日本型農業は、一ヘクタール営農にあり   篠原 孝

― 小さくてもできる農業の可能性を跡付ける ―

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● 二一世紀は日本型農業で


  今から25年前の1981年秋、私は『二一世紀は日本型農業で--長続きしない
アメリカ農業』と題した小論を書いた(『飽食のかげの星条旗』(家の光協会)所収)。
  当時、第二臨調が設置され、財界や経済学者が農業保護を批判し、それに迎合した形でアメリカ農業を礼賛し、日本農業もアメリカ型農業を目ざすべき、という浅薄な農業・農政理論が幅を利かせていた。私は、アメリカ留学のついでに、農家に泊まって農作業を手伝うなどして、直接アメリカ農業をじっくり見て帰ったところであり、たいへん違和感を覚えた。その大半は私の農業・農村のあるべき姿に反し、何よりも中西部での農業の実地体験とそぐわないことばかりであった。一方的にアメリカ農業を礼賛し、その返す刀で日本農業をこきおろしているだけで、私が感じたアメリカ農業の資源収奪的、反自然的、非循環的、刹那的、非人間的、金儲け至上主義的な面など、まったく無視されていた。

  最もおかしいと思ったのは、農業が自然とともにある産業であるということ
を忘れて、ひたすら経済効率さえあげればよいという論の展開であった。平均年
間降水量が600ミリメートルの広大な農地と1800ミリメートルの狭小な農地では農法も作物も違って当然である。どこで作っても同じ鉄鋼ができる工業生産とはおのずと違ってくる。農業とはそういうものなのだ。
  私はこの小論の第一章でアメリカ農業の問題点を指摘し、第二章で日本農業に内在する強さを述べた。第三章は「二一世紀を目ざした日本型農業の確立」で結び、内容を(1)環境保全型農業の確立、(2)技術と人による農政の重視、(3)安定
した農村社会基盤の維持強化、(4)日本の風土に合った食生活の普及、(5)南への農
業開発援助、(6)農業への国民的理解、とした。25年後の今も、この大きな目ざ
すべき方向は変わっていないと思う。
 
  (1)は、国民の食の安全の目覚めから、後述するように、言葉は定着し、向かうべき方向という雰囲気は醸成された。(4)も食育(食農教育と農も入れないとならない)という形で進展した。一方、(6)はTVの料理番組の氾濫の陰で、生産現場はますます無視されつつある。(3)も地域社会が壊れ、ぎすぎすした社会になっ
てしまっている。


● 日本型農業


 日本型農業を一口でいえば、日本の気候風土に合った農業ということである。日本の気候風土は、動植物の繁殖に適した恵まれた気候であり、平地が少ないという欠点を、豊かな森林、川、海によって補ってきた。この気候風土に育った農業は、つぎつぎに農地を移動していく土地収奪型の農業ではなく、土の力を生かし、守っていく環境保全型の農業でなければならない。上流の森林や棚田により日本の土壌は守られ、下流地域の暮らしを安定させてきた。森林や水田が要となって、魚付保安林にみられるとおり林業と漁業がひとつながりとなっていたのである。
 恵まれた温暖な気候と、災害を乗り越えながら自然に寄り添って生きるという暮らしの知恵が、二千年かけて日本独特の農業を形づくってきたのだ。百姓という言葉どおり、百種類にもなろうとする作物を手がけ、農閑期には、裏山の竹や木材を使って家財道具や生活用具を作ってきた。農業用水の整備、補修にあたっては、村のみんなが協力し合い、地域の連帯を大切にしてきた。日本型農業とは、そうした暮らし方全体を含んだものなのである。
 私の日本農業論は、なかなか受け入れられなかった。その人たちには、「それでは、先進国型農業などと絶賛するアメリカ農業の生み出したアメリカの食生活はまともですか」と問うた。農業の目標の一つは、豊かな食生活を提供することだが、ろくな料理のないアメリカ農業は、やはり問題である。この論には、感性の豊かな人たち、例えば、作家辻井喬(堤清二)は、各地に郷土料理のある日本型農業を支持し、「アメリカはどんなまずいかためしてやろう」というぐあいに呼応してくれた。一方、今や全国的に名の知れた政治家になられたかつての上司は「安いステーキが食べられるから豊かな食生活だ」と苦しい弁解をした。
 私は、日本の食が全国画一となり、地域と時を失っていいのかと訴え続けている。もともと農業は多様なものであり、食も多様なものなのだ。

● 環境保全型農業


いまや「環境保全型農業」は、わが国の誰もが口にしているが、拙論がこの言葉を使った最初のものであった。「有機農業」(organic farming)のほか、外国では、後に「持続的農業」(sustainable agriculture)、「代替農業」(alternative agriculture)、「環境にやさしい農業」(environmentally friendly agriculture)など、いろいろ呼ばれているが、手前味噌ながら、日本語としては「環境保全型農業」がピタリと思っている。   要は、自然を損ねることなく、自然の恵みを最大限に作り出す農業ということであり、世界中の農民が昔から腐心してきたことを現代風に素直に言葉にしただけである。根底にあったのは、我々の祖先が営々と築き上げてきたわが国の農業、農法にも合理的理論があるという考えであった。

 
 蛇足ながら、振り返ってみると、私はいろいろ造語を作っている。凝りすぎた「農的小日本主義」は本のタイトルだけで「小的農本主義」と間違えられるが、定着したものも多い。「地産地消」、「旬産旬消」、「フードマイレージ」等である。国会議員になってから、色紙を頼まれると「食と農を結ぶ」と書いていた。今は、何げなく使われる食と農も、仲間と一緒に勉強会を開きまとめた本のタイトル『食と農を問い直す』に端を発している。そして、今年のJA全中(全国農業協同組合中央会)の大会のスローガンが「食と農を結ぶ」となっていた。徐々にではあるが、しかるべき方向に進んでいるのは喜ばしいかぎりである。


● 12○○ha経営のアメリカの農家と1haの日本の農家


 農林水産省に入省四年目の1976年から二年間、私は、アメリカに留学させていただいた。そのときに半年間、カンザス、オクラホマなど中西部の農家を中心に、農場、農家を泊まり歩き、農作業を手伝いながらアメリカ農業をじかに見て回った。 
私が訪れたイリノイ州の穀物農家は、一戸で12○○haを所有していた。日本の小さな村の総面積より広いほどだ。畝の長さは3キロメートルで、端は見えない。二階建てのビルほどもありそうな超大型トラクターが、10数条ずつ耕していく。確かに、麦や米などの大量生産には威力を発揮し、コストは日本の農地と比較になろうはずもない。最初は広々とした大地に感動していたのだが、トラクターの動きを眺めるうちに、何か寒々とした思いにとらわれた。「とても農業とはいえない」というのが実感であった。生産性が高いといっても、それは労働生産性のみであり、農業にとってより重要な土地生産性はとても高いとはいえないのだ。 
 アメリカの農家で、私が、「私の実家では1ha余の農地に、りんご、桃、アスパラガス、米を作っている」と言うと、中西部の大農家の人たちは一様に「箱庭で趣味の農業をしているのか」と笑った。それで専業農家だと言っても誰一人信じようとしなかった。われわれが1200haの巨大な農地を擁する農業経営が頭に浮かんでこない以上に、彼らは日本の1haそこそこの複合経営など思いもよらないのだ。

● 農業は土地生産性重視


 農業は林業、水産業と同じく自然とともにある産業であり、本来的に環境破壊をし続けてはやっていけない産業である。しかし、土地利用型農業(米、麦の生産等)は、自然の最も自然たる状態(森林、草地)を人間の都合のいい作物だけを作る農地に変えるものであり、その時点ですでに環境破壊をしているのだ。したがって、基本的になるべく限られた農地で土地生産性を重視し、かつリサイクル的(循環的)に生産する農業が望ましいことになる。ヨーロッパでは、四百年ほど前に森林を根こそぎ農地に変えてしまったが、そのダメージが大きく、現在は人工的に各地に森を復活させている。また、数十年単位で畑と森林の転換が行われているところもある。
 日本は、よく山ばかりで平地が少なく農業生産に向いていないといわれる。大規模生産という観点からすればそうかもしれないが、ほとんど山林に覆われていたために乱開発ができず緑が残されたともいえる。もし平らだったら、乱開発マニアばかりの日本はとっくの昔に荒らされまくっていただろう。森林率は三分の二に及び世界有数である。これがむしろ強みとなってくるにちがいない。 
 つまり、農業は、他産業と同じように労働生産性ばかりで考えてはならず、何よりも土地生産性を考えなくてはならないのだ。規模拡大。連作型は労働生産性を追及した結果であり、土地生産性を追及するとおのずと集約型、循環型、複合型になる。農地の適地は限られている。その貴重な農地から、できるだけ多くの作物を長く作り続けることが、最も重要なのだ。 

● 合理的な有畜複合経営


 日本農業の最も典型的なケースは、数種の作物を組み合わせて作る複合的営農、そこに家畜をからませる有畜複合経営ということができる。 一農家では市場に出すものを何品も作ることは、なかなかむずかしい。だが、その場合でも、地域全体で見たときに、いろいろな作物があるという地域複合経営が、経営面、農法面から見ても最も理に適っていると思われる。 日本の農家の経営規模は非常に小さい。一軒の農家の平均規模はアメリカで180ha、ヨーロッパは約20~50haであるのに対し、日本はわずか1ha強である。ある程度の規模拡大を望むことは当然であろう。 
 単作経営で見ると、基盤整備のすんだ水田なら、30haでも経営可能であろうし、他の土地利用型農業も規模拡大してこそ採算がとれるようになる。ところが、果樹や野菜の場合まったく事情は異なる。2haでも一夫婦でこなしきれるかどうかわからない。作物により適正規模というものが違ってくる。したがって、狭い日本では50万戸の農家が10haずつ耕せば十分だなどという数字上だけの短絡的なつじつま合わせには無理がある。 アメリカは、小麦なら小麦だけという単作主義が貫かれているところが多く、作物の組み合わせがあってもせいぜい二、三に限られる。この場合、小麦の値段が下がったり、小麦に病気が発生したりすると、経営がたいへん苦しくなる。大恐慌以来といわれた1984年の農業不況の折、2万~3万もの農家が倒産した。これは、単作主義が裏目に出た結果である。連作障害、土壌悪化といった根源的問題も抱えている。 日本でも、同じことがある。たとえば、米の単作地帯で米価が下がったり、冷害で収穫が大幅ダウンしたりすると、農家も地域経済も大きな打撃を受ける。しかし、収入源が分散していれば、米の打撃を他の作物や家畜で補うことができる。 

● 複合経営のメリット


 複合経営のメリットとして、経営の危険の分散、労働力の適正配分、土壌生産力の維持、農業内部での雇用機会の拡大、それによる農業の自立などがあげられよう。しかし、日本の平均的農村集落において、いままでいろいろな工夫を重ねて25戸の農家が、30haの農地で生きてこられたものを、一挙に3戸の農家が、10haずつ耕すことになったら、残りの22戸の農家はどうなるのであろうか。地方へ進出していた工場も、海外へとさらに進出する時代である。地域の過疎化が進み、農地はあっても、そこに農村社会のない、寒々とした光景にならないだろうか。過疎の悩みを抱える地方が、中央の意志とは逆に、複合経営を選択するのは、当然のことであろう。 
 ただ、誤解のないようにしておきたいのは、私はなにも稲作の大規模化に反対しているのではない。円滑に10ha農家ができるのなら結構なことである。たとえば、中野市でエノキダケ、りんご等の集約的農業のため、とても稲作になど手が回らなくなったことに目をつけた清水幸三氏は、またたく間に稲作面積を数十haに規模拡大し、有機米の産直を行っている。世に多く存在する隙間産業ならぬ隙間規模拡大である。こうして、近隣のエノキダケ農家もエノキダケ栽培に専心でき、清水氏もまた思いどおりの大規模稲作ができることになる。このような地域間の分業なり分化がスムーズに進めば、それこそ強い農業、農村ができあがることになる。これが地域複合経営である。 

● 第二次産業や第三次産業につなげる


複合経営ということでは、農村の固有の資源をフル活用して、生産力を最大にするのがベストであろう。この目的達成のために、第二次産業(農産加工)や農家民宿といった第三次産業まで工夫すれば、かなりのことができると思われる。 一次産品のまま出荷するだけでは、価格も安く収入は少ない。生産した農産物を加工することにより付加価値を高めて販売したり、道の駅等の直売所や通信販売等で、直接、農産物や加工品を販売したりすることにより、さらに収入を増やすことができる。 さらに、グリーンツーリズムでの農家民宿や農業体験等の都市と農村の交流は、収入だけでなく、農村の活性化に結びつけることも可能である。 実際、この農業生産を第二次産業、第三次産業につなげることは、多くの農山漁村で取り組まれている。うまくいっている事例も少なくない。私にも関わりのある一例を紹介しよう。 

● 工夫で開ける-興部町の畜産加工場


 この夏、私は20数年ぶりにオホーツク海に近い興部町の大黒宏氏の酪農場を再訪した。再訪というと正確ではないかもしれない。その当時は、加工場も食堂も店もなかったからだ。私には、全国各地に講演・本を通じた同志的友人がいるが、彼はその一人であり、私の講演の中のへらず口をきっかけに乳製品の加工工場を作り、今や80人の従業員を抱える興部町一の企業体のトップを勤めるまでになった。 20年前、「農業の先行きが暗い」という、いつもの泣き言に対し、私は「北海道、特に道東は畜産王国、酪農王国といいながら、地域特産品にチーズもソーセージもないじゃないか、フランスでは村々にチーズがあり、ドイツにはソーセージがある」とけしかけた。大黒氏はそれに発奮して、農林水産省に仲間と乗り込んできて、加工原材料乳の補給金をもらいつつ自ら加工できる途を切り開いた。 
 チーズ・ヨーグルト・バターの加工場は、きれいで管理が行き届いており、食堂の周りも花がいっぱいだった。学校給食に牛乳も提供している。そして、全国にファンが広がり、産直をしている。見事という他はない。 「篠原さんと会わなかったら、僕は酪農をやめていた。『小さくてもできる』と本や講演で励まされたから今がある」というお世辞には涙が出る思いだった。著者冥利、講師冥利に尽きる。 残念ながら、役人冥利に尽きる行政ができなかった分、今は政治家冥利に尽きる農政を打ち立てたいと日夜努力しているところである。

● 食料自給率を考える


 わが国の穀物自給率は28%で、OECD加盟30か国中28番目とずば抜けて低い。日本より低いのはオランダ(24%)とアイスランド(0%)であるがカロリー自給率ではオランダは67%となり、日本の40%よりはるかに高い。世界中のタカ派あるいは、タカ的な国、つまり、安全保障を重視する側は、食料自給をめざす。ところが、日本のタカ派は、憲法九条改正や教育基本法の改正などを主張しながら、食料自給率の低下には無頓着であり、平然と外国から買えばいいと主張する。全く論理が矛盾しているのに気づいていない。 
 タカ派は、当然、軍事、エネルギー、食料、科学技術、すべて自賄いすべしというのが常識とのことだが、日本では、どうも中途半端な安全保障しか考えられていない証左であろう。ちなみに全く逆のハト派はドイツの緑の党に見られるように、身近で食料を作るべきという完全食料自給派である。日本でいえば、作家の野坂昭如氏は、非武装中立を唱えつつ、強烈な食料自給派であり、この系譜に属する。つまり、よほどの風来坊的生き方をする人・国でないかぎり、食料自給は国の根幹ということになる。世界中、先進国と発展途上国とを問わず、食料自給率を上げるのに熱心なことを見れば明らかなことだ。あまりに平和ボケしすぎたためか、日本だけが特異な国になってしまったのだ。 安全保障の問題に限らず、膨大な食料の輸入は、生産国の資源や環境問題、フードマイレージの増加(輸送に伴うCO2排出問題)、食の安全問題も引き起こしている。 

● 食料自給率の向上は可能


 日本が3000万トンにも及ぶ農産物の輸入を国内で賄うとしたら、今の農地面積の2.5倍必要であり、食料自給など不可能という議論がある。しかし、逆の数字からアプローチするとまったく違ったこともいえる。 日本の国土は、かつて豊葦原瑞穂国といわれたとおり、もともと豊かなのである。作ろうと思えば何でも作れ、かなりの収穫を得られる風土を持っている。作物の生育しにくかった東北や北海道でも、農業技術を生かした営農が行われ、今日ではむしろ安定した稲作地帯になっている。 
 江戸時代の人口は、よく知られているように、三千万人の静止人口だった。その当時と同じ食生活をするとしたら(といっても、魚も野菜も豊富でけっこう豊かな生活だったという)農地面積は二倍近くなり、米の単収は三倍近くになったので、約一億三千万人もの食料を自給できることになる。 最近、ミナミマグロの日本への漁獲割当が削減され、各紙が取り上げたが、日本人は世界中の三分の一も食べ尽くしているのである。今日のような世界一ぜい沢な食生活などは維持できないし、別に維持する必要もないはずだ。やり方によっては相当の食料自給力を維持できることを見直さなければならない。日本には、水、土、太陽の光、適度な温度、森、豊かな海と条件はいくらでも揃っている。これを有効活用し、地産地消、旬産旬消、すなわち、その地にその時にできたものを食べていくことを中心に考えていけばいいのである。 

● 民主党の農林漁業再生プラン-直接支払いによる自給率向上


 2004年6月、民主党は、農政の柱として直接支払いを導入し、わが国の自給率を高めることを目標とする「農林漁業再生プラン」を打ち出した。農業に意欲的に取り組んでいる農家全てを対象とし、政権交代10年後に自給率40%を50%に上げ、将来は60%以上にするという目標を立てた。 これに対抗して、政府自民党は、4ha以上の認定農業者などの特定の農家だけを対象とした直接支払いを打ち出したが、自給率については、50%にすることすら不可能だと、嘯くだけである。 2005年の調査で、耕作放棄地(過去一年間以上作物を栽培せず、今後も耕作する考えのない土地)が38万haとなった。これは、全国の農地面積の一割弱で、埼玉県や滋賀県の面積に匹敵する。また、耕地利用率は94%(かつては140%)である。 
 食糧自給率は多くを輸入に頼っている麦等の穀物、大豆、油糧種子、飼料作物を増産し、国産でまかなうようにすれば上がる。38万haの耕作放棄地を解消し、麦・米、菜種・米、麦・大豆の二毛作を復活し、耕地利用率を高めればさらに生産を増やすことが可能だ。 これらの作物は、高関税で保護している米以外は販売価格が安いため、国内で生産しても、所得どころか生産費さえ割ってしまう。再生プランでは、上記の作物の生産に対して直接支払い(個別所得補償)を行うことによって自給率の向上を図る。対象品目としては、自給率が下がり、大半を外国に頼る土地利用型作物五種(小麦、大豆、菜種、雑穀、飼料作物)と米を中心にする。 さらに、環境保全型農業に対する直接支払いも行う。有機栽培や減農薬・減化学肥料栽培では収量が減り、除草等の労働時間が増えるので、それを補償する意味がある。また、景観維持や治山治水に重要な役割があるにもかかわらず、効率的な農作業ができないため耕作放棄地が増加している中山間地域では、地域の実状に合わせた直接支払いを行う。

 直接支払い(個別所得補償)とは、農家が生活できるように、農家一戸一戸に補助金を直接支払うことで、EUは、1975年から条件不利地域に農家の所得を補償する手段として導入した後、1985年には環境を理由としても導入した。1992年以降は、従来の価格支持から所得支持(直接支払い)が農政の主要な手段となり、本格的な農政改革が進められてきた。その結果、農業所得に占める政府からの直接支払いは、7割から9割近くとなり(農業粗収入に占める割合でも4割を上回り)農家の生活を支えている。かなりの財政負担となっているが、農村景観の維持、地域社会の維持、食糧安保等の観点から、都市住民、消費者を含めて、国民的コンセンサスが得られており、国民からの批判は生じていない。また、アメリカでも農業所得の4割近くを政府の直接支払いが占めている。


● 農地の維持と食糧自給


 耕作放棄地の主な発生要因は、「高齢化」、「労働力不足」、「農産物価格の低迷」、「農地の受け手がいない」などである。中山間地のような条件の悪い地域での耕作放棄が多いのはもちろんだが、平地や都市部での耕作放棄も増えている。農業で生活できるような所得を得られなければ、ますます農業後継者はいなくなり、いっそう耕作放棄地は増えるだろう。 農地を維持し、そこで農業生産をしなければ、食糧自給率は向上しない。そのために、再生プランでは、農業への新規参入を容易にするとともに、農地の転用や耕作放棄を防ぎ、農地機能を維持できるよう農地制度を改革することとしている。 
 農業を始めたいというサラリーマンや定年退職者が増えている。農業をやりたい人が、農地を手に入れやすく、また、農業で生活できるようにしなければならない。長野県の例でみたように、1ha程度の農地で、十分な所得を得ることのできる作物は、果樹や野菜、花卉などに限られるが、そのような作物は労働時間も多くかかる。食糧自給率向上につながる土地利用作物は、大規模経営でないと十分な所得が得られない。しかし、小規模経営なら、労働力が少なくてすむ分、有機栽培などで付加価値を高めたり、二毛作、複合経営、農産加工を行ったりして、より多くの収入を得ることが可能だ。さらに、直接支払い(個別所得補償)も加われば、土地利用作物による小規模複合経営でも生活できる可能性が高まる。 それぞれの地域で、いろんな農業があっていい。民主党の政策は農業・農村を活性化し、全体をかさ上げし、自給率を高めようとするものである。大きくても小さくても、希望を持って農業で生活できるような政策が早く実現できることを願っている。 

(筆者は農学博士・衆議院議員)

篠原 孝・・・しのはら・たかし

【略歴】
1948年 長野県中野市田麦に生まれ、長丘小、中野平中、長野高校卒業
1973年 京都大学法学部卒業、農林省入省
1976年 ワシントン大学海洋総合研究所(法学修士)、

                   カンサス州立大学農業経済学部留学 

1980年 内閣総合安全保障関係閣僚会議担当室に出向
1982年 農林水産省大臣官房企画室企画官、
1984年 臨時京井区審議会事務局に出向(併任)
1991年 経済協力開発機構(OECD)日本政府代表部参事官(パリ)
2000年 農林水産省農林水産政策研究所長、農学博士(京都大学)
2003年 11月 衆議院議員
2005年 9月 衆議院議員再選(2期目)  

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