≪特集;北朝鮮の核実験と日本の対応を考える≫

■日本核武装論批判の立場から            蝋山 道雄

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I.はじめに
10月9日の北朝鮮による核実験成功宣言以来、また日本の核武装につい
て、一部の与党政治家や評論家の間で発言が目立つようになった。中でも、
中川昭一・自民党政調会長と麻生外務大臣の発言が際だっているが、阿部首
相もまた、それらの発言を容認し、後押しするような姿勢を取っている。
 中川政調会長は月刊誌『Voice』12月号の「自立した国家の核武装
論議」と題された一文の中で次のように述べている。
 
  「北朝鮮の問題を“対話と圧力”で解決できれば問題ないが、もし解決
  できなかったとしたら、どうなるか。経済制裁への対抗措置として、
  北朝鮮が追加の核実験やミサイル発射を行った場合、それはどこの国
  に飛んでくるのか。ターゲットが日本である可能性は高い。」と。

 だから、中川政務会長は「非核三原則は守るが、議論は大いにしないとい
けない」と云っているのである(10月15日、テレビ朝日「サンデー・プ
ロジェクト」)。麻生外相もまた、日本は言論の自由が保障された自由主義
国だから、大いに議論すべきだ、と国会の答弁で主張している(10月19
日)。

 しかし、「議論」とは何だろうか?『広辞苑』によれば、「互いに自分の
説を述べあい、論じあうこと。意見を戦わせること。」とある。この定義に
従って考えてみるとサンデー・プロジェクトに代表されるテレビ番組での
喧々囂々の有様が目に浮かんでしまう。あるいは、騒々しさないけれども、
国会において、野党議員が手に持ったメモを読み上げながらの質問に対して、
首相や担当大臣が、これまた官僚が用意した原稿に頼りながら答弁する、活
気のない形式的論議の様子である。前者は聴取者にとっては面白いかもしれ
ないが、議論が浅薄で、政策問題の解決には役立ちそうもないし、後者もま
た、霞ヶ関的の“その場逃れ”に終わる場合が多い。
 だが、複雑化した今日の国際政治情勢の下で「核武装問題」を真剣に政策
課題として検討することが本当に必要であるならば、極めて多方面にわたる
専門的能力と広い視野に立った、組織的努力が必要である。それには、可成
りの時間も割り当てなければならないだろう。中川政調会長や麻生外相は、
そのようなことを理解しているようには到底思えないのである。
 そこで、筆者個人の見解を述べ、核武装問題を論ずるための材料を提供る
こととするが、それに先だって、筆者の基本的立場と、核武装論に関する考
え方を述べておきたい。

 筆者は、メールマガジン「オルタ」33号の靖国問題についての論考のなか
でも述べたとおり、「平和主義者」でも、「理想主義者」でも、「進歩主義
者」でもない。ただ、国際政治と安全保障問題の分野で「現実主義者」の立
場から研究・教育活動に従事してきた者として日本の核武装論を批判し、反
対するものである。日本が核武装する必要性は、外交的にも、戦略的にも認
められないし、技術的にそれが可能であり、実現されたとしても、それによ
って安全が保障されるとはほとんど期待できないないだけでなく、むしろ、
その結果もたらされる外交的損失の大きさは、小泉前首相の靖国参拝がもた
らした日中、日韓関係の悪化の度合いなど問題にならない位大きいものにな
り、日本の安全保障を根底から脅かすものになろう、と考えられるからであ
る。

 11月12日付けの『朝日新聞』は「核保有論議を追う」というタイトル
の特集記事を掲載した。そこで展開されたのは、日本が核武装した場合「N
PT崩壊」、「日米悪化」、「各国に波及」するであろうから、「“非核”
最良の選択」である、という論旨であった。筆者はその論旨に賛成するもの
であるが、その記事のなかで、過去に日本政府内で行われた二つの研究が言
及されている。その一つは、「佐藤政権の内閣調査室が外郭団体に委託研究
したもの.....(で)70年度版の報告書では、日本が核武装すれば外交的
に孤立し、安全保障が高まることにはならないと指摘している。」もう一つ
は、NPT(核拡散防止条約 1968年)の再検討会議が同条約の無期限
延長を決めた1995年に、防衛庁の研究チームが行った研究であるが、そ
の結論は「米国の核抑止に頼ることが“最良の選択”」であった、という。

 この二つ組織的研究のうち最初の研究は、内閣調査室が「民主主義研究会」
の名前を使って、調査を委託したものだったが、主として核兵器開発の技術
的側面についての分析研究を担当する者と、国際政治状況、外交問題、戦略
的問題を扱う者、約10名で組織された共同研究として、1967年の夏以
降、毎月1回、68年夏には総括のための合宿研究を行い、その成果は2冊
の報告書にまとめられた。 
 これら2冊のうち第1報告書『日本の核政策に関する基礎的研究(その
一)』72頁(1968年9月刊)は、第1章 核爆弾製造に関する問題点、
第2章 核分裂性物質製造の問題点、第3章 ロケット技術開発の現状、第
4章 誘導装置開発の現状、第5章 人的・組織的側面、第6章 財政上の
問題点、結 び、から構成されていた。

 第2報告書『日本の核政策に関する基礎的研究(その二)』32頁(19
70年1月刊)には、第1章  中国の核の脅威について、第2章 日
本の直面する核戦略上の問題(一、核抑止力の問題;二、日本の脆弱性;三、
純防衛的核武装の可能性)、第3章 核武装と外交・政治問題(一、ひとつ
の先例――フランスの単独核武装;二、日本の核武装と外交問題;三、国内
核武装が政治に与える影響)、結 論、から成り立っていた。

 これら2編の報告書の概要は、今から丁度12年前、1994年11月1
3日の『朝日新聞』によって報道された。それは偶然のことから、神田の古
本屋で売られていた『基礎的研究(その二)』が、朝日新聞の論説委員によっ
て発見されたからであるが、報告書に挿入されていた1枚のメモによって、
その執筆者が、当筆者、蝋山道雄であることも判明したのである。今から3
7,8年前に行われたこの研究は、非公開であり「秘密研究」の範疇に属し
たが、当時は、「核武装」に関する研究を行うことなど、今と比べてもさら
に一層タブー視されていたことであったが、1968年3月に米・英・ソ3
国が署名した「核拡散防止条約」(Non-Proliferation Treaty: NPT)に、
日本も参加するかどうかが問題になって時であり、内閣調査室はその状況に
対応する準備のために研究を依頼してきた、と筆者は了解した。筆者は丁度
その1年前、英国ロンドンの戦略研究所(現在の国際戦略研究所)の客員研
究員として核戦略問題の研究に1年間従事して帰国したばかりであったか
ら、その経験が生かせれば、と考えて研究会の組織と報告書の作成を引き受
けたのである。2編の報告書は、それぞれ200部ずつ作られ、内閣府高官、
関係省庁幹部に配布されたと聞くが、その一部が、おそらく紙屑かごでも経
由して古本屋に流れたのであろう。
 内容をここで詳述するゆとりはないが、簡潔に述べるならば、両報告書と
も、日本の核武装について“否定的な結論”を導き出している。第1報告書
は、技術的に少数の爆弾をつくることは容易であるが、本格的な核戦力を構
築するには、多くの困難が伴うことを論証したうえで、最終的結論は戦略的、
政治的、外交的側面の検討の結果と合わせて導き出すべきだとした。
 その「戦略的、政治的、外交的側面」の研究報告の作成を担当した筆者は、
上記第1報告書の内容を斟酌しながら、次のような結論を出した。

 「日本は、技術的、戦略的、外交的、政治的拘束によって、核兵器を
 もつことはできないのであるが、そのことは日本の安全保障にとって決
 してマイナスとはならないだろう。核保有国となることによって、たと
 え国威を宣揚し、ナショナリズムを満足させることができたとしても、
 その効果は決して長続きすることはできないばかりでなく、かえって新
 しい、より困難な拘束条件を作りだしてしまうからである。核兵器の所
 有が大国の条件であると考えうる時代はすでに去った。核時代における
 新しい大国としての日本は、国家の安全保障の問題を伝統的な戦略観念か
 らではなく、全く新しい観点から多角的に解決して行かねばならぬよう
 運命づけられているのである。」

 第1報告書の取り上げた諸問題、諸阻害要因の多くは、既に30数年経過
した現在、技術的進歩によって克服されているかもしれない。例えば、コン
ピュータの発達によって、核爆発の実験をシミュレートすることができるよ
うになっているかもしれないし、ミサイルに関して云えば、日本は宇宙衛星
をロケットに搭載して打ち上げる技術も持っている。それにも関わらず、幾
つもの技術的障害は残っている。

 1)その一つは、核実験をコンピュータでシミュレートすることはできる
としても、その基礎となるデータをどこから入手するかが問題となる。何処
かの国が提供してくれるならば別であるが、そのような親切な国は存在する
だろうか?無いとするならば、やはり自分で実験する以外にない。また、核
武装の目的である、核兵器の本質的機能としての「抑止力」を十全に発揮さ
せるための条件としては、
核兵器の保有の前提条件を示す、“核実験が確かに実施された”ことを世界
に認識させる必要がある。北朝鮮が、核実験を公言した理由は一つは、まさ
にそれであった。なお、シミュレーション技術についても、問題は残ってい
ると思われる。全てコンピュータで処理できるならば、最先端技術をもつ米
国が、いまでも地下核実験を行わなければならない理由は説明できないから
である。

 2)次に問題となるのは、どこで実験を行うか、である。これまで核保有
国となっている米、ロ、英、仏、中、印、パキスタンのうち英仏を除く5ヵ
国は自国内で行った。それら諸国は国内に広い砂漠、あるいは人里から遠く
離れた、不毛の土地を持っていたからである。そのような、いわば“人畜無
害”とでも考えられる地理的条件を備えた場所を持たない英仏両国は、アフ
リカの旧植民地、オーストラリアの砂漠、あるいは南太平洋の環礁などで実
験を行った。(英国は米国と共同で、米国のネバダ砂漠で行ったこともある。)
 それでは日本はどこで実験できるだろうか?地下核実験が大きな地震や
火山の爆発を誘発してしまう可能性のある地震大国日本では、国内での核実
験は二の足を踏まざるを得ない。核武装論者の中には、「国有地の山や絶海
の孤島」でできる、などと無責任な発言をする人もいる(兵藤二十八『ニッ
ポン核武装再論 ― 日本が国家としてサバイバルする唯一の道』(並木書房、
2004年刊)が、孤島といえども安全に核実験を行えるということを、証明す
ることはできまい。

 それでは外国に候補地はあるのだろうか?ミサイル実験や宇宙船の実験
ならば、オーストラリアも日本に実験用地を提供してくれたが、核実験のた
めに砂漠を貸してくれることなど、想像することすらできない。
 以上のような理由からも、技術的進歩にも拘わらず、核開発のための大き
な障害は、現在でも存在するのであり、それだけでも、核武装という選択肢
を維持することは日本にとってほぼ不可能であると考えざるを得ないが、上
に引用した第2報告書の結論を2006年の現状に照らして再吟味するた
めに、核兵器の「抑止力」に関連する基本的な問題について、少し理論的な
視点から論考を行ってみたい。

II.軍事力の機能と核兵器

  ナポレオン戦争時代に生き、従来の君主間の限定的な戦争から、国民国
家間の大規模な戦争へと、戦争の性質が変化し始めた時代を経験した、プロ
イセンの軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツは、その著書『戦争論』の
なかで、「戦争とは、敵を強制してわれわれの意志を遂行させるために用い
られる暴力行為である。」と、戦争の本質についての定義を行っている。そ
れと同時に彼は、戦争とは、戦場における戦闘行為だけではなく、もっと広
い国家の対外政策行為であることを、次のような有名な表現を使って語って
いる。「戦争は、他の手段をもってする政治に継続にほかならない」と。(淡
徳三郎訳、徳間書房、1965年刊、による。)

 クラウゼヴィッツは、戦争とは一種の物理的強制行為、つまり、ある国家
が非軍事的手段によってこちらの意志を他の国家に受け容れさせることが
出来ない場合に、武力を用いて強要することであると考えたのである。彼の
『戦争論』は1930年代の日本でも軍事教育の場に取り入れられていたが、
彼の幅広い戦争についての理解が受け容れられていたとは云いがたい。なぜ
なら、満州事変以降の日本の対外行動では、常に軍事行動が先行し、外交努
力が無視される傾向が目立っているたからである。さらに、第二次大戦後の
日本では、憲法第9条によって“戦争を放棄”すると同時に、“戦争とは何
か”について理性的に考えるもことも放棄してしまったから、“戦争”を“戦
闘”と同義に捉え、戦争が戦闘だけではなく、その前後に非軍事的手段の行
使を含む、幅広い政治過程であることを理解することが出来なくなってしま
ったのである。
 いずれにせよ、彼の時代からすでに百数十年が過ぎ、人類は二度の世界大
戦を含む多くの戦争を経験したが、その間に、科学技術の発達によって、意
志強要の手段としての武力の構成要素である兵器は、その種類においても、
破壊力においても格段の発達を遂げてきた。そのシンボルとも云うべきもの
が、第二次大戦の末期、米国が日本を降伏させる手段として使った2発の原
子爆弾であった。

 この2発の原子爆弾の使用によって、人類の歴史は、新しい「核時代」に
入った。しかし、ここで注意しなければならないことは、2発の原爆は、従
来の戦争の本質の一部である「物理的強制」の手段として用いられ、“日本
を降伏させる”という、その目的を達成した。日本の降伏の原因が原爆被爆
であったのか、ソ連の対日参戦であったのか、は解釈の分かれるところであ
るが、それが核時代の幕開けとなったことは確かである。なお、核時代に入
ってから、核兵器がまだ一度も使われたことはないという事実は、核兵器に
与えられた“兵器としての役割”が変わったことを示しているのである。
第二次大戦後も人類は、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦
争など、核保有国が直接関わった戦争を経験してきたが、それらの戦争で核
兵器は使われなかった。少なくとも米国が朝鮮戦争とベトナム戦争で、戦術
核の使用を戦略的選択肢として考えたことは確かであるが、結局使わなかっ
た。それは何故だったのか?そのことを考えてみることは、核兵器の機能、
あるいは、核武装の意味について議論する場合に重要な意味を持つ。
 兵器は物理的な破壊力による意志強制行為、つまり「攻撃」の手段である
が、それは、強制される側においては、強要を物理的に阻止するための手段、
つまり「防御」の手段となる。しかし、軍事力(兵器だけでなく、兵力その
他の手段の総称である)の行使は、攻撃あるいは防御のためだけに用いられ
るのではない。物理的強制力を行使する姿勢を見せながら、実際には行使せ
ず、行使された場合の「破壊的な結果」(=損害)を敵方に想起させ、こち
らの要求する行動を取らせる、強制効果をもった「脅迫」的な使用法もある。

 さらに「脅迫」の一種ではあるが、武力が行使された場合の結果を相手側
に想い起こさせ、こちらに向けての攻撃を思い止まらせる機能もある。この
独特の機能が「抑止」と呼ばれるものである。つまり、潜在的な(まだ行動
を起こしていない)侵略者にたいして、反撃のための軍事力(=攻撃能力)
の所持を明示することによって、「もし侵略してくるならば、直ちにこちら
の反撃に会い、侵略によって得られる利益よりも、ズッと大きな損害を蒙る
ことになる、だから、侵略することは結局損だ」と考えさせ、侵略を未然に
思い止まらせる機能である。

 通常の軍事力においては、少なくとも論理的には、同じ兵器が「攻撃」用
にも「防御」用にも、また「脅迫」用にも「抑止」用にも用いることができ
た。この「抑止」が、独特の機能として意識され出したのは、第一次大戦中
のことであったと云われるが、それは、航空機による爆撃という、従来は考
えられなかった規模の大量破壊が論理的には可能になったためである。そし
て、第二次大戦末期の核兵器の登場によって「抑止」という概念が確立した。

III.抑止力とは何か

 「抑止」は "deterrence" の訳であるが、これは "terror"(恐怖)と同根
のラテン語から派生した言葉で、「何らかの手段によって相手に恐怖心を抱
かせ、積極行動を取ることを思い止まらせる」“心理作用”を意味するので
あって、「防御」の物理的な力や、弓矢や槍を防ぐ「盾」の“物理的作用”
とは異なるのである。その意味では、“押さえ付けて止める”ことを意味す
る「抑止」という日本語訳は適当ではないのだが、すでに定着してしまって
いるため、使わざるをえない。しかし、それは誤解を生みやすいという欠点
を持っている。

 もう一つ、「抑止」に関して重要なことは、その機能が大量破壊をもたら
す攻撃力から生まれるものであることと、必要なときは先制攻撃も辞さない
意志の力によって支えられる、ということである。
 日本では、自衛隊の存在自体が「抑止力」を構成していると考えられがち
であるが、軍事力が単に存在するだけで「抑止機能」が働くわけではない。
例えば、冷戦時代に、ソ連軍用機による沖縄近辺の領空侵犯がしばしば起こ
ったが、緊急発進した航空自衛隊の戦闘機は、せいぜい警告射撃をするに止
まり、撃墜することはしなかったため、その弱腰を見透かされ、領空侵犯を
阻止することは出来なかった事実を思い出す必要がある。しかし、たとい“威
嚇射撃”に過ぎなかったとしてみ、直ちに行わなければ意味はないから、そ
の命令を出さなければならなかった現地司令官の苦悩は大きかったろう。
 冷戦時代には、米国とソ連がそれぞれ大量の核爆弾や核ミサイルを配備し
て睨み合ったが、幸いにして地球を核戦争に巻き込む悲劇は起こらなかった。
米ソ両国の軍事衝突の発生を抑えたのは、お互いに核兵器を所有することに
よってお互いの軍事行動を抑止する、「相互核抑止」と呼ばれる機能であっ
た、と云われている。最初は、お互いに核戦争の惨劇への恐怖心を相手に抱
かせることからこの「相互核抑止」が始まったのかも知れないが、最終的に
は核戦争の惨禍を認識することにより、お互いに、“理性的に”自己の行動
を抑制する、「相互自己抑止」と呼ぶべき状態へと変化しながら、最終的に
冷戦の終焉へと進んだものと考えられる。
 しかし、学習過程とでも呼ぶべき変化の過程にあった1962年に、フル
シチョフ政権下のソ連が、米国を目標とするミサイルをキューバに配備した
ことで起こった「キューバ・ミサイル危機」に際して、米国のケネディー大
統領が核兵器の使用も辞さない強硬姿勢を見せたことが、ソ連のミサイル撤
去につながり、事なきを得たことは、抑止力の機能条件をまざまざと見せつ
けた出来事であった。

しかし、この抑止力の機能条件の認識(あるいは、その点に関わる戦略的
姿勢)に関しては、当初、米国とソ連の間には大きな差があった。米国は、
キューバ危機で示したとおり、初めから先制核攻撃の理論的可能性を否定し
なかったのに対し、ソ連はそれを否定していたため、米国は好戦的、ソ連は
平和主義的、という印象が持たれたのである。しかし、抑止力の機能につい
て理論的に考えるならば、米国の核戦略は「正直」であったのに対して、ソ
連は「欺瞞的」であったと云える。それにも拘わらず、米ソ両国の戦略姿勢
は時の経過とともに“核戦争を起こしてはならない”という点に関する価値
観共有の度合いを深めて行き、やがて冷戦的対立の解消にたどり着いた。

 また、もう一つの重要な技術的要因が、「相互核抑止」の信頼性を高める
機能に関わっていたことを忘れてはならない。それは「核報復能力(あるい
は第二撃能力)の非脆弱化」と呼ばれる問題である。核報復(第二撃)能力
とは、敵が核兵器による先制攻撃(第一撃)を仕掛けてきた場合に、敵に対
して核による第二撃を行って報復する戦略であるが、それを可能とするため
には、例えば核弾頭を搭載した大陸間弾道ミサイルを、敵の第一撃にも耐え
られるよう堅固に作られた地下格納庫(サイロ)に収納したり、敵に察知さ
れないように、核ミサイルを搭載した原子力潜水艦を海中に配備しておく必
要があるが、それを「核報復能力の非脆弱化」と呼ぶのである。もしも報復
用の核兵器が、敵の攻撃によって破壊される可能性が大きい状態、つまり
「脆弱」な状態に置かれているならば、攻撃を受ける前に使用してしまおう、
という誘惑に駆られる可能性があり、それは相互核抑止を不安定な状態にす
るから、これを避けるために「非脆弱化」が必要条件となるのである。

このように、敵対する核保有国がそれぞれ非脆弱な核報復能力を整備した
相互核抑止の状態を「相互確証破壊」(Mutual Assured Destruction)と呼ぶ
が、止まることのない軍事的科学技術の発達は、この相互確証破壊の状態を
不安定化する要因を作り出した。それは飛来する戦略的弾道ミサイルを撃ち
落とすために、地上から、あるいは海上から発射するミサイル、つまり「迎
撃ミサイル」(Anti-Ballistic Missile:ABM)である。現在、このAB
Mは、どのような状態でも飛来する弾道ミサイルを確実に打ち落とすことが
出来るほどの、技術的完成の域には達していない。しかし、それが完成した
ら、敵対国の核攻撃を怖れることなく、先制核攻撃を行える状態が出現する
ことになり、相互確証破壊の基本条件が失われてしまう。

冷戦終結後、ソ連は崩壊し、新生ロシアとなったが、このロシアと米国は
1991年、1992年、1997年と、3度にわたって戦略兵器削減のた
めの核軍縮交渉を行った。最初の「第一次戦略兵器削減条約」(START 1)に
よって、冷戦時の核弾頭の60%までに削減することに成功した(2001
年)が、それ以上の削減交渉については、合意には達したものの、実際の削
減は実現しなかった。その一つの要因は、戦略弾道ミサイルを迎撃するミサ
イル・システムの開発、配備を厳しく制限して、「相互確証破壊」の状態を
維持するために、米ソ両国が1972年に締結した「ABM条約
(Anti-Ballistic Missile Treaty)」から,米国が2002年に脱退してし
まったことである。その意味は、「V.制約要因としての国際政治の現状」
でもふれるが、簡単に説明すれば、ソ連邦の崩壊によって脅威が激減し、「相
互確証破壊」にそれほどこだわる必要がなくなったことと、2001年に起
こった“9.11”の同時多発テロによって、米国の安全保障にとっての脅
威の源泉が、国家から、その所在や組織の実態さえもハッキリしない、イス
ラム系過激派テロリスト集団へと変化してしまったからである。

III.抑止力のジレンマ

 抑止力がその期待された能力を発揮するためには、いざと云う時に先制攻
撃を行うことも辞さない戦略的意志によって支えられていなければならな
い、という条件と、先制攻撃の誘惑を避けるために非脆弱化が必要であると
いう条件は、何か矛盾しているように感じられるが、それは抑止力に内在す
るジレンマかもしれない。しかし、そのようなジレンマが核抑止戦略に含ま
れているということは、先制攻撃にせよ、報復攻撃にせよ、その決定命令権
を持つ最高政策決定者(米国では大統領)の判断ミスが大変な結果を生むこ
とを意味している。それが絶大な破壊力をもつ核兵器の怖さなのであるから、
核武装すれば抑止力が働く、などと安易に考えるべきでないことを肝に銘じ
ておくことが必要であろう。

 核抑止力について論ずる場合に、もう一つ極めて重要な基本的ジレンマが
あることを忘れてはならない。それは、核抑止についての理論は、その実効
性を立証できない「ジレンマ」に満ちたものである、ということである。確
かに、冷戦期間中に米ソ間の「相互核抑止」は機能していたように思われる。
しかし、それが確かに「機能した」ということを証明することはできない。
冷戦が、砲弾が飛び交う熱戦へと変化しなかったのは、他にも原因があった
かも知れないからである。例えば、戦争の誘因となる確率が非常に高い領土
問題を巡る紛争は、米ソ間には存在しなかった。勢力圏の拡大を巡る対立は
存在したが、冷戦は基本的には「イデオロギー対立」から始まったのである。
しかし「スターリン批判」で有名になった1956年のソ連共産党20回党
大会におけるフルシチョフ報告以降、ソ連の公式路線となった「平和共存」
も大きな意味を持っていただろう。彼は、「キューバ危機」に際して一度配
備したミサイルを撤退させざるを得なかったが、これを「平和政策の偉大な
勝利」、「理性の勝利」と高らかに宣言した。皮肉なことに、この平和共存
に基づくソ連の対米外交に不信感を抱いた毛沢東の中国はソ連と対立し、両
国の外交関係は断絶した。これに対して、米ソ両国の外交関係は冷戦中を通
して途切れるたことはなかっただけでなく、あわや核戦争か、という危機状
況を生み出した「キューバ危機」から教訓を学び、「ホットライン」と呼ば
れる危機回避のための手段を編み出していた。それは、ホワイトハウスとク
レムリンとの間を結ぶ直通電話回線のことであるが、これによって両国の最
高指導者は、戦争勃発の危機に際して直接対話することができる関係にあっ
たのである。
 これらの出来事を振り返るならば、先に「欺瞞的」と評したソ連の先制攻
撃否定の戦略姿勢は、実は本心の表れであったのかもしれない。しかし、そ
れを証明することは難しい。

 この「抑止力のジレンマ」の問題を最初に提示したのは、ヘンリー・キッ
シンジャーであった。彼は全面戦争を想定した米国の「大量報復戦略」を補
完し、限定戦争に対処する「限定核戦略」論を提起した『核兵器と外交政策』
(1957年刊)を著した学者であるが、後ニクソン政権で国務長官を努め、実
践外交の場においても優れた手腕を振るった。彼によれば、抑止力の効果は
消極的にしか立証できないために、「平和が長く保たれれば保たれるほど ―
つまり抑止力の効果があればあるほど、とも云えるが(蝋山付記) ― 国防
政策の前提そのものに反対する人々に、反論の材料を提供することになる。
敵にはもともと攻撃するつもりなどなかったのだから、軍備を整える必要な
どなかったのではないか、などと近代国家では国家の安全保障問題が、国論
を激しく分裂させる問題となりうる」と。この問題を別の角度から述べるな
らば、「核戦争が起こった場合には、抑止力が機能しなかったことが証明で
きるが、それ以外では、抑止力の有効性を立証することはできない」という
ことなのかも知れない。

 なお、抑止力を構成することに関して直面する具体的問題として、計画を
始めてからある程度規模の体制を完成するまでには、時間が掛かるのであっ
て、それは瞬時に実現することはできない、という単純かつ深刻な問題があ
る。この問題を、北朝鮮の核武装に対抗して日本が核実験を行う決定を行っ
たと仮定して考えてみよう。多分、日本は可成り高度な技術はもっているが、
北朝鮮がパキスタンから得たとされる核関連の技術とデータは持っていな
い。自ら実験を開始して、北朝鮮の核開発のレベルまで追いつき、追い越す
ことができたとしても、それには当然時間が掛かり、体制完成までの間は、
抑止力が機能しない「脆弱」な状態が続くことを覚悟しなければならないの
である。

IV.「核の傘」について

 さらに、「抑止」に関わる問題で、現在、議論の対象にすべきか、すべき
でないか、で揺れている北朝鮮の核武装に対するわが国の対応に関連する重
要な概念としての「核の傘」がある。「抑止」という日本語訳の問題性と同
様に、「核の傘」、つまり "nuclear umbrella" にも、「抑止」の機能につ
いての認識を誤らせる要因が二つ含まれている。

 第一に「傘」の作用は、空から降ってくる雨を、物理的に遮って、身体が
濡れないようにすることである。しかし、議論の対象となっている北朝鮮の
核の脅威から日本を守るために拡げている「核の傘」の持ち主は日本ではな
く、米国であり、しかも、それは北朝鮮に向けられた米国の核抑止力なので
あり、北朝鮮から発射された核ミサイルが日本に降り注ぐのを防ぐ「傘」の
物理作用ではない。北朝鮮が日本に向けて核ミサイルを発射したとすれば、
それは米国の核抑止が失敗したことを意味するのである。

 第二に、米国の核抑止力の有効性は、対象国である北朝鮮が、それをどう
受け止めるか、に掛かっている。つまり、日本を核攻撃した場合に、米国は
必ず報復核攻撃をして来るに違いないから、日本を攻撃しない方が良い、と
北朝鮮が考える限りにおいて、米国の核抑止力は有効に作用していることに
なるのであり、日本の安全は守られることになる。ここで重要なのは、北朝
鮮がどう受け止めるか、であり、日本がどう考えるか、ではないのである。
したがって、問題は、どのような状況になった場合に、米国の抑止力の効果
についての北朝鮮の評価が変わるか、である。云い方を変えるならば、北朝
鮮が、もし日本に攻撃を加えたとしても、米国は核報復に踏み切らないであ
ろう、と判断するのは、どのような状況変化が起きた時であろうか、という
問題である。多分その一つは、日米関係の在り様であろう。日本が米国に全
幅の信頼を寄せ、米国も日本の存在を重視している限りにおいては、問題は
起きないであろうから、どのような問題が発生した場合に日米関係がギクシ
ャクし始めるか、である。

 かつてフランスが、ドゴール大統領のもとで核武装に踏み切った時、フラ
ンス国内で米国の「核の傘」の有効性に関する議論が行われていた。その中
には、次のような核武装賛成論者の議論があった。「もし、パリがソ連の核
攻撃を受けたとき、米国はワシントンやニューヨークが報復攻撃される危険
を冒してまで、モスクワやレニングラードに報復攻撃を加えてくれるだろう
か?いや、それは疑わしい。だからフランスは独自に核武装して自らを守る
べきだ。」という身勝手な推測に基づいた核武装正当化論であった。しかし、
この論理には大きな矛盾がある。つまり、「パリがソ連の核攻撃を受けたと
き」とは米国の対ソ核抑止が敗れたことを意味し、その“核抑止が失敗した
状態”を前提として核抑止の有効性を疑っているからである。しかも、フラ
ンスとソ連の間に位置する西ドイツを攻撃せず、そこを飛び越えてフランス
を攻撃する、という仮定の立て方にも問題があった。つまり、西ドイツより
比較的に安全な地政学的位置にあったフランスの核武装は、対ソ戦略上の考
慮というよりも、米国に対する政治的自己主張としての意味が強かったので
ある。しかし、当然のことながら、米仏関係はギクシャクした。しかし、ド
ゴールは、ソ連とも外交交渉を進める努力を行ったし、また、大変興味深い
ことには、1963にケネディ大統領が暗殺された時、その葬儀に真っ先に
駆け参じたのがドゴール大統領だったことである。また、フランスの核武装
は米国をいらだたせたが、西欧諸国はこれを脅威とは受け止めなかった。

 いずれにせよ、このフランス的論議は、多分、日本でも核武装肯定論者か
ら主張される可能性が十分にある。現に、この一文の冒頭で引用したように、
中川政調会長は、「北朝鮮が...ミサイル発射を行った場合、...ターゲット
が日本である可能性が高い。」と云っているのである。しかし、そのような
論法が身勝手で矛盾していることは上述のとおりであるばかりでなく、かつ
ての冷戦時代のフランスを巡る政治的・戦略的状況とは全く異なり、極めて
複雑な歴史的・政治的構造を背負っている東アジア・太平洋の現状において
は、日本での不用意なな発言は、日米関係に対してだけでなく、日本と周辺
諸国との関係に対しても深刻な影響を及ぼす可能性をはらんでいることを、
日本人は十分に自覚すべきであろう。

V.国際政治の現状から生まれる制約要因

 既に触れたとおり、米ロ間の「相互確証破壊」の条件は、2002年6月
に米国が「ABM条約」から脱退したことによって、理論的には崩れてしま
った。この時期における米国の脱退は、実は国際政治的・戦略的環境が激変
してしまったことを象徴的に示したものであった。
 第二次大戦後、2,3年を経ずして始まり、その後20数年間にわたって
続いた「冷戦」期は、大変皮肉なことながら、米ソ両陣営間の対立によって
形作られた「二極構造」にも拘わらず、可成り安定した国際秩序が続いた。
冷戦史研究の第一人者J・L・ギャディスは、「長い平和」(The Long Peace)
とい有名な象徴的表現でこの状況を描いて見せたほどである。勿論、上述し
たとおり、この間、1950年代の半ばに始まった中ソ対立によって、19
64年には中国の核実験、1960年代末期には「珍宝島(ダマンスキー島)」
を巡る武力衝突が起こったから、日本でも中国の核武装を脅威として捉え、
核武装論議が持ち上がったことは確かである。また、冷戦で対立する東西両
陣営に加わっていなかった、いわゆる「第三世界」と呼ばれた国家群に属し
た多数の発展途上国は、多くの問題を抱えていたが、それらは基本的に国内
問題であり、国際的な安全保障秩序に影響を与えるようなものではなかった。
中には、カシミール地方の領有を巡るインドとパキスタンの長年にわたる対
立が、やがて1975年にはインドによる核実験を決意させ、それによって
1998年にはパキスタンも核実験を行い、第6、第7番目の核武装国家を
生んだ例もあったが、その対立は、基本的には両国間に限られており、外部
世界に大きな現実的脅威を与えなかったために、地域限定の紛争として扱わ
れた観が強かったのである。

 その一方で、冷戦の終結は、ソ連共産主義体制の崩壊によって生まれたロ
シアの、中東における秩序維持能力の低下という要因もあって、イラクのサ
ダム・フセインにクウェート侵攻(1990年)という冒険を許す状況を生
み出してしまった。しかし、その結果、国連の安全保障理事会が、国連発足
以来初めて、全会一致で一連の対イラク経済制裁決議を行い、さらに米軍を
中心とする多国籍軍の対イラク武力行使(湾岸戦争)をも許す状況が生まれ
た(中国は棄権)のである。それは、冷戦の終結によって米ソの協力が可能
となっただけでなく、中ソ両国の長年の対立関係も、可成りの程度改善され
ていたからである。

 つまり、湾岸戦争の結果、国際政治状況は、新しい段階に入ったのである
が、その時既に、現在われわれ地球上の人間たちが、多かれ少なかれ悩んで
いる諸々の現象の萌芽が認められるのである。

 1)その第一は、社会主義独裁体制の東側陣営と、自由民主主義に立つ西
側陣営の熾烈な戦いであった冷戦が、東側陣営の崩壊の形で終わった時、新
しい一極構造の世界の頂点に立った米国は、世界の指導者としてその政治理
念と力に大きな自信を持ち、当時の米国大統領であった、現ブッシュ大統領
の父ブッシュが高らかに謳った「世界新秩序」の構築過程で、米国主導によ
る「一極体制」が、むしろ秩序構築を妨げる状態の出現をもたらした、と云
えるだろう。特に、現ブッシュ政権の対外政策は、イラク戦争に見られたよ
うに、対象地域の政治的、社会的、文化的特性を無視して、民主主義や人権
擁護の理念を、単純な普遍主義的発想に基づいて、強引に押しつける傾向を
示している。

 2)第二に注目しなければならないことは、民族主義の台頭である。ソ連
邦の共産主義独裁体制解体にともなう、連邦内および東欧の旧ソ連圏の国々
の脱社会主義化と民主化の運動を支えたのは、それまで押さえつけられてい
た民族主義の台頭であった。この傾向は、やがて中東、アフリカ、その他の
地域にも拡がり、民族的な分離独立運動を促すことになったが、中国の、少
数民族が多く住む地域も、その例外ではなかった。

 3)第三に、多分現在最も大きな問題となっている、政治における宗教的
要素の増大である。これは、かつてサミュエル・ハンティントンが「文明の
衝突」(1993年)と呼んだ問題であるが、その呼称の是非についての論
議は置くとして、イスラム諸国が国力を増し、国際社会における発言権を増
大させてきたこともあって、従来はほとんど問題にならなかったイスラム教
の価値観、特にその原理主義者の価値観が重要性を増してきたのである。
 17世紀の半ばにヨーロッパで確立された、複数の主権国家によって構成
される国際政治秩序は、キリスト教的価値観をもって、キリスト教文化圏の
なかで発達してきた諸価値観によって支えられ、世界に拡がったのであった
が、19世紀末にアジアで始めて近代化に成功した日本は、その多神教的文
化の故に、それほど抵抗無く西欧起源の国際秩序を受け容れることができた。
 この「文明の衝突」的現象が、やがて国際政治状況と安全保障戦略問題を
一変させてしまうほどの衝撃となって表れたのが、2001年の9月11日
に米国で起きたアルカイーダによる同時多発テロだった。それは、一神教を
基礎に置く西欧的価値観と、同じく一神教であるイスラム教過激派の、自爆
行為を「聖戦」として讃える価値観の衝突を象徴的に現す出来事だったから
である。

 4)以上の様な政治的・宗教的要因に加えて、最後に指摘しておかなけれ
ばならないのは、それらの要因がもたらす影響とは、むしろ反対の働きを示
す現象としての「グローバリゼーション」、特に経済の分野における「グロ
ーバリゼーション」、あるいは「経済的相互依存」の増大、深化の現象であ
る。この現象は、1)から3)までの要因が冷戦下の、いわば強要された「平
和共存」的国際秩序から個々の国家を解放し、自己主張を強めさせるため、
国際体制を分化させ、秩序の形成・維持を困難にする働きを持っているのに
対し、それとは反対の働きをする、と考えられる。少なくとも経済的には、
無視することが許されないほどの、しかも増大を続ける相互依存状況下にあ
る各国家は、政治的・軍事的対立が起きた場合でも、現実的、実利的な立場
に立ち、できるだけ事を荒立てずに、妥協し、解決策を見出す努力を迫られ
る状況を作り出しているのである。例えば、最近国際政治の影響力のめざま
しい増大を示している中国は、それを支える経済成長の結果、食料やエネル
ギー資源の自給が困難となり、それらの輸入量は増大を続けているだけでな
く、経済発展を続けて行くためには、外国からの投資を確保し、さらに増や
すような努力が必要となっている。それは経済的相互依存状態の深化を示し
ており、それが新しい拘束条件となっているのである。

VI. 北朝鮮への対応について考慮すべき問題点

 前節で述べたように、現代の国際政治状況は、一方において、国家間、特
に既存の大国同士が、伝統的な「戦争」を始める確率を大幅に減少させた。
それは、国家の政治的な目的、あるいは経済的利益獲得という目的を、戦争
という軍事的手段によって達成しようとしても、そのために必要なコストが、
予期される利益を大幅に超えてしまう傾向が強まったことが理解されたか
らである。しかし、近代的国家生成の歴史的過程は一様ではなく、全ての国
家が同じ時期に生まれたわけではない。そこには大きな時間的な差があるの
である。第二次大戦後に独立を達成した旧植民地の数は多いし、ごく最近、
冷戦後に独立を獲得した国々もある。従って、民族主義的主張や行動の現れ
方には大きな違いがあることは当然とも考えられる。
 軍事力の増強を通じて、国益を守り、増強させようとすることは、すでに
時代遅れになった。しかしその認識は、長年にわたってその方法を実践し、
すでにその地位を確立した既成大国の経験から生まれたものであって、まだ、
全ての国々によって受け容れられるほどの普遍性はない。
 それでは、すでに日本を凌駕するほどの国際的地位を確立しているように
見える中国が、なお核能力や海軍力の増強を図っているのは何故なのだろう
か?中国は日本がかつてたどった同じ道をたどろうとしているのだろう
か?現政権の指導者たちは、国際社会の現状を合理的に理解しており、その
ような愚かな道をたどるとは思われないが、他民族の経験を学ぶことができ
ないという民族主義の心理に動かされる国民を統御することに苦しんでい
るのかも知れない。いずれにせよ、民族的に同じであるにも拘わらず、中華
人民共和国と中華民国(台湾)に分かれて対立している現状や、民族統一の
情念を掻き立て、武力行使も辞さない心理状態を生み出すとしても不思議で
はない。また、小泉前首相の靖国神社参拝も、中国の気持を逆撫でし、民族
主義的信条を刺激する役割を果たしたことは周知のとおりである。

 それでは、北朝鮮は何故、核武装しようとしているのだろうか?その理解
のためには、朝鮮戦争の原因にまで遡って考えなければならないだろう。
朝鮮戦争(1950~53年)は、ヨーロッパで始まった東西間の対立を
起源とし、東アジアに波及してきた冷戦の影響を受けながら、いわば東西両
陣営の代理戦争の形をとった「熱戦」であった。ソ連の支援を背後に、北鮮
(朝鮮民主主義人民共和国)が、米国の庇護下にあった韓国(大韓民国)に
侵攻したことで始まった朝鮮戦争の本質は、太平洋戦争における日本の敗退
の結果、南北に分断占領され他朝鮮半島において、それぞれ異なったイデオ
ロギーに支えられた政治体制をもつ、統一民族国家の建設を目指した、南北
二つの政治勢力による権力奪取のための武力闘争であった。ソ連の勢力圏の
拡大を阻止するため介入した米軍主体の国連軍と、その結果が自国にとって
不利となることを怖れた誕生間もない中国が、軍事介入したことによって国
際戦争に拡大した朝鮮戦争は、二つの異なった政治体制の対立を残したまま
停戦を迎えた。その後半世紀、北朝鮮はその世襲の独裁体制を守り、最終的
には民族統一を目指しながら、ごく小規模な軍事行動や、「拉致」、外国通
貨偽造など、近代国家としては考えられないような、不正な試みを含む、あ
らゆる手段を行使してきた。そしていわば最後の手段としてたどり着いたの
が「核保有国」の地位獲得を目指した核実験であった。
 しかし、朝鮮戦争以来、常に盟友として、また保護者として北朝鮮のわが
ままを許容してきた中国さえもが、強硬姿勢を取らざる得ないような結果と
なる、核実験を強行した理由は何だったのだろうか?それは、同じような行
動をとっているイランと同じ動機からなのか?残念ながらその真意は良く
分からないが、ただ一つ云えることは、これまで北朝鮮の行動を支配してき
た金正日が非理性的な、愚かな指導者であるようには見えない、ということ
である。

 また、イランが、レバノンの対イスラエル強硬派集団のヒズボラや、それ
と緊密な関係にあるシリアの後ろ盾の役を演じ、またパレスチナのイスラム
過激派ハマスや、イラクの対米強硬派民兵を支援したりして大きな影響力を
行使しているのに対して、北朝鮮はそのような能力はなく、国際社会のなか
で孤立に近い状態にある。経済状態の悪化により、国民に対する食料供給も
ままならない状態の中で、金正日体制の生き残りのための重要な手段の一つ
には、ミサイルの輸出があった。しかし、パキスタンのカーン博士が開発し
た核技術の提供を受けて開発し、実験した核爆発装置の小型化によって兵器
としての実用化に成功すれば、それは輸出の目玉商品になるだろう。

 現在のところ、米国にとっての最も大きな問題は、中間選挙の結果が明ら
かにしたように、イラク問題の処理であり、次に重要なのは、イスラエルの
安全を確保するために、反イスラエル勢力の後ろ盾となっているイランの核
開発を、EU諸国と一緒に押さえ込むことである。
 米国の立場からみるならば、北朝鮮の核兵器は直接の脅威ではないため、
問題としての優先順位はそれほど高くはない。ただ、北朝鮮の核問題に関し
て米国が最も怖れているのは、北朝鮮が小型核兵器の開発に成功し、それが
米国に敵対するイスラム・テロ組織の手に渡ることである。それは、自爆攻
撃をものともしないイスラムの「聖戦士」たちと、相互抑止による安全確保
というような価値観を共有することは凡そ無理だからである。このような情
勢判断に立って考えた場合、日本は本当に北朝鮮の核による直接攻撃を怖れ
る必要があるのだろうか?

 これまで可成り強引な手段を使う傾向が強かったブッシュ大統領といえ
ども、北朝鮮が核攻撃体制を完成させただけでは、これに対する直接攻撃に
踏み切ることはできないだろう。しかし、もし北朝鮮が核をもって日本を攻
撃した場合には、その核攻撃施設だけではなく、金正日体制自体をも破壊す
るのに十分な大規模な報復核攻撃を公然と行使出来る大義名分を米国は手
に入れることになるだろう。そのことを予測できないほど金正日は愚かでは
ないはずである。彼は、「弱者の恐喝」の名手なのであるから。

 確かにブッシュ大統領はイランと北朝鮮とを同じ「ならず者国家」と定義
した。しかし、「ならず者国家」であっても国家は国家であり、つかみ所の
ないテロリスト集団とは、その行動パターンが基本的に異なっている。イラ
ンや北朝鮮との外交交渉による問題解決が大変困難であることは経験が示
しているが、そもそも「交渉」相手もハッキリせず、初めから交渉に応ずる
意図を持たないテロリスト集団とは違うのである。従って、北朝鮮の「弱者
の恐喝」を一応受け容れる形で従来の強硬姿勢を変え、より柔軟な姿勢を採
ることによって、交渉のテーブルに着かせることは不可能のではないはずで
ある。

VII.おわりに ―― 最悪の選択肢としての核武装

 以上の推理が正しいとすれば、北朝鮮の核武装は外交的取り引きの手段で
ある確率が高いのであるから、日本にとって大切なことは、あらゆる外交手
段を使って、北朝鮮を取り引きの場に誘き出す努力を行うことである。国連
の、対北朝鮮制裁決議は、日本の主導によって成立したが、制裁の効能とい
うものは、期待するほど大きくないことを国際政治の歴史は示しているだけ
でなく、行き過ぎた場合には、相手を、最後の手段としての武力行使に訴え
ざるを得ない窮地に追い込んでしまう結果を招く可能性も小さくはないの
である。かつて日本が、「英米仏包囲網」を打ち破るために、勝算のないま
ま真珠湾攻撃に打って出たことを忘れてはなるまい。北朝鮮にとっての最後
の手段が、日本に向けた核兵器であるとしたならば、窮地に追い込まれた場
合は、金正日としても軍部強硬派を押さえることが出来なくなるだけでなく、
自分自身が自暴自棄に陥る可能性も否定はできないのである。

 中国と韓国の対北朝鮮姿勢は、日米に比べて妥協的、あるいは弱腰に見え
るが、その理由は、金正日体制が崩壊した場合、あるいはその状態に近づい
て、国民の行動を統制できなくなった場合に発生するであろう、北鮮難民の
自国への流入に対する警戒が、一つの重要な共通要因として考えられる。米
国も日本も、そのような状態をあまり気に掛けていないように見えるが、そ
れは地続きの国が抱える問題への無理解、無神経というものだろう。

 米国の中間選挙の結果生まれた民主党勢力の増大によって、ブッシュ政権
の対北朝鮮政策の修正が期待される状態が生まれた。これは日本の対応にと
ってもプラス要因となり、柔軟な対応のための選択肢が拡がるだろう。その
逆に、対北朝鮮強硬政策は日本にとって採ってはならない対応策であり、な
かでも核武装は、最悪で愚かな選択肢なのである。その理由を具体的に挙げ
よう。

 1)先に「核の傘」の問題を検討した際に、日本を守っているはずの米国
の核抑止力の効力に対する、北朝鮮の評価が変わる要因の一つは、日米関係
の有り様であろう、と述べた。それは、米国の日本に対する信頼が揺らぎ、
日米関係が悪化したことが明白になった時であろうが、それは、理由は何で
あれ日本がいわゆる「普通の国」となって軍備増強を進め、日米安保体制へ
の依存度を低めた場合に起こりうる。随分昔の話であるが、かつて筆者はキ
ッシンジャーと日米安保について対話していた時に、米国の対日不信の要因
となる軍備増強の、超えてはならない一線があるとすれば、それ何処か、と
訊ねたことがある。その時彼が一例として挙げたのは、「航空母艦の建造」
であった。それは「防衛能力」の増強と云うよりも、「攻撃能力」の増強を
意味するからである。この考え方からすれば、日本の核武装は問題外の阻害
要因となるだろう。これまでの日米関係を振り返ると、日本の対米輸出が米
国の一部産業に大きな打撃を与え、その結果、米国の対米感情が悪化したこ
とが何度もあった。一見平穏で、親日的に見える米国民の感情も、何らかの
出来事によって急激に変化し、潜在的な対日不信感が露わになる確率は低く
はないのである。

 しかも、その影響は日米関係の悪化に止まらない。靖国問題が中韓両国の
反日感情に火を付けただけではなく、東南アジア諸国の間にも可成りの対日
警戒心を抱かせる結果になったことは周知のとおりであるが、日本の核武装
はその比ではないだろう。北方領土問題に関する日本の要求を退けてきたロ
シアは、日本の核武装をどう受け止めるだろうか。ロシアは、クラウゼヴィ
ッツの戦争論を箴言として、日本が、これまで不毛に終わった外交とは異な
る手段によって、要求を貫徹しようとしている、と受け取るかも知れない。
また、オーストラリアもニュージーランドも、それを歓迎するはずがない。
日本は、過去の帝国主義的侵略戦争を通じて作り出してしまった歴史の悪い
イメージを払拭するための十分な努力をして来なかったことが裏目に出て、
北朝鮮に対応するためと称する核武装計画が、世界を敵に廻し、孤立してし
まう確率は非常に高いのである。その意味で、核武装問題も、歴史認識の問
題と密接に関連しているのである。

 2)前に指摘したとおり、如何に高い技術力を日本が持っていたとしても、
核実験によって瞬時に対北朝鮮核抑止力を作り出すことは出来ない。長い間
脆弱な状態が続き、北の核攻撃を誘発する可能性もあるのであって、安全を
守ることにはならない。むしろ危険な状態に陥れてしまうのである。

 3)日本は、憲法9条をもち、非核三原則に従って行動してきた。その間、
核軍備管理に関する全ての条約、協約に加盟し、また、原子力の平和利用の
ために、核分裂物質の扱いに関する国際原子力機関(IAEA)による規制を全
て受け容れるともに、その活動を全面的に支援してきた。しかし、どのよう
な理由があったとしても、日本が核実験を開始した瞬間から、この分野にお
ける約束事は全て破棄されたことになり、全てのIAEA加盟国を敵に廻し、
使用済核燃料の再利用も滞るであろうから、やがて日本の総電力量の約三分
の一近くを賄う原子力発電もままならなくなり、工業生産だけではなく、国
民の生活にも大きな支障が生ずる可能性があるのである。

 4)最後に、安倍首相や、将来首相の座を狙いながら、核武装について肯
定的な発言をしている政治指導者たちにうかがいたい。
 米国にとって、核の分野における真の仮想敵国はロシアと中国であるが、
これらの国から核弾頭を搭載した大陸間弾道弾(ICBM)が発射されたと
すると、約30分で米国の目標に到達する、と云われている。実際には、ミ
サイルの発射が確認され、さらにそれが米国の戦略目標に向けられたもので
あることが確認されるのに時間が必要であるため、飛来する敵ミサイルの迎
撃命令を出す権限を持つ大統領が決断するまでに残された時間は、悪ければ
15分程度かもしれない。現在この決断を支える仕組みがどうなっているか
は、不覚にして筆者には判らないが、かつては大統領の発射命令を伝えるの
に使用される極秘の無線装置を携帯している補佐官が、24時間、365日、
大統領の影のように寄り添っていたのである。

 もし、北朝鮮が日本向けの核搭載中距離ミサイルを発射する場合を想定す
ると、その到達時間はせいぜい7分ぐらいと云われている。しかも発射確認
時間を引けば、完成された迎撃ミサイルによる防衛システムが構築されてい
ると仮定した場合、迎撃命令権を持っているであろう、最高軍司令官として
の首相に、決断するまでに残された時間は4,5分しかないだろう。そのよ
うな状態の中で、首相は決断を下す勇気と、決意を持てるだろうか? また、
首相の決断を支える効果的な体制を作ることは可能だろうか? あるいは、
この決断はミサイル防衛システムを統御する司令官に任されているのだろ
うか?また、現在のところ、迎撃ミサイルの命中精度はあまり高くないため
に、迎撃に失敗する可能性は高い。人口が密集している日本は核攻撃に対し
て極めて脆弱な体質を持っているのである。効果的なミサイル防衛のシステ
ム構築は、核武装問題とは別次元の問題である、という反論もあるだろう。
しかし、中途半端な核武装は、反って北朝鮮を刺激し、対日核攻撃の可能性
を高めてしまうかも知れない。
 核武装発言を行って問題の端緒を作った中川政調会長や麻生外相の云う
「議論」のなかには、このような問題も含まれているのだろうか? 是非知
りたいものである。

 確かに日本は言論の自由の保障されている国である。従って「議論」する
ことに反対する理由はない。問題はその中身であり、議論の場であり、仕方
である。
下手すれば、諸外国から直ちに否定的反応が帰ってくる可能性を十分に考
慮し、冷静に、時間を掛けて、関連する諸要因を見落とすことがないように
組織された検討計画を作る必要がある。
 現在世論の一部で起きている、偏狭で感情的な民族主義の高まりが広まり、
日本が再び「何時か来た道」をたどるような愚を犯さないよう祈るものであ
る。

[付記]
 以上述べた筆者の見解は、予想した以上の分量になってしまった。それに
も拘わらず、それは複雑な問題のごく表面をザッとたどって見たものに過ぎ
ない。しかも、それは、筆者個人の見解、いわば「偏見」であるばかりでな
く、まだ触れるべき論点が沢山残っていることも自覚している。
 ただ、これが、より緻密で冷静かつ客観的な論議へと発展するための刺激
剤となればよい、と考えている。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━目次へ