【自由へのひろば】
日本は法によって統治されているか
― 法治国家か否かのサンプル ―

工藤 寛治


◆南スーダン

 世界平和をまもるためという目的で日本の陸上自衛隊が南スーダンという国に派遣されました。「自衛」という名称ですが、日本の自衛隊は他国への侵略にも使える立派な軍隊です。南スーダンへの派兵は、かねてより安倍政権が切望していたことです。国際貢献というよりも派兵の「既成事実」をつくりたいためです。

 南スーダンは二〇一一年七月、スーダン共和国の南部一〇州(日本の約一・七倍の面積)が分離独立してできた国です。かつてのスーダン共和国の北部はアラブ系のイスラム教徒が多数を占め、キリスト教徒の多い南部を支配する構図でした。アフリカ有数の産油国で肥沃な土地にも恵まれています。

 「スーダン」の誕生はイギリスの植民地政策の結果であり、南スーダンの分離独立は米国南部州のキリスト教右派(トランプ大統領の支持層と重なる)に促されたジョージ・W・ブッシュ政権の介入によって誕生しました。軍事クーデターによって政権を握った独裁者バシル大統領が支配する「スーダン」と離別しても平和な国づくりができず、二〇一三年一二月以降にもう、ディンカ族出身のキール大統領派とヌエル族出身のマシャール元副大統領派との間で内戦が始まりました。
 一五年八月にいったん和平合意が結ばれましたが、翌年七月にはジュバでの戦闘が再燃し、ほとんどの州に拡大し、武装勢力だけではなく一般市民に到るまで外国から武器が供給されております。国連の専門家によると、一六年一〇月までに政府系武装勢力により、裁判なしの処刑やレイプ、拉致、拷問、略奪、家屋の焼打ちが行なわれ、ジェノサイド(大虐殺)の予兆もあるとのことです。どの国や地域での武力紛争でも外国からの兵器の供給が戦闘をより悲惨なものにしますが、国連安保理の武器禁輸措置の決議が未だに成立していません。日本も同措置に反対しました。

◆日本の任務

 日本は南スーダンが誕生して間もなくから、陸上自衛隊を派遣して道路や橋の整備などにあたらせています。同国が分離独立したばかりの束の間の平和の時からの始まりです。アフガニスタンやイラクの例を引くまでもなく、国際協力や軍事介入によって国づくりや停戦をさせても、必ずしも国民の幸せな状況がつくりだせるわけではありません。南スーダンの場合も御多分に漏れず、あっという間に権力欲・支配欲に取りつかれた武装勢力による戦乱の国となってしまいました。

 一九九二年六月、国会では日本の憲法規定に適合するかどうかの論議もほとんどなく、メディアの大きな非難もなく国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(略称・PKO協力法)が成立しましたが、南スーダンへの派遣も同法に基づくものです。派遣にあたっての原則は以下の通りです。

 ○紛争当事者の間で停戦合意が成立している
 ○紛争当事者の受入同意
 ○中立的立場の厳守
 ○前記の条件が満たされない場合は撤収できる
 ○必要最小限の武器により要員の生命などの防護をする

 武力紛争が盛んな時に前記の条件を満たすのは非常に困難であり、当初より生命の危険が十分予想されていたはずです。紛争当事者が特定できない場合に受け入れ同意を得ることが無理だったり、攻撃を仕掛けてきた相手によっては中立を守れないことがあったり、あるいは、「必要最小限」の武器かどうかは判断できないことの方が多いのが戦争の実態ではないでしょうか。

 一五年七月には、平和活動を行う諸外国の軍隊等に対する協力支援活動を行うための国際平和支援法が成立し、安倍内閣は一一月に閣議決定により陸上自衛隊に「駆けつけ警護」と「宿営地の共同防護」の新しい任務を与えました。楽観的な病状判断をしても、この時点で日本国憲法は仮死状態に陥りました。憲法規定をどのように拡大解釈をしても不可能な集団的自衛権を持つにいたったのです。一三年一二月にジュバでクーデター未遂事件が起こった際には、「武器三原則」に反して駐留する韓国軍に銃弾を渡し、日本国内の批判の声が高まったため韓国軍から銃弾を返してもらいましたが、今はもう安倍政権には立憲主義も法令順守も眼中にありません。

 同国における国連平和維持活動が無駄ではないかと思われ始めた一六年一〇月、現地を視察して帰国した稲田防衛大臣は、国家安全保障会議で「首都ジュバの治安状況は、比較的、落ち着いていた」と報告しました。同じ頃、ジェノサイド防止担当の国連事務総長特別顧問・ディエン氏は「権力闘争が明らかな民族紛争に変貌しつつある」と安保理に報告し、スイスの銃器調査NGOのボズウェル氏は「反政府勢力が入ってきた村落をディンカ族の民兵が手当たり次第に破壊している」「村落は略奪され、住民は追い立てられ、民族を理由に殺される」と語っています。稲田大臣がジュバを訪れたおよそ三か月前には、停戦協定が破られ首都だけで約二七〇人が死亡していました。

◆隠蔽と珍問答

 一六年一二月、フリージャーナリストが、南スーダンの陸上自衛隊派遣部隊が同年七月に作成した日報の情報公開請求をしましたが、防衛省は廃棄したとして請求に応じませんでした。ところが日報を捜すように要請をした自民党の河野太郎衆院議員には翌一月六日に日報を保管していたと認めました。防衛省は、探したら出てきたと釈明しましたが、意図的な隠蔽に違いありません。稲田大臣は「探索を命じた」と述べていましたが、そんな大掛かりなことをしなくても手許にあったのでしょう。
 政府機関は、時の政権や役人などに都合の悪い文書は失くしたとか、作らなかったと言って公開を拒み、渋々出すときは所謂「のりべん」状態にするのが常です。国民の知る権利を認めていたら出世の妨げになるとでも考えているのでしょうか。戦闘が激しかったと予想される七月の一〇、一一日頃に、現地の自衛隊がどのように対応したか、ジャーナリストならずとも知りたいところです。

 防衛省は二月九日、民進党に対して、現地に派遣されている部隊が作成した七月一〇日の日報と部隊上部の中央即応集団が作成した一一日付「モーニングレポート」を開示しました。同レポートには「対戦車ヘリが大統領府上空を旋回」や「えい光弾計五〇発の射撃」、「宿営地近くのビル下に着弾(ランチャーと思われる)」、「ビルに対し戦車砲を射撃、西端に命中」などの記述がみられた。日報には「戦闘は継続」との記述もありました。

 衆院予算委員会で稲田防衛相は、憲法九条との関係で問題となる戦闘行為は「国対国、国と国に準ずる組織との間での武力紛争」であり、南スーダンの現状は法的な意味での「戦闘行為」ではないと述べました。さらに、自衛隊派遣条件の「五原則(前述)」は守られていたとも話しました。
 つまり、何の偏見もない普通の人間であれば、武器弾薬を使って敵対する者たちが争っていたら「戦闘」と言い、停戦の約束を破って内戦状態になっていたら「停戦協定が成立している」とは言わない常識を、法律の専門家でもある防衛相は覆したのです。稲田氏は、事あるごとに政権が選定する「有識者」と異なり、弁護士資格のある真の「法律家」なのです。それゆえに、嘘をつくことに良心の呵責を感じ、支離滅裂な答弁をしたのかもしれません。

 南スーダンの問題は、憲法九条が文理解釈はおろか拡大解釈の限界を超えて歪められ、その下でつくられた法律は権力の思うままに読み替えられている現状を端的に表しています。日本国民は再度、戦争の悲惨さを体験しなければ憲法がもつ理念を受け入れることができないのでしょうか。同じように、あと何回か原発事故に遭わない限り脱原発ができないのでしょうか。

 (コンテンツ企画者)


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