【コラム】あなたの近くの外国人(57)

日本のベトナム人は多層性社会(1)

坪野 和子

 パキスタン洪水募金のご協力御礼申し上げます。前回と前々回ご紹介したPJFパキスタン&ジャパン・フレンズのおじさまたちの活動は多くのご協力をいただいているそうだ。また2020年に澁谷でマスクを配布したハーフィズさんも独自にチャリティ活動を行っている。こちらも日本人の方々のご協力に支えられているようだ。
 現地の状況だが、その後の洪水は収束しているようだが、水没した村々はまったく復旧できていないようだ。また主要な産業である綿・繊維・縫製は原材料の高騰で維持が困難になっている。そして、政治家たちは「あの政党が悪いから支援・復旧が進まない」と誹謗中傷が止まらない。外国のメディアにも現状は他の政党に問題があるといった報道をさせている。日本もそのひとつだ。今回は話題転換。在日ベトナム人たちについて考えてみた。長くなったので2回に分ける。

 1.身近な地域でベトナム人
 過日「さいたま新都心駅」に置かれているストリートピアノを弾いていた男の子がいた。演奏者の男性のお連れさんが横にいた。なんとなく楽しくなって即興的に連弾に入り込んだ。宮崎アニメの曲。彼も楽しかったと言った。その場でお連れさんとLINE交換したら彼らはベトナム人留学生だった。連弾に入り込まさせてくれた演奏者はお連れさんの弟さんだとわかった。外国人だとわからなかったくらい溶け込んでいた。その後連絡を取っていない。
 さて、私が在住している松戸市は、ベトナム人を多く雇用する大きな工場があり、そこへの就職を目指して日本語学校へ通っている/いた人たちが多いので特殊な地域であるためだろうと思っていた。さらにどこかに技能実習生の寮があるらしく、私に馴染みがあるゾンカ語(ブータン)が聞こえてきて質問してみたら私の推測通りだった。ベトナム人に限らずだった。ネパール人も多い街でもあるが、どの国からも「先輩」の存在の繋がりなんだろうと感じた。新松戸で定着しているベトナム人たち向けの食材屋さんは契約農家から野菜を日本国産で仕入れている。現地から輸入した食材・加工食品があまり安くない値段で売られている。私もインド料理のために買うことがある。松戸市とベトナム人といえば、数年前の小学3年生女子児童が殺害された事件とか、コロナ禍休業期間中に起きた闇賭博場の多数検挙などは全国で知られている。しかし、今や松戸市だけでなく、あらゆる街中どこでもその存在感がある。田舎町でもベトナム人を見かけないことはないとまではいかないが、そういう日が少ないと感じていた。

 2. 人数は増えているのに身近な感じがしないベトナム人たち
 では、一般的な日本人はどう見ているのか?単純に「ベトナム人」のみ検索にかけると、出てきたキーワードは「犯罪」と「技能実習」だ。そして「犯罪」と技能実習制度を結び付けて考察されているトピックも多い。技能実習生への搾取や差別、非人道的な扱いといったトピック、そして逃走・脱走・失踪、不法滞在など続く。元有名芸能人が経営する工場で賃金紛争があった。では、他の国からの技能実習生はどうかというと逆からの検索をするとここまで多くない。どこかの国から来た外国人タウンでありがちな迷惑行為に対するネット上の記事や書き込みはベトナム人に対しては比較的少ないようにも感じる。私は仮説を立ててみた。まずは潜在的に「見た目」が影響しているのではないか。細身で弱弱しく、年齢よりも若く見える人達が多い。もう1つ「インドシナ難民」時代に漂着し我慢強く苦労を重ねた人たちのイメージが国民のどこかに残っているのではないか。今までの私のベトナム人接触を振り返ってみたい。

 3.[回想]1980年代に出会ったベトナム人
 私が大学生・大学院生の頃だ。記憶にある最初の接点は女性研究者たちだった。日本から資金援助をして宮廷音楽「雅楽[ニャーニャック]」の共同研究を行うための来日滞在していた。講演会や特別講義での彼女たちはとてもカッコいいと感じた。緊張感があったからだ。それ以前に知り合った韓国人やフィリピン人の女性教授たちは逆に「普通のおばさん」なのに演奏や丁寧な研究が若い私には不思議な感じだった。比較して「ああベトナムは社会主義だから女性が男性のような活躍をしているんだな」と浅い観察をしてしまった。それ以降、約20年前にベトナム人社会は女性が強い、男が働かないと自国の説明をしてくれた人がいた。男性ベトナム人として恥ずかしいと。なるほど旅番組などから見えるのは、市場で喧嘩するように売買している姿は女性。田んぼで元気よく働いているのは女性。
 その後、インドやチベットで勉強・フィールドワークするための資金調達のため「つくば万博85」でアルバイトした。そこで知り合った日本人母とベトナム人父のミックス(ハーフ)の男性が強烈に印象に残っている。はじめて会った時「(私は)ベトナム人、難民じゃないよ。お母さんは日本人、ベトナムから来たけど家で日本語を話していたから日本語は普通だよ。フランス語もできるよ」と自己紹介をした。ベトナムやカンボジアはフランスの植民地であったことは知っていたので何とも思わなかった。しかし「英語じゃなくってフランス語?」と誰かが聴いた。 「英語はできないね。お父さんは中国系(といっても300年くらい前の移住者の子孫・これは、ある意味高い階層だったとのちにわかった)だけど中国語もできない。中国人は大嫌いだ」静かな話し方をしているが激しい気質であることがわかった。時に知識がない人の質問は時に深く掘り下げるための手がかりができることもあると思った/感じたのはなぜかこれが最初(で最後)だったことも印象に残った一因だ。年齢が近いので「早く結婚したと思わない?結婚する嫁さんの顔が早く見たい、あなたもそうでしょ?」まだ見ぬパートナーとの生活を想像するのが好きだったようだ。私に対するアプローチではないことも言われた。「あなたはダメだよ。家庭的な感じがしない」確かにこの当時、結婚に対するイメージがなかったし、周囲も私は一生独身と言われていた。そして最も強く印象に残ったのは、中国政府の幹部たちが色々な国のパビリオンを見学するために歩いていた時のことだ。いきなり「馬鹿野郎!国滅びろ!お前たちのせいだ!国がおかしくなった!大嫌いだ!馬鹿野郎!馬鹿!馬鹿!」と中国政府幹部にむかって日本語で怒鳴っていたのだった。ああ、彼にとってアメリカより中国のせいで社会主義になったことが問題なんだ!一家で日本に居住することになった要因なのだろう。その後、ブルータスだったと記憶しているが、私はベトナム特集の号を買って読んでいた。この雑誌は今でも時々購入するが、当時は割合頻繁に購入していた。彼はそれを見つけて「読みたい!懐かしい!」と言った。「読み終わったら貸してあげるね」結局彼のものになった。私が持っているよりいいかと思う。その後、彼がどうなったかは全く知らない。

[パキスタン洪水募金のお願い]
 11月半ばにCOP27が開催され、気候変動による災害は先進国の支援が必要とパキスタン気候変動相がお願いをした。前回、前々回にも申し上げた通り、政府にお金を渡すことに懸念がある人が多く「どうせ政府が食べちゃう」と全く期待されていない。クラウドファンディングの募金は期間が終了しそうなので、直接銀行口座にお願いします。

 読者のみなさま、引き続きよろしくお願いいたします。

(2022.11.20)
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