日中間で、地道に、個人として、そしてNGO人同士で


                       李 妍焱
 

日中間の誤読

 昨年一一月、中国側による一方的な防空識別圏の設定に対して日本政府が強く反発し、一二月末には、突如靖国神社を参拝した安倍総理に対して中国政府が激しく非難した。二〇一二年、尖閣諸島の国有化決定に起因する日中間の空前の緊張状態がますますエスカレートしている。政府間の決定的な亀裂はもはや避けられない。
国交正常化から四十二年目。互いに対して、イメージだけで語ることがあまりにも多かった。いま我々は、日中関係がいかにもろかったか、相互不理解がいかに深刻だったか、思い知らされている。
言論NPOが二〇〇五年から継続してじっしてきた日中の共同世論調査によれば、相手国の社会・政治体制に関して人々が抱いているイメージは、二〇一二年までの八年の間、ほとんど変わっていない。中国に対して日本側のイメージは、回答の多い順に「社会主義/共産主義」がほぼ七割、「全体主義/一党独裁」はほぼ四割、「大国主義」がほぼ三割となっている。日本に対して中国側のイメージは、「資本主義」が約五割、「軍国主義」がほぼ四割、「覇権主義」が約三割である。また、「日本と聞いて思いつくこと」について、中国側は「電化製品」(約五割)、「桜」(四割以上)、「南京大虐殺」(四割以上)であり、「中国と聞いて思いつくもの」について、日本側は「中華料理」(約四割)、「万里の長城」(約三割)となっている。これも八年間変化なしだ。
 ここで挙げられた中国側のイメージに対して、どの程度の日本人が納得できるのだろうか?同じことは、中国側においても言える。双方が互いに対して抱いているイメージは偏っているだけではなく、貧弱すぎる。その偏ったイメージが八年間も変化しなかったところが、事態の深刻さを物語っている。相互理解は、まったく進んでいなかったのだ。
 日中関係のこじれは、中国の国力の急激な変化と、歴史的な因縁による部分もあるが、根本的な原因は、「相互不理解」にある。『東京新聞』二〇一二年九月二十五日朝刊の記事「尖閣領有問題深刻化 見誤った日本」での解説は、おおよそ適切だといえる。国有化は、対外的に(というよりも、「対中的に」だが)強硬な石原慎太郎東京都知事に島を任せるより、国が静かに管理したほうが、中国側の反発を和らげられるとの判断からだった。しかし、中国で用いる「国有化」という言葉は、日本で一般的に理解される「国有化」とは全く重みが違う。記事では、「中国にとって、国が『島を買う』という行為は、自国の領土であることを国際社会に宣言し、他を寄せ付けない絶対的な行動に映る」と述べ、「日本は完全に読み誤った」と指摘している。
 この「読み誤り」は、二〇一四年一月一四日、朝日新聞の新しい特集「尖閣と米国」の一回目でも明白に示されている。クリントン米国務長官が当時の野田総理に、「本当に国有化する必要があるのか」と迫る一幕があった。「国有化した後、どのような見通しがあるのか」「国有化が最善の策なのか」、米国側が問いただしたかったという。「中国の理解を得ているというのが日本の説明だったが、我々は率直に言って疑っていた。性格ではないと思っていた」というキャンベル米国務次官補の言葉が紹介されている。実際、その後の展開から見れば、「中国側の理解が得られる」という日本政府の読みは、完全に見当違いだった。
 読み誤りは、日本政府だけではなく、中国に進出する多くの日系企業にもたくさん見られる。中国市場において日本の自動車メーカーは一様にシェア縮小の一途を辿り、携帯電話に至っては競争に参入すらできていない。高品質と高い技術力を誇る日本メーカーは、中国市場でのブランドの樹立に思いのほか苦戦してきた。詳細には言及しないが、原因は中国人の好みの読み誤り、ニーズの読み誤り、日本のメーカーと日本製品に対する人々の態度や反応の読み誤りなどが考えられよう。
 読み誤りはなぜ起きたのか。マス・メディアの責任が重い。日本のメディアによる中国報道は、新たな中国理解を促進する方向ではなく、結果的に中国に対するステレオタイプの理解を強化するような番組を作る傾向にある。中国に関する話題は、どんなことでも最終的には「一党独裁」「言論の自由がない」「愛国主義教育」「人権が侵害されている」「極端な格差社会」という日本人のみんなが納得するような、都合のいい枠組みに落とそうとする。二〇一二年、尖閣諸島問題を発端に中国各地で起きた反日デモに関する報道でも、「共産党独裁や格差社会に対する不満と不信のはけ口だ」という論調にこだわった。「中国人は日本人を憎んでいる」という結論に落とさないための、クールダウン機能を狙ってのことかもしれないが、そうするよりは「反日感情の深刻さ」に正面から向き合うべきだったと筆者は考える。反日感情を正面から受けとめ、なぜそのような激しい反日感情が起きているのか、戦争のこと、中国人の世界観や歴史観、思考と行動の傾向、今までの日中交流の問題点などを含めて、情報を収集し分析して世間に知らしめてしていくのが、マス・メディアの役割ではないだろうか。
 自分に都合のいい捉え方からは、相手に対するより深い思考や理解は生まれない。生まれるのは排除と反感の連鎖だけだ。人々の目をそらしてしまっては、「領土問題」は中国人にとってどのような性質の問題なのか、なぜあれほどのこだわりを見せているのか、正面から捉え、理解するチャンスを人々から奪ってしまう。そのことに是非気づいてほしい。
 読み誤りは、一方向ではなく、日中双方において起きていることから、事態がさらにややこしくなる。日中間は、言葉の通訳だけではなく、価値観や考え方、行動パターンや傾向など、ありとあらゆる場面での「文化の通訳」も欠かせない。
 「文化の通訳者」は、意外に大勢いる。法務省二〇一二の統計によれば、在日中国人の数は六十五万二千人を超えている。そのうち約二割が留学生だ。日本では、奨学金の支給や日本語教室、生活・就職のサポート、地域との交流など、「留学生を支援する」民間団体がたくさんある(けっして十分ではないが)。しかし、「留学生に学ぶ」団体や活動はあまり聞かない。文化交流と称される行事は、中華料理や日本料理を一緒に作って食べて終わり、というようなパターンが多い。中国人留学生は、中国社会を知るための「生きている教材」であり、中国の若者、中国人消費者を理解するための格好な窓口である。しかし日本では、彼らを大事に活用しようとする発想が見られない。
 同様に、中国で暮らす日本人も二〇一二年の時点ですでに十五万人を超えたという。中にはリアルな中国社会についてブログで報告する人も多い。しかし、日本の政府関係者や中国に進出する日系企業の責任者は、どの程度そのようなブログを読んでいるのだろうか。等身大の中国が知りたければ、マス・メディアの報道よりも、在中日本人のブログがよほど参考になる。
 政府やマス・メディア経由の相互理解の深化は、現状ではとても望めない。少しでも相手の真の姿に近づけるためには、顔が見える個人を媒体としなければならない。中国を知るには、中国政府ではなく、日本のテレビでもなく、身近にいる中国人、中国にいる日本人に目を向けて、彼らを通して学ぶのが、地道ではあるが、最も効果的ではないだろうか。

NPO人/NGO人をつなげる

 筆者は二〇一〇年に、任意団体「日中市民社会ネットワーク(略称CSネット)」を立ち上げた。目的は、中国と日本のNGO人、NPO人が個人として連携することだ。日中間で「顔が見える」「体温が感じられる」つながりを創る。それも、社会的課題に対して高い意識を持ち、積極的に行動しているNPO人、NGO人の間のつながり。政治情勢や経済の利害に流されていては、国民感情の改善は期待できない。「人」として、特に、同じく「社会をよくしたい」意欲に満ちた個人として、じっくり付き合っていけば、相互理解が必ず生まれる。
 実際、三年あまりのCSネットの活動において、そのような場面に多く出会えた。北京富平学校は事業の一環として、LEAD(Leadership for Environment and Development)and Beyondというリーダー育成プロジェクトを実施している。LEADプロジェクトとはもともと一九九二年の地球サミットにおける合意を踏まえて、ロックフェラー財団の助成により七つの 発展途上国で展開されてきたリーダー研修事業である。中国では初期は環境と発展研究所が実施を請け負い、その後富平学校との合併により富平学校が実施者となった。毎年、中国各地から厳選された次世代リーダーに対して、半年以上の国内研修を実施した上で、海外研修も続けてきた。二〇一〇年は初めて、CSネットが富平学校の依頼を受けて、日本でのLEAD研修をプロデュースした。ロックフェラー財団の助成終了を受けて、二〇一一年からは中国独自のLEAD and Beyondプロジェクトして再出発し、日本での研修事業も毎年継続して実施されることとなった。テーマは「日本社会的企業最前線」。ソーシャル・イノベーションを引き起こすための創造力とリーダーシップについて学ぶ一週間の旅となる。
 CSネットは研修プログラムの編成に工夫を重ねた。ねらいは「生の日本をできるだけ体で感じ取ってもらう」ことと、「尊敬できる日本人に出会ってもらう」こと。電車や地下鉄を多く利用し、居酒屋で交流懇親会を開き、日比谷公園での市民集会や東京臨海広域防災公園での防災体験に参加してもらい、富士山のふもとにあるホールアース自然学校で環境教育プログラムを体験してもらい、大学の講義室で日本の市民活動家と討論会を行うなど、日本社会の日常の息づかいを感じ取り、日本の優れたNPO人や社会起業家の心意気に摂氏、上質なサービスを作り上げようとする日本人の智惠を学ぶ、そんな旅を企画した。
 反響は予想以上だった。旅では日本を代表するNGOそして社会的企業を訪問し交流した。有機農業と消費者運動の先駆者として「大地を守る会」、知的障がい者雇用の画期的な場を作り上げた「スワンベーカリー」、コミュニティに根ざした小規模なシニアホームを運営し、尊厳ある百年の人生の実現を掲げる「サンフォーレ」と「ユーミーケア」、資源の循環利用と持続可能な経済を追求し続ける「アミタ」グループ、日本初の自然学校で、環境教育の草分けである「ホールアース自然学校」、従来の金融システムとエネルギーシステムにNOを突きつけ、市民主体の金融と持続可能なエネルギー政策を提案する「未来バンク」、創業以来一貫して「シンプル」を提唱してきた「無印良品」・・・訪問先でメンバーたちはじっくりと観察し、盛んに質問し、普段私たちが気づかないようなことをたくさん教えてくれた。「大地を守る会の藤田さんは、毎朝奥さんが作ってくれた朝食を写真付きでツイッターに載せて、食材の産地を書き込んでいるよ」「ホールアース自然学校創始者の広瀬さんは、鳥の鳴き声のマネがすごく上手で、さすが自然人!」「サンフォーレの堀田社長は、ご自身も七十代なのに考え方がとても若々しくて新鮮。そのエネルギーに圧倒されてしまう」。
 むろん、彼らの発見は日本側の関係者の人物像についてだけではない。それぞれの活動に役立つ多くのヒントを見つけていった。自然学校を体験したメンバーは、「中国でも同様に自然回帰の精神的潮流が出現したが、すぐさま商品化され、各種のエコツアー、体験ツアー、田園経済、野外体験といった具合に、それぞれの マーケットを形成した。しかしそれらの内実は贅沢な消費が大部分を占め、エコロジー理念が占める割合は少ない。それをどう増やし、その部分に引きつけられる人々を集めて贅沢な消費とは違うということをわかってもらうにはどうすべきか、検討に値する問題だ」と感想に書いてくれた。無印良品を見学したメンバーの一人は、日本的な「小さいながらも美しい」という考え方が大好きになったという。「無印良品はシンプル・節約・適正などを提唱し、余計なデザインをそぎ落としている。これは、ある種回帰の力と言えるだろう。『物の使用を控え、材料も削減する』という考えは、まさに中国伝統文化が提唱する所の『大道至簡』(基本的な原理や規律は至極簡単である)に符合している。無印良品が30年という時間をかけてこのような消費・理念・デザインを提唱してきたのは並大抵の努力ではない。持続的に成長する企業というのは、必ず優秀な文化的核心を内包している。有限な資源を大切にしてこそ真の生存・発展の道が開かれるであろう」。
 LEAD研修において、CSネットでは旅の最初と最後に、メンバーに質問紙調査を実施している。質問の一つは、「日本について思いつくことを三つ挙げてください」だった。旅の最初の答えは、ステレオタイプが大半を占めた。「富士山」「電化製品」「丁寧で細かい」「礼儀正しい」「南京大虐殺」・・・しかし、旅の最後に書いてもらうと、メンバーの多くは逆に頭を抱え、すんなり書けなくなった。「一週間の旅で日本があまりにも具体的になり、書きたいことが多すぎて逆に書けない」という。それだけ多面的で、立体的で、生の日本を、彼らが知ったのだ。
 帰国後、雑誌社に勤めるLEADメンバーの一人が、「知日派白書」と題する特集を組み、日本での日々を詳細に紹介した。その冒頭で彼女は次のように書いている。
 「手書きの地図を持って東京根津の下町を自由に散策したあの日の午後が本当に懐かしい。日本はもう記号ではない。それは人々の顔、匂い、路地裏の猫、ケーキ屋さん、それに、自転車に乗ったとてもハンサムな日本人の少年が、横断歩道を歩くあなたに道を譲っている、リアルな世界なのだ」。
 彼らにとって、日本はもはや「富士山」や「桜」、「電化製品」ではない。ましてや「尖閣諸島」でもない。それは、一本の大根から有機農業を志し、日本の食品安全と農業の復活に身を投じた大地を守る会の藤田和芳氏、南インドで障がい者のための村づくりで汗を流し、カンボジアで難民を助け、帰国後は日本最初の自然学校を創立し、現在も環境教育と災害教育の最先端を走る広瀬敏通氏、クールな経営者出ありながら熱いハートで人を引きつけるスワンベーカリーの海津歩氏、いつも目が銀髪と同じぐらい輝いているサンフォーレの堀井利修氏、日本の原発問題の本質をずばり分析する頭脳明晰な田中優氏・・・。そして、LEADメンバーが書いてくれたように、東京の横丁とケーキ屋さん、自転車に乗るハンサムな少年。
 尖閣諸島問題で日中関係が冷え込み、政府間の対立が激化している現在でも、彼らの心にある東京の美しい記憶、知り合った日本のNPO人と社会起業家たちへの尊敬の気持ちは変わらない。実際、二〇一二年九月七日に起きた雲南地震後の救援に駆けつけようとした日本側の友人を、反日デモの影響を心配し、LEADメンバーは力を尽くして情報収集し、連絡を取り合い、日本の友人の安全確保に努めた。
 

自信とビジョンを

植村邦彦は、日本人がアジアに対して抱く「漠然とした優越感」を指摘している。「私たち自身の胸に手を当ててじっくりと考えてみれば分かるように、現在の私たちは『文明開化』論の新版としての『近代化』論的思考に依然として深くとらわれていて、活気はあるが『貧しい遅れたアジア』に漠然とした優越感を抱き、日常化された『脱亜論』的心性からその『アジア』を消費の対象にしているのではないか」(『アジアは「アジア的」か』ナカニシャ出版、二〇〇六年)。
 バブル崩壊後の日本は、「失われた二十年」と言われるように、経済はひたすら下り坂。いまだに失われ続けており、取り戻す術も、立ち直る術も見えてこない。外貨準備高もGDPの総額もあれよあれよという間に中国に追い越されてしまった。戦後、「経済大国」以外のアイデンティティを持ち得なかった日本は、経済成長が止まったことで進むべき道をすっかり見失ってしまったように見える。社会全体が必要以上に深刻なムードに包まれ、人々の心までも閉塞感に蝕まれてしまった。
 植村が指摘した「優越感」は、今となっては、確固たる自信にもとづくものというより、かつての繁栄と栄光を名残惜しむための「最後の砦」かもしれない。中国人観光客の購買力を当てにしていながら、マナーの悪さや品のない物欲を嘲笑う。「中国を下に見る」習性から抜け出せない、抜け出したがらない人が多くいることは、中国を扱う書物やテレビ番組のトーンから容易に読み取ることができる。
 心情としては理解しやすい。だが、経済が長期停滞しているぐらいのことで自信を失ってしまい、虚勢の優越感にしがみついても何も始まらないのではないだろうか。
 LEAD and Beyondのメンバーたちが書いてくれたこと。そこには、日本が誇るべきことがたくさんあった。ただ淡々と仕事をし、普通に暮らしている日本人は、十分にかっこよく、魅力的だということを、私たちはLEAD研修を通して改めて知った。
 日本人と中国人はどのように違うのか検討する書物が、日本では驚くほど多く出版されている。逆に中国では極めて少ない。そもそも自分たちは何者なのかについて、日本人ほど熱心に論じたりしない。
 日本人はことさら、「日本人とは」について知りたがる。「なぜ日本人はこんなにも他人の目に映じた自分の姿にこだわるのだろう」という問題は多くの人によって提起されている。その答えとして、加藤周一は次のように述べている。
 「日本人であることが何を意味するのか明白ではないのは、実は、われわれが国民として何を欲するのか明白でないからである」。
 加藤が指摘しているのは、日本人自身は、欲している社会や国の姿についてなんらビジョンを持っていない、ということだった。単純な経済成長から卒業した瞬間、政治が迷走をはじめたことが象徴しているように、この国の国民は、経済成長によってそもそも何がほしかったのか、どうなりたかったのか明白ではないことに気付いた。自分たちはなにをめざせばよいのかわからない。日本人は世界に対して、「自分たちはどうありたいのか」というビジョンを示せていない。「失われた二十年」は、経済成長が失われたというよりも、自らの国と社会に対して確固たるビジョンを持っていないがために、本格的なグローバル化に直面した際に、国家戦略を打ち出すことが全くできず、国としてのあり方を見失ってしまった二十年間だったのではないだろうか。
 対照的に、中国人は国民性にさほど関心を示してこなかった。「五千年の歴史」「広大な国土と豊かな文化」などの社会通念が、「中華民族は最も優秀な民族(の一つ)である」という誇りの感情を先行させ、それ以上の探求はほとんどなされてこなかった。植民地時代を経て現れたいくつかの国民性批判論は、いずれも、中国人の欠点を反省し、「奮起し、優秀な中華民族の雄姿を世界に見せよう」という切なる願いを叶えるための中国人論だった。
 善し悪しは別にして、すべての中国人には「世界に誇れる強大で優秀な中華民族」というビジョンが植え付けられている。 
 日本政府ではなく、日本人は、どんなビジョンを世界に対して掲げていきたいのだろうか。

中国の「市民社会」に目を向けよう

 他者を鏡にして、初めて自分を見ることができる。どの角度から見るのか、鏡のどの部分を見るのかによって、当然見えてくるものも異なる。
 中国を鏡として日本を見るとしよう。「市民社会」という角度から見る場合、中国のNGO人という部分に注目する場合、日本社会のどんな特徴、日本の市民社会のどんな側面が見えてくるのだろうか。
 例えば、「共産党独裁」「社会主義」などの固定観念にきつく縛られがちなところ、変化と変革を好まず、海外の激しい変化には鈍感でついて行けないところ。国、社会、業界、組織、個人に至るまで、何がほしいのか、どんな状態望ましいのかについて論じようとしないところ。ビジョンを掲げるのが苦手なところ。ビジョンがないがために、戦略も首尾一貫性がなく、行き当たりばったりなところ。うまくいかないことを環境や場のせいにしがちなところ。自らが唱える正義を強く訴え、社会的影響力を獲得しようとする努力や工夫が全く足りないところ・・・。
 日本のNPO領域は総じて内向きである。国際開発や途上国支援に携わる団体以外は、海外の団体とつながることはあまりない。NPO先進国とされる欧米にときどき目を向けるが、アジア、特にコンクリート並みに堅い固定観念で固められた中国に対しては、目を向けようという発想すらない。
 筆者は中国のNGOについて研究を始めたのは二〇〇〇年ごろだったが、二〇一〇年頃から、中国に進出する企業から、中国のNGOに関する講演を依頼されるようになった。中国でいかに効果的にCSRを展開していくべきか、参考にするためだと思われる。しかし、日本のNPOからの依頼は極めて少ない。
 カンフーショーや飲茶を露店で出すような文化交流はむろん大きな意味がある。数千人規模の青少年の相互訪問も重要であろう。しかし、根っこから日中の相互理解を深め、国民感情を改善していきたいなら、社会問題、公共の問題に本気で取り組む草の根のキーパーソンの間で、顔が見え、体温が感じられる人間くさい交流と連携関係を地道に作っていかなければならない。「私人」としてより「公共人」として生きるNPO人、NGO人が、互いに対して尊敬の念を抱く時に、日中関係は今の難局を切り開く鍵を手に入れられよう。

注:本稿は筆者による『中国の市民社会―動き出す草の根NGO』(岩波新書、二〇一二)の「おわりに」の部分に、多少の修正を加え、加筆したものである。

(筆者は駒澤大学准教授・日中市民社会ネットワーク(CSネット)代表)


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