【コラム】八十路の影法師

方言

竹本 泰則 
 
 今年の夏の暑さはどうなることやら……。心配しても詮無いことながら、やはり気になります。地球温暖化の防止に向けた努力はまだまだ不充分とは思いますが、人類の知恵が報われることを期待するばかりです。
 
 暑い夏とくれば、キリッとした口当たりの焼酎をロックでやりたいという御仁もおられるのではないでしょうか。焼酎の世界にはときどき人気者が飛び出して話題になったりしています。そんななか「森伊蔵」(鹿児島県)の人気は根強いようですね。インターネットを見ても相変わらず引っ張りだこのようです。大量生産が可能な「甲類」と違って「乙類」の焼酎の場合は人気が出ればたちまち品不足やプレミア価格につながります。

 焼酎ブームの火付け役とされているのは、芋焼酎「さつま白波」(鹿児島県)のテレビコマーシャルだそうです。これによってロクヨン(6:4)のお湯割りが定着し、焼酎がもつ厳ついイメージが払拭されていったようです。
 その流れに乗って躍り出たのがそば焼酎。二階堂酒造の「吉四六」、さらには三和酒造の「下町のナポレオン・いいちこ」(いずれも大分県)といった人気商品が登場しました。手書き文字が書かれた「吉四六」の陶器瓶は高級品のイメージを醸し出していました。「いいちこ」のユニークなネーミングも大いに話題となりました。その後、お隣の宮崎県からもヒット商品が出ます。黒木本店の開発による麦焼酎「百年の孤独」です。焼酎には珍しく、木樽で長期間ねかせたことによる琥珀色の色見と味とが新鮮でした。

 ところで、「森伊蔵」の人気沸騰は、1996年のことといいます。当時のフランス大統領ジャック・シラク氏が愛飲しているお酒として新聞紙上で紹介され、一気に人気商品になったということです。かつて、飲み友達の間では価格も高い上に入手困難な商品と話題になってはいましたが、このような背景があったことはインターネットで初めて知りました。
 
 「吉四六」は「きっちょむ」と読みます。教えられなければ読めそうもない名前だと思いますが、評判が高まった当時、いつのまにか読めるようになっていました。由来は大分地方の民話の主人公「きっちょむさん」だそうです。
 「いいちこ」は「いいですとも!」といったニュアンスの大分方言だそうです。
 実は、「いいちこ」以外にも大分焼酎は方言を商品名とするものが多いように思います。
 二階堂酒造には「吉四六」のほかに「やつがい」と銘うつ焼酎があり、これは晩酌をいう方言だそうです。他のメーカーにも「知心剣」、「しらしんけん」と読みますが「とても真剣に」、「一生懸命」といった意味の方言をとったものや、「なぜか?」に当たる「なしか」、さらには「でたらめ」、「むちゃくちゃ」といった意味の「ほげほっぽ」などがあります。
 なぜ土地の方言を商品名とするのか、これは不思議です。方言には親しみやすさがあるのかもしれませんが、それはその言葉を知っている特定の地域の人に限られます。できるだけ販売を拡げようという意図とは合致しない気がするのです。
 ところが「いいちこ」は2003年から2009年までのあいだ、焼酎の全国売上高ランキングで首位を占めています。世の中はそうそう単純には割り切れないようです。
 
 方言という言葉はたいそう古いものです。
 今から2千年以上も昔、当時の中国の方言についての辞典が著わされています。書名はそのものずばりの『方言』、著者は揚雄(ようゆう;紀元前53年~紀元18年)という学者とされているようです。
 中国では漢字による文章語(書き言葉)は古代から統一されていたものの、漢字の発音や口語は地方ごとに異なっていたようです。あれだけ広大な土地ですから当然かもしれません。それにしても、方言をまとめた辞典が紀元前後にできていたということにはいささか驚かされました。
 孔子の時代にももちろん方言はあったでしょう。『論語』に、孔子は「詩経」、「書経」を読むときと儀礼に際しては「雅言した」という一節があります。「詩経」、「書経」は孔子も尊重した古典の書物ですが「雅言」という言葉はよくわかっていません。諸説ある中の一つに周王朝の本拠である地(現在の陜西省・西安)における発音と解するものがあります。つまり、日常は故国・魯(現在の山東省南部)の発音で話していても、詩・書を読む、あるいは儀礼の場では標準音で発声したとも解釈できるようです。
 
 現代中国の最高指導者とされる人は毛沢東主席の後、華国鋒、鄧小平、江沢民、胡錦濤、習近平の五氏が続いていますが、習氏を除いて歴代の指導者の発音には出身地域の訛りがあり、中でも毛沢東、鄧小平両氏は特に著しく、ほかの地方の国民の多くは演説などの内容をよく聞き取れなかったといいます。ただ習近平氏はほとんど訛りのないきれいな標準語で話しているそうです。
 中国政府は1950年代~1960年代にわたって改善を重ねながら標準語(普通話)を制定していったようです。2020年時点で普通話の普及率(全国)は80.7%に達しているそうです。
 中国は面積も広大ですが、国民を構成する民族の種類も多い国家です。中国政府は漢民族(人口の91%)のほかに55の少数民族がいるとしています。少数民族に対しては自治区を指定し、「民族の文字・言語を使用する権利」を認めると定めています。その一方では分離・独立の懸念を抱えていると思われます。
 「中国語教育強化 少数民族の抑圧は許されない」と題する読売新聞の社説(2020年9月28日)がインターネット上で見られます。そこでは中国北部・内モンゴル自治区および新疆ウイグル自治区、チベット自治区で、当局が住民の意向を無視した強制的な統制を行い、標準語教育を強めていると断じています。そうであれば、いくつかの民族固有言語、方言が消えていくのではないかと心配されます。
 
 世界中の言語の数は数千にのぼるとも言われていますが、その数は年毎に減っているそうです。ユネスコ(国連教育科学文化機関)の調べによると1950年から2010年までの間に230もの数の言語が消滅したそうです。現在、消滅の危機に瀕している言語の一つにハワイ語があります。ハワイ州は英語とともにハワイ語を公用語と定めていますが、日常会話でハワイ語はほとんど使われなくなっているようです。話者のおよそ半分が高齢者で、その数も全体で1千人程度といわれています(州の人口は140万人から150万人)。
 言語の消滅という事態はわが国にもあるそうです。ユネスコが2009年に発表した消滅の危険性がある言語の中に、日本国内の8言語が含まれています。
 アイヌ語は、2017年時点で話者数が5人に過ぎないという状況で、消滅の危険性が非常に高いとされています。ほかに八重山語、与那国語、八丈語、奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語が挙げられています。文化庁ではさらに東日本大震災の被災地の方言が消滅危惧の言語に該当するとしています。コミュニティーが壊れ、そこの人々がちりぢりとなってしまえば方言はおそらく消えてしまうことでしょう、切ないことですが……。
 
 方言という言葉の多様性、あるいはそれが内蔵する歴史的あるいは文化的価値は大切であろうと思います。非効率性などを排除する社会の画一化とどうバランスをとればいいのか、無責任ながら、ただただため息をつくばかりです。
 
 
 <おことわり>
 本稿では言語、方言、訛りの区別ができておりません。読みにくさをお詫びいたします

(2024.5.20)
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