力は目立つものではあるが、外交政策を追求する上での一つの手
段にすぎない。ジャーナリストは報道に当たりその背景を捉えなければならない。
軍事力の構成、規模、利用法は、戦争ゲームのように単純に扱えるものではない。

 つまるところ、軍事とは国家がその市民の子弟を人殺しと、殺されるために国
外に送り出す方法と時期に関するものである。この論議は社会全体に関わるもの
であるが、報道の仕方によって問題が矮小化されることが多い。いかなる機関や
組織も、自らが望む主張を繰り返して組織することによって、その利益を長期的
に擁護することは不可能である。

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■軍人が指導し、報道記者がそれに続く

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 英軍を102,000人から82,000人に削減し、予備役を重視するという政府の計画
についての報道を仔細に見ると、ジャーナリストは議論の枠組みを完全に元軍人
に依存していることがわかる。削減が職を失う軍人にとって落胆事であることは
当然だが、明白かつより重要なファクターが報道の主流から無視されている。保
守党主導の現政府が軍の規模を歴史的に最低の水準に引き下げることは、この何
世紀間に比較して、軍事的脅威が低下しているからに他ならない。実際に、安全
保障上の脅威はとっくの昔に失われている。

 『デイリー・メール』紙は、イギリスの安全が「リスクに曝される」と軍上層
部が国防相を批判したと伝えた。『ザ・サン』は軍の縮小を非難した。『デイリ
ー・エクスプレス』は、「恥を知れ!戦闘部隊にたいする大ナタに憤激」と大見
出しを付けた。『ザ・タイムス』も軍が「軍事的政治的指導者によってリスクに
曝されている」と述べた。

 伝統的な政治的観点から見れば、閣僚たちが極左的な立場をあたかもとったか
のように新聞と放送局が捉えているようだ。論争は右側からの仕掛けてのみで動
いているようだ。はたして、政府がそんなに極端な方針を採っているのだろうか。

 イギリスが世界第四位の膨大な国防予算を依然として保有していることを指摘
した報道はほとんどなかった。報道の全体的なトーンは「大きな軍事力が善で、
軽軍備はリスクを高める」というものだ。2001年9月11日以後の年月が教えてい
ることは、そのような単純論理で割り切れるよりも、世界がもっと複雑なことで
ある。

 中道右派の新聞が軍部の見解に従うことは驚くべきことではない。ところが、
『ミラー』のような中道左派の新聞までも戦闘部隊が「容赦なくスクラップにさ
れた」として、軍部出身の保守党議員をコラムに登場させた。『ガーディアン』
も元落下傘部隊将校の労働党議員にニュースページのコラムで「我が国の安全保
障政策が劣化した」と主張させた。

 放送局も軍事問題のキューを軍上層部より受け取っている。『ラジオ・フォー』
は、「軍の手が縛られた」と民主的政府が軍に命じたことを奇妙な理屈で伝えた。
テレビ『チャンネル・フォー』ニュースでは、退役将軍が世界地図の前に座り、
イギリス軍が想定される様々な事態に対応できるかが疑問と述べた。

 全国紙、テレビ、ラジオを通じて、十数人の退役軍人が削減反対や慎重論によ
って討論を支配した。しかし、元軍人の中でさえ、軍縮に賛成している人は決し
て少なくないのだが、彼らの存在は秘匿され、彼らには発言の機会が与えられな
かった。

 軍縮問題は軍人の意見によって支配されるのを許してよいような、純軍事戦略
的な問題ではない。世界の構造的変化を反映した政治的経済的な観点からの決定
であるべきで、国の外交政策に従って軍事政策は統制されるべきである。今や、
米英両国ともに軍事力によって達成されうることの限界を現実的に理解するよう
になっている。

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■無知と敬意から生まれる追従

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 このような報道上の欠陥がなぜ生じたかという説明はある程度推測できる。軍
事問題をカバーしてきた自分の経験からみて、いくつかの理由が挙げられる。第
一は無知である。

 一般論にすぎるかもしれないが、ニュース報道にあたるほとんどのジャーナリ
スト、特に重要なことは編集デスクが、軍事に疎いことである。軍部は別世界に
位置し、その構造、伝統、用語は一般人が理解しがたい。そこで、通説と陳腐な
意見に依存するのが無難とされがちだ。そこで、軍要員削減を取り上げるにあっ
たて、輝かし英国軍の伝統と歴史が蒸し返されるようなことになる。

 この無知を理由に、メディアのみを責めるのは酷である。ある意味では、それ
らはイギリスの現状を反映しているにすぎない。国家は、実際の戦闘という仕事
を一般人のほとんど知ることのない小集団に任せてきた。同様に、政界において
軍事はほとんどの政治家の関心外にあり、少数の専門家に任されている。

 旧軍上層部が政策を左右しているのはイギリスだけのことではない。例えばア
メリカでは、多数の政治家、政策専門家、学者は軍事的経験がないのにもかかわ
らず、軍事問題に精通しているように見える。それは、アメリカの軍部が公的な
世界において遥かに大きな役割を演じており、その影響力が浸透しているからで
ある。

 今日のイギリス政界において同質的な見解が支配的なことは、広範な意見を探
ろうとするジャーナリストを激励するものではない。僅か数十年前までは、軍事
政策について激しい意見の不一致が存在した。国民のかなりの部分の意見を無視
して、今や主要三政党の見解は同方向に収斂し、国防に“ソフト”のレッテルが
貼られるのを政治家は恐れている。例えば、イギリス人の57%がアフガニスタン
での軍事的勝利は不可能とみているのに、保守、自由民主、労働の主要三党はい
ずれもアフガン派兵を支持している。

 ジャーナリストが公職にある人々に対して向ける批判や懐疑の念が、軍部指導
者にほとんど向けられないことは考察に値する。イラクとアフガニスタンにおけ
る戦争は、主としてこれらの国の民衆に、そして派遣された兵士たちに、生命と
身体の損傷、深いトラウマなど極めて高い犠牲を強いている。これらの軍事紛争
における失敗を理由に、メディアは政治的指導者を批判するが、軍は批判されず、
兵士たちは英雄として描かれている。

 10人中8人が軍隊を評価しているが、それは我々のほとんどが直面したくない
生命の危険や苦難を彼らが荷なっていると見做しているので、メディアや政治家
は彼らに挑戦するのを嫌がる。しかしながら、このような状況が生まれた理由と
して、軍部とそのOBが行なっている継続的かつ大がかりな脅迫的な言辞を過小
評価してはならない。これが報道記者を臆病にしていることは否めない。

 軍事問題の報道にあたって、無知と敬意から重要な問題に突っ込んだ質問をす
るのを控えることがあってはならない。軍事を理解することは必要だが、そのプ
ロセスの中で批判力を放棄してはならない。健全な報道の条件の一つは、軍事専
門用語を繰り返し使用せず、具体的な分析を行う必要性である。

 特に重要なことは、ジャーナリストが広範囲な情報源を求めることであり、公
式発表をそのまま報道しないことである。上級幹部に発言の場を与えるのはよい
が、軍事問題においては外交官、国際関係専門家、自立性の高い元軍人、主要政
党を越えた集団の声を取り上げなければならない。そのことは有名政治家や軍事
ロビーの発言を取材するよりも骨の折れることであろうが、実行可能なことであ
る。軍事に関しても、あらゆる角度から光を当てることが不可欠だ。

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◆◆ コメント ◆◆

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 このような論文が、メディア・情報産業の主流によって発行される専門誌に掲
載されることは、多元的民主社会の強靭さを示すものであろう。だが、日本でも
こうしたことが可能であろうかといささか懐疑的になる。

 しかしながら、日本のメディアにおいても本論文が指摘している状態は一般的
に見られる。軍事力だけではなく、原発問題の報道でも、広い角度で問題を報道
し、議論を組織するよりも、少数の専門家の意見に依拠している。それらの専門
家は、公平なアンパイアではなく、利害関係者であることが多いのにもかかわら
ず。

 技術が高度化、専門化するにつれて、その応用にまで専門家の意見に依存する
度合いが深まり、最適な技術の採用に対する民主的制御が弱まる危険性が内在す
る。ますます、情報公開と透明性が民主主義において不可欠となっている。しか
し、実際には軍事とか原子力のような高度先端技術のウエイトが高く、国民の意
見が分かれる可能性のある分野において、情報の秘匿と誘導による決定が横行し
ている。

 メディアがこれに対して分析的批判的報道を行う努力を放棄するならば、民主
的な決定と民主主義は危機に陥る。そのような危険にこの論文は警鐘を乱打して
いるが、問題はイギリス以上に、日本に根深く存在しているように見えてならな
い。

 戦争を狭義の軍事力に依存したものではなく、社会全体を動員するトータルな
戦いとしてとらえるのが現代軍事理論の主流である。そのためには、世論の動員
が決定的に重要とされ、軍事力とその動員に国民の政治的な支持を得るように、
広範囲な恒常的世論工作が必要とされている。そのために、政治家、学者、ジャ
ーナリストなどのオピニオン・リーダーに対しさまざまな働きかけが、特別な情
報機会や資金提供をも含めて行われてきた。

 こうした内部事情は、原子力産業の場合には、悲劇的な原発事故を通じてその
一端が暴かれることになった。しかし、自衛隊はむしろこの悲劇を通じ存在感を
高め、また周辺諸国との対立関係激化を捉えて、一層の軍事力強化と軍事力予算
を要求している。他方において、兵器調達をまつわる最近のスキャンダルや汚職
の報道は単発的で、系統的に追及されていない。また、オリンピックでメタルを
獲得した日本人選手の多数が自衛隊に所属し、その中で特別に養成されているあ
り方を無批判で受容する報道がまかり通っている。

 (筆者は姫路獨協大学名誉教授・ソシアルアジア研究会代表)
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