【オルタの視点】
<技術者の視点~エンジニーア・エッセイ・シリーズ(21)>

日本の技術革新力(2) イノベーション

荒川 文生


◆◆ 1.言葉の遊び

 前稿(日本の技術革新力(1))では、歴史を軸に宇宙と自然の中に存在する「人間」との関わりで「技術の位置づけ」を試みました。そこで「技術の本質的原点が、人間の生活を便利で豊かにする営みの技(わざ)と術(すべ)にある」としつつ、技術が時代の変遷と共に善くも悪しくも変化し、その成果が合理的理論としての「科学」と実証的事実としての「文化」と為って「歴史」が連綿と紡がれてゆくと言う見方を示しました。

 その様に位置づけられる技術を革新すると言う事は、いったい何を如何する事なのでしょうか? 20世紀末葉2000年前後に日本で、「経済高度成長の夢よ、 もう一度!」ではありませんが、「技術革新」が新たな経済発展を齎すとの期待を担ってもて囃されました。しかも、例によって、このような言説は横文字文化として導入されました。これが「イノベーション」という訳です。ところが、その文化的背景について、些か論じる要が在ります。つまり、「技術革新」、「イノベーション」、「innovation」は、それぞれ異なる意味合いで使われています。これが「言葉の遊び」に為る事を懼れるのですが、こういう遊びも「また楽しからずや」と言う訳です。

◆◆ 2.文化的背景

 ご高承の通り、「innovation」は、ウィーン大学に学んだ Joseph Schumpeter(1883~1950)が提唱した政治・経済の革新理論です。その中で「Creative Destruction」と言うのが、キィワードのひとつと為っている事からも理解できるように、創造的ではあるものの破壊的で、温和な日本の文化には馴染みにくい筈のものです。それがカタカナ英語で表現されることで、破壊と言う刺激的な意味合いが緩和され、保守的な日本の経営者諸侯のお気に召したのかもしれません。語源的に「nova」と言うのが「新しい」を意味する事から、革新と言う邦訳が当てられています。そこで、言葉の遊びを超えて、「技術革新」を「イノベーション」と言う言葉と共に語る時には、その原典に基づいた意味を「innovation」で表現し、次稿(日本の技術革新力(3))で述べるような、日本的文化のなかで使われている意味は「イノベーション」で表現する事が適切かと考えます。

◆◆ 3.MITでの討論

(1)実証的討論
 もはや、些か旧聞に属しますが、2002年6月にマサチュウセッツ工科大学(MIT)が、ボストンで開催したセミナでの討論を紹介します。基調と為っていた所論は、James L. Forster: “Invention, Innovation and Transformation, CIS/MIT, July, 1997.”に拠るもので、そこで Innovation とは、「結果(Outcome)では無く、工程(Process)である」としています。ここで Innovation は発明と変革の中間段階で、発明には組織は不要、Innovation 発明や発想を組織的活動的に工程に組み込むこと、変革とは市場の構造変化を齎す Innovation の集積なのです。従って、Innovation には事業(Event)が不可欠であると、その実践性が強調されます。この観点から、Forster は Innovation とは創造性であり、生産性の向上であるとした上で、Innovation が発明と同等の効果を示すのは、製品、製造技術、流通系統における技術的変化が齎される場合であるとしています。セミナでは、此の基調の実証的展開として、幾つかの企業に於ける Innovation の事例が示されました。

(2)デュポン社
 デュポン社では、1970年代末にカーター政権がCFC(クロロ・フロン・カーボン)の使用を規制したため、それまでの好成績に陰りが出ました。そこで同社は、オゾン層の破壊を巡る論争が外交的駆け引きに陥っているなか、1986年9月、その経営戦略を変更し、1987年9月のモントリオール議定書によるCFCの使用規制に対応できました。この事例は Innovation の逆相関とも言うべく、社会情勢の変化が企業戦略と新たな技術要素による変革を齎した場合ですが、セミナで提示されたこれに対する分析は、政府の規制を含む社会構造の行方に対応するうえで Innovation が果たす役割を示唆するものです。

(3)プラット&ホイットニィ社
 プラット&ホイットニィ社は、1990年代に入って軍需が停滞し、民需の開拓に迫られました。折しも1980年代後半にMITが実施した合衆国の製造技術見直し(Made in America)の作業結果をうけ、トヨタのJIT(Just in Time)方式を参考にした簡素生産方式を取り入れました。そのカギと為る発明は、自動化、平準化、最少在庫方式(JIT)などですが、Innovation を達成するカギと為るとしてセミナで指摘されたのは、製品開発における豊田市とトヨタの経営組織、部品工業管理、工程管理、顧客対応、経営政策といったもので、これらを生み出したのは、製品の多様化、製品の高品質化、市場変化への即応、製品単位当たりの資本圧縮、生産原価の劇的圧縮などにより、「競争に勝とうとするニーズ」であったという事です。そのような基本的な目的が、企業管理の焦点を組織と資産から設計と生産に移し、結果として、無駄を省いて価値を生み出す生産の流れが出来上がると言う点に、Innovation の達成を観ているのです。

(4)公益事業委員会
 セミナが開催されていたのは、合衆国の「電気事業自由化」が日本に十数年先駆けて試行錯誤を繰り返した時期でしたが、その事例も Innovation のひとつとして取り上げられました。その発端は、1973年、OPEC(石油輸出国機構)が実施した石油輸出制限政策に在りましたが、世界各国のエネルギー政策は、OPECに対抗する面と共に当時厳しさを増しつつあった環境問題への対応と言う両面作戦を強いられておりました。
 もとより、電気事業は 「公共事業」としての性格を持ち、競争的市場原理に馴染まないとされて来ました。技術的には革新的要素と考えられてきた原子力も、Innovation を齎す要素とは為り得ず、セミナでは電気事業者が自由化に対処すべく企業の革新を進めた過程を Innovation と捉えてはいるものの、自由化を進めたものは、公共の利益を拡大しようとする消費者の要求であり、その過程における技術的な要素の例は示されませんでした。

(5)オーシャン・ステイツ火力発電所
 北米の電気事業自由化の過程で、革新的な技術の適用により Innovation を達成した事例として、セミナではオーシャン・ステイツ火力発電所が挙げられました。ここは自由化を実践して成功したIPP(独立電気事業者)の事業所で、発電設備としては定格出力250MW、80MWのガスタービン発電機2機と90MWの蒸気タービン発電機1機で構成されるコンバインドサイクル発電所として、1991年に運転を開始しました。
 技術的に画期的と言われるのは、逆浸透圧方式を用いた水処理設備を置くことなどにより、発電所からの排水をゼロとしたことで、また、排気のCO2 も9ppm以下に抑えられています。その背景には、まず、1980年代のエネルギー情勢が変化して、石炭が復興していたことが有ります。次に、既成の電気事業者が「自由化」に保守的な態度をとる中で、新規参入者は革新的な技術を取り込むことに活路を見出そうとしました。建設を請け負ったGEは、新技術摘要のリスクを自ら担う事で、革新的な発電所建設と言う Innovation を達成したのです。さらに、その過程で規制当局者に対し、此の発電所の建設が「自由化」促進と言う政策の具体化に如何に有効かを説得した事が効果的であったとされています。

◆◆ 4.Innovation を巡る要素

 MITのセミナで紹介された事例で Innovation の達成に関わる要素として、まず、「規制」が挙げられます。規制は自由な競争と多様な発展に枠を嵌めるものとみなされますが、実は、規制の変化が市場の変化を反映する事から、規制を如何に突破するかが、Innovation の達成如何を左右すると言えます。

 次に挙げられるのは「ニーズ」です。社会の変化を反映する市場のニーズに良く応える革新的技術は社会の変化をさらに促進すると言う意味では、社会の変化と市場のニーズは、革新的技術に媒介されながら相互に作用しあう関係にあります。
 ここで、より良い社会を創造して行く為にはどのような革新的技術が必要かを考えると、そこで認識さるべきニーズは「精神的・肉体的拘束からの解放、目標達成のための均等な機会、安定した生活の為の社会福祉」と言った、人間が高い価値を認める本質的な欲求を反映するニーズでは無いでしょうか?

 もう一つの要素として「矛盾」が挙げられます。例えば、規制と競争の矛盾です。実は、技術革新の過程に措いても、市場や社会で進んだものと遅れたものとの間に生じる矛盾の止揚と同様な過程が見られるのです。これに就いては、次稿(日本の技術革新力(3))で具体的な事例を観てみましょう。

  世の中は袖擦り合ひて水草生ふ  (青史)

 (地球技術研究所代表)

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