【コラム】
あなたの近くの外国人(裏話)(26)

日本で多言語生活

坪野 和子


 今回は私自身の話です。パキスタン人だけの学習対象生徒の高校から、ものすごく多くの外国出身者が在籍する今の定時制高校に転勤して2年目となりました。昨年度は、主にフィリピン出身の生徒たちと南アジア出身の生徒たちと、英語とヒンディ語を媒介として指導していました。南アジア出身者はパキスタン人・インド人・バングラデシュ人・ネパール人です。カタコトでもヒンディ語ができてよかった…と思ったら、今年は久しぶりに中国語を必要とする生徒がいます。

 過日、バングラデシュ人の男の子と会食の帰りにお洋服のセールに立ち寄りました。向こうに彼と似たような顔つきと肌と服装センスの男の子が二人いました。ベンガル語で声を掛けたら通じませんでした。どこの国から来たのですかと英語で訊いたら「スリランカ」と答えました。その後、男の子たちは『日本語』で会話することになりました。スリランカ人の男の子たちは日本語学校を卒業後、専門学校でCADの勉強しているとのことでした。

 「ちょっと見ただけだと、なに人かわからないんだね。喋っているのを聞けばタミル語だとわかるけれど」…だけどねえ、タミル語とわかってもインド人かもしれないのよって言いたかったのですが、恥をかいたような気持ちになっていた様子だったので敢えて言いませんでした。
 確かにバングラデシュ人とスリランカ人は似ています。これが夏であっても区別がつきにくいと思います。真夏だと、靴で判断できます。

 ・スーツを着ているのにスポーツシューズだとインド人。
 ・靴下を履いていないかスニーカーソックスだとパキスタン人、私は石田純一と呼んでいます。
 ・サンダル履きはバングラデシュ人とスリランカ人。
 ・夏でもスニーカーのネパール人。
 この私の観察には日本語学校の先生がたが大爆笑して「本当!! その通りだわ」。私の弟分のパキスタン人は苦笑いしました。「そうだね。バジ(姉さん)どうでもいいことをよく見ているね」

 15年くらい前でしょうか? 牛丼屋に入ったら中国人と韓国人のバイトが二人で仕事をしていました。日本人はいませんでした。共通言語は日本語でしかない。それぞれの訛りの日本語で話していたことが当時は印象的でした。当時の違和感。なぜかというと、大学留学生は、それぞれの母語で固まり、英語で固まり、日本語を話すことが少ないけれどこれでいいの?と思っていたのですが、バイト・シーンでは意思疎通のため日本語を話さざるを得なかったのだと認識したからでした。
 その後、数年前、コンビニでネパール人とバングラデシュ人のコンビが仲良く働いていたのを見ました。共通言語はヒンディ語でした。先日もネパール人とヴェトナム人の学生が日本語で話しているシーンを聞きながら出勤しました。

 今年に入ってからですが、ある日、パキスタン系アラブ国籍のスクラップ輸出業の男性に呼び出されて通訳をしに行きました。彼の英語がパンジャービ話者の直訳英語でひどい、ひどい…。「あなた思ったより英語ができないね」…なによ!! あなたの英語がヘン、時制がないし、「彼」(これ/彼女/社長全部同じ単語)がなにを指しているのかわからないし。
 しかも取引の電話を掛けたら中国人の業者で。電話の向こうが中国語訛りの事務員なんで、日本人の私がしどろもどろになってしまって。「日本語がわかるかたに電話をカワテもれえマスカ」と言われて「私は日本人です。そちらも日本人のかたにかわっていただけますか」。中国語と日本語を混ぜて取引の話をして、こっちはひどい英語から通訳をしなくてはならなかったので大変でした。
 パンジャブ語は全部わかりませんが、車中ハンドフリーで電話していて、わからないふりをしていないといけないからウルドゥ語を使うわけにいかないし。

 また彼に連れられて別のスクラップ業者に行ったら、担当者は台湾人。中国語を使うのが嫌いならしく、少ししか知らない台湾語でコミュニケーションを取ろうとしたら「お姐さん、いろいろな言葉知っているね」。せっかく私がいい雰囲気にしたのに、この男性値切りすぎ!で怒らせてしまいました。さらに別の業者に行ったら、本社が横浜で明らかに老華僑の日本人の会社だとわかりました。

 昨日、行きの電車の中で初対面と思われるパキスタン人とインド人がそれぞれ自分の言語で昔から友達みたいに話している様子を見ました。私は言葉がわかるので「はじめまして」の話題だとわかりますが、普通の日本出身者であれば同じ国のお友達が偶然電車で乗り合わせてお話しをしているように見えるだろうなと感じました。
 帰りの電車ではトルコ系の言語を話すご家族が正面の席に座っていて、お子さんが可愛いなと思って見ていました。子どもが電車を降りるときにバイバイしてくれたので「サラーム」(お気をつけて/平安に)と返したらおかあさんが「アッサーラーム・アライクム」(あなたに平安が訪れますように/こんにちは・さようなら)といったので「ワッライクム・アッサラーム」(あなたにも平安が訪れますように/こんにちは・さようなら)と返事をしてなんだか嬉しそうでした。トルコ系言語はまったくできませんが、イスラムの人たちとのコミュニケーションは国の関係なく同じ挨拶なので通じます。

 その日、インド人の職場に行ったら、掃除婦さんに声を掛けたら日本語が通じないので中国語で話しかけたら「あなたは中国人ですか」「いいえ日本人です」と中国語で会話しました。
 そういえば、私の友人のインド人もフィリピン人を雇っていて、ネパール人を雇うと騙されるけれど、フィリピン人はよく働くし英語で指示を出せるからいいと言っていました。

 このように私の日常は毎日いろいろな言語を使ったり聞いたりする生活しています。少なくとも昭和の頃、日本でこんなに外国語が飛び交う生活になるとは思いもよりませんでした。インドで生活した経験が活かされているのかなって思いました。多言語で生活していましたから。

 先日、インドのニューデリーで暮らすチベット人男性とビデオチャットをしました。彼は日本人女性と結婚していて日本在住経験があります。彼は日本語を話したいのですが、私はチベット語で話をしたいので、日本語で話されてチベット語で答えてというおかしな会話をよくしています。
 「まったく!! チベット人だね。Nga lha なんてチベット人じゃないと発音できないよ。でも、そんなにチベット語がペラペラでも使えないでしょ。日本じゃ」「うん使えない」
 …そうか…最も得意な言語が使えないものね…と思ったのですが、彼が言いたかったことは私を通して自分のことを言いたかったんだって気づきました。インドのチベット人居留地では日本語がペラペラでも使えない。お互いもったいないといいたかったのでした。

 次回は「ドラマのような小説のようなスリランカ出身者たち」

 (高校時間講師)

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