【日本と韓国の間で】

■日韓共通の歴史認識をめざして          朽見 太朗

――『日韓歴史共通教材』出版の意義とメディアの対応――
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 東京学芸大学(歴史教育研究会)とソウル市立大学(歴史教科書研究会)の研
究者を中心に、日本と韓国の研究者・教員ら約40人が10年にわたってシンポジ
ウムを重ねてきた「日韓歴史共通教材」が、2007年3月1日に日韓で同時刊行
された。2005年から、前近代・近現代・朝鮮通信使をそれぞれテーマとして扱っ
た共通教材が刊行されてきたが、先史時代から現代までの通史を扱ったのは本書
が初めてである。
 本書の作成意義=本書の特徴は巻末の「読者の皆様へ」の中に詳しく述べられ
ているので、そちらを参照されたい。以下、本書の刊行後にあらためて指摘され
たり気づいたりした本書の特徴・役割について述べる。


◇共同研究の現状に民間の作業で一石◇


 第1に、前述の通り先史時代から現代までの通史となっている点である。言い
換えれば、前近代や近現代などにテーマを限定しなかったことである。日韓関係
を論じる際、日本軍「慰安婦」や戦後補償の問題、竹島(独島)の領有権問題、
靖国神社参拝ばかりがクローズアップされるが、本書の執筆者たちは、それらの
理解には、前近代の日韓関係を知り、それがなぜ近代の朝鮮侵略・植民地支配へ
とつながっていくのかを知る必要があると主張する。そのため前近代からの教材
を検討することになり、他の共通教材の倍以上の年月が費やされたのである。
 第2に、「共通教材」という形で日韓共通の歴史認識をめざした点である。一見
「何を当たり前のことを言っているんだ」というように聞こえるかもしれないが
ここが重要で、日韓が共通認識として一致できる内容・レベルのものを、研究論
文・報告書としてではなく共通の教材として完成させたのである。逆を言えば、
竹島(独島)の問題など、現時点で教材になじまない、一致できる状況にないと
執筆者が判断した事項については本書では詳しくは述べられていない。妥協的に
聞こえるかもしれないが、「一致できるところから議論を始める」という方法は、
次に述べる日韓の政府レベルの歴史共同研究にも有効な方法・議論の入口となる
にちがいな
い。
 第3に、政府レベルではなく民間の立場で研究者・教員が議論を進めてきた点
である。これをあえて述べる背景には、2002年から2005年まで行われた政府レ
ベルの日韓歴史共同研究委員会(報告書:
http://www.jkcf.or.jp/history/report.html)の議論が事実上「決裂」してしま
ったことがある。「決裂」の要因には日韓双方の人選の問題や議論の進め方の問
題などもよく指摘されるが、根本的な問題は、ある意味で政府を「代表」する立
場として研究者が議論をしても、それは国を背負うことになり、議論は自然と平
行線をたどってしまうということである。また、研究者同士が双方の学術研究の
内容で議論をする以上、意見が食い違うのは当然のことで、それは日韓に限らず
日本人同士、韓国人同士であっても往々にして起こることなのである。1997年よ
り議論の始まっていた本書は、この点を結果的にふまえることになり、政府レベ
ルの共同研究が「決裂・中断」する状況に民間の立場から一石を投じる役割を担
うことになったのである。


◇偏っていたメディアの関心◇


 本書の刊行が日韓双方のメディアで取り上げられたのは本の売れ行きという観
点からはありがたい話であったが、その取り上げられ方にはいささか疑問符をつ
けざるをえない。日本ではおもに新聞、韓国ではテレビからもとりあげられたの
だが、その報道の内容は、本書の記述の一部だけを取り上げてのものや、メディ
アのいう「対立」したことばかりが取り上げられ、共通教材作成までの経過や刊
行の意義などについての言及はいたって簡単なものであった。
 実際、いくつかの新聞社の取材を私も受け、執筆者への取材にも立ち会ったが、
記者の口から発せられるのは「どのような点で日韓が対立しましたか、モメまし
たか」というようなことばかりでウンザリしたのである。
 実際、教材作成の過程で議論が日付をまたいで続くことはあっても、それは記
者たちのイメージするような自身の正当性だけを主張して相手を批判ばかりする
「対立」というものではなく、お互いが真摯に向き合いながら議論をしてきたの
であり、そういう意味では「対立」した部分はほとんどなかったのである。
 メディアの典型的な取り上げ方の例は『朝鮮日報』(3月27日)の記事であっ
た。この日はちょうどソウルで本書に関連した日韓の歴史シンポジウムが開催さ
れ、その記者会見の場でのやりとりが韓国の各メディアで紹介された。『朝鮮日報』
の見出しは「慰安婦8万~20万強制動員 安倍総理責任回避はできない-『韓日
共通歴史教材』編者の日本学者たちが批判」。――ちょうど安倍晋三が「慰安婦」
発言で批判を受けている時期であった。

 本書の日本軍「慰安婦」の記述は、「日本の軍人・憲兵・官吏・私設業者などが、
8万人から20万人と推定される朝鮮の女性を戦地に連行し、日本軍『慰安婦』と
して酷使した」(272ページ)となっており、これ自体は各史料・証言からすでに
実証されているものである。ただ、それはあくまで本書の一部である。
 本来であれば、この日の記事は歴史シンポジウムの内容や開催にいたった経過、
それに関連した本書の制作過程や本書刊行の意義について紹介するのが筋であろ
う。にもかか
わらず、当日の記者会見では、記者側の質問は最初から日本軍「慰安婦」の表現
や安倍発言、竹島(独島)問題を問うものばかりで、本書の刊行意義や経過など
はほぼ何も聞かれなかったと言ってもよい。木を見て森を見ずとはまさにこのこ
とである。各メディアには話題性ばかり重視せず、執筆者側の本書刊行の意図を
伝えてほしいものであるが、現在の日韓双方の状況ではなかなか厳しいことなの
かもしれない。
 また、一昨年来の嫌韓流ブームの中で、特にインターネット上での本書への的
はずれなバッシングも少なからずあるのは残念なことである。Amazonなどのイ
ンターネット書店のサイトでも、実際には本書を読んでいないと思われるような
批判も見受けられる。そういう根拠のない「右寄り」の言論が力を持つ中でどう
情報を発信していけばいいのか、特に本書についてどう世間に訴えるべきなのか、
担当編集者としてもまだ考えの途中である。
 歴史の共通認識に関していえば、本書は決して多様な歴史観を排除するもので
はない。「新しい歴史教科書をつくる会」に見られるような自由主義史観に立つ人
びとは「歴史観は多様であるべき」という理論を「悪用」して、本書を一つの歴
史観を強制するものとして批判するわけだが、そういう「歴史観」を議論する前
提としての日韓の歴史事実を本書は提供している。多様な歴史観という名のもと
に、非実証的な皇国史観・植民地主義史観を押しつける勢力とは一線を画してい
るのである。


◇平易で分かりやすい日韓交流史。一般の方もぜひ一読を◇


 上記のように、本書はさまざまな特徴をもち、制作開始当初は予想していなか
った役割を担うことにもなり、またさまざまな受けとめられ方をしている。ただ、
このような「難しい」話は別にして、本書を読めば日韓の歴史の流れがひととお
り分かるようになっている。記述は高校生向けに平易で、日韓関係史を理解する
うえで必要な日本史・韓国史の簡単な概略も各章ごとに載せている。写真も多く
載せ、文字や行間も一般書より大きく・広くし読みやすいようにした。巻末には
各章ごとに解説ももうけ、最新の研究状況や本文記述の意図を詳しく述べるなど
「指導書」的な内容も載せている。「とにかく韓国のことが知りたい、日本とどん
な『交流』があったのか知りたい、しかも簡単に」という一般の方、高校生・大
学生・教員の方などにぜひ読んで頂きたい。

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 『日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史-先史から現代まで』の日本語版(\2,940
(税込)は明石書店(TEL:03-5818-1171)、韓国語版は慧眼出版社から発売してい
ます(購入方法は明石書店編集部朽見(くちみ)tkuchimi@akashi.co.jpまで)。

 また、2007年6月16日(土)13時より、江戸東京博物館1F大ホールにて、
本書に関連したシンポジウム「歴史教育をめぐる日韓の対話」を開催する予定で
す(本書の日本側・韓国側の執筆者も多数参加する予定です)。参加ご希望の方・
お問い合わせは上記の朽見メールアドレスまで。

(筆者は、明石書店編集部)
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